“このバンドは世に出てくるのが早過ぎた”と言われたり、あれだけ流行っていたジャンルがあっという間に廃れたり。どんな音楽も時代とマッチしなければ、最大限の評価は得られないという現実。だが、時にそれを軽々超えて鳴り響く普遍の音楽が、奇跡のように生まれることがある。LAMP IN TERRENの1年10カ月ぶり、通算5枚目となるフルアルバム『FRAGILE(フラジール)』には、オーディエンスを扇動するアンセムも、血がたぎるようなロックナンバーもない。一律未体験のコロナ禍という迷いの中で、自らの音楽の存在価値と役割を問い、それを求める聴き手の生活に寄り添い、嘘偽りのない自分で届けていく覚悟が、全10曲の結晶となって優しくきらめている。現在は過去最大の全国ワンマンツアー『Progress Report』の真っ只中にいる松本大(vo&g,p)が、音楽家としての新たなスタートラインと言える今作に至った道のりとルーツ、自信と不安が入り混じる心情を吐露したインタビュー(※インタビューはツアー開始前に実施)。誰もがもろくとも美しい心を持っている。そんな微かな光を信じられたなら、この異常な世界でもきっと一緒に生きていける――。その作品同様、胸の内がじんわり熱くなる言葉の数々に、LAMP IN TERRENの音楽がもたらすぬくもりと輝きを見た。
「元々作ろうと思っていた方向性とは意図的に全然違うものにしたんですけど、ライブにおけるキャパの制約がしばらく続くだろうと考えたとき、やっぱり今までのように盛り上がる曲とかは…例えば『ほむらの果て』('19)は、本当は今作への布石になるはずだったんですけど、あれをキャパが半分の空間でやったときのことを想像してみると、ライブとして成立しないなと思って。だったら思いっ切り方向転換して、音像感、音で作るショーみたいなもの…盛り上がらなくても、何なら拍手がなくてもいい。客席に音で縛り付けるようなツアーがやりたいなと思い始めてから、逆算して作っていったのはありますね」
「今まで自分たちがやってきたこととかストロングポイントを考えると、こっち側なのかなと思う部分はありますね。自分たちがアグレッシブな曲を作るときは、少年の心とか冒険心とか、ある種の挑戦的な意識が働いてたんですけど、『FRAGILE』の曲を作るときは、“素でいればいいんだ”という感覚だったので。ただ、それを聴いた人にちゃんと面白いと思ってもらえるのか、やや不安はありましたけどね。努力したら何となく安心する、みたいなところってあるじゃないですか?(笑) もちろん、曲をよくするための努力は惜しまなかったですけど、今回は自分たちが培ってきたものから出していく感じだったんで」
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(一同爆笑)
――同時に、このアルバムで確固たるスタンスを手に入れたというか、バンドでこの音を出す人はなかなかいないと思う。かと言って、(松本)大くんが完全にコントロールして全編打ち込みで作ったかと言うと、そうじゃないと。
「今回はメンバーもかなりアレンジに参加してるし、”生感”みたいなものには結構こだわっていて。今までは僕がメンバーの人間性を加味した上で、“こういうアプローチをしてくるだろうな”というフレーズとかパターンを作って、だいたい80〜90%ぐらいまで大枠のアレンジをしてから3人に投げて、残りの10%をみんなで埋めていく作業だったんですけど、今回は弾き語りで日記にメロディを付けていくみたいな感覚で。歌詞に関してもいつもは一番最後にできていたのが、今回は最初から歌詞がある状態でメンバーにデモを渡してみたり、今まで通り90%ぐらい作ってから渡してみても、そこからまた大きな変化があったり…予測の範疇の外でできた曲が何曲がありましたね」
