アルバムの幕開けを飾るタイトル曲『DOUBLE STANDARD』から、いきなり異質。そこに在るのはシーンに、世の中に、カウンターを打とうと声を上げる音楽家ではなく、情けなさ、虚しさ、諦め、葛藤…移りゆく時代に翻弄され、音楽だけを頼りに生きてきた、1人の男の姿だ。中田裕二の最新作にそこはかとなく漂う焦燥感と無常感は、彼が9年という時間をかけてついに到達した、はかなくも美しい10篇の歌に血のように浸み込んでいる。インタビューで彼は、「音楽は基本的に寄り添うことしかできないんじゃないかと思ってて、『DOUBLE STANDARD』で自分の音楽がまさにそうなった」と語った。だが、白か黒か、右か左か、YesかNoか…昨日の正解が今日の不正解となるような現代社会で、日々矛盾を抱えて生きる人々に寄り添うことができる音楽が、はたしてこの世にどれだけあるだろう――? 中田裕二を導いた縁と業すら歌にした『DOUBLE STANDARD』。こんな音楽、やはりどこにもない。
「もう意地みたいになってます(笑)。でも、今回はピンチだったんですよ。曲ができない時期が結構あって、“これはヤバいな、もうできないんじゃないか”と思ったぐらいで。日々のアイデアのスケッチをボイスメモに入れはするんだけど、全然パッとしないというか、自分でもグッとこないし、人様にも聴かせられない、みたいなものばっかりで」
「1回、見失ったというか…まぁ9年ずっとやり続けてきた、精神的な疲れみたいなものはあったと思うし、“自分のこれまでの表現は、はたして合ってたのか? 正解だったのか?”みたいなところで何だか疑心暗鬼に取り憑かれて…。ここ2〜3年間はいろいろと人に委ねてみようというモードだったんだけど、それで新たに見えることがあるのと同時に、見えなくなることもやっぱりあって…ある程度、自分の中に確信みたいなものがないと」
「そうそう。その確信がめちゃめちゃ揺らいでたというか。だから俺もみんなに、“次はこういうことがやりたいんで知恵を貸してください!”みたいにハッキリ言えなくて。自分の中で正解が見つからない=人に提案できないから、いろいろと聴いては試してたんだけど、やっぱりそれだと楽しくないんですよ。心の底からやりたいことがない状態に、ついにぶつかっちゃったんですよね。正直、それを薄々感じながら、ごまかしながらやってきたところもあるけど、今までは創作意欲の方が勝ってたから、作れば何とかなるって」
――もうそれじゃ済まないところまで、病魔が進行していたというか。
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「去年の夏ぐらいまでは結構モヤモヤしてたし…酒も増えたしね(笑)。サポートメンバーとか友達と呑んだり、人と会うことをあえて増やして、話すことでヒントを掴めるかな、みたいな。それを続けていくうちに、だんだんとやる気の火種みたいなものが灯ってきて…。でも、それは本当に徐々にという感じで、やっぱり『海猫』(M-2)ができたのがすごくデカかった。そこからちょっとずつ視界が開けてきて、ようやく次の表現が見つかったというか。俺、『海猫』ができたときに泣いたんだよね。そんなこと滅多にないんだけど。“うわ〜俺はこういうことがやりたかったんだなぁ”みたいな感覚で、ちょっとグッときちゃって。自分の年齢とか世代感、あと、自分自身に対して無理がない。『DOUBLE STANDARD』(M-1)でも書いてるけど、今までは形を外に求めていく生き方をしてきた気がして。『海猫』は久々にというか初めて、本当の意味で内から自然と湧いてきた曲。そこから、“次のアルバムはどうしようかな”っていう感情がようやく芽生えたんですよね」
――ちなみに、『海猫』について取材用のメモには、“絶望→放心→悟り”って書いてます(笑)。
「アハハ!(笑) まさに俺の心のプロセス(笑)」
次に進むために諦める、ポジティブな諦観
――『海猫』をはじめアルバム全体に漂う無常感というか、弱さというか。それを整えず、そのまま受け入れるムードが今回はあるよね。それは同時に、“諦め”とも取れるけど。
「無理に抵抗しないというか、自分の辛さを受け入れることで楽になれる、みたいな。ただ、俺にとっては昔の歌謡曲とか邦画とか…そういう日本文化独特の“諦め”=ネガティブなことじゃないんですよね。次に進むために諦める、ポジティブな諦観。実はこれこそが近道で、抵抗すればするほど…」
――抗うことに囚われて、いつまでも自分が見付からないというか、輪郭ばかりぐるぐる回ってる。
