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ホーム > インタビュー&レポート > 「いろんな人がいろんなところで歌ってくれたり、 流してくれたから、いろんな人の心に届いた。 そんなことを実感してきた20年でしたね」(宮沢) リリースから20年の時を経て、再び世に送り出された THE BOOMの代表曲『島唄』への込められた思いとは?


「いろんな人がいろんなところで歌ってくれたり、
流してくれたから、いろんな人の心に届いた。
そんなことを実感してきた20年でしたね」(宮沢)
リリースから20年の時を経て、再び世に送り出された
THE BOOMの代表曲『島唄』への込められた思いとは? (1/2)

 1993年、沖縄限定でリリースされたシングルから火が着き、やがて全国的な大ヒットを記録したTHE BOOMの『島唄』。沖縄戦の悲劇を基に作られたこの歌は、いつしか世界各国へと伝播。2001年にはアルゼンチンのアーティスト、アルフレッド・カセーロがカバーした『SHIMAUTA』が同国のグラミー賞にあたる「ガルデル賞」を受賞。翌年にはサッカー・ワールドカップ代表チームの公式サポートソングにも選ばれた。その後も国内外合わせて100組以上のアーティストがカバーし、この時代には珍しく、老若男女を問わず誰もが知る歌へと大きく成長した。
 そして全国リリースから20年を迎えた今年、『島唄』は新たにレコーディングされ、3月20日にはシングルとして再び世に送り出された。いまやTHE BOOMの代表曲ともなったこの歌を中心に、ともに歩いてきたボーカル・宮沢和史とベース・山川浩正に改めて音楽への思いを聞いた。

--ぴあ関西版WEBです。今日はよろしくお願いします。『島唄』が全国リリースから今年でちょうど20周年ということで、あらためて『島唄』という歌への思いを聞かせてください。

宮沢和史(以下、宮沢):20年の間に何回歌ったんだろうって数えることすら不可能だし、いろんなところで歌ってきました。20年も歌い続けられる歌が僕らにあるということがすごく幸せなことだなって、20年経って思うんですね。その喜びはお祝いしてあげないといけないよなということで、今回、レコーディングしようと。

--歌をお祝いしようと。

宮沢:大事にしてあげたいし、20年一緒に歩んできたわけですから、居て当たり前の相棒みたいなもので。だからもう1回、ちゃんと大事にお祝いしてあげたいなって。それで、今回はオーケストラ・バージョンでも録ったりしましたね。

--『島唄』は1990年に作られて、のちに沖縄限定シングルとして発売され、沖縄でまず、大ヒットしました。そのことを当時、どのように受け止められましたか?

山川浩正:『島唄』は当初、アルバム『思春期』(1992年)に収録された1曲でしたからね。シングルでは出していなかったので、こんなに広まるとは、全然思っていなかったですね。THE BOOMの活動で言うと、『思春期』を出した後、ちょっとお休みの期間に入っていて、次のアルバム制作に入った時期に、(沖縄限定でリリースされた『島唄(ウチナーグチ・ヴァージョン)』)が沖縄の泡盛のCMで使われて、“すごくヒットしてるよ”という話を聞いて。それこそ“(『島唄』の)波が段々、北上してきてるよ”と。僕らとしてはびっくりでしたね。

宮沢:沖縄との出会いが僕に『島唄』を作らせてくれたので、何か恩返しがしたいと思って沖縄限定シングルにして。そして一部、沖縄の方言を使用した特別なものにしようと、“ウチナーグチ・バージョン”にしました。まさかこんな、全国でヒットする曲になるとはと。沖縄でシングルリリースした時ですら、全く…。

--『島唄』はサビの歌詞そのもののように、伝わっていったという印象があります。

宮沢:2001年にアルゼンチンでヒットして、2002年FIFA日韓ワールドカップではアルゼンチン代表チームの応援ソングに選ばれたりとか、チリでもカバーしてくれるアーティストがいたりとかありましたが、でも、曲の力で海を渡って伝わったわけではないと僕は思っていて。歌そのものの力ではなくて、それを届けてくれた人がたくさんいて。というのも、アルゼンチンでは、アルフレッド・カセーロというアーティストがたまたま日本食レストランで『島唄』を聴いて、好きになってくれて、 “俺はこれを歌うんだ”と日本語を覚えて、その時レコーディングしていた自身のアルバムに収録して、ヒットしたんです。その日本食レストランの経営者は沖縄系の方で、『島唄』が大好きで、店内でかけてくれていたんです。そうやって、いろんな人がいろんなところで歌ってくれたり、流してくれたから人の耳に留まって、人の心に届いたということを、いろんな場面で実感しながら来た20年でしたね。
 

