「今が一番音楽をやっていて楽しい」 自分の“好き”=価値観は、自分が決める シーンに進攻するここにしかない声と音楽『NOBODY KNOWS』! 中田裕二撮り下ろしインタビュー&動画コメント
我々はいつになったら中田裕二の“正体”を掴めるのだろう――? そんな心地よい裏切りを幾度も繰り返す彼が提示した、新しくも、ここにしかない音楽。ソロ7作目のオリジナルアルバムとなった『NOBODY KNOWS』は、日本のポップスの最前線で活躍するTOMI YO、松岡モトキらをアレンジに招聘。ソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉(key)、GREAT3の白根賢一(ds)、初恋の嵐の隅倉弘至(b)ら気心知れたツアーメンバーに加え、KIRINJIの楠均(ds)、千ヶ崎学(b)、King Gnuの新井和輝(b)らも参加し、持ち前の音楽的探究心が導くまま自由に、そして大胆に、心から音楽を楽しむ彼の姿が伝わってくるようだ。椿屋四重奏という自ら築いた牙城への、ソロとしてのキャリアを重ねた自分への、SNSによって翻弄される時代へのカウンターを打ち続けてきた中田裕二が、己の音楽を世に知らしめるために、ついにその歩みを進めた『NOBODY KNOWS』。今作のリリースに伴い東京・渋谷の街を、“18禁の歌声”をテーマにセンセーショナルなコピーでポスタージャックするなど、その戦略にも新たな展開が見えた彼が、久々のライブハウスツアーとなる『TOUR 18 “Nobody Knows”』開幕前に、その真意を語るインタビュー。自分の“好き”=価値観は、自分が決める。時に見失いがちなそんな当たり前のことを、ありきたりじゃない音楽に乗せて。
ソロの中田裕二としての音楽性の第一段階は
『thickness』までの6枚でひと通りまとまったかなと
――前作『thickness』(’17)のリリース時は、何なら年内にもう1枚対になる作品を出すぜ、ぐらいの勢いでしたけど(笑)。 そのとき思い描いていたアルバムと『NOBODY KNOWS』は違うと?
「何だかんだ言って違いましたね(笑)。正直、あの段階でアルバム2枚分ぐらいは曲を作っていて、“そこから選んで次はこの10曲”、みたいに言える状態ではあって。今回はそこからさらに書き下ろした新曲ばかりなので」
――ここ数年、毎回作風が変化してきた中田裕二が、初めて前作の流れを汲むという地続きの予感があったのに、やっぱりそこから違う方向に進んだと(笑)。まぁ『thickness』は現バンドメンバーとのライブも含めて、1つの到達点だったとは思いますけど。
「やりたいことは山ほどあって全部やれるはずはないんだけど、とりあえずソロの中田裕二としての音楽性の第一段階は、『thickness』までの6枚でひと通りまとまったかなと。『thickness』を出したときに、元椿屋四重奏のボーカルとかじゃなくて、いちシンガーソングライターとして立てたなと思った。シンガーソングライター中田裕二としてのアルバムが、ようやく作れたなって」
――前々作『LIBERTY』(’15)までは“今までにやったことのない音楽性に挑戦する”という自分へのカウンターを軸に進んできたけど、“それを経てオリジナルを作ったらどうなるのか?”という印象だったのが『thickness』で。
「『thickness』までは、結構内側の世界観だったんですよ。自分の“やりたい”に留まっている作品だった気が…今はする。バンド時代にできなかったことをひと仕切りやったからこそ、そういうアルバムの作り方はここで1回終わりにしようと。だからこそ、今回はアレンジでの共作が多かったり、新たにミュージシャンを迎えたり、常に新鮮な気持ちでやりたいのはありましたね」
――常にバンドのカウンター、自分のカウンター、時代のカウンターになるのに必死、ではなく。
「そうそう! 今まではカウンターしか打ってこなかったんで(笑)」
――それによって自ずと方向性は定まるけど、能動的にそれがやりたかったかどうかは。
「そう。今、大事なのは、“もっと多くの人に知ってもらう”ことだから。やっとそこに素直に立てたんですよね」
自分のよさは他人の方が知っている
――ある意味、カウンター=仮想敵みたいなものだから、1つの明確な指針がある。でも、あなたの音楽を世に広げる方法を自由に選んでくださいとなったとき、中田くんはどうしようと思ったの?