「本当に何なんですかね?(笑) でも、メンバーが必死だったのは1つのきっかけになったと思います。みんなが“何かやらなきゃ”という焦燥感にずっと駆られてて…今まではやっぱり僕が主体で動いてたんで、僕ができなかったらメンバーは“しょうがないね”と言うしかないみたいな感じだったんですけど、今回は“いついつまでにこのアレンジを固めないといけないから、ここまでにデモが欲しい”みたいに、めちゃくちゃケツを叩かれましたから(笑)。そんなことはこれまで一切言われなかったのに」
――コロナ渦でダウナーになるんじゃなくて、むしろアッパーになる人たちがいた(笑)。
「特に真ちゃん(=大屋真太郎・g)は、この2年ぐらいずっと音楽理論とかを勉強してきて、僕がやってることを言語化するような作業をしてくれてたんですよ。『いつものこと』(M-8)は、僕が作った弾き語りのデモに対して、“この方が気持ちいいだろう”とコードを様変わりさせたり、『Enchanté』ではサビで1回転調させたり。とりわけメンバーが頑張ってくれたのが『ワーカホリック』(M-3)と『風と船』(M-5)で、そもそも4年前にデモを作って半ばお蔵入りになってた曲を3人が密かにアレンジしてくれて、“めっちゃいいじゃん!”と思って収録したんですけど」
――その『ワーカホリック』は、今はサラリーマンをやっている幼稚園からの親友のために作った曲だそうで。
「そいつは一緒にバンドをやってみたかったぐらい仲良い友達なんですよね。この曲は僕が後からちょっとピアノを入れたぐらいで、ほぼほぼメンバーのアレンジがそのまま採用されてますね」
自分が完成し始めてる
――今作でこうやって自分を出せるようになって、少し楽になった?
「う〜ん、でも、だからこそ不安なんですよね。要は、今までやってきたことは自分にとって明確だったんですよ。悩みだったり生き方だったり、自分自身について考えることは=自分の言葉で自分の世界の話なんで。自分の人生の在り方についての曲がものすごく多かった。でも、『FRAGILE』でやったことは自分の内向きではなくて、外向きなんですよ。誰それが言ってたことを聞いてどう思ったとか、あんな恋の話があるよとか、友達の話とかetc…想像/現実はいろいろあるんですけど、自分の目に映ってるものを言葉にしていく作業で、それが=共通言語だと思うんですよね。例えば今、ここに味噌汁がございますと(笑)」
――取材中に飲むドリンクとしてはあり得ない味噌汁がテーブルに(笑)。
「水がどうとかタバコがどうとか、情景描写で窓のデカい部屋にいるとか…そういうことは自分の今までの歌詞にはなかったことなんですよ。自分の生き方とか悩みについて考えてても=同じ気持ちになれない、もしくは同じことを経験しないと響かないのかなと思うところがあったんですけど、今回は情景描写だから、聴いた人がそれぞれ好きなように取れるんです。絶対に伝えなきゃ、受け取ってもらわなきゃと思ったとき、もう自分の言語だけでは対応し切れないと思って、初めてちゃんと共通言語を用意しようという気持ちになったんですよね」
――他のアーティストより格段に複雑な心理構造だな…みんなとつながることへの段階がすごい(笑)。
「フフフ(笑)。でも、このアルバムを作っていろんな人に感想をもらって、これで正しかったんだと思いました。音楽性は時代と逆行してるかもしれないですけど、言葉は今の時代でしか成立し得ないものになってるのかなと」
――コロナ渦で誰もががんじがらめになっていくのが見えたからこそ、自分のことじゃなくてみんなのことというか。ちなみに今作で個人的に好きだった曲は、『チョコレート』(M-6)『いつものこと』『Fragile』(M-10)かな。
「おぉ〜そのヒゲ面から『チョコレート』という言葉を聞く!(笑)」
(一同笑)
「ちなみに(川口)大喜(ds)も『チョコレート』が一番好きなんですよ(笑)」
(一同爆笑)
――こわもての人の方が案外ロマンチックだからね(笑)。『チョコレート』は“コロナ離婚”みたいなテーマもあって、一緒にいるからこそ壊れてしまう関係というか。
