学生時代という紛れもない青春を共に過ごした仲間たちと、今でも四六時中一緒にいる人が、この世にどれだけいるだろう? 名古屋の中学・高校の同級生だった4人が20歳で結成。’19年4月23日に、メンバーチェンジ&活動休止一切なしで、結成30周年を迎えたフラワーカンパニーズ。紆余曲折ありまくりのバンド人生30周年の真っ只中、2年ぶり、通算17枚目のフルアルバムとしてリリースされた『50×4』は、“50歳ならでは”のどっしりとしたロックナンバーから、“50歳なのに”ピュア極まりない衝動に突き動かされた楽曲まで(笑)、レンジの広さを貫く生き様とフラカン節にシビれるロックアルバムとなっている。’20年4月までをアニバーサリーイヤーとして、ツアーやイベントほか様々な企画を実施中のフラカンは、『竹安生誕の地神戸に於ける50才記念公演「共鳴するSG ~フラカンVS人間椅子~」』や『FM802 ROCK FESTIVAL RADIO CRAZY』、『フラカン30周年!ザ・プラン9来年20周年!~プランワーカンパニーズ特別新春公演~』と、年末年始も関西圏で見逃せないライブがめじろ押し。鈴木圭介(vo)と竹安堅一(g)が、『50×4』の制作秘話や、ひょんなことからそのビジュアル周りの撮影を担当することになったORIGINAL LOVE・田島貴男とのなれそめ、今後に控える種々雑多なライブへの想いまでを語るインタビュー。ここまで来たら腐れ縁!? 思い出を共有し続ける幸福な共犯関係にある、全てのフラカンラバーにこのインタビューを捧ぐ!
竹安 「最初は4人で始まって、いろんな人の意見も踏まえてチャレンジしてみたりといろいろやってきたんだけど、今また4人に戻ってるから、確かに昔の作り方とかに戻ってるんですよね」
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鈴木 「『Eeyo』であったり『DIE OR JUMP』(M-2)は、ギターのリフから作ってるから。こういう感じの曲はここ数年やってなかったから面白かったですね。何かもうちょっとギターが主張する曲があってもいいんじゃないって。ああいうリフは普段は弾かないから」
竹安 「高校生の頃はああいうハードロックがみんな好きで、メジャーの最初ぐらいまでは、リフから作ってメロディは後で乗せるみたいなこともしてたんですよ。でも、それはそれでちょっと煮詰まってくるし、やっぱり歌ありきにだんだんシフトしていって、今また戻ったと。50歳にしてそういうことをまた始められたのは楽しかったですね」
――本当に痛快なロックンロールナンバーというか、歌詞もそうですけど、現在進行形ですよね。過去を振り返るというよりは、前を向いてるというか。
鈴木 「元々が振り返ってばっかりのタイプだったので。ただ、その辺はそこまで意識してたわけじゃなくて、結果そうなっちゃったっていう。あと、『Eeyo』とか『DIE OR JUMP』は最後の最後に勢いで作ったところがあって、それがアルバムの出だしに入ってきたから、全体の印象が変わったというか」
――『花束』(M-6)とかは、何でこのタイミングでこういう歌を書いたのかなと気になりました。
鈴木 「30周年記念日である今年の4月23日に合わせて春に会場限定シングル『いましか』('19)を販売していて、それに『ザ・オメデ10(試作)』という『花束』の元曲が入ってて。元々は“おめでたい曲を1曲作ったらどう?”っていう話になってたのをすっかり忘れてて、本当にレコーディングの終わりギリギリで、曲の途中までみたいな前半をアコギで一発で録ったから、おまけとして入れて。それをアルバム用に改めてバンドで1曲にしたのが『花束』。タイトルも変わって、後半を付け足したことによって全然違う曲になっちゃったという(笑)」
竹安 「結果、スケールのデカい歌になって、もう宇宙ぐらいの(笑)。入口があんな感じで、まさかああなるとは」
――“おめでとう”って言いたいだけやん、みたいなところから始まってる短絡的な作り方が逆にいいなと思ったんですよね(笑)。それで言うと『25時間』(M-10)も 、何でこういう曲を作ったんだろうと。
鈴木 「それもそういう曲を作りたくて作ったわけではなく…(笑)」
竹安 「出てきちゃった(笑)。多分、レコード会社のディレクターとかがいたら、バランスを取って外したりするのかもしれないですけど、僕らは曲ができたからじゃあ入れようっていう(笑)」