「もっと時代と向き合って…懐に入らなきゃなって。それは俺自身もそうだけど、周りのチームも含めて、今回のプロジェクトは今までと違う進め方をしようと…って結局はそれもカウンターですけど(笑)。ただ、カウンターを打つスタンスとポジションは、この辺で大きく変えなきゃなって」
――そういったときに白羽の矢が立ったのが、TOMI YOさんや松岡モトキさんというアレンジャーで。
「バンドのアレンジは自分でもできるので、シンガーソングライターとしてのアプローチがしっかりできる人ということで、TOMIさんと松岡さんの名前が挙がって。TOMIさんはマネージャーがかつて一緒に仕事をしていたり、いろいろと不思議な縁があったんですよ。松岡さんはレーベルからのアイデアで、めちゃめちゃ音楽にも詳しいし、結構攻めのアプローチをしてくれて。松岡さんとは、“気難しそうな部分が音楽に出ているところがもうちょっと取れて、もっと生々しいパーソナルな部分が出てくるといいね”、みたいな会話からスタートしたんです。『傘はいらない』(M-5)と『オールウェイズ』(M-10)には、何か久々にそういう素直な感じが出ましたね」
――ある種、フォークミュージック的というか。『オールウェイズ』の“今日も僕は揺られて いつもの定位置へ/それなりに辛いよ だけどね ただひとつ/僕がね 生きてる場所”っていう最後の3行なんかは、まさに中田裕二で(笑)。
「ハハハ(笑)。あと、松岡さんがよく使っているスタジオで一緒に作業して、ボーカル・ディレクションもやってもらったんですよ。『SONG COMPOSITE』(’14)のときも1回ガチっとやったことがあったんですけど、結構勉強にもなるし、人によって俺への見方とかイメージが違うんで、“松岡さんはどういう風に俺を料理してくれるのかな?”みたいな。奥野(真哉)(key)さんがアレンジした『CITY SLIDE』(M-8)もそうですけど、今回は“僕で遊んでください”みたいな気持ちになれたんですよね。イメージからズレずにマジックが起こったのは非常によかったし、自分のよさは他人の方が知っているものだから、これからはもう遠慮なく共同作業していこうかなって」
自分の味を変えるというよりは
そこにお客さんを引きずり込まなきゃいけないからね(笑)
――『Nobody Knows』(M-1)と『ロータス』(M-3)のアレンジ、あとは『正体』(M-2)のシンセと、冒頭の3曲はTOMIさんの世界観が色濃く出ていて。TOMIさんとのやりとりはどうでした?
「めっちゃやりやすかったですね。同世代だから聴いてきた音楽が似ているのもあるし、イメージの共有がスピーディー。あと、仕事もすごく早いから、その場で“じゃあ、こういうのはどうですか?”っていろいろ試してくれる。TOMIさんとは“新しい音楽を作りたい”っていう話をすごくしたし、どこにもない感じで、かつキャッチーっていう狙いを汲み取ってくれた。『ロータス』とかはイメージだけを伝えて本当に弾き語りの状態でデモを渡して…俺の中ではかなり珍しいパターンでしたね」
――TOMIさんと1枚ガッツリ作ったらどうなるのか、興味が湧くようなアルバムの幕開けでしたね。とは言え、よくよく聴いていくと、結局は中田裕二なんだなという曲がやっぱり出てくるけど(笑)。
VIDEO
「自分の味を変えるというよりは、そこにお客さんを引きずり込まなきゃいけないからね(笑)。『正体』とかはまさに狙い通りで、今の俺が武器としている“ネオソウル的なビート歌謡”みたいな。ずっとコード進行も一緒だし、今回は全体的にコードをかなり減らして研ぎ澄ませました。『thickness』と比べても、結構シンプルですね」
――自分の中でも明確に“変えた”意識があると。
「やっぱり、今まではむやみにコードを入れていたなって(笑)。『マレダロ』(M-7)なんかはワンビートだし、緩急、楽器の抜き差し、歌のニュアンスで最後まで聴かせる。今の邦楽はキメで展開を付けていくから…例えば、洋楽とかはそんなにコードが動かないし、年齢的にもそういう勝負をしないとなっていうところもありましたね」
――そういう意味では、実は後々ライブで効いてくる曲も多いというか。
「そうそう! ノリやすいと思う。ずーっと同じビートの『CITY SLIDE』もそうだし、バンドのグルーヴみたいなものは、結構強調されているかもしれない」
――奥野さんも『CITY SLIDE』では振り切ったアレンジをしてくれて。