「そういうニュースを見たとき、同じ空間に2人っきりでいなきゃいけない状況が続いたら自分はどうなるかなぁと考えて。自分の自己顕示欲とか、どんなことでケンカになるかなとか、浅ましい部分も含めて想像しながら作っていきました。30分でできましたけどね(笑)」
――みんなと同じ景色を見るための共通言語を用意した割には、この曲はとても文学的というか、物語性を感じる。このバランスがテレンにとっていいあんばいなのかも。
「“ちゃんと伝わるだろうな”と思える言葉を用意できるようになったのと、あとは自分の感性を捨てたわけじゃないという、培ってきた自信みたいなもの…そのバランスが今は取れていて、自分が完成し始めてるというか」
――誤解を恐れていたからこそきっちり世界観を構築してきたのが、むしろ今は余白を作ることによって、ちゃんと伝わる。自分の武器は何なのか、このシーンでテレンが勝ち残るとしたら、その突破口は何なのか。
「最近は、それが“言葉”のような気がしてきてるんですよね。音楽的な挑戦はいつまでも終わらないと思うんですけど、1人のアーティストとして言葉を紡げている感覚と、伝わるという確信が、今はすごくあるんですよね」
自分のルーツを思い切って反映させてみる作業は
今回が一番やったかもしれない
――タイトル曲の『Fragile』は、コロナ禍で顕著になった何でも自己責任で自分を省みなければならないムードの現状に、“この世はずっと異常だと”と言い切ったのが痛烈だなと。
「そのパターンってあるんじゃないのかなと思うんですよ。風潮として“自分を見つめ直す期間ですよ”って、さも正しそうにみんながみんな言ってるのって…それ自体を疑わないのはおかしいなと思って。このままだと、“俺、悪い人間になっちゃったのかなぁ”と思うし(笑)」
――別に今までと変わらず生きてきたのに、いきなりね。
「元々、自分を見つめ直すことでしか人生を生きてこなかった人間なんで、ここにきてどこに行っても“見つめ直す期間にしましょう”という言葉が出てくることに、“なめんじゃねぇ!”と(笑)」
――“俺が今までどれだけ自分を見つめ直してきたと思ってるんだ、こっちは見つめ直しのプロだぞ”と(笑)。
「フフフ(笑)。だから、それを目の当たりにしてる自分と同じような人たちに対して、何か言いたいなという気持ちでこの曲は作っていきました。たまたまコロナが浮き彫りにしてくれた問題がたくさんあったけど、“世界はずっとおかしいよ、おかしいことが普通なんだよ”って…SNSにおける声が荒くなっていってるのだって、ずっとそうだったと思うんですよ。僕は一応、時にそういう心ない言葉を時に向けられる側の1人でもあるので(笑)」
――今回のアルバムはそういう意味でも、時代にフィットした言葉とサウンドになったけど、むしろそれがロックアルバムであることよりもカウンターになってるというか。『チョコレート』とか『Fragile』みたいな音像を聴いていると、大くんが普段どんな音楽にインスピレーションを受けてるのか気になりますね。
「海外のR&Bとかにも影響は受けてますね。ボン・イヴェールみたいなことをやりたいなと思ったり、ジェイムス・ブレイクっぽくもあるし。自分の浜省(=浜田省吾)よりもさらに前のルーツにはカーペンターズとクイーンがあるんですけど、『EYE』(M-4)は途中から、“クイーンの『Somebody to Love(愛にすべてを)』('76)みたいなアレンジはどうかな”と思って作っていったところもあるし、『いつものこと』の最後の“そんな僕の⽇常~♪”でコーラスをめっちゃ重ねてるのは、カーペンターズの『Rainy Days and Mondays(雨の日と月曜日は)』('71)を意識してみたり。そういう自分のルーツを思い切って反映させてみる作業は、今回が一番やったかもしれないです」
――それがちゃんとテレンの血肉になってる感じがするね。
