本当に大事なものを1つしか持って逃げられないとき、あなたは何を選ぶのか? そんな自問自答が頭をよぎる吉田山田の久々のリリースとなった『街』は、そのワードから安易に連想される情景とはまた違った角度から、街という人間模様を描いてみせた新たなる吉田山田の出発点となるシングルだ。昨年は、キャリア初の全県ツアー『吉田山田47都道府県ツアー~二人また旅2016~』を経験し、その後は一転、ショーアップされた演出で魅せた『吉田山田7周年記念7ヶ月7会場マンスリー企画「Over The Rainbowツアー」』と、ライブに特化した1年を駆け抜けた彼らが今だからこそ語る、本音と気付きと裏エピソードの数々…。ミュージシャンとしての成長と大いなる決意に頼もしい言葉が飛び交った、吉田山田インタビュー。覚悟を決めた2人が、ある頂を目指して、ついに動き出した――!
――弾き語りというミニマムで生々しいツアーの後は一転、完全にショーアップされた『吉田山田7周年記念7ヶ月7会場マンスリー企画「Over The Rainbowツアー」』がありましたけど、こちらはある意味“サーカス”に近いというか。作り込みが絶対に必要なライブでしたけど。同世代でこういう試みをやっているアーティストはいないのでは?
山田「『Over The Rainbowツアー』はちょっとスピンオフ的な感じがあったし、僕もそうなんですけど、そろそろお客さんも“THE吉田山田のライブが観たいな”って思ってきたんじゃないかな? いろんなことに挑戦することによって芯は骨太になってきたと思うんで、そろそろ普通のライブをしたいなって、逆に思いました!(笑)」
よしだ・やまだ…吉田結威(vo&g、写真左)、山田義孝(vo、同右)からなる男性2人組ポップユニット。’01年の高校3年生の夏、文化祭に向け前身となるアカペラグループ・ワンツーポパイを結成。高校卒業と同時に自然消滅。’03年、音楽への想いを再燃させた山田が声を掛け吉田が同意、2人の本名がそのまま使われたユニット・吉田山田が誕生。ニューヨークに1ヵ月間の武者修行を経て帰国後、本格的な音楽活動をスタートさせる。’09年10月にはシングル『ガムシャランナー』でメジャーデビュー。’13年12月にリリースされた9thシングル『日々』が、『NHKみんなのうた』で同月より放送が開始されるや“泣ける歌”と話題になり、5度の再放送を経てロングセールスを記録。一躍その名を拡げ、YouTubeの再生回数は1,100万回に到達。’16年3月には4thアルバム『47【ヨンナナ】』をリリース、同作を引っ提げた初の全国47都道府県ツアー、初の日比谷野外大音楽堂でのライブも成功を収め、その勢いのままデビュー7周年を記念した『Over The Rainbowツアー』へ突入。ライブペインティングや紗幕に映像を投影した演出など、毎公演異なる演出を行った。5月24日には12thシングル『街』をリリース。8月26日(土)には3年連続の開催となる野外ライブ『吉田山田祭り2017』を開催。
「いつもは吉田山田の2人が大阪にキャンペーンに来てくれて、根掘り葉掘り話を聞き出すのですが、今回は何と僕の方から東京に出向き、インタビューさせてもらいました。いつもは東京で散々いろんな人にインタビューされた後に大阪で取材するので、事前にいろんな情報を頭に叩き込んでから挑むのですが(ていうかそのタイミングで露出するインタビューを全部読む)、今回はトップバッターなので僕もまっさらの状態。2人もまっさらの状態。なのでもう5~6年は取材してる彼らですが、何だか新鮮にピュアに楽しめましたね。何より、トップバッターに選んでもらえて、本当に光栄でした。原稿ではあえて伏せていますが、僕は彼らのある目標について具体的に聞きました。これが叶ったとき、このインタビューのことを思い出すだろうなぁ…。この原稿を読んでくれた皆さんと、一緒に喜びたい。2人のことを改めて好きになり、改めて期待したインタビューになりました。最後に山ちゃんが言った、“ずっと一緒にいられないからこそ、大事なものがちゃんと分かるんだって”っていう言葉、グッときたな、うん。 PS. 実は上記の傑作動画コメントだけ後から大阪で撮ったのですが、この後みんなで出向いた中華料理屋で山ちゃんから聞いた話もマジ鉄板でした(笑)。さっきの名言とホンマ真逆の内容(笑)。最高。真摯な部分も、くだけた部分も。彼らのよさ、みんなに知ってもらいたいな」