「やっぱり…音楽を辞めたくなかったんですよ」 怒涛のライブラッシュの真っ只中にいる新星LAMP IN TERRENの 夢も挫折も道しるべにした『silver lining』を手に旅は続く―― 思わぬルーツから現在地までをたどるインタビュー&動画コメント
意図せず巨大なコンテストでグランプリを勝ち得たこのバンドは、昨年否が応にも注目を浴びることとなり、ミュージシャン人生の大きな岐路に立たされた。イメージよりも早い大舞台、想像を超える数のオーディエンス、共演者はシーンを先行く屈強のライブアクト…「実力というか、経験の差みたいなものを突きつけられたここ1年」をくぐり抜けたLAMP IN TERRENは、今もなお途切れることのないライブデイズを過ごしている。そんな彼らの旅の道しるべとなるデビューアルバム『silver lining』は、再生ボタンを押すなり深く響き渡る歌声、その奥に広がる闇夜すら見えるかのような生々しいバンドサウンド、そして、3人がこの座標までたどり着いた物語がしっかりと刻まれている1枚だ。LAMP IN TERREN…ラテン語の“terra(星、大地)”をもじったバンド名は、“この世の微かな光”を意味する。バンドのフロントマンでありソングライターの松本大(vo&g)が、自身の思わぬルーツを、夢と挫折を、バンドの成り立ちから現在地に至るまでを語ってくれたインタビュー。運命に導かれ不器用に前進する男が残してくれた無垢な言葉を、今はまだ小さな光に気付いてくれた、あなたに届けたい――。
舐めてましたね、ちょっと(笑)
――メジャーデビューアルバム『silver lining』が出てしばらく経ちましたけど、どうですか? 気持ち的に。
「実感みたいなものがあんまり湧かなくて。うーん…どうしたもんですかね?(笑) 逆に『L-R』(M-1)とかは7年前の曲になるんで、“やっとこうやって形になったか~そして、やっと聴いてもらえる環境に旅立ったか~”みたいな、何かちょっと親の心境ですね(笑)。形に出来た喜びの方がデカいなぁと思います。今作の曲は本当にずっと一緒にやってきた曲たちだったんで、インタビューで話すこともめっちゃ考えたんですよ。めっちゃ考えたんですけど、“あ、ダメだ。これ何も出てこねぇな”って。今の僕が考えてることとかしか言えなくて、書いた当時がどうとか、そういう話があんまり出来なくて」
――もう過去過ぎてというか。LAMP IN TERRENの分岐点に連れてきたかった曲なのは確かでも、今作に収録されているのは7年前から1年半前までに作られた楽曲で、特にこの1年半は状況がすごく変わった時期でしたもんね。
「そうなんですよ。半ば刃こぼれしてる刀みたいなもんで。でも切れる、みたいな(笑)。ただ、レコーディングはもう大変でした」
――やり慣れた曲なのに?
「逆にやり慣れてるからこそ、音源として掴めないところがあって。最初はめちゃめちゃいい音源を作ってやろうと思ってたんですけど、書いた当時からもう気持ちが離れてるから、そのときの想いみたいなものが全然音に乗らないんですよ。俺らがこういう風にやることを、曲たちが望んでないなって。そこで1回レコーディングを止めたんですよ。で、もう1回、何も考えずにせーのでドン!ってバンドで合わせて、本当にライブみたいにレコーディングしたら…今の自分たちには多分このやり方しかなかったんだろうなって思うぐらい、上手い具合にスッっと進んで。『L-R』『send me』(M-2)『クライベイベ』(M-3)『緑閃光』(M-5)とかはデモがあったんですけど、それよりも格段に音数も減って。何も考えずに、自分と曲の関係性を、ここまで歩んできた経験値を活かす、みたいな感じでしたね」
――最初はちょっといい服を着せてやろうじゃないけど、アレンジとかでブラッシュアップしようと思ったけど、逆に言うとそういう曲じゃなかったんやね。
「そうなんですよね。やっぱり曲たちと積み重ねてきた時間があるから、それを改めて頭で考えて鳴らしても、気持ちが悪いものになってしまうんだろうなって。最初はもう、全然“魂の叫び”感がないなって思ってた。特にこのアルバムの曲は、今と違って気持ちばっかりが先走って曲になったものなんで、本当に気持ちをちゃんと乗せないと、レコーディングも成立しないし、今後のライブにも影響するなって。今回は言わばライブアルバムみたいなものを作ったと思ってるんですけど、だからこそ、ライブでどう持っていくのか、今自分がどういう風に歌っているのかとかを、改めて見直すことが出来たというか。最近、気付いたんですけどね」
――過去の代表曲を揃えたベスト盤みたいなアルバムで、演奏もやり慣れてるから…っていうようなスムーズなものではなかったんやね。
「全然違いました。舐めてましたね、ちょっと(笑)」
(一同笑)
音楽はやってるだけで人に届くもんじゃない
素晴らしい曲が出来たって思うんだったら
本気で伝えようと努力しないといけない
――現在にたどり着くまでに、『MASH FIGHT Vol.2』、『RO69JACK』と大きなコンテストで優勝して、みたいなストーリーがありますけど、その真っ只中にいたときは実際どう思ってたんですか?