「だから、“若さ”ってそこなんですよ。エネルギーが有り余ってるからずっと抵抗してるんだけど、ずっと見つからないんですよね、自分が。俺も20代の頃は、“俺の居場所はどこだ!?”っていう自分探しでぐるぐる回って、なかなか確証が得られなかった。でも、それは“こうでなきゃいけない”とか“こうしなきゃならない”とか、外に向かう意識に完全に取り込まれちゃってたからで」
――言ってしまえば、シーンから浮いている中田裕二ですら、やっぱりどこかで周りの影響を受けていて、答えを外に求めてしまっていたというか。
「最初は、浮いてこそなんぼだと思ってたんだけど、結局ね…そういう世界から飛び出したいという気持ちがある時点で、意識しちゃってるんだよね」
――ここから飛び出したいということは、“ここ”を意識してるからそう感じてると。
「そう! その境地だと、本当の意味で浮いてこないのが、ちょっと分かってきて」
――なるほど、もう仏教だね(笑)。そして、それは同時に成熟とも言えるのかもしれない。
あのひと言が結構、効いたんだよね
俺、それでむちゃくちゃ楽になったんだよ
――ただ、アルバムを聴いたときの第一印象は、これはいい意味で、中田裕二はついに売れるのを諦めたなと(笑)。
「アハハ!(笑) 前にISEKI(ex.キマグレン)くんと呑んでたとき、彼はブッキングの仕事とかもいっぱいやってたから、たくさんのミュージシャンの浮き沈みを見てきた上で、“結局、ずーっと続けられる人って、本当に自分のやりたいことをやってる人だけだと思う”みたいな話をしてくれて。だから、“中田くんも絶対に自分の音楽を追求するべきだ”って。またね、ISEKIくんが本当にキラキラした瞳で実感としてそれを言うから、説得力がすごいんですよ。彼は同世代だし、グループからソロになっていろいろ試行錯誤してるところも一緒だから…何かね、あのひと言が結構、効いたんだよね。俺、それでむちゃくちゃ楽になったんだよ。ずっとやりたいことをやってきたはずなんだけど、やっぱりどこかで、シーンとか世の中と対立する感覚でいて」
――常にシーンや世の中にカウンターを打つスタンスだったもんね。
「意識的にそういうことをやってはきたけど、ものづくりの上では少し理屈っぽくなるというか、本当はそこと対立させたいわけじゃなくて、もっと自然な発想で、時代とかシーンも全部超越した音楽が作りたかったんですよ。気持ちがようやくそこに行き着いたんですよね」
――あと、自分は裏方の方が向いてるんじゃないかと思ったときもあったって。
「うん。でも、楽曲提供の話が次々と来るわけじゃないから、やっぱり自分でやらなきゃいけないのかな、みたいな。もうそういう運命(笑)。もしそっちが向いてる人だったら、今の時点でもっとやってると思うんで」
――中田くんにプロデュースされたら曲が乗っ取られそうだもんな。“中田裕二じゃんこの曲!”ってなりそう(笑)。
「アハハ!(笑) クセが強いからね、俺の音楽は」
自分の音楽を素直にやれば、自分なりのポップが出来上がる
――アルバムの中身に触れていくと、1曲目の『DOUBLE STANDARD』からいきなり異質で、今の日本のシーンにこんな音楽が他にあるのかと。音色や空間の使い方といい完全に中田裕二で、音楽をそこに置いて、“あとはもう好きにジャッジしてくれ”とでも言うような、運命に従う打算のなさは、ここ数年のアルバムにはなかった肌触りで。
「俺は昔から“等身大”っていう言葉が大嫌いで(笑)。“何が等身大だよ!”って常々思ってたんだけど、今、本当の意味で等身大の作品が作れたと思ってる。俺の等身大=この『DOUBLE STANDARD』」
――アルバムの幕開けの曲から、“白く煙った魂の/燃えかすが道に転がる”だからね(笑)。この虚無感と無常感。
「俺の音楽の基本のイメージがこれなんだよね。何かようやく一体化できた感じがする、自分と音楽を」
――あと、改めて中田裕二の音楽はギターが肝だなとも思った。今作ではまた全曲自分でギターを弾くようになり。
「自分の持ち味とか活かし方が自然と分かってきて…俺のギターと俺の声と俺のメロディの相性ってやっぱりいいんだなって。その組み合わせで生まれるグルーヴが確かにあって。でも、今まではそれを完全に掌握できてなかったというか、入れ過ぎちゃったり、うまくまとまらないところがあったんだけど、今回はそれは全然なかった」
――『どうどうめぐり』(M-3)のイントロとか『グラビティ』(M-5)もそうだけど、ちょっとしたリフも耳に残るし、『どうどうめぐり』のこんなにはかなく 、投げやりな言葉でも、中田裕二が歌えばちゃんとポップになる。