――だって、“1日が25時間あったらもっと楽なのに”みたいな発想って、子供やん! と思ったんですけど(笑)。
竹安 「アハハ!(笑)」
鈴木 「嘘! 俺、発明だと思ったんだけど。そっか、みんなあえて歌にしてないだけなのか(笑)」
――大人になると、こんなことはありえないから考えなくなるじゃないですか。それが、今50歳で、30年やってきたバンドが曲にしてるのがめちゃくちゃ面白いなと思ったんですよ。ワクワクだけで音楽をやれちゃってる感じが。
竹安 「しかもノリノリでやってますからね(笑)。昔は“こういう曲も入れちゃおうよ”みたいなこともやってたんですけど…僕らが20代のときはね、本当はグッとくる曲を作ってるはずなのに、ちょっとおちゃらけてるイメージで誤解されることがあって、そういうことを避けてた時期があって」
鈴木 「そうそう。20代のときは若かったのもあるし、どっちかって言うと軽く見られがちだったから。それがイヤで、もうちょっとバンドとして理解してほしいと」
竹安 「本当はそのノリも僕らのいい面でもあったはずなのにね」
鈴木 「ただ、30代、40代になってくると、逆に今度は『深夜高速』とかができたことで、何かそこばっかり期待されるようになってきて。そんなに年がら年中深刻じゃないんだよなっていう」
竹安 「そうそう。それだけが本質じゃないというか」
――フラカンは泥水をすすって、血を這うようなツアーをして、じゃないけど。
鈴木 「苦労人みたいな。いや、それも確かなんだけど、それだけでもない。もっと軽やかなところもあるよって」
――『バート』(M-9)もそうですけど今、バート・レイノルズのことを曲にするバンドが世にいるのかと(笑)。
鈴木 「これはね、使命感で作りました(笑)。少なくとも日本で今、バート・レイノルズについて歌う人はいないだろうと。小学生のときにテレビでよく『トランザム7000』とかがやってて、カッコよかったなぁ…でも、亡くなったときもあまり話題にならなくて、いやいやいやいやと」
――昨年、亡くなられたんですよね。
鈴木 「そう。だから、この曲も“バート”の部分は歌詞も最初からあって」
――そうですね。この曲はひたすら“バート”って言ってる(笑)。
鈴木 「そうそう(笑)。だいたい歌詞は後で書くんだけど、これはもう最初から一緒にできちゃった曲ですね」
口では散々“30周年だから”って言ってるけど、ずーっとつながってるから
――『西陽』(M-11)に関しては、草彅剛さんの主演映画『台風家族』の主題歌ということですけど、これは市井昌秀監督がオファーがあったんですよね?
鈴木 「監督から名前が出て、その映画音楽を担当したスパム春日井さんから去年の夏ぐらいに連絡があって。だから、この曲だけちょっと前に作ったのかな? 先に映画も観させてもらって。ただ、すごいタイトなスケジュールで、2週間ぐらいで完パケみたいな感じだったから、すぐに取りかかって2曲ぐらい作って。もうちょっとエンディングっぽい感じの曲とこの曲とを、“どっちがいいですか?”って監督に聴いてもらって。今、思えばよくやったなと」
――アルバムの中では、いいスパイスになってますね。
鈴木 「ビブラフォンが入ってたりしてね。スパムさんは何でもできるっていう。以前、『終わらないツアー』('10)っていう曲で手伝ってもらったことがあったり、渋谷のWWWで弦を入れたライブをやって、それがライブアルバム(=『@WWW 2013.1.23 Premium Live “Beautiful Dreamer”』('13))にもなってるんですけど、そのときのアレンジにも参加してもらって。スパム春日井の春日井は名古屋の隣の市で同郷というのもあるんです。『西陽』のレコーディングのときもアドバイスしてもらって、ぜひアルバムも手伝ってくださいと」
――音的にも、今回はいろんな人が参加してるのかなと思ったら、クレジットを見たらスパムさん1人っていう(笑)。
鈴木 「本当にマルチだから、スタジオにいる間に“これもこれもこれもやって!”って頼んで(笑)。僕らも何か足りないなと思ってたら、“サックスを入れたらどうですか?”って提案してくれて、“いや、誰が吹くの?”って聞いたら、“ちょっとだったら僕がやります!”って(笑)」
竹安 「ブルース・スプリングスティーンとかもそうですけど、サックスって実はロックに合うからね」
鈴木 「そうね、よりご機嫌になっちゃった」
――今回の楽曲の中で個人的に思い入れがある曲はあります?
