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このデュッセルドルフでの演奏会以来、自分が指揮をするときには、今までとは全く違う感覚をもって指揮台にあがっていた気がする。
震災15日目の『第九』。祈りと希望の響きを佐渡裕が再び演奏する。 (2/2)

 
――今回の『第九』は、関西においては、阪神淡路大震災から20年に非常に近い時期に行われるコンサートでもあります。あの震災を体験された人の中にも聴きに行く人は多いと思うんですが、関西の復興に対する思いというものもうかがうことはできますか。

 

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 兵庫県立芸術文化センターの芸術監督を引き受けて、来年で10年。つまり、阪神淡路大震災から20年がやってきます。こうした災害のことを考える時に、まず多くの犠牲者に手を合わせるということが一番大事なことではないかと思います。それがあってこそ今を生きている僕らに使命であったり、あるいは次の世代に何を残していきたいのかという願いが感じられて来る。そうした思いが僕の演奏する行為の中に生まれていったのは、ケルンと一緒に『第九』を作った時のような気がします。


 来年の1月17日には、西宮で兵庫県立芸術文化センターのオーケストラと、マーラーの交響曲第2番『復活』という、作品を取り上げます。地震の起きた12時間後、夕方の5時46分に黙祷から始めて、この曲を演奏します。多くの犠牲者、そして被災した人たち。20年経っても心の痛みや、家族や友人を失った痛みというのはなかなか消えるもんじゃないでしょう。町は美しくなりました。しかし、復興をとげ、神戸を中心とした阪神の町はこれからもいろんなかたちで起こるであろう、自然災害が起こるであろうこの国の、ひとつのモデルの町として工夫と、そして、やさしさとたくましさと、そうしたものを持って進んでいく義務があるような気がします。今、西宮の劇場で、すばらしい演奏家たちによってマーラーの交響曲が演奏される。いつか東北でも、そうした演奏ができる日のことの、はっきりとしたビジョンを僕は持っていたいと思います。

 ――この3月26日の演奏に際して、ケルンとデュッセルドルフのオーケストラが『第九』を選んだというのはなぜだったのでしょう。もちろん素晴らしい選択ではあると思います。しかし様々なクラシックの作品の中からこの作品が選ばれたということに理由があるような気がします。日本への祈りと希望を届けるに際して、ドイツの人たちがこの曲を選んだ理由が。

 それはこの曲が、特別な作品だからだと思います。ヨーロッパでも『第九』をするオケと、ほとんどしないオケとあります。演奏自体、すごく特別なときにしか行われません。例えば、劇場が100周年を迎える、オーケストラが誕生して50周年を迎える、そうした特別な節目の時に『第九』を演奏することはありますが、日本のオーケストラのように毎年演奏するということは、まず、ありません。ですから、ヨーロッパでは有名な指揮者でも、1回も『第九』を指揮したことがないという人はいますし、オーケストラにも1回も『第九』を演奏したことがないというプレイヤーはいます。そんな中、この3月26日に、ケルンとデュッセルドルフのオーケストラが『第九』を演奏するというのは、それは完全に日本のためでした。ケルンについて言えば当時彼らがベートーヴェンの交響曲を録音していきつつあったということが、現実的な背景としてはありました。しかしより大きな理由としてあるのは、やはりこの『第九』という作品が特別な作品である、ということであろうと思います。

 ――多くの指揮者、また演奏家の方が『第九』は特別だという風におっしゃいます。佐渡さんご自身、指揮者の実感としてそれをどう捉えていますか?