「そう! 俺のポップってこういうことだなって。意図的にポップな曲を作ろうとすると、結果としてポップにならなかったことが多かったんだけど、自分の音楽を素直にやれば、自分なりのポップが出来上がるという」
――『どうどうめぐり』のファズの効いたギターソロも派手さはないけど本当にジャストな音像で、その直前のラップ調にまくし立てるパートも、『ランナー』('19)とかで意識的に海外のトレンドとか手法を取り入れていた感じとは、またちょっと 意味合いが 違って。
「アルバムが完成したときに、そこがすごくスッキリした! もう本当にトレンドとかを超越できたなと思って」
――だからこそ、『蜃気楼』(M-4)みたいな音像が’20年に鳴っている。聴いてて最高に気持ちいいし、最高の音色だし、この80年代感というか安全地帯感(笑)。
「アハハ!(笑) また、トオミ(ヨウ)くんのアレンジがもう…めっちゃ合わせてくれたというか。2人のアイデアを組み合わせると、自然と面白くなるんだよね。今回は前作『Sanctuary』('19)のときとは違って、“この歌はこういうアレンジだろうな”って結構見えてたんですよね」
ずーっと反発心が原動力だった
――『UPDATER』(M-6)は、前回のインタビュー で“ザ・ブラック・キーズとか、ちょっと古いテイストを今っぽく見せるバンドサウンドが理想”と公言してたパターンの最新系というか。
「俺の表現自体ちょっとヴィンテージ感があるんで、そういう音像がやっぱりすごく合うし、『UPDATER』は本当に最後の最後、レコーディング中にできた曲で、リフロックが1曲欲しいなと思って。あと、ここ10年ぐらいエフェクターに関しては全部PC内のプラグインで十分だと思ってたんだけど、最近、急にアナログな機械を使いたい衝動に駆られて、いくつかコンパクトエフェクターを買って。それこそ、『UPDATER』はビッグマフ=ファズを使いたいがために書いたような曲ですね(笑)」
――よくミュージシャンは“新しいギターを買ったからそれを活かした曲が書きたくなった”とか言うもんね。
「それそれ!(笑) そこから歌詞をどうしようかなと思ってたとき、ちょうどMacのOSをアップデートしたら、レコーディングで使ってたプラグインのソフトが一気に起動しなくなっちゃって…まぁレコーディングの途中でアップデートする俺がダメなんですけど(笑)。ソフトを更新するのにもいろいろお金がかかったり、“課金しろ!”みたいなバナーがポンと出てくる。“何て憎たらしいんだこのバナー!”と思って、それをそのまま歌いました(笑)」
――『火影』(M-7)『愛の前で消えろ』(M-8)『長い会話』(M-9)の辺りは中田裕二のネオ歌謡ゾーンというか。『長い会話』も、別に派手さはないのに何かいいんだよなと思っちゃう。
「“何かいいな”っていう反応はすごく嬉しいですね。今の音楽って、ある程度の先入観を持って聴いちゃうところがあると思うんですよ。系統みたいなものが分かれてて、サブスクとかでも気軽に聴けるから、事前にだいたいイメージできる状態だと思うんで。でも、それが何かイヤなんだよね。このアルバムはちょっと推測できないと思うし、それが自分が音楽を続けてきたやり甲斐というか…テンプレートとしてあるポップ感、ロック感には乗っかろうともしなかったし、乗っかれなかったし(笑)、意図しなくてもそういう音になっちゃうのは自分でも嬉しかったですね。ただね、俺はずーっと反発心が原動力だったから。それがなかったら、こんなにたくさんアルバムを作ってこれなかったし。だからこそ、そこで自分を見失ったのかも…」
――常に何かと反発しなきゃいけなかったら、相手の形にこっちも影響されるもんね。
「そうなんですよ。だから、もっと自然発生的に音楽を作れないかなって。素直な気持ちで、自分のやりたい音楽をやる…まぁ不器用なのか、それがずっとできなかったことに自分でもビックリしてるんだけど(笑)。反発心だけをモチベーションに続けていくのは、やっぱり限界があるんだなって。多分、自分の根本がいい意味でちょっと揺らいで、また別の場所に収まってくれたというか。レコーディングに関しても今回はもう本当に久々に、めちゃくちゃ楽しかったんですよ。レコーディングしながらさらにモチベーションが上がっていったし、ワクワクしたんですよね」
音楽は基本的に寄り添うことしかできない
――最後の『輪郭のないもの』(M-10)も、そんな中田裕二の人の縁とか、業みたいなものすら感じるバラードで。