竹安 「僕は『見晴らしのいい場所』(M-12)とかの感じは、この歳になったから出せるようになった雰囲気かなぁって。若い頃はやっぱり、音をいっぱい入れたがったりするので。最初からあのギリギリのスカスカ感が表現できるようになったのは、やっとですね」
鈴木 「渋さが追い付いてきたなぁと思います」
――この歳ならではのどっしりした曲もあれば、この歳なのにっていう若々しい曲もあるし(笑)、レンジが広い。そもそも学生時代の友達と今でも仕事をすることってなかなかないし、思い出が共有され続けてる関係は貴重ですね。
鈴木 「また最近は特にね、そういう部分が湧き上がってきたというか。というのは、おそらくFacebookとかSNSでつながった同級生が、ライブに来てくれるんですよ。20代、30代の頃なんて誰も来なかったよね? 40を超えてから、多分みんな死と向き合うようになって(笑)」
竹安 「まあね(笑)。がむしゃらに働く時期も過ぎて、やっと」
鈴木 「余裕もできてきて。それこそ僕はミスター(小西)(ds)と高校が一緒で、グレート(マエカワ)(b)と竹安が同じ高校で。グレートと竹安は高校の友達とずっと付き合いがあったんですけど、僕とミスターは全然で。でも、それこそ武道館でやるちょっと前ぐらいかな?」
竹安 「知り合いがFacebookとかでわ〜っと盛り上がって、“一緒に応援に行こうぜ”って」
鈴木 「高校の仲間が10人ぐらいで来てくれたんだけど、知ってる人は1人ぐらいだったという(笑)。言ってもね、 “俺、俺!”って言われても風貌も変わってるし(笑)。でも、そのライブをきっかけにみんなが集まるきっかけができて。ライブの日だと日取りが決めやすいみたいで」
――この日、ライブがあるから観に行った後に呑もうよとかね(笑)。
竹安 「だんだんそっちが目的になっちゃって(笑)」
鈴木 「ホントそう! それはそれできっかけになれて、ちょっと嬉しい」
――それこそバンドが始まった頃はSNSもなかったし、バンドが続いたことで武道館もやれたし、仲間を再び引き合わせるようになるって面白いですね。そんな結成30周年に、何か感慨深さはありました?
鈴木 「実感はないんだけど、こういう取材を受けたりして初めて、“おぉ!”って感じます。口では散々“30周年だから”って言ってるけど、ずーっとつながってるから。自分で言いながら確認してる感じですね」
――だいたいは1回止まって、10年ぐらい休んでて、周年で復活とかはありますけど、地続きだとじゃあ29年目と31年目と何が違うんだっていうのも。
鈴木 「そうそう! そうなの、まさに」
やっぱり長くやってる財産というか、それでまた新しい出会いがあるんですよ
――今作のジャケットとアーティスト写真はORIGINAL LOVEの田島貴男さんが撮影したそうですが、田島さんとはいつぐらいからの関係なんですか?
