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プロフィール

土田英生(写真右)●1967年愛知県生まれ。MONO代表、劇作家、演出家、俳優。1989年に「B級プラクティス」(現MONO)結成。1990年以降全作品の作・演出を担当する。1999年『その鉄塔に男たちはいるという』で第6回OMS戯曲賞大賞を受賞。2001年『崩れた石垣、のぼる鮭たち』で第56回芸術祭賞優秀賞を受賞。2003年文化庁の新進芸術家留学制度で一年間ロンドンに留学。劇作と並行してテレビドラマ・映画脚本の執筆も多数。その代表作に『崖っぷちホテル!』、『斉藤さん』シリーズ(共に日本テレビ系)など。2020年、自身が監督を務める映画『それぞれ、たまゆら』公開。またTBS系テレビドラマ『半沢直樹」に出演するなど俳優としても注目されている。

第31回『巡り合い』土田英生

MONOの30年の道のりをメンバーや関係者の話から紐解く連載の第31回。
今回は2014年の前後を中心に、新たなメンバーとの巡り合いについて、
作品における「波」について土田さんに語って頂きました。

 

――前回は第40回公演『うぶな雲は空で迷う』を含め、2010年以降、次のステップに移るための土田さんの中にあった思考についてお聞きしました。根本的なこととして「自分のやりたいことをやれなくなったら終わり」だし、そのためには「駄目になった時に良かった頃の残像をかき集めちゃダメ」で「新たな興味を探して自分から何かする」「そういう風にスイッチを切り替える」ということが「新しい魅力につながっていく」と語っておられました。

『うぶな雲は空で迷う』はその頃の状況が出ていた芝居でした。「このままでは先が見えない」「先を見ようとするんだけど、行き先が分からない」という話です。MONOのその頃の姿が表れていました。この公演は関西の観客動員も1000人を切ったし、このままだと…という感じでしたから。

――次に上演されたのが2014年の『のぞき穴哀愁』。天井裏を舞台に、社長直属の「諜報課」に配属され、日々、社内の様子をのぞいているリストラされた社員たち。彼らの日常の悲哀を描いた作品でした。この作品はご自身が語られている「うまく書けなかった3大戯曲」の一つですね。

現代の「忍び」として影に隠れて過ごしている人々の話です。天井裏という設定は今でも面白いと思っていますけど、天井裏だけで物語を完結させることにやや無理がありましたね。ただ、主役になれない人たちの哀しみや、外野から無責任な声を上げることの気持ち良さと惨めさは出せたんじゃないかと思います。『うぶな雲は空で迷う』と同じで中年の悲哀というか、後ろ向きの話ではありましたけど。

第41回公演『のぞき穴、哀愁』 2月15日~23日 駅前劇場[第24回下北沢演劇祭参加]、2月26日 テレピアホール、3月1日・2日 北九州芸術劇場 小劇場、3月6日~12日 HEP HALL

 

――この公演で高橋さんが初めて本公演に参加されました。そして「俳優育成講座」をこの年に始められ、石丸さん、渡辺さんが参加されていますね。「新たな展開」へのステップですね。

そうですね。「kitt」からの流れもありましたし、いずれにしろ若い人たちと組まないといけないなぁと。そのために20代俳優100人と会おうと思いました。「私流・俳優育成講座」という名称で、東京・名古屋・大阪・広島・北九州で全国5か所で20人ずつ。ちなみに高橋さんは「kitt」に参加しながら、就職もしていたのですが『うぶな雲は空で迷う』を観て、会社を辞めて東京に出てきました。

――高橋さんは、「この作品が私の人生を変えた」と語っておられました(連載第7回参照)。

いわゆる「中年」に向けて書いたのに、案外、若い人たちにも刺さったようで、しっかりと自分の中にある核を追求して描けば、幅広い層に理解されるものになるっていうことじゃないでしょうか。「俳優育成講座」に話を戻すと、募集のチラシには「この講座の参加者から、今後一緒にやっていくメンバーを絞っていきます」と書いたので「お見合い」的な意味もありました。関西と東京は書類でだいぶ絞って実施しましたね。「kitt」のメンバーや松原由希子さんも参加してくれ、石丸さんと渡辺くんが東京の講座に参加していました。新しい人との出会いが絶対必要だと思ったし、それを若い世代にはっきりとアピールしていこうというのもありましたね。若い世代はMONOのことを知りませんし、彼らの知っている一番上の世代は「ヨーロッパ企画」だったりしますから。

――石丸さん、渡辺さんの印象はどうでしたか?

