ホーム > 劇団 石塚朱莉 > 第20回 後藤ひろひとさん、わかぎゑふさん、岡部尚子さん、村角太洋さん

 

 

 

Profile

写真右から時計回りに後藤ひろひと、岡部尚子、石塚朱莉、わかぎゑふ、村角太洋

ごとうひろひと●1969年2月23日生まれ、山形県出身。1987年に劇団遊気舎に入団し、作・演出を手がける。1996年に退団し、1997年に川下大洋とPiperを結成。他、王立劇場など、さまざまに活動する。代表作に舞台『人間風車』、『MIDSUMMER CAROL ~ガマ王子VSザリガニ魔人』など。

わかぎゑふ●1959年2月13日生まれ、大阪府出身。劇団リリパットアーミーⅡの3代目座長であり、玉造小劇店主宰。ユニット「ラックシステム」でも活動する。2006年には東京・歌舞伎座で坂東三津五郎主演の『たのきゅう』が上演された。茂山狂言会とのコラボも続け、2016年には新作狂言『おうみのおかげ』を書き下ろした。

おかべなおこ●1974年11月5日生まれ、兵庫県出身。劇団空晴の作・演出・代表。1997年に劇団ランニングシアターダッシュに入団、2005年の解散まで在籍。2007年に劇団空晴を旗揚げ。作・演出家として外部に多くの脚本を提供するほか、テレビドラマの脚本も手掛ける。また、役者としても客演で活躍中。

むらすみたいよう●京都府出身。「ラグビー」と「ホテル」をコンセプトにした京都の非秘密集団、THE ROB CARLTONのリーダーであり、全作品の作・演出を担当。紳士的な振る舞いと“限りなくコメディに近い芝居”を日々探求している。THE ROB CARLTONの全公演に出演しているボブ・マーサムとは同一人物。

 

石塚朱莉(写真右)
いしづかあかり●1997年7月11日生まれ、千葉県出身。ニックネームはあんちゅ。NMB48チームBII。趣味は映画鑑賞。2016年夏、悪い芝居の『メロメロたち』で初舞台、初主演を果たし、2017年4月、悪い芝居『罠々』に出演。9月、劇団アカズノマを旗揚げ。2018年4月、柿喰う客の七味まゆ味を演出に迎えて、同劇団の人気作『露出狂』をABCホールにて上演した。また、第2回公演『夜曲 nocturne』(作・横内謙介、演出・七味まゆ味)が2019年1月24日(木)~27日(日)ABCホール、31日(木)~2月3日(日)新宿村LIVEにて上演される。

NMB48公式サイト
http://www.nmb48.com/

Stage

『Small Town,Big City
~大阪でひろった4つの小石~』

チケット発売中 Pコード:489-093
▼10月23日(火) 19:00
▼10月24日(水) 15:00/19:00
▼10月25日(木) 19:00
ABCホール
前売指定-3500円
[演出]後藤ひろひと/朝深大介/上瀧昇一郎
[作]わかぎゑふ/後藤ひろひと/岡部尚子/村角太洋
[出演]隈本晃俊/久保田浩/守谷日和/國藤剛志/安川集治/中村味九郎/うえだひろし/長橋遼也/古谷ちさ/村角ダイチ/高阪勝之/ザ・ぼんち ぼんちおさむ/福本愛菜
※未就学児童は入場不可。ビデオ・カメラ、または携帯電話等での録音・録画・撮影・配信禁止。出演者は変更になる場合がありますので予めご了承ください。変更・払戻不可。車椅子の方はチケット購入前に要問合せ。
[問]チケットよしもと予約問合せダイヤル■0570-550-100
チケット情報はこちら

2016年に京都の劇団・悪い芝居の『メロメロたち』で初舞台を踏み、2017年に上演された同劇団の『罠々』でも稀有な存在感で魅せたNMB48の石塚朱莉さん。演劇の魅力を広く伝えるべく、2018年4月、自らが劇団アカズノマを旗揚げ。柿喰う客の七味まゆ味さんを演出に迎えての第1回公演『露出狂』を上演し、大盛況のうちに終えました。そんな石塚さんが、舞台女優としてさらなる高みを目指すべく、脚本家、演出家、俳優として活躍している演劇界の諸先輩方に「演劇のいろは」をお聞きします!

今回は大阪を舞台にしたオムニバス短編人情コメディ『Small Town, Big City ~大阪でひろった4つの小石~』の脚本を手掛けた4人の作家陣、後藤ひろひとさん、玉造小劇店・わかぎゑふさん、空晴・岡部尚子さん、THE ROB CARLTON・村角太洋さんにインタビューをしました。1990年代までは関西小演劇界でも劇場やメディアからの発信で頻繁に行われていたコラボ企画やプロデュース公演。その華やかなりし頃や、憧れの人との共演について、オーディションをする側、される側のお話などを聞きました。また、『大田王』でのインタビュー以来2度目のご登場となった後藤さんですが、実は石塚さんにとってとても重要な人物であることも判明しました。

 

思いもよらない未来に

石塚朱莉
(以下、石塚)

あの…すごいお二方(後藤、わかぎ)じゃないですか。素敵な作品を生み出している方々。どうですか、お二人の存在は?