 『第九』が特別な交響曲と呼ばれるには、やはり、それだけの理由があります。まず演奏に1時間は越える大作です。そして全4楽章のテーマは、人はみんなで手をつないで、平和になる、ひとつになる。そうなることは、いかに大きな喜びかということを伝えています。この曲が出てくるまでは、交響曲というのは、本来、楽器だけで演奏されるものでした。ヴァイオリンや、トランペット、そうしたものだけが、4楽章の曲を演奏して、それで終わっているものだったのが、この『第九』交響曲によって、人の声が入り、その作品の中にはっきりとメッセージを持ったのです。この曲の中には神様という言葉も出てきますが、その神という言葉を、真理に置き換えるとすごくわかりやすいと思います。人間に対する、人類に対する賛歌ですね。しかも、それでいてこの曲の素晴らしいところというのは、特別に選ばれた人に聴かせる交響曲ではないということなんですね。フランス革命の影響が強いと思いますけれども、王様や貴族のために演奏する曲ではなくて、歌い上げているのは民衆の力強さであり、民衆の喜びであり、そうしたところに目線があるというのがこの交響曲のすごいところじゃないかと僕は思ってます。そこで扱われている、常に変化し続ける音のあり方も斬新です。ベートーヴェンは交響曲というスタイルを完成させた人ですが、この曲によって、いろいろな調整をし、初めての試みを行い、これ以上の交響曲はないという作品を作り上げた。そういうことをやり遂げた人ですね。

 指揮をしていて思うのは、この曲の中にはやはり、ほかのものには替えられない喜びがあるということ。オーケストラが80名ぐらい、合唱団も200人ぐらいの、他のジャンルにはない圧倒的な数でひとつの創造物を作って行く。その素晴らしさ、音の神殿のような喜び。そうしたものがここにはある。僕はロック大好きなんです。ジャズも好きです。演歌も好き。でも『第九』を聴くと、クラシックというのは様々なジャンル音楽の源流としてあるんだなとつくづく思います。ロックのような興奮も、ビート感も、ジャズのような自由さも、ハーモニーのおもしろさも、あるいはビートの持つ楽しさもこの『第九』という作品にはあるように思います。
 

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 まだあります。覚えておられませんか?あの音楽室にあった、羽ペン持ってしかめっ面してるベートーヴェンの肖像画を。ベートーヴェンって決してあのイメージだけじゃないんです。この曲の中には素っ裸のベートーヴェンがいます。素晴らしいラブソングを書くベートーヴェンがいます。厳しいベートーヴェンもいれば、泣き、笑い、非常に人間くさいベートーヴェンがここには存在します。だから僕は指揮をするたびに様々なベートーヴェンに出会うことが出来る。この曲を今まで指揮した回数は、僕はもう、150回は軽く超えていると思います。総勢で100人ぐらいの第九もやれば、1万人でやることもある。様々なかたちで、この第九を演奏してきました。でも飽きたことはないですね。その感動、常にある新鮮な気持ちを持って、今回、ケルンの仲間たちや最高のメンバーとともに、この作品をお届けしたいと思っています。

――ありがとうございます。 (10月7日:記者会見の内容を再構成しました)




(2014年11月21日更新)


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佐渡裕指揮            ケルン放送交響楽団        ベートーヴェン『第九』

●12月20日(土)15:00
●12月21日(日)13:00
●12月22日(月)19:00
フェスティバルホール

S席-19500円 A席-17500円
BOX席-25000円
チケット発売中 Pコード 236-994 

【指揮】佐渡裕
【演奏】ケルン放送交響楽団

【ソプラノ】スザンネ・ベルンハルト
【アルト】マリオン・エクシュタイン
【テノール】西村悟
【バス】アンドレアス・バウアー

【合唱】
東京オペラシンガーズ
晋友会合唱団

【問い合わせ】
キョードーインフォメーション
■06-7732-8888

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佐渡裕(指揮)

故レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事。1989年ブザンソン指揮者コンクール優勝。現在拠点をベルリンに置き、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、パリ管弦楽団ほかヨーロッパの代表的なオーケストラを多数指揮している。2015年9月よりオーストリア、トーンキュンストラー管の音楽監督就任が決定。国内では、兵庫県立芸術文化センター芸術監督、テレビ「題名のない音楽会」の司会を務めている。


ケルン放送交響楽団

1947年発足。ケルンに本拠を置くWDR(西ドイツ放送協会)所属のオーケストラとして、ドイツ音楽界の一角を担う名門である。クリストフ・フォン・ドホナーニ、若杉弘、ガリー・ベルティーニ、セミヨン・ビシュコフなどが首席指揮者を歴任。2010/11シーズンからはユッカ=ペッカ・サラステが首席指揮者を務める。


S.ベルンハルト(S)     M.エクシュタイン(A)


西村悟(T)         A.バウアー(バス)