「自分の音楽で誰かを助けたいとか、導きたいとか…それって本当に奢りだったなぁと思って。俺が聴いてきた音楽だって、ああしろこうしろっていう歌はほぼなかったんですよね。こっちが勝手に救われてる。それで十分だと思うんですよ。例えば、チャゲアス(=CHAGE and ASKA)にもいろんなバラードがありますけど、“君を応援したい!”みたいな曲って全然ないんですよ。でも、常に寄り添ってくれてたというか…だから俺は、音楽は基本的に寄り添うことしかできないんじゃないかと思ってて、『DOUBLE STANDARD』で自分の音楽がまさにそうなった。何かを煽ったり、説明したり…メッセージソングとかも元々、自分の発想になかったのかもしれないですね。俺は聴いてくれる人に好きなように楽しんでくださいというスタンスなんで、BGMにしてくれてもいいし。まぁ俺の歌は濃いから、ちょっとBGMにはなりづらいんだけど(笑)」
――中田くんは“寄り添うことしかできない”と言うけど、寄り添うことができる音楽がはたしてこの世にどれだけあるのだろうかと。確かに、“頑張れよ! 大丈夫だって!”と言われなくても、そばにいてくれるだけで勇気付けられたりするもんね。それだけで気持ちは伝わってくる。
「本当にそれだけで全然支えになるんだよね。俺にとって音楽はそういうものだから」
――いや~スルメですよ、このアルバムは。『Sanctuary』の次にこんな作品が来るとは思わなかったな。
「俺も思ってなかった。アルバムができたとき、新たなスタートっていう感じが結構しましたね、うん」
自分が音楽を続けてこれたこと
今、歌えてるありがたさを感じながらやっていきたい
――そして、アルバムタイトルの『DOUBLE STANDARD』とは、“対象とするものによって価値判断の基準を変えること” by Wikipediaということで(笑)、なかなか前向きな意味合いで使う人はいない言葉だけど。
「基本的には、“あなた、あのときこう言ってたじゃない”みたいにネガティブな意味で使われることが多い言葉ですけど、全ての移り変わりの中で人は生きてるから、昨日まで正解だと思っていたことが、次の日にはもう正解じゃなくなってたりする。他人のひと言で一気に価値観が変わったりすることもあるから、俺は“そういうことを人間に求めること自体が酷じゃね?”って思ったんですよね。だから、あのときと今が違うのは当たり前だし、“こうありなさいよ!”って一貫性みたいなものを自分にじゃなくて他人にばかり求めて、じゃあお前はどうなんだと。絶対に矛盾してくるんですよね。それは自分でも思うし。ただ、本来、人ってそれぐらいくだらない生き物で、最近、80年代の邦画とかを改めてよく観るんだけど、めちゃめちゃその辺が無理なく描けてるんですよね。ある程度のモットーとか美学は持ってた方がいいと思うんだけど、それが縛りになっちゃって苦しむパターンもあると思うから、もっとみんなおおらかに、人のことを許せるようになると、ちょっとずつ日々が楽しくなってくる気がする。『DOUBLE STANDARD』と付けたのは、人は本来ダブルどころじゃなくて、それ以上に矛盾を抱えて生きてる。それが自然なことなんじゃないかなっていう想いからなんですよね」
――最後にいいアルバムができて今後、というところで聞きたいなと。
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「ここからソロ10周年に向かって本当に…何か勝手な言い方ですけど、自分がすごく楽しみで。その気分は絶対にお客さんに伝わると思うし、“楽しませてあげなきゃ!”とか意識すると空回っちゃうことも多かったけど(笑)、何より自分が音楽を続けてこれたこと、今、歌えてるありがたさを感じながらやっていきたいですね。あと、本音を言えば、もっともっと多くの人に聴いてもらいたいし、聴かれるべき音楽だと今でも思ってますね」
――今こうやって、中田裕二たる音楽ができたからこそ、改めて聴いてほしいよね。
「こういう焦燥感とか無常感との付き合い方って、大人になってからすごく大事になってくるし、そことの付き合い方を間違えちゃうと、生きるのがしんどくなっちゃう。それって誰しもが抱えてる問題だと思うんですよ。そこにしっかり寄り添える音楽がもっと世の中に増えてもいいのになと思うし。だからこそ、俺はそういう音楽をこれからも作り続けていくべきだと思ってます」
Text by 奥“ボウイ”昌史
Photo by 渡邉一生(SLOT PHOTOGRAPHIC)