岡部尚子
(以下、岡部)

私は劇団に入る前からお二人を知っているし、それこそ作品をガンガンに観ていた人なので、今、横に並んでいるとか、予想のつかない、びっくりな未来です。

後藤ひろひと
(以下、後藤)

俺にしたらわかぎゑふさんがそんな人。芝居を始めた時にはもう、笑殺軍団リリパットアーミーで活動していた。

わかぎゑふ
(以下、わかぎ)

私だってあれだよ、古典芸能の90歳ぐらいの人間国宝と話していたら、“この方の横にいられるなんて”って思うよ。

岡部

本当、同じです! 自分が観てきた人たちとご一緒にできるのはうれしいことです。

わかぎ

それだけ世の中狭いってことだよ。

岡部

まさか一緒に芝居をやれるとか、手料理食べられるとか思ってなかったですからね。

石塚

手料理?

岡部

おうちが近いので、お正月は大王(後藤)のお宅に集まったりしているんです。

石塚

へ~、素敵ですね。そういうところから作品が…。

後藤

全然関係ない。

わかぎ

飲み友達が増えるだけ。

石塚

でも、そういう信頼関係が今回の作品で成り立っているなと思って。『Small Town, Big City ~大阪でひろった4つの小石~』の台本は皆さんで特に打ち合わせをせず、各々が作品を書き上げたそうですが、それってめちゃくちゃ怖いことなんじゃないかなと思って。綱渡りみたいな…。

わかぎ

綱はこの人(後藤)が張ったから。

石塚

そこに片足で立たれる…。

村角太洋
(以下、村角)

いやいや、太い綱ですよ。太いから全然、大丈夫。

岡部

大王が記者会見で私たちのことを「信頼している」とおっしゃってくれましたが、我々の方がめちゃくちゃ信頼があるので。

村角

はい。ありますね。

わかぎ

私は信頼してない(笑)。これを書いておけばあいつが裏切るだろうとか、そういうことしか書いてない(笑)。

 

「点」1つ多い村角太洋さん

石塚

後藤さんとわかぎさんは、次世代の方々をどういうふうに見られていますか?

後藤

面白いなぁと思って。ボブが最初、俺と会ったのは高校生とか中学生ぐらいだっただろ?

村角

初めてお会いしたのは高校卒業してすぐの春ですね。

後藤

お父さんが俺の舞台を観に来てくれて。「うちの息子です」って連れてきて。まだ芝居なんかやってないもんね。

村角

そうですね。ちょっと興味があったくらい。その時、川下大洋さんも一緒に出てはって。あの時初めてお会いしたのが、15、6年前ですかね。

後藤

その頃はただの高校生と作・演出家という関係性で。

石塚

なんでお芝居の道へ行かれたんですか?

村角

興味はあったのですが、僕は元々ラグビー部で、演劇に一切ツテがなかったのでどうしていいかわからない。そんな中で、うちの父が川下大洋さんと同級生で、川下さんがお芝居もバンバンにやってはったので「興味があるんだ」ってことで連れて行ってもらって、実際に生で観て面白いなと思って。芝居をやりたいけどツテがなかったので、いろいろ試行錯誤してここまで這い上がってきたような…。

後藤

おかしな話だよ、お父さんが川下大洋と同級生だからボブは「太洋(たいよう)」っていう名前になったんだよ。どこの世界に親友の名前を息子につける親がいると思う?

わかぎ

それ本当の話?

村角

はい。

わかぎ

へ~! 偶然だと思ってた。

後藤

でも後から気づいたんだよね、川下大洋には「点」がないって。

村角

どうやら父親が勘違いしていたようです。大洋さんにも「点」があると思っていたらしくて、そのままトレースしたはずが、どうやら僕の方が1点上を行く男だったと(笑)。知らないですけど(笑)。まあまあ、しかるべきことをやって、しかるべき今があるという感じですかね、僕としては。

 

若手俳優の通る道

わかぎ

私は古典の人ともよくお仕事をするので、子どもの頃から見ていた歌舞伎の人やお能の人に公演に呼んでいただくこともあるんですけど、私を呼んでくださるような方たちに共通しているのは、他の世界の若手である私に決して偉そうなことは言わないし、敬意を払ってくれることです。ジャンルの垣根を飛び越えられる人は若手を大事にするんだなっていうのが身に沁みついているので、「若い人の方が偉くなる」っていう考え方を若い頃からしています。それが自分にとって一番のベースになっていると思いますし、高校演劇を観に行っても才能ある子は才能あるなぁって思います。

後藤

じゃあ、いつかあんちゅ(石塚)に「あたしの舞台の作・演出やってみる?」みたいに言われるんじゃ…。

石塚

いや~、そんな恐ろしいことはできません! 今、関西にも若い劇団がたくさんあると思いますが、今の小劇団の方たちに対して、どういう印象がありますか?

