いつだって、始められる――。ほとばしる音楽への情熱、堂々の歌声
話題のジャズシンガー山添ゆかの波乱万丈の人生をたどれ!
スタンダードにジョン・レノン、ジェイムス・テイラー、涙そうそう…
初アルバム『My Color』インタビュー&動画コメント
(3/3)
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“伝えよう!”という気持ちが前へ前へと出たものじゃなくて
“何かを摑んでもらえたら”ぐらいのものにしたい
――記念すべき1stアルバムを、どういったものにしようというビジョンはありました?
「とにかくナチュラルで、コンテポラリーなものよりもどちらかと言えばオールドスタイルで、優しいイメージのもの。ずーっと聴けるようなアルバムにしたいなって。秋田さんにも、“調味料をたくさん使ったものよりも、オーガニックなものを”みたいなイメージを漠然と伝えて。やっぱり“聴いていて心地いいアルバム”ってあるじゃないですか? 自分でも、ナチュラルに伝えている人のCDは聴きやすいなぁと思うし」
――さっきの生き様論にも通じますけど、やっぱり人が出ているもの。過剰に何かをブーストしたものではなくて。
「そう。“伝えよう!”という気持ちが前へ前へと出たものじゃなくて、“何かを摑んでもらえたら”ぐらいのものにしたいなぁって。でも、その辺のコミュニケーションが秋田さんと直前まで取れなくて、あの人がどう出てくるのか、結局、録音の3日前にしか分からなかったんですけど(笑)」
――それぐらい秋田さんも忙しくて?
「忙しいというよりは、後で分かりましたけど、ギリギリまでやらない(笑)。でも、集中力がハンパじゃなくて。そんなことを知らない私は、“いつ? いつ?”って(笑)。どんな感じになるのか雰囲気すら分からなくて」
――山添さんにはこのやり方の方が、って思ったのかな?
「いや、むしろ“出来るやろ?”って感じ(笑)。それはそれで嬉しいような、けどやっぱりちょっと練習せな無理やで…みたいな(笑)。それもたまたま私が東京に早く入ったから発覚した話で、下手したら当日からでしたよ(笑)」
――じゃあ今回の一発録音は、限りなく本当のそれですね(笑)。そもそも一発録音にしようというのは、当初から思っていたわけですよね?
「ブースは一応別れるんですけど、オケだけを先に録ってとかはせず。一緒にやってOKならそれにこしたことはないし、ダメならダメで秋田さんも“今は科学の力があるから”って(笑)」
――(笑)。2日間で全て録ったとのことですが、すごく刺激的な日々だったんじゃないです?
「いやぁ~正直ね、しんどかったですよ(笑)」
――アハハハハ!(笑)
「最初に録ったのが『After You’ve Gone』(M-7)なんですけど、レコーディングのときに“どれぐらいのテンポで?”って聞かれて、とっさに“あ、私がカウント出します”って言ったら、“え? そうなの? やるなぁ”って。普通カウントってミュージシャンが出すものなんですよ(笑)。でも、“これは絶対に生かした方がいい”って、アルバムには私のカウントから収録されています(笑)。思い出の曲と言えば『imagine』もそうなんですけど、『After You’ve Gone』は最初にそうやってみんなに言われてちょっと気持ちよくなって、“あ、出来るかも”って前向きにさせてくれた曲なんで(笑)、自分の中では思い入れと思い出と、いろんな想いがある曲ですね。そんなこんなで何も分からないまま1日目が終わろうとしていたときに、初めてエンジニアさんとしっかり話をしたら、“僕もメジャーを含めいろんな人に携わっているけど、こんな音で録れた盤はそうはない。ここ最近にはない感覚で、これはおもしろくなるぞ!”って言われて。“そうなんですか~!?(喜)”って徐々に持ち上げてもらいながら、2日間が過ぎていきました(笑)」
ジャズを知ってもらうために私みたいなヤツがいる
――今作の選曲は全て山添さんが?
「そうです。でも、『涙そうそう』(M-11)はお客様の声がとっても大きかったので。ライブでもずっと秋田さんのアレンジで歌っていたので、じゃあボーナストラックで入れようと」
――日本語詞というところで、また新鮮な印象がありますね。
「あと、こういう曲を敢えてジャズにしてしまおうとは思わなくて。やっぱり日本語のサウンドを大事にしたいし、無理にジャズに寄せたくない。私はジャズも日本語の曲も歌いますって、別個のものでいいと思っていて」
――日本語だと歌う上で気持ちも乗りやすいと思いますけど、自身のこれからのオリジナル曲の展望なども含めて、気持ちが入らないと歌えないシンガーとしては、やっぱり違いますよね。
「それはかなり大きいですね。他に日本語で歌っている曲もあるんですけど、『涙そうそう』を選んだのは、たまたま私の友人が早くに亡くなって…そのときの彼との思い出と、歌詞の世界がすごく似ていて。秋田さんと初めて会ったのはお盆も近い時期で、秋田さんには何も言わなかったんですけど、もう亡くなった彼に送るつもりで、この曲をアレンジして欲しいってお願いしました。そうしたら秋田さんも私と同じ考えで、この曲は元々あるメロディを大事にして、ゴリゴリのジャズアレンジにはしない方が絶対にいいと。で、レコーディングのときに初めてこの曲を選んだいきさつをメンバーに伝えたんですよ。みんなを泣かそうと思ったわけじゃ決してないんですけど(笑)、そんなことがあったから尚のこと、聴いてくれる人にとっても、すごく印象的な曲みたいで」
――思い入れのたくさん詰まった、『My Color』のタイトルの由来を聞かせてください。
「これはまさに“私”ということなんですけど、アルバム自体の“色”であったり、あとは“人生”も『My Color』という言い方をしたりするので。そういう意味で、“私の全て。私の等身大”ですね」
――日本ではポップスやロックミュージックが溢れる中、ジャズという音楽をもっと知ってもらいたい気持ちもやっぱりありますか?
