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プロフィール

土田英生
MONO代表・劇作家・演出家・俳優
1967年愛知県大府市まれ。1989年に「B級プラクティス」(現MONO)結成。1990年以降、全作品の作・演出を担当。1999年『その鉄塔に男たちはいるという』で第6回OMS戯曲賞大賞受賞。2001年『崩れた石垣、のぼる鮭たち』で第56回芸術祭賞優秀賞を受賞。劇作と平行してテレビドラマ・映画脚本の執筆も多数。2017年には小説『プログラム』を上梓。2020年7月、初監督作品『それぞれ、たまゆら』が公開。ドラマ『半沢直樹』、舞台「感謝の恩返しスペシャル企画 朗読劇『半沢直樹』」出演。

最終回 『これから』土田英生

MONOの30年の道のりをメンバーや関係者の話から紐解く連載の第36回。
最終回となる今回は、2021年公演『アユタヤ』、劇団の公式YouTubeチャンネルで公開されているMONO Extra Works・短編リモートドラマ『ともだち』『受難カウンセラー』、映像実験企画『三者三声』、2020年に公開された映画『それぞれ、たまゆら』、そして<これから>について土田さんに語っていただきました。

 

――今回は昨年2021年に上演された『アユタヤ』からお聞きできればと思います。17世紀前半シャムロ(現在のタイ)のアユタヤ郊外。そこにある日本人町を舞台に、さまざまな事情で祖国から離れて暮らす人々の人間模様が描かれた作品でした。

エンタテインメント、それから自分でも手応えのあった『裸に勾玉』のような作品を作りたいなと。タイの「アユタヤ」を舞台にするということも珍しく1年以上前から決まっていました。残念だったのは、シナリオハンティングとしてタイに取材に行こうと思っていたんですけど、コロナ禍で行けなかったこと。そしてやはりこういう状況で作品を創るのは苦労しましたね。

 

第48回公演『アユタヤ』 2021年2月17日~21日 大阪・ABCホール、2月26日・27日 広島・JMSアステールプラザ多目的スタジオ、3月2日~7日 東京・あうるすぽっと〈豊島区立舞台芸術交流センター〉 撮影:井上嘉和

 

――どのような点で苦労されましたか?

苦労した点はふたつあります。ひとつはやはりコロナ禍での生活が当たり前になった中での創作だったことです。MONOの作品はエンタテインメントを意識していますがハッピーエンドの物語は少ないんです。笑わせながらも人間の嫌な面を垣間みせたりする。でも、先の見通せない生活の中、わざわざフィクションで暗い物を見たくない人が多いと感じていました。自分自身もそうでしたから。自粛期間中にNETFLIXとかAmazon Primeでも『フレンズ』みたいな、愉快でハッピーエンドが約束されてるような作品ばかり見ていました。それに僕自身“演劇というものが遠くに行ってしまってる”状態だったんです。友達がTwitterで「本番やります」と宣伝しているのを見ても「頑張ってるな」とは思いながら観にいく気にならなかった。私も演劇に対して興味を失いかけてたので「多くのお客さんもそうなんじゃないか」と。そんな中で観にきてくれるお客さんには辛い内容の舞台なんか見せたくなかったんです。『アユタヤ』のような時代ものを書く時でも、現代に視点を置いて書くので、感じている社会の矛盾などは出てくるんですけど、とにかく “希望の持てる世界”にしたくなった。作品内容はコロナ が流行る前から構想していたので、途中で舵を切りました。ですからその矛盾に苦労しましたね。ただ、どうしても明るいラストにしたかったんです。だからコロナ禍が明けた時に見直したら、ちょっとラストが……と思うかもしれません。結果的にはMONO版時代劇風『フレンズ』です(笑)。

もう一つの苦労は、『裸に勾玉』で設定した弥生時代よりも“言葉の使い方”が難しかったこと。『裸に勾玉』では、尾方くんとか僕は、現代からきた人として設定されています。だから観客に伝えたい説明は現代の言葉で書くことができました(笑)。でも『アユタヤ』は江戸時代の設定で現代人は出てこない。弥生語と比べたら明らかに今の言葉に近いくせに、現代では当たり前の概念を表す熟語がないんです。“社会”とか“自由”とかの言葉は全部、明治以降にできたものですから。そうすると「今の社会は」という台詞は書けないので「この世は」と書き換えたりしなければいけない。それが台本を書く上でかなり苦しんだ点ですね。あ、もちろん、こっそりとは使っています(笑)。例えば“限度”という言葉は大事な台詞の中に出てくるんですけど言い換えられなかったんです。ただ、全編通してなるべく大和言葉にしています。だから笑いを作るのもキツかったですね。使える言葉に制限がありますから。

――「例え」も書けないですね。

書けないです。つっこむ台詞だと「お前が言うな」は書けても「遠足前日の小学生じゃないんだから」とかは書けない(笑)。あと九州、三河、東北弁などの方言を多用したのでそれも厄介でした。勢いで書けないですから。アイデアを思いついてもいちいち調べなきゃならないことが多くて。だから台本がいつも以上に遅れてみんなに迷惑をかけました。

――苦労した点はあったと思いますが、連載34回でおっしゃっていたように、新たに加わった劇団員4人がしっかりと溶け合って、5+4じゃなく、9人の劇団として成立している素晴らしい舞台でした。
ここで映像作品についてもお聞きできればと思います。まずはMONOの公式YouTubeチャンネルで公開されている作品(MONO Extra Works・短編リモートドラマ『ともだち』『受難カウンセラー』映像実験企画『三者三声』)の制作経緯についてお聞かせください。