鈴木 「おととし、THE COLLECTORSの武道館ライブを観に行ったとき、僕の隣の席が田島さんで。ORIGINAL LOVEは大好きだったけど会ったことがなくて、思い切って話しかけたら僕らのことも知っててくれて、“フラカンってあれだよね? 生きててよかったの! あの曲(=『深夜高速』)ヤバいよね!”って。割とね、デカ目の声で(笑)。田島さんはTHE COLLECTORSとは、ORIGINAL LOVEの前にやってたTHE RED CURTAINっていうネオGSみたいなバンド時代からの付き合いなんですけど、久しくライブを観てなかったらしくて、隣で“これは何年ぐらい前の曲ですね”とか解説したりして。『NICK! NICK! NICK!』('04)が始まると、“これは僕も知ってるよ! 懐かしいなぁ〜。最近のTHE COLLECTORSってこんなに人気あるの?”とか言いながら(笑)。そこで連絡先を交換して、去年、新宿LOFTで一緒にライブもやりましたね」
――何だか、ここにきて全部がつながってきますね。
竹安 「そこはやっぱり長くやってる財産というか、それでまた新しい出会いがあるんですよね。だってORIGINAL LOVEとつながれるなんて、本当に思ってもなかったもんね」
鈴木 「こっちが一方的にリスナーとして、それこそ機材車でも散々聴いてたし。僕らがまだ名古屋にいたときに、“すげぇバンドが出てきたぞ!”って」
――ただ、その田島さんがプロデュースとか楽曲に参加するのではなく、カメラマンってどんな使い方やねん!(笑)
鈴木 「アハハ!(笑) 音楽では一切参加してませんっていう(笑)」
――音楽でも参加してもらったらいいじゃないですか、1曲ぐらい。
鈴木 「いやいや、それはちょっと恐れ多い! そこは図に乗っちゃいかんぞっていう」
スタッフ 「ただ、前にラブソングだけのアルバムを作ってもいいかもみたいな話になったときは、田島さんにプロデュースしてほしいって言ってましたよね」
鈴木 「何しろORIGINAL LOVEの『LOVE SONG』('91)っていう曲が大好きで。田島さんはラブソングがすごく得意な人だし、その案が出たときに、田島さんにプロデュースしてもらったらどうかなって。まだ出会う前ですよ?」
――それは今後、もしかしたら実現するかもしれないですね。そうやって知り合った田島さんに宣材写真を撮ってもらったのは、どういう経緯だったんですか?
鈴木 「フェスとかで会ったときとか、それこそLOFTで一緒にやったときもそうだったけど、楽屋とかでたくさん写真を撮ってくれて、それが遺影にしたいくらいすごくよくて。田島さんはいつもフィルムカメラでいろんなバンドマンを撮ってて、インスタの写真もとにかくすごくいいんですよ。50を超えたぐらいから田島さんがカメラにハマり出した話も聞いてすごいなぁと。そんな経緯もあって、ぜひカメラマンとして撮ってもらえたらという話になってお願いしたら、“僕でいいなら”って快くOKしてくれたんです。日暮里の近くの谷中っていう場所で、300枚ぐらい撮ってもらって。オーバーオールのポケット全部にフィルムが入ってたもんな」
竹安 「まだ昔の雰囲気が漂ってる場所で、田島さんも“やっぱりバンドはいいなぁ〜”とか言いながら撮って」
鈴木 「“1人は孤独だもんなぁ〜1人でキメてくれって言われても無理だよ!”って言ってました(笑)」
やっぱり世代は広げていかないとね、上も下も(笑)
――来年の4月末まで続くリリースツアーはもちろん、合間にいろんな冠が付いたライブが多過ぎて、よく分かんないことになってますけど(笑)。
鈴木 「フフフフ(笑)。(関西地区の担当イベンター・清水音泉の)清水さんが、“このバンドとはやっといた方がいいよ”って言ってたバンドで、あっという間にブレイクして、“早めに一緒にやっときゃよかった! もうできねぇ”ってなったバンドが、今までにたくさんいるんですよ。人気が出てからだとこっちも頼みづらいし、ちょっとイヤらしいでしょ? だから、まだ芽が出る前に若いバントとはとにかくやっておこうと」
――そして関西では、12月には神戸で竹安さんの生誕祭『竹安生誕の地神戸に於ける50才記念公演「共鳴するSG ~フラカンVS人間椅子~」』もあります!