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--なるほど。あの、不躾な質問になるのですが、宮沢さんは『島唄』を25歳の時に発表されました。あの時、25歳の宮沢さんは何を見たのだろうかと気になっていて、よかったら聞かせてください。

宮沢:歌の内容というのは、いろんな人が想像を駆り立てるものだし、正解はありませんから、“私はこういうふうに思う”、“僕はこう思う”というのが正しいので、あんまり言うのもと思うんですけど…。初めてひめゆり平和祈念資料館に行ったんです。沖縄には山があんまりないので、ガマという地下壕--戦争中、皆さんが隠れたり、仮設の病院を作ったりする隠れ場所があるんですね。ひめゆり平和祈念資料館というのはよく出来た作りになっていて、入り口に入るとそのガマの口が開いているんです。で、地下の一番広い展示室に入ると、そのガマの口が上の方にあって。入り口のガマの口と地下のガマの口は繋がっていないんだけど、中に入ると同じのガマの中にいると錯覚するんです。それは何を意味しているかというと、あの時に隠れて生き延びた方、亡くなった方は、こういう状況、環境だったんですよということを僕らに疑似体験させてくれていて。ひめゆり平和祈念資料館にはいろんな手記があって、話を聞いたり、文章を読んだりして、すごく重い気持ちになったんですけど、ぱっと地上に出ると光が差していて。ひめゆり平和祈念資料館には知り合いと3人で行ったんだけども、そこを出てから誰も口が利けなくなってしまって、とぼとぼとぼとぼ、どこに行くとも言わず歩いていたら、さとうきびがさーっと風に揺れていて。その日に、歌を作ろうと、書いてましたね。

--歌にしなければという、駆り立てられるような気持ちだったんですか?

宮沢:歌にしなければというより、僕は歌しか作れませんから、歌にすることによって自分の混乱した怒りとか悲しみとかを沈めたかった。今でも沖縄の地下壕には人骨が埋まっていますが、まだまださまよっている魂がたくさんあるわけで。その後もいろんな地下壕を廻ったんですけど、その人たちの魂を家族のもと、奥さんもと、恋人のもとへと返してあげたい、そんな鎮魂の意味を込めた歌をつくりたいと思いました。自分も含めて、魂と鎮めたいと思ったんですね。祈りを込めて。

--『島唄』を作ってから、ご自身の中で何か変化はありましたか?

宮沢:自分が持っている些細な知識だけで人生を生きないで、もっともっとこの目でいろいろ見て、もっともっといろいろ知って、歌を作りたいなと思ったのは、『島唄』と出会ってからですね。“ちょっと怖いけど、この扉を開けてみよう”とか、そういうことを思うことは、それまでの自分にはなかったですから。好奇心みたいなものでいうと、人よりはあったかもしれないけど…。僕の場合は要領が悪いというか、頭が悪いというか、人間が1、2度経験すれば会得できるものが、10回くらいかかるんですよ(笑)。すぐ理解できないというか、自分のものにできない。だから何回も何回も行って、そのうち自分のものになる。普通の人より鈍感なのかもしれない(笑)。

--世代を超えてみんなが知っている歌が少なくなってきた中で、『島唄』は多くの世代に愛される歌になりましたね。プロモーションビデオを見て、改めて実感しました。

宮沢:そんな歌をもっと作りたいですね。今はみんな、いろんな方法で音楽を聴くから一つになることは難しいかもしれないけど、みんなが知っている歌、一緒に歌える歌を作るのがこれからの使命ですね。音楽的ないろんな欲求とか、高まりたいとか、知識を増やしたいとか、知らない音楽を咀嚼して新しいものを作りたいという気持ちは今でもあるんだけど、それ優先じゃなくて、みんなが歌える歌、みんなが共有できる歌を一曲でも作りたいというのが、25周年を目の前にした正直な気持ちですね。

--そう思われたのは、何かきっかけが?