「前々からツアー中に奥野さんとそういう話をちょくちょくしていて、ようやくその機会が参りました(笑)。シンプルな打ち込みのデモを自分で作って、あとは奥野さんの好きな感じに…いやもう、超トレンディになりました(笑)。 “90年代!”と思った(笑)。ブライアン・フェリー感がいい意味で出たなと。奥野さんが入れたい音はほぼ入れましたし、今回はセッションアルバムと言ってもいいかもしれないですね」
俺、おかしいのかな?(笑)
――そして、『むせかえる夜』(M-9)ではガットギターをかき鳴らし。
「今まではどこかでエレキギターが入ったりしたんだけど、この曲はフルアコースティックでいこうと。椿屋で言うと、『シンデレラ』(’09)とか『螺旋階段』(’05)とか、ラテンをロックアレンジでやるみたいなイメージ。マジでジプシー・キングスみたいにやりたいなと」
――改めて思ったけど、中田裕二は昔から何でこういうラテンのテイストの曲を常に入れてくるんだろうと。
「80年代の歌謡曲って、ラテンっぽい曲が多かったんですよ。中森明菜の『ミ・アモーレ』(’85)とかもそうだし、BGMがラテンのドラマとか映画も多くて。刑事モノのドラマとかでも、高速ラテンみたいな曲がかかったり」
スタッフ 「中田くんのこれまでの楽曲を集めたら、ラテンで1枚アルバムが作れるぐらいあるからね」
――中田くんの中のブラックボックスみたいな、音楽の変換装置の個性を改めて感じます。中田裕二の音楽にあるラテンのフレイバーはラテン直結ではなく、むしろ歌謡曲からきていたのか。
「ラテンって、男女の情熱的な交流を描きやすいんですよ(笑)。あとはやっぱり、日本人の叙情感に合う。逆に不思議ですよ、なんで他の同世代のアーティストからラテンの曲が出てこないのか…絶対に身体に入っているはずなのに。俺、おかしいのかな?(笑) あれだけ歌謡曲やJ-POPを聴いて育ったのに、何でそこから逃げるの?って。ただ、今回のサウンド自体はどの曲もガチ洋楽なんですけどね」
フォークって人間のキャラクターを一番出せるアプローチだったりする
――冒頭からワイルドな雰囲気漂う『BLACK SUGAR』(M-4)もいいですね。
「歌いたかったのは、“依存”だったんですよ。例えば、甘いものって摂り出すと止まらなくなるというか、中毒性があって…もっと、またもっとっていうスパイラルに陥るような、そういうところを歌いたくて。黒砂糖って普通は“BROWN SUGAR”ですけど、それだとちょっと身体に優しい感じがするんで(笑)、危険な作用がしそうな『BLACK SUGAR』にして。あと、最近は聴く音楽もどんどんフォーキーになって…アコギ弾き語り=優しい、弱々しい、みたいな先入観があるかもしれないですけど、フォークって人間のキャラクターを一番出せるアプローチだったりするし、ものすごく力強い表現方法だなと感じるようになって」
――しかも、弾き語りツアー『中田裕二の謡うロマン街道』でも全国を回っていたら、余計にその力を感じるよね。
「ホントに。『正体』とかもアコギで通す曲だから、結構フォークなんですよ。海外の70年代のシンガーソングライターとかもアルバムではいろんなアプローチをしていて、どポップな曲もあれば、シンセが入った曲もあるし。実はフォークをベースにした曲は柔軟性があるし、いろいろと可能性が広がるなと」
――いろんなアレンジャーの手にかかってもそれが中田裕二の音楽になるのは、今作の、中田裕二の核となる楽曲が、フォークミュージックのような芯の強さを持っているからかもしれないですね。
『NOBODY KNOWS』は、音楽を作るのも聴くのも
大好きだなって改めて思えたアルバムなんですよ
――そして、アルバムのタイトルは何故、『NOBODY KNOWS』なのかと。
「1曲目の『Nobody Knows』が、このアルバム全体の姿勢を最初に宣言しているので。珍しくメッセージソングから始めてしまったなって」
――そこには、SNSによって価値観が知らず知らずのうちに均一化されている、今のご時世への提言も含めて。
「まさに。常にプレッシャーに晒されている状態が今の人たちにはあるなと。あと、シェアしていない=取り残されるっていう…そのムードの中にいないとアウトというか、不安になっちゃうあの感じ。世間がいいと言っているものが、決して全部が全部いいわけじゃないと思うんですよね。それが今、如実に表れてきていると思うし」
――過渡期を迎えてみんなが勘付いてきたというか、じわじわ表に出てきているよね。
「スマホがいかに人間にとって毒かとかね。幸せはそういうところにはないことに内心みんな気付いていても、大声で言えないというか…声に出さなくても、実はそういう気持ちの人っていっぱいいると思うんですよ。もっと自分らしく、自分の好きなものを楽しみたいはずで。昔の音楽や映画は、そういう変なプレッシャーがないからこそ、作品的にも突き抜けている感じがするんですよね」