竹安 「人間椅子とはイベントでは一緒にやってたんですけど、ガッツリ対バンできるのはこの日が初めてで。僕らがバンドを組んだ頃に、イカ天(=『三宅裕司のいかすバンド天国』)をみんなで観てて、そこに人間椅子が出てくると“うぉ〜!”って盛り上がって。ここにきて今また勢いがすごいですよね。カッコいい売れ方をしてるなと思って」
――ブレない=結果が出るかは分からないけど、そういう勝利のパターンはやっぱりあるんだなと思わされます。
鈴木 「時代が回ってくるというかね。やっぱりどうしてもね、流れがいいときと悪いときがあって。僕らもね、物事が進むときもあれば、ちょっと待つときもあって。いずれまた波が来るだろうみたいな時期もあるから、そこを焦っちゃうと音楽性がヘンに変わってきたり、何かもういろいろとおかしなことになるから。僕らは運よく4人の歩幅が一緒だったというか。それは人間椅子も同じなのかなぁって」
――人間椅子なんかは、時代に寄せる気もなかったでしょうしね。
鈴木 「昔、ハードロックと言ってたものが今はラウドロックと名前を変えて、若い子にも人気があったり、メタルが再評価されてたり。そういう意味では、人間椅子なんて日本のゴッドみたいなもんだから。ゴッドの中でもかなり歪なんだけど(笑)。あんなバンド、他にいないからね」
――人間椅子みたいな先輩から若手ともやれちゃうフラカンもすごいですよね。
鈴木 「やっぱり世代は広げていかないとね、上も下も(笑)。あとは、もっとジャンルも広げたいですけどね。フェスとかでアイドルとかと一緒にやることもありますけど、音楽に限らず、もうちょっと異ジャンルに。芸人さんとかもそうですし、もっといろいろあるよなぁっていうのは」
竹安 「さっき改めてスケジュール見て、関西方面もこれからまだまだ来れるので、楽しみにしてます!」
鈴木 「バンドを長くやってるとどうしてもね、一見さんが入りづらいムードみたいなものができちゃうけど、僕らは割と敷居が低いというか、そんなお約束事があるわけでもないし、それこそ若いバンドとも一緒にやる機会も多いから、ぜひどこからでも入ってきてほしいですね」
――上も下も芸人も(笑)、確かにこんなに幅広い対バン層だと、きっかけは多いはずですよね。
鈴木 「そうなんですよ。ここ最近もいろいろと若手とやって、ビックリするぐらいシーンとしてますよ(笑)」
――アハハハハ!(笑)
鈴木 「これは響いてるのか響いてねぇのか? ってスリリングなライブは結構ありましたね(笑)、面白いですよ」
竹安 「それも最近、楽しめるようになってきたね」
鈴木 「まだまだだな、俺たちと思いながら。まだまだ開拓せねばいかんなって。僕らが20代のときは、とにかく目を合わせないとか、敵意をむき出しにするお客さんとかもいたんですよ。全然非協力的だったからね。こいつらテコでも動かねぇなっていう(笑)。今の若い子たちはそういうのは一切なくて、すごくあたたかい目で見守ってくれてるんだけど、どうやって盛り上がっていいのかは分かんない(笑)。だからそこでポカーンとしてるという。ただ、こっちから“こうやってください”って言うと、みんな素直にやってくれるから、すごくピュアだなぁと思って」
――そういうライブハウスの光景も全部見てきて、なおかつまだやることがあるっていうのはいいですね。
鈴木 「そうなんですよ。ああいうピュアな人たちに、頑張ってるおじさんがどう響くのかは、今後の課題ですね。自虐半分で、“あなたたちのお父さんと同じぐらいの年齢ですよ”みたいなやり方をあえてやってたんだけど、最近は、年齢非公開で勝負したらどうなるんだろうってちょっと考えてて」
――確かにお父さんっていうパワーワードが出てくるとちょっとね。ただ、『50×4』ってもう、年齢がめちゃくちゃ分かりやすいアルバムを出しちゃってますけど(笑)。
鈴木 「アハハハハ!(笑) 音楽だけで判断してもらうっていうことも、ちょっとやってみたいですね、これからは」
Text by 奥“ボウイ”昌史