石丸さんは最初から「あ、この人いいな」と思いましたね。「あなたは大丈夫だ」と伝えたくなるような危うさと魅力がありました。芝居はうまいのに、世界に確信が持てていないというか。彼女は子役から芸能活動していて、様々な世界を見て来ているから、「大人をあまり信用してないのかも」という印象があったんです(連載第8回参照)。渡辺くんは高校生の頃からプロダクションに所属していたようですが、驚いたのはとにかくMONOのことにめちゃくちゃ詳しいんですよ。僕より知ってる(笑)。「あの公演の次なんだったっけ?」と言ったら「〇〇です」と即答するみたいな。普通はファンですというような人とは一緒に芝居を作りづらいんですけど、彼は突き抜けていたというか、もう徹底していましたから(連載5回参照)。人間も優しいし、好感を持ちましたね。

――立川さんはこの講座には参加されていないんですよね。

はい。この講座は広島でもやったんですが、彼女はその時は来ていなくて、別の企画で広島に行った時に出会いました。立川さんに対しては演技を見てすぐ「このまま芝居をやめるのはもったいないな」と思ったんです。「大学卒業したら続けないの?」と聞いたのがきっかけで、それから二年くらいの緩やかな付き合いを経て、最終的に一緒にやりたいと言ってくれたんで。その後、「俳優育成講座」に参加してくれたメンバーとクローズドで行っていたワークショップにも参加してもらったりして、メンバーになりました。(連載第6回参照

――2015年は『ぶた草の庭』です。古民家を再生して作られた家々とその中のカフェが舞台。そこは原因不明のウイルスに感染した人々が移住し、隔離されていた場所だった…という話です。「今」の状況を感じさせる話でもありますね。

コロナ禍の今、この作品のことを考えると不思議な感じがします。元々頭にあったのは福島の原発の立ち入り禁止区域や、全国各地のハンセン病の隔離施設。その二つのイメージから構想が始まったんですが、久しぶりに「書けた」と感じた作品でした。


第42回公演『ぶた草の庭』 2月21日~3月1日  ザ・スズナリ[第25回下北沢演劇祭参加]、3月7日・8日 北九州芸術劇場 小劇場、3月14日・15日 愛知県芸術劇場 小ホール、3月18日~24日 HEP HALL

 

――「書けた」と思われたのは、いろいろ考え方を変えられたことや、若い人たちと意識的に出会うことによって得られた外的要因もあったからでしょうか。

それもあったと思いますし、昔は、台本を書き始める前に、ノート一冊を丸々使ってたんですよね。調べたこと、構想、箱書、プロットなどを徹底的に作ってからパソコンに向かっていました。でもいつからか、そこまでやらないようになっていて。やらなくても書けていたんです。でも『ぶた草の庭』では昔に戻ってそういう作業をすごく事細かにやったんです。人物相関図だけで7パターンぐらい作りました。自分の中でやれることは全部やってみようっていう気持ちで書いた作品です。次の作品の『裸に勾玉』でもそうしました。結果、二作とも自分的にはヒットになりました。でもその次の『ハテノウタ』では…そこまで準備せずに書き出して苦しんだんですよ。だからやっぱりやらないと駄目ですね。

――如実に作品に反映されるわけですね。

充分に「調べられている」というか…。単に知識や情報量の問題ではないんです。なんだろう、台本を書く前に、ノート1冊分書くことによって、作品世界の中に入り込んだ状態に自らを持っていけるということでしょうか。どう表現したらいいのかわかりませんが、虚構の世界が掴めている状態というか。

――難しいですね。

でもやっぱり「波」はありますね、どうしても。プロットを固めればいいという問題でもない。ありきたりなものになってしまう危険性もある。だからこの『ぶた草の庭』と『裸に勾玉』で「波が来たな。また書けるようになった」と思いましたけど、次は『はなにら』まで苦しみました。そういうもんなんですよね。全部一生懸命書いてるんですけど「波」というのはどうしてもある。書いた作品は全部可愛いし愛着もありますけど、死んだ後に残す作品は限られてくるというか(笑)。例えば『ぶた草の庭』と『裸に勾玉』と『はなにら』、この3本を資料として残して、あとは全部捨てますよって言われてもまあいいかみたいな(笑)。どうしても、うまく書ける時と書けない時があります。不思議ですね。

――かと言って「自分の模写」はしないですよね。

もちろん自己模倣になってしまっている時はあるとは思います。けど、必死で抗っている感じですかね。以前、どなたかから「歳を取っても川村毅と土田英生は進化している」と言っていただいたことがあって。めちゃくちゃ嬉しかったですから。

――なかなか自分の作品を「これはダメだった」と自分で言える人って少ないんじゃないかと思います。作品を作り続けていく人には、それは必要なことなんだと思いました。

とにかく、この一本だという代表作はまだ書けていないと思ってますから。「こんなもんじゃない」と自分に言い続けてはいます。でも、「いつになるかなぁ」(笑)? 代表作、早く書きたいなぁと思っています。

 

取材・文/安藤善隆
構成/黒石悦子