「ありますあります! ジャズはとってもマーケットが狭いので、それはもうピアノをやっていた頃からずっと、“ジャズを知ってもらうために私みたいなヤツがいるんだ!”なんてよく息巻いてましたけど(笑)。ジャズが一目置かれるような堅苦しいイメージを取っ払いたいし、こんなにカジュアルなんだよって知ってもらいたい気持ちはあります」
――ただ接点がないだけの方も多いでしょうしね。
「そうなんです。ラウンジやバーでキレイなドレスを着て歌うお姉さん、みたいなイメージもあると思うので(笑)。メロディがとっても美しいし、特にボーカルものはとっつきやすいので、皆さんに“ジャズっていいな”って少しでも思ってもらえたら、私はすごく嬉しいです。私からしたら、ポップスもジャズもそう変わりはないんですよね」
――そして、山添さんにとってのライブとはどういう場所ですか?
「その時間、その場所でしか生まれない音の臨場感というか、もう二度とその音は出せないので。これはミュージシャンもお客さんもみんな一緒で。そのときその空気と、そのミュージシャンと、そのお客さんとが生んだ時間を、楽しんでもらうものだなぁと思います」
――山添さんがライブで使用するマイクにはスワロフスキーがあしらわれ。この辺のこだわりは女性ならではかも。
「あれはドイツ製のマイクに飾り付けてもらったんです。あと、マイクってそんなに種類がないから、どれが誰のものかよく分からなくなるから(笑)。唯一ピアノは持って行けない楽器なんで、どこに行っても会場にあるものに馴染まなくちゃいけないけど、ミュージシャンはそれぞれ自分の楽器があるじゃないですか。ボーカルもそうですよね。ボーカルは出す音そのものが=自分の声だから、マイクには絶対こだわりたい。楽器と同じです、ホントに」
私の生きる全てが歌なんで
――山添さんがCDを買い漁って必死に聴いていた2009年のブログに、“このシンガー達は何を思って歌ってるんだろう。何を思ってこのCDを作ったんだろう。きっと、私は今の自分の方向性が見えないからこんな気分になるんだと思う”と書かれていて。自分の方向性も分からず、未来を憂いていた山添さんの今は、どうなんでしょう?
「5年前ですよね? 歌い出してすぐで…しんどかったんやろうな、きっと(笑)。やっぱりね、今でも“自分の心の内を聴いてもらいたい”っていう想いがすごくある。2~3年後にはまた気持ちが変わっているかもしれないけど、そのとき思ったその形が、やっぱり私の歌なんですよね。時にはドン底の歌になるかもしれないし、それでもやっぱりみんなに聴いて欲しくて歌っているのも私、ハイテンションなのも私。私の生きる全てが歌なんで」
――ピアノに憧れ、遅くからクラシックピアノを習い始め、ジャズに転身し、今度はシンガーになって。何なんでしょうね、この音楽への衝動は。ただ歌うことが好き、とはやっぱり違いますよね。
「やっぱりメッセージ性のある歌って人を救えたりもするし、私も音楽に救われたことがいっぱいあって。今その話が出たから初めて口に出すんですけど、例えば、病気で苦しんでいる人とか、幼少の頃にちょっと世に出られないような環境にいる子たちとか…私も子供の頃に複雑な環境の中にいたので、尚のことそういう想いがあって。自分が唯一何かで人助け出来ることって言ったら、歌だから。それで何か出来ないかと思っているところが、実は自分の中でずっとあるんです。ホントの自分の心を聴いてもらうためには、シンガー・山添ゆかとしての形をまずちゃんと極めて、その上でいつか自分の持っている力が何かの役に…そんなことを漠然と思っています。だからやっぱり私は、人に伝えたい想いがあったんだろうな。自分が吸収するだけじゃなくて」
――山添さんに今まで聞いてきた話って、音楽が1人の女性を見知らぬ場所へと連れて行ってくれてた、ホントの旅ですよね。“人生、何を始めるにも遅いということはない”なんて常套句のように言われますけど、なかなかそれを実感出来なかったりもして。山添さんの生き方が、もしかしたらこれから音楽を通して出会う人々の人生のヒントになるかもしれない。
「そうですよね。だから主婦でも何かを始めようと思えば全然出来るし、子供を産んでからでも遅くない。全部自分次第じゃないですか。どこにいたってね。そういう意味では、世の女性にも、そういうアピールはいっぱいしていきたいなぁと思います。私の歌でね」
Text by 奥“ボウイ”昌史
Photo by 宮家秀明(フレイム36)
撮影協力:ART CLUB
(2014年8月13日更新)
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