「今までもクイーンだけは…どうしてもフレディ(・マーキュリー)の領域を侵したくない気持ちがあったんですけど、『EYE』ができてきたときに“これはいける!”と思って」
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――『EYE』のゴスペル調というかミュージカルっぽい雰囲気も新鮮で、それがMVとも絶妙にリンクしていて。コロナで延期になったけど、6月には舞台『世界が消えないように』をやる話もあったもんね。
「その芝居の話があったと同時期にこの曲を作り始めてて、去年ぐらいからもう欠片はあったんですよね。これはリード曲になるんじゃないかと思ってMVも早くから想定してたんで、友達の役者に出てもらって芝居とMVを混ぜたいという話もしてたんですよ。それがようやく実現できた感じですね」
――この曲を聴いていると、テレンの曲だけでミュージカルをやって、そのサントラしてのアルバム、みたいなことも今後できそうな、新しい世界観があるなと思うね。
聴いてくれる人の生活に寄り添っていく自覚と覚悟が絶対に必要で
――そして、『いつものこと』はさっき話に出た“言葉”に舵を切るきっかけの1つでもあると思うけど、リリースされたのは去年で。言ってしまえばコロナ云々は関係ないのに、今の時代にめちゃくちゃ響くなと。
「何か予言みたいな感じになっちゃいましたね(笑)」
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――この曲は言わば、松本大という1人の男のただの日記なわけで、それなのに音楽のために、歌詞のために用意された言葉よりグッとくるのは、やっぱり本当に思ってることだからこそ、人の心が動くのかなと。
「これが僕が初めて触れた“普遍性”なのかもと思いました。かつて無意識的に『緑閃光』('15)で触れてる気はするんですけど、“普遍性って何だろう?”と思いながらずっとミュージシャン生活を送ってきて、初めて“あ、これか”と思うところに『いつものこと』で到達した。でも、それは結局、自分の小さい生活の話をすることだったという、皮肉めいた感じだったんですけど」
――普遍だからこそ、どの時代に聴いても響くというか、俺のことだ、自分のことだ、私のことだと思えたりする。こうして『FRAGILE』に収録されることで、また意義ある1曲になった気もするね。
「それはすごくあると思います。既存曲ってどうしても飛ばされがちですけど、僕らが作ってきた曲の中でも『いつものこと』だけは、絶対にそうはならないだろうなという自信がなぜかありますね」
――9月にテレンが『MORNING RIVER SUMMIT 2020』に出て、大阪城音楽堂で『いつものこと』を歌ってるのを見たとき、“うわ、いいバンドだな”って改めて思った。こういう自分を歌えた、音楽にできたんだなって。
「ありがとうございます。それが僕にとっての“確信”でしたね。僕は1人のアーティストとして、ミュージシャンとして、ということをずっと考えてきたけど、結局、自分を見せることによって初めて手にした確信というか、共通言語の模索の仕方だったのかなと思います」
――前作『The Naked Blues』('18) で仕上がったのかと思ったら、その先だったんだな。
「『The Naked Blues』は本当に“裸になるため”だったんですよ。自分の弱さをそこで出したからこそ、今ちゃんと生きていけてる。その“生きること”を自分なりに定義できたアルバムが『FRAGILE』なんだと思いますね」
――日々を生きる1人の人間の日記が、みんなと共有できるものになるなんて、音楽ならではだね。
「何だか不思議な感じです。だからか最近、ナイーブになることが多くなりましたね。昔からミュージシャンがある程度のラインを超えると、急にナイーブになっていくなとは思ってたんですけど、要は自分の生活を切り出したり、それを言語化していく作業がそうさせるのかなと。共感性の高いミュージシャンほどそういうイメージがあるんですよ。そこに足を踏み入れちゃった感じがするんですよね(笑)」