宮沢:突き詰めればそれを最初から目標にしてやってきたのに、いつのまにか自分の音楽的な欲求の方に行ってみたり、日本の音楽シーンから完全に離れた活動を始めたり、ブラジルで音楽活動を始めたりとかしている自分もいて。でも震災があったり、いろいろあって…。阪神淡路大震災もそうですけど、東日本大震災も僕自身は直接、大きな被害を受けたわけじゃないけど、ものすごい衝撃を受けました。ただ、あの時、歌で助けられた人はたくさんいたじゃないですか。歌を聴いたって腹いっぱいにはならないし、寒くて震えも止まらないけど、でも立ち上がるきっかけをくれたり、そっと背中を押してくれる力があるなって思ったし、みんな『見上げてごらん夜の星を』で空を見上げて、その夜を何とか乗り越えた人もいっぱいいたはず。逆に言うと、日本にもそんな歌がいっぱいあるんだなって思ったら、すごくうれしかったし、そういう歌を作りたいなぁって思いましたね。そういう歌を作るのはたやすいことではないと思うんですけど、自己顕示欲とか、自分のプライドとか、そういったものを全部捨てて、ピュアにいい歌を作れたらなぁと思いますね。




(2013年4月 5日更新)


Check

Release

Single
『島唄』
発売中 1000円(税込)
よしもとアール・アンド・シー
YRCN-90208

<収録曲>
01. 島唄
02. シンカヌチャー(THE BOOM ver.)
03. 島唄(Symphonic Orchestra ver.)
04. シンカヌチャー(太鼓抜きver.)
05. 島唄(カラオケ)
06. シンカヌチャー(カラオケ)

20周年バージョンのPVも必見です!

Profile

THE BOOM

ザ・ブーム…1989年、アルバム『A Peacetime Boom』でデビュー。メンバーは、宮沢和史(Vo)、小林孝至(Gtr)、山川浩正(Bs)、栃木孝夫(Drs)。2013年は、4月20日(土)の横浜BLITZ公演を皮切りに全国11カ所を巡るコンサートツアー『THE BOOM CONCERT TOUR 2013「24」』がスタート。2014年のデビュー25周年に向け、新たな旅に出発。そして6月19日にはニュー・アルバムの発売も控えている。

THE BOOMオフシャルサイト
http://www.theboom.jp/

Live

『THE BOOM CONCERT TOUR 2013「24」』

4月20日(土) 横浜BLITZ(神奈川県)
4月26日(金) Zepp Namba(大阪府)
4月27日(土) Zepp Namba(大阪府)
4月29日(月・祝) Zepp Fukuoka(福岡県)
5月1日(水) 添田町オークホール(福岡県田川郡)
5月4日(土・祝) Zepp Nagoya(愛知県)
5月6日(月・祝) 倉敷市芸文館(岡山県)
5月11日(土) 三木町文化交流プラザ(香川県)
5月12日(日) かしはら万葉ホール(奈良県)
5月16日(木) えずこホール仙南芸術文化センター(宮城県)
5月18日(土) Zepp Tokyo(東京都)
5月19日(日) 八千代市市民会館(千葉県)
5月25日(土) 読谷村文化センター鳳ホール(沖縄県)

<関西公演>
Pコード:192-427
▼4月26日(金)19:00/27日(土)16:00
Zepp Namba(OSAKA)
全席指定-6000円(ドリンク代別途要)
[問]キョードーインフォメーション
[TEL]06-7732-8888

Pコード:192-427
▼5月12日(日) 17:00
かしはら万葉ホール ロマントピアホール
全席指定-4800円
[問]かしはら万葉ホール
[TEL]0744-29-1300

※3歳以上は有料。3歳未満でも座席が必要な場合は有料。
※中学生までの方は割引有り。公演当日入場時(終演後無効)に証明書(学生証・保険証)を提示。大阪公演は3000円、奈良公演は2000円を返金。

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