「“え…? あ、そう”みたいな(笑)。そもそも別にグランプリを獲ることが目的じゃなくて、聴いてもらえるだけでいいと思ってたんで。逆に通ってもどうしたらいいか分かんなかったんですよ。でもまぁ、分かんないけど何か決勝があるらしいしなって(笑)」
――それをきっかけに大きなステージにも立って、シーンの先行くバンドたちとも共演して。言ってしまえば、まだ立つには早い舞台をいっぱい経験してきたわけで。そこで感じたことは何かありました?
「バンドを始めて上京したときから、根本的にやってることは負けてない、自分たちが作っている音楽は素晴らしいものだと強く思ってて。ただ、その実力というか、経験の差みたいなものを知ったなぁって。そればっかりは…ね。何か突きつけられたここ1年でしたね。最初は、まだみんなが(LAMP IN TERRENを)知らないだけだから、だったら知ってもらえるようにオーディションとかに応募してみよう。そしたら絶対分かるでしょ?みたいな感じで応募したタイプだったので。けど、結局それだけじゃダメなんですよね。それは、去年1年で思い知らされました。音楽はやってるだけで人に届くもんじゃない。素晴らしい曲が出来たって思うんだったら、本気で伝えようと努力しないといけないし、本当は自分が何をしたいのかを提示しないとダメなんです。それは考えさせられましたね」
――でも、いい1年でしたね、それだったら。
「そうですね。すごくたくさんの人が関わってくれて、いろんな人と話して、苦しい日もあったんですけど、やっぱり1つ1つがすごく楽しかった。やっぱり…音楽を辞めたくなかったんですよね。上京して来た理由もそれだけだったんで。続けたいというよりは辞めたくない(笑)。終わりたくない気持ちの方がずっと強くて。このバンドでずっと音楽をやっていたい、この曲たちもずっと歌っていたい。そればっかり考えてましたね。幸運な話、出会う人がみんな素敵な人で、1人1人いろいろと教わることがあって。本当にいい場所に来させてもらったなって、思ってます」
――学生時代からの仲間たちと、今でも音楽で夢を見られてるのもいいよね。
「いいですね。何かもう、すげぇ夢のあるサクセス・ストーリーだなって」
――始まったところやけどね(笑)。まだサクセスするか分かんないよ?(笑)
「アハハハハ!(笑) 昨年は、ケンカもいっぱいしたんです。それで今は逆に気持ち悪いぐらい仲良くなったんですけど(笑)。まず、多分僕のことでメンバーが知らないことがないくらい私生活に何も隠し事がなくて、何でも話せるし、不思議と安心出来るようになっちゃって。僕も逆に受け止める覚悟みたいなところはあるし、提示されたら絶対に応えたいなとも思うし」
――そもそもバンドの成り立ちで不思議に思ったのが、中原(健仁・b)くんが引越してもメンバーチェンジなしで続いたのがすごいなって。普通はそこで新しいメンバーに変わる。
「要するに僕は、高校で完全に友達が出来なくなっちゃったんで(笑)、多分それの延長だと思います。何か人に固執しちゃうんですよね。今いる親友と呼べる存在とか家族とか…要するに自分の周りにあるこのポイントは“この人じゃないとダメ”だとか、そういうことを思いがちなんですよね。例えば、女の子と付き合っちゃうと、別に束縛とかじゃないんですけど、“この人とずっと一緒にいなきゃ”みたいに思っちゃうぐらい、すげぇ固執するし(笑)。だからもう、“横でベースを弾いてるのはこいつじゃないとダメだ”って思ってたんでしょうね。ま、若干それも治まってきましたけど。大人になったって言うんですか?(笑)」
(一同笑)
「でも結局、僕はこのバンドでよかったと思う気持ちは変わらないし、メンバーみんながこのバンドをやりたくてやってることが分かるんで、安心して曲を持っていくんですけど」
僕の中で曲作りは“清算”みたいな感じなんですよ
――そもそも中学校でバンド組むとき、最初はギタリストの予定だったのがスタジオで急遽歌うことになって、みたいなことから始まったバンド人生ということやけど、根本的に歌うことについてとか、子供の頃の音楽の接点は?