――“この沼のことか!”みたいな(笑)。
「だから、僕のアーティストとしてのスタートラインが『FRAGILE』なんだなぁって。自分が積み重ねて楽しいと思ってるだけじゃなくて、音楽をたくさんの人に手に取ってもらえるようにすること=“仕事”だとするならば、まさに音楽が仕事になったと思いました。人前に立つ自覚、曲を生活に届けている自覚…聴いてくれる人の生活に寄り添っていく自覚と覚悟が絶対に必要で、だからこそ、自分の生活の話からしなきゃいけないと思えた。だって、僕の知ってるミュージシャンはみんなそうしてたから。彼らは音楽を通して、ミュージシャンとリスナーは本当に一緒に生きているんだと証明してきた。それは楽しいことだけではないと思うし、プロの世界ってそういうことなんだなって」
――でも、とんでもなくやり甲斐がある仕事だね。
「そうですね。音楽は衣食住のどれでもないので、みんなの生活が潤ってない状態では響かないと思うんです。でも、潤ってなくても響く音楽をプロだから作らなきゃいけない。それが『FRAGILE』ではできたとは思ってます」
自分で言うのも何なんですけど、僕の声は生で聴くと相当いいんですよ!(笑)
――そして、このご時世にリリースツアーは過去最大規模で行われるという。有観客でのライブはやっぱり違う?
「ただね、僕はどっちのよさにも気付いちゃったんですよ。メンバーは完全に生のライブがいいと言ってるんですけど、僕はイーブンなんですよね。オンラインライブは曲が新しい形で表現されていくというか、アイデアが具現化されていく感じが超楽しいんで。演出とかも、オンラインライブはこっちのやりたいことが100%伝わってると思う。だから、ライブを作品として見るならオンラインライブ。だけどね、自分で言うのも何なんですけど、僕の声は生で聴くと相当いいんですよ!(笑)」
――アハハハハ!(笑) 言うね〜!
「だから僕らのファンは、生のライブの方が嬉しいだろうな。ただ、最初にも言いましたけど、今回は盛り上がるライブではないので、それをどれだけ楽しいと、来てよかったと思ってもらえるのか…それは挑戦ですよね。いつもはツアーをやることでアルバムをもう1回作っていくような印象があったんですけど、今回は逆な感じがするんです。ライブからアプローチして作ったアルバムなので、そういう曲を凝縮したアルバムを解凍していくのがツアーだと思っていて。打ち込みで作った曲も生で演奏しようと思ってるんで、それを4人でちゃんと伝えられるクオリティに持っていけるのか。同期の数もどんどん減って、ライブ的にも時代を逆行していくんだろうなと思ってます(笑)」
(一同笑)
「『EYE』ではたくさんコーラスを重ねましたけど、ライブではいらないかもしれない。そういう新しい曲の見せ方だったり、本質的な部分だけをライブハウスでは鳴らす。例え音が少なくても、音源のイメージそのままよりライブでは伝わるものがあると思うんですよね。あと、今は“誰にも負けてない”という尖った精神が強いし、お客さんにも “(テレンの音楽が)もっと広まってほしい”とよく言われるんですけど、まぁ安心せぇと(笑)。ちゃんと背負う覚悟ができたと思います。自信があるから同時に不安なんですけど、どれだけ不安になってもいいから、どこまでも自信を持っていようと思いました。せっかく自分の生活を見せるんだし、自分を支えてくれる人がいる確信も持てたし、自分の話をしに行くんだから。やっぱり僕が最強でいなきゃという、バカみたいに体育会系の話ですけど(笑)」
――こんなナイーブなアルバムを作っといてね(笑)。
「ナイーブだからこそ、意志の強さみたいなものは持っていたいなと。そういうところもこれからはちゃんと伝えていけたらいいなと思ってます!」
Text by 奥“ボウイ”昌史