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室生犀星の幻想小説が、時代を超えて妖艶によみがえる――
二階堂ふみが金魚となって観る者を魅了する『蜜のあわれ』
石井岳龍監督インタビュー

とにかく二階堂ふみからひと時も目が離せない。老作家のことを「おじさま」と呼び虜にする、“金魚”である赤井赤子――。そのコケティッシュな魅力が炸裂する一本である。と同時に、ファンタジーであり、喜劇でもあり悲劇でもあり、古典映画の風格もあり同時にポップでもあり、そして生と死の両方が深い洞察とともに描かれている本作では、石井岳龍監督の映画に対する哲学が鋭く映し出されている。『狂い咲きサンダーロード』(80)からもはや35年経ち、成熟した表現とともにいまなお“クール”で先鋭的な映画を世に放っている監督にその想いを聞いた。

――すごく不思議な物語なのですが、室生犀星の原作をどのように映画に落としこんでいったのでしょう?
原作をまずどうドラマ化するかっていうのが大変だったんですけど。原作が小説としても不思議な、会話体だけの話ですから。とっても面白いっていうのかな(笑)、楽しい小説なので。ただ、楽しいだけだと映画にはならないので、どのように映画的な葛藤関係を構成し感動的な話にするか、どう主人公たちを魅力的にするか、というところですね。脚本家の港岳彦さんが苦労してくれました。
 
――原作に“狂気”を見出したとおっしゃっていましたが、その部分をもう少しご説明いただけますか?
室生犀星さんって私が小学生とか中学生のときには日本を代表する詩人で、大文豪っていいますかね。その方がそのあとずっと小説を書いていて、ほとんど代表的なものしか知らなかったんですけれども、亡くなる直前にこのような男の本音爆発的なものを書いていて、しかもそれが金魚の化身である、と。その少女と徹底的な会話をするというのが面白くておかしくて、いろいろなものが詰まっている。小説家として、あるいは室生犀星という人間が死ぬ前にこういうものを徹底的に書いていることの、そのこと自体の凄みというか。たんに面白い、楽しいっていうだけではなくて、何が彼をそこまで駆り立てているのだろうという凄みですね。それは女性に対する飽くことなき興味かもしれないし、あるいは愛情に対する飢餓感なのかもしれないし。何か言い残したことがあるってことなのだろうと思いますけれども、そのことがとても気になりました。なおかつ金魚っていうのは何なんだろう、なぜ金魚がこんなに可愛らしいのだろう、と。
 
――その金魚というモチーフがすごく面白いですよね。たとえば鯉みたいな他の魚でもなく。石井監督ご自身は、金魚固有の魅力みたいなものってどういうところにあると思われますか?

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私はこれは金魚だから絶対面白いと思ったんですよ。いままでなかったものだし、まず魚ですからね(笑)。
 
――そうですよね(笑)。
まず魚で、なおかつ小さいもの。小さいものが大切だというのは犀星さん独自の世界観なんですけれども。それが可愛いと言えば可愛いんですけれども、これだけ追求すると狂気だとも思うんですよね。この作品をきっかけに金魚のことを一生懸命考えたんですけれども、やっぱり愛されるためだけに生きている、人間の都合で、人間に愛でられるためにだけ掛け合わされて、人工的に進化させられて来たんですよね。
 
――なるほど。
それはひょっとしたら人間の勝手な想いが生み出したもので、生き物の生き方としてははかなくかわいそうなものかもしれない。でも、やはり生き物としてどこかしらたくましさも感じるし……とにかく可愛いんですよ(笑)。ずっと見ているとえも言われぬ魅力があって、人間がなぜこういうものが本能的に好きなんだろうとすごく不思議に感じもしますし。あらためて小さな魚の、“聖なるもの”っていうのかな。そういうものを感じましたし、なおかつエロティックだっていう考え方もありますし。それが克明に原作にも書かれてるんですが。そうしたいろいろな面を見せてくれるな、と。原作は言葉の力で読者に想像させるっていう面白さなんですけれども、映画の場合具体的にしなくてはならないので、原作の魅力を失わないように金魚を魅力的に撮る、その両立を徹底的にやらなきゃならないなと思いましたね。本物の金魚役もオーディションして(笑)、「これだ」というのを選んだんです。
 
――ある種の薄命さのようなイメージもありましたか。
ありますね。実際は金魚は長生きなんですけどね。
 
――そうらしいですね。
ただ人間があまりに可愛がりすぎて、エサを与えすぎたりとか、あと明りがあると眠れないとか、睡眠不足やエサの取り過ぎで大体数年で亡くなってしまうんだけど。本当はきちんと育てて、ときにはあまり構わないで放っておいて、という風にするとすごく長生きする。だからそれも象徴的ですよ。
 
――なるほど。そうした金魚の魅力というのが本作の見どころだと思うのですが、それがそのまま二階堂ふみさんの魅力に繋がっていますよね。やはりこれはどうしてもお聞きしたいのですが、石井監督から見た二階堂さんの魅力というのはどういったものでしたか。

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今回に関しては、私には会った瞬間から赤井赤子にしか見えなかったので。本人もやりたいと想いがあったので、もう隙がないですよ。声を発した瞬間、演技を始めた瞬間からそういう風になっているので。あとは調整するだけだったので……非常にオーラが強い方ですよね。
 
――とくに監督から強くご指示されるような場面はあまりなかったのでしょうか。
いや、ほとんどないですよ。むしろいきなり全開でテンション高くて、本番までだいじょうぶか心配したぐらいで。動きとか表情とかで極端にしたほうがいいんじゃないかというときに言ったぐらいで、それもあくまで二階堂さんの金