「両親が浜田省吾さんが好きだったし、ずっと音楽は家で鳴ってて。僕は僕でアニソンが好きだったんで、アジカン(=ASIAN KUNG-FU GENERATION)とかを全然知らずに聴いてて、音楽を初めていいなって思うようになったのは小学生の頃ですね。当時名前は分からなかったけど、すっげぇ安心する歌だなぁと思ったのがカーペンターズだったと知ったのは中学生の頃で、ちょうど同時期に浜田省吾さんのライブを観させてもらって、そのライブ終わりに親父に“俺、ギターやってみるわ”って宣言して、ちょくちょく練習し始めて。ギターがある程度弾けるようになって、これは楽しいじゃないですかって思っていたときに(笑)、バンドのメンバーが足りないからって誘われて、ワクワクしながらスタジオに行ったらボーカルだったっていう(笑)。小学校のときはソフトボール部のキャプテンだったんですけど、結局途中で辞退するっていう事件がありまして(笑)、それから人の中心に立つのはごめんだって思ってたぐらいなんですけど、いざ立ってみると割と楽しかったんですよね」
――成り行きで歌うことにはなったのは、それまでもカラオケでよく褒められたとか?
「ないですないです。ただ、小さい頃からピアノで音を追うのが好きだったらしくて、すぐにメロディを弾けるようになってたんですって。ずっと音楽を聴いてきたからかもしれないけど、“最初からお前は曲作りの才能があったよ”って言われたことがあって。何かずっとピアノを触ってたらしいです」
――それこそ『L-R』はそんな中で一番最初に出来た曲ということやけど、“声の届く距離なら 歌は必ず聴こえるだろう”というのは、すごくいいフレーズだなぁと思いました。この曲からアルバムが始まるのも印象的ですよね。
「最初はコピーバンドだったんですけど、友達が観に来てくれては褒めてくれる内にライブの感覚がだんだん付いてきて、多分その想いがそのまま曲になったのが『L-R』なんですよね。当時は、“自分は何でここで歌ってるんだろう? 俺って何なんだろう?”みたいなことまで考えて悩んでて。ただ、書いてみて“あ、僕は本当はこういう風に思ってたんですね”って気付かされることが多くて、学校で猫かぶってるぐらいだったら行かなくていいやと思って、だんだんドロップアウトし出すんですけど(笑)。“本当のことはこの音楽の中にある”とか思い出してね。まぁ、ものすごい勘違いなんですけど(笑)」
――ちなみに曲書くときは、降りて来た系? よし書くぞ系?
「どちらかと言うと降りて来た系なんですけど、僕の中で曲作りは“清算”みたいな感じなんですよ。ずっとモヤモヤしてるんですよ。ずっと考えてるんですよ。曲を書き始めてからそれが止まったことがなくて、人と話してるとき以外は頭の中でずっと音楽やリズムが鳴ってたり…めっちゃ気持ち悪いんですよ。それを早く外に出したいんです。だから、ふとギター持って5分ぐらいでバッ!と曲が書ける、みたいなことがよくあって。『L-R』とかも弾き語りながらハイ終了!みたいな感じで出来た曲で。考えてるときは森の中にいるような感覚で、やっと抜けたときにいつの間にか曲が出来てる、みたいな」
――だからか、歌詞の世界観もモヤモヤがそのまま曲に封じ込められてる感じがあって。自分の中にあるものが、ちゃんと出てるんやろうね。
最初は困惑してました。“これ…いいのか?”みたいな(笑)
――『緑閃光』は代表曲と言える曲だと思いますけど、それこそ今はもうケンカ出来るほど仲が良いバンドだけど、この曲を作った頃は割とギスギスしていた時期だと。
VIDEO
「そう。めっちゃギスギスしてました」
――川口(ds)くんは辞めると言い出すというし。
「あいつは前にやってたツーバスでドドドドドー‼︎ ウォー‼︎ みたいな音楽とギャップがあり過ぎて(笑)、今やってることがカッコいいと思えなかったんだと思います。その頃はとにかく手数を多くしたいタイプだったと思うし」
――でも、この曲で今後の方向性が見えて、バンドが息を吹き返した。
「しかもこの曲が出来た瞬間に、他の曲も救われたんですよね。バンドの核みたいなものを、この曲で見付けたんですよ。俺たちがやりたいのは、歌を支えるためのバンドじゃなくて、全てが歌として機能することがこのバンドの在り方だよねって、各々が気付いたんだと思うんです。その瞬間から、やっぱり全部が変わったんですよね。気持ちが一緒になれたからこのアルバムが出来たと思うし、今日までやってこれたと思ってるんですけど」
――バンドを救ってくれた曲。