僕らが若い頃は、年に3本ぐらい公演してたんですけど、今、年1回なんですよ。新たに入った4人にはそれが可哀想だと思っていました。まあ、ただ、でもみんな思ったほど欲がないんですけどね(笑)。彼らを入れた時、「先輩もっとガンガンやりましょうよ!」という感じで突き上げてくれるかと思ってたんですけど、今までいたメンバーと同じ感じになっちゃって「年に一回の公演楽しみですね」とか言い出してます。そんな中、コロナ禍になって余計に動きが鈍くなった。それでリモートドラマなどはやったという感じですね。

――映画『それぞれ、たまゆら』(2020年7月17日公開。小説「プログラム」を映画化<小説については連載33回参照>)についてもお聞かせください。

これはコロナ前のことになりますけど、映像作品は舞台と違って作品自体が残るじゃないですか。そういうものがあれば劇団にとってもいい宣伝にもなるし。あと僕たちが映像の仕事をしても、出演できるのは一人、二人とかですよね。だからMONOのメンバー全員が出演していて、劇団の良さを感じてもらえる映像があったらいいなという思いはずっと持っていました。そんな時にミッシングピースという事務所の社長である西田みゆきさんから「土田さん、撮ったらいいのに。一緒にやろうよ」と、声をかけていただいたのがきっかけです。
京都、東京、名古屋で公開しました。名古屋はコロナの真っ只中だったので、あまりお客さんに足を運んでもらえませんでしたが、東京は結構来ていただけましたし、京都は徐々に増えていって満席の日もありました。

――これで、これまでの公演に関してすべてお聞きしました。最後に「これからのこと」をお聞かせいただけますでしょうか。

やっぱりね、MONOの魅力はメンバーの人間性なんです。私も個々のメンバーに愛着がある。だから人を大事にしながら、他にはない団体芸を見せ続けたいと思っています。今までと変わりはないですね。ただ毎回“色”を変える努力はしたいです。次々と若い人たちが出てくる世界ですが、僕らもまだまだ足掻こうと。いい部分は残しつつ、新たな“色”を加えることができればと思っています。劇団が無くなる可能性はもちろんありますが、僕自身は、やっぱりMONOをベースにやっていこうと思っていますし、メンバーのみんなが離れていかない限りは、今の状態でやっていこうと思ってます。本当にいい劇団なんです。

――もうお気づきだと思いますけど……これは皆さんにお聞きしている質問です。土田さんがなれるとしたら、メンバー中の誰になってみたいですか?

誰にもなりたくないです。“自分好き”なんで(笑)。この質問、僕が最後なので変則的な答えも許されると思うんですけど、いいですか?(笑)。新しいメンバーを連れてきたのも僕なんですけど、そう考えたら水沼君も尾方君も奥村君も金替君も、全員、僕が声掛けさせてもらったんですよ。もともと水沼君には「一緒にやろう」と言い、尾方君は舞台で見て一目惚れして一緒にやれるように仕向け(笑)、舞台美術をやっていた奥村君には打ち合わせ中に「役者もやる?」と聞き、時空劇場がなくなった金替君に「MONOに来ない?」と声を掛けました。みんな僕が「いいな」と思う人ばかりが集まっているんです。「誰になりたい」ではなく、僕から見て「素敵だな」「羨ましいな」と思う部分を残りの8人はひとりひとりが持っていますから。

 

<あとがき>
第49回公演『悪いのは私じゃない』(2022年2月26・27日北九州芸術劇場 小劇場、3月5・6日 岡山県天神山文化プラザ 1階 ホール、3月11日〜20日吉祥寺シアター、3月23〜27日ABCホール)。
9人の“団体芸”で魅せる会話劇、そして観客の皆さんと共有して紡ぎ出す舞台には、MONOでしか味わえない至福の時がそこにありました。
そしてそれは私にとって、この連載で土田さんをはじめ劇団のメンバーの皆さん、制作の垣脇さん、また松田正隆さんや横山拓也さんにお話をお聞かせいただいた時間が凝縮された空間でもありました。本当にありがとうございました。
最後に今まで本連載を読んでいただいた皆さまにも感謝の言葉を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。
30年後、「60Years&Beyond」と題しMONOの皆さんのインタビューを、編集担当の黒石さんと一緒に出来たら……。そんなことを思っています。

ライター/安藤善隆

 

 

MONOとの出会いは2007年の『地獄でございます』でした。土田さんは同作を「うまく書けなかった3大作品のひとつ」とおっしゃっていますが、当時、まだ小劇場の演劇を観始めて間もない私にとっては、その面白さに出会わせてくれた作品です。濃密な空間で5人の軽妙な掛け合いが心地よくて引き込まれ、会話を楽しんでいる間に終わった印象が強く残っています。それから15年、MONOの作品では毎回、ちょっとズレた、偏屈だけど愛らしい登場人物たちが繰り広げる会話を楽しむと同時に、滲み出る人間の悲哀が胸に沁みたり、ジワジワと浮かび上がる社会的問題に自身を見返したり、考えさせられたり。若手メンバーが増え、描かれる内容もより幅広くなり、5人のお兄さん方も以前よりイキイキと演じているように見えます。30年を超えてもまだまだこれからどんな作品で楽しませてもらえるのだろうと、期待しかありません。これまで取材にご協力いただいた関係者の方々、お読みいただいた読者の皆さまに御礼申し上げます。

編集部/黒石悦子