後藤

俺らの頃って時代が時代で、演劇で人気が出たらすぐテレビに出たり、ラジオに出たり、深夜番組があったりして。そんな時代だったからみんな目標としてそこを目指していたような気がするのね。目指すべきものが今のあなたとか、若手の芸人なんかとほぼ一緒だったような気がするんだけど、今はそういう時代じゃなくなったから…。

わかぎ

私は割と今の子たちと共通点があると思いますよ。私たちの頃は食べられなくて当たり前、お芝居をやる奴は親から勘当されて当たり前、家を出ていくのも当たり前、苦労は当たり前、貧乏当たり前だったから。先輩もみんなそうだから、いきなりテレビに出たり、ラジオに出たりすることは一生あり得ない。それでも芝居が好きという人が演劇人だと思っていて、しばらく東京でやっていたんだけど、大阪に帰ってきたらラジオに出たり、テレビに出たりすることが簡単すぎて、「何この世界、怖くない?」って思っていたので、今、若手の子たちがそういうことと全く関係なくやっていることに対しては、すごく遠い昔の自分を見ているようです。

後藤

今の子らはお金持ってるし、着てるものはちゃんとしてる。

わかぎ

まあ、それは世の中がよくなったんだろうよ。

後藤

そうなんだろうね。今の子たちが何を目的に演劇をやっているのかな。俺らの時代とはちょっと変わっちゃったから。俺はまだ、若い子たちに対して分からないことがいっぱいありますね。

わかぎ

いつの時代も「好きだからやっている」っていうベースは変わらないと思う。ただ、小ぶりになったなってすごく思う。今の若手の子たちは、子供時代にかわいそうなくらい劇場がない時代があっただろうから、面白いものをあんまり見れていなくて。真面目なものを見て育っている子がとても多い印象がありますね。

石塚

最近は「あれやっちゃダメ」とか…。

後藤

けど、演劇にはまだないんじゃないかな。テレビが一番きつくて、ラジオがそこそこゆるくて、演劇にはそのルールはないと思うね。言っちゃいけない言葉なんてないはずだしね。

石塚

そうなんですか。

村角

そうですね、あんまりないですね。

わかぎ

NHKで上演するとなると、言葉を変えてほしいっていうのはあるけどね。

 

プロデュース公演の昔と今

石塚

今は劇場が少なくなっていますが、そんな中で今回の企画が立ち上がったと記者会見でおっしゃっていましたが、昔はどんな企画をされていたんですか?

後藤

昔、一心寺シアター倶楽(大阪)が文学賞か何かをとった大阪の小説を原作に、5人ぐらいの作・演出家でオムニバスで上演して、今回みたいに俺がまた全体をまとめるということをしたり。

わかぎ

私も一心寺で『西鶴さん!!』という舞台をやったり、AIホール(伊丹)でもプロデュース公演をずっとやっていたし、メイシアター(吹田)も近松シリーズを20年間やっていて、その中で2本くらい脚本を書いたり。劇場のプロデューサーが小劇場系の作・演出の人に声をかけて、小劇場の役者を集めて、コラボする公演を作ったりということを割とやっていましたね。

後藤

こういう企画って懐かしいよね。

わかぎ

懐かしい。久しぶりだなと思って。でも、それくらい関西の小劇団が元気になってきたんだなと思って、ちょっとホッとしている感じはあります。

石塚

私にとってはすごく新しくて、素敵だなって思います。こんな企画ができるなら、もうちょっと早くからやってたらいいのにって。

わかぎ

2003~4年頃から、なくなっちゃったってことですよね。

岡部

お客さんもオムニバス形式に慣れていないのか、『Small Town, Big City』を発表した時に、「4作品全部、見られるんですか? 日によって上演作品が変わるんですか」というご質問をいただきました。「4作品のオムニバスだから、毎回やることは一緒ですよ」ってお伝えしたのですが、すぐにピンとこないみたいで。やっても別々のものを上演するとか、1つの公演で作・演出家が異なる4つの作品をやるということがどういうことなのか、お客さんのイメージも沸きにくいんだなって思いました。

わかぎ

そういうことがあまりにもないから企画をしたことがあって。『kisses』という舞台を、岡部さんにも作・演出でやってもらって、うちと二つの劇団を巻き込んでやりました。また次に何かやろうとなって、去年は私が書いた脚本を落語家に落語として演じてもらう『わ芝居』をやりました。一つの舞台作品を落語家さん二人分の落語に書き直したから、1つのネタで舞台と落語の合計3本、脚本を書いて、落語と交互に上演したりとか。ただ、こういうことを大きい会社で企画することはありませんでしたね。なかったから自分でやっていただけで、誰かがやってくれるならやってくれよと。昔、大阪市が一つの劇団に2年間、お金を出して作品を作らせたるということもしていたのですが、それもなくなりましたね。

 

 

後半へつづく→