――周りの目よりも、“自分はこういう表現がしたいんだ!”というエネルギーに満ちていて。今はSNSやシーンを敏感に意識して立ち回ったり、逆に翻弄されているアーティストが良くも悪くもたくさんいる。時代の空気にはアンテナを立てなきゃいけないけど、自分をなくしてしまうのはまた違うというか。
「ありがたいことに、俺がSNSを頻繁にやっていなくても支持してくれる人が、しっかり音楽を聴いてくれる人たくさんがいてくれるのは、本当に支えになります。だからこそ、音楽に身を注げているんで…。あと、自分を説明し過ぎちゃダメだと思うんですよね。楽曲の印象も変わっちゃうと思うし、そういう雑味を入れたくなくて…もっと想いが曲に投影できるように」
――ただ一方、『NOBODY KNOWS』には、中田裕二がまだまだ知られていないよ~という意味も(笑)。
「“何で誰も知らないんだこの野郎!”みたいな(笑)、ちょっとジョークも交えて」
――皮肉も込めてね(笑)。
「“お宝ここにあります!”みたいな(笑)。『NOBODY KNOWS』は、音楽を作るのも聴くのも大好きだなって改めて思えたアルバムなんですよね。本当に音楽ができて幸せだなって。もちろんしんどいときもあるけど、やっぱり圧倒的に楽しいし、音楽がないと無理!」
『WHEEL TRACKS』を観ると、自然な流れで
『NOBODY KNOWS』に入っていけるんじゃないかな?
――あと、初のドキュメンタリー映像作品『WHEEL TRACKS』の話も聞いておきたいなと。
VIDEO
「毎年ライブDVDを出していたから、ちょっと変化が欲しいのはあって。その先駆けとして、まずはライブアルバム(『tour 17 thickness final live at 人見記念講堂』(‘17))を作って。今はもうYouTube時代だから映像がないことを不自然に思うかもしれないですけど、レコードを聴くようになってから、ライブアルバムのよさを再確認したというか…ジャズなんてほとんどがライブアルバムだし、やっぱり瞬間瞬間にしか生まれない音があるんですよ。ちょっとハラハラする感じとか、演奏者の息遣いとか、そういう生々しさがたまらなくて。それを耳だけで想像しながら聴くと、自然と絵が目の前に現れてくるじゃないですか。そういう体験をしてみてほしいのもあったんですよね。あとは、ソロになってからドキュメンタリー的なものをちゃんと作っていないなと。『ボブ・ディラン/我が道は変る ~1961-1965 フォークの時代~』(‘15)を観たときに、その人の生きてきた人生のスナップというか…何となくロードムービーみたいなものがいいなと思って、追いかけてもらいました」
――レコーディング風景もあったし、制作の裏側をちゃんと“作品として”見せると。
「そうそう。普段は出さない分、たまにはね(笑)。『WHEEL TRACKS』を観ると、自然な流れで『NOBODY KNOWS』に入っていけるんじゃないかな?」
今回は近い距離でやってみようかなと
――そして、リリースツアーに関しては、前作のツアー前半で行ったライブハウス公演に味を占め。
「今回は近い距離でやってみようかと。あの場をさらにグッと味わいたいのもあったし、もっと本数も多めにも回りたかったので。次はまたホールでやるかもしれないですけどね」
――北海道は札幌のみならず帯広まで。
「そう、平泉(光司)(g)さんの地元に(笑)。ただ、次のアルバムはまた全然方向性が違って(笑)、メロウな曲が多めになりそうな雰囲気もあるので。今のうちにライブハウスでアグレッシブに、いっぱい汗をかこうと思って」
――次々とテイストが変わるのが中田裕二たるゆえんですけど、そこが安定したらもしかしたら世間に認知されるのかもという、もどかしさをまた感じながら(笑)。イメージを掴みかけたらいなくなる、みたいな。
「やっぱり安定させた方がいいのかな? 飽きちゃうんだよね~(笑)。でも、“中田裕二ってこういう人だよね”じゃなくて、“中田裕二っていろいろやっている人だよね”っていうイメージでいいのかなって(笑)」
――最後に『NOBODY KNOWS』を完成させ、ツアーに向かう現時点での気持ちを。
「音楽人生の中でも『NOBODY KNOWS』は一大リフレッシュ作品というか、今が一番音楽をやっていて楽しいと思える状態なんですよね。そういう喜びが作品に表れているというか、滲み出ているというか、モロに出ている(笑)。そこを聴いてほしいし、ぜひライブで会いたいですね」
Text by 奥“ボウイ”昌史
Photo by 渡邉一生(SLOT PHOTOGRAPHIC)
(2018年5月 8日更新)
Check