「何かすごく悲しかったんですよ。僕が勝手にワンマンライブを決めちゃったのもあるんだけど、(川口)大喜が辞めるって言うし、お客さんは集まるか分かんねぇし。でも、今来てくれてる人に何か届けたい気持ちはあって、“あぁ~何もかも関係ねぇ、もうイヤだ!!”ってギターを弾いたら出来ちゃった、みたいな(笑)。そのときは一瞬で書いちゃったんで、朝起きたらまた堕曲に聴こえるかもしれないなと思ってた程度だったんですよね。一応、スタジオに持って行ったら、“超いい曲じゃん!”って言われて。僕はいつもとあんまり変わらない気持ちで書いてるので、何が違うのか分からなくて。でも、いざオーディションに応募したらグランプリももらっちゃうし、最初は困惑してました。“これ…いいのか?”みたいな(笑)」
――そう考えたら、自分の中では他の曲と同じぐらいのテンションでも、いざ世に問いかけてみたら評価されたり、言ったら一番近しい人を、バンドを変えられるパワーを持ってるんだったら、手を抜けないね、1曲1曲。
「そうなんですよ。だから最近めちゃめちゃ…頑張ってます!」
(一同笑)
「あと、ここに収録されてる曲は気持ちを鳴らしてるんですけど、最近は映像を鳴らそうとしてるところはあるんですよね。例えば、すっごく晴れ渡った空を見てるのに悲しくなる気持ちとかを音像で観せたいし、僕の中では結構開けてきてる気がするんです。前は気持ち一直線だったものが、ちゃんと音楽としてそれが捉えられるようになって、どう鳴らしたいのか、どういう言葉で表せばいいのかを考える能力がついた。言葉もたくさん知ったし、その表現方法も分かったから、ドンドン先に進んでる気はします。まぁ、進んでなきゃ困るんですけどね(笑)」
何か自分がヒーローになった気分になるんですよね
お客さんなのに、ステージに立ってる人がいるのに
自分が強くなった気になるんです
――ライブは、結構頻繁に関西にも来てるけど、どうですか?
「関西はめっちゃ…楽しいですよ! 食べ物もそうだし、人もそうだし、みんなフレンドリーに絡んでくれるんです。っていうか絡みたがるんですよね(笑)。僕らのライブは雰囲気的に喋れない空気にしちゃうことも多いんで、それも大事だけど、上手い具合にフレンドリーになれる瞬間みたいなものも欲しいなって、最近は考えてるんです。そういうのもあって、ライブ終わりとかに話し掛けてくれるのは、やっぱりすごく嬉しくて。昔はお客さんが笑顔じゃないと届いてないのかもしれないと思ってたんですけど、そうやって感想を話してくれる度に、“ちゃんと届いてるんだ。ちゃんと共有出来たんだ”って感じられるんで。大阪って、僕らが全然知られてないときから今に至るまで、それをずっと示してくれてたんですよね。僕は大阪のお客さんにそれを教わったと思ってるんで、すごく感謝してるし」
――その言葉はちゃんとみんなに届けるようにしますね。これからめっちゃ話かけられたりして(笑)。
「お願いします!(笑)」
――まだまだ会えてない人はいっぱいいるし、ライブスケジュールを観ても会う機会はこれからもたくさんあるから、是非この面倒くさいバンドに会って欲しいなって(笑)。
「会って欲しいです。もうみんなで1つのライブを作りますから!」
――最後に。今作のライナーノーツに“命を謳歌するようなライブが理想”とありましたが、これって何かルーツが?
「一番最初に浜田省吾さんのライブを観たときに、みんなで歌ってたのをすごく覚えてて。浜田省吾さんは別に“お前らと一緒にライブをしているんだよ”とは言わないですけど、言わなくても多分みんな分かってると思うし、みんながそのつもりでライブに来てるんですよね。自分も2回目に観に行くときはそうだったし。叫びたい、歌いたい、聴きたい、一緒にライブしたい。何か自分がヒーローになった気分になるんですよね。お客さんなのに、ステージに立ってる人がいるのに、自分が強くなった気になるんです」
――うん、いいライブだね。
「僕は一生懸命、自分が最強だと思って歌うんですけど、やっぱり聴いてもらってる人にも、そのぐらいの気持ちでいて欲しいというか。僕らが謳歌するのもあるんですけど、やっぱり1人でやっててもしょうがない。みんなでそういう風になりたいですね」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2015年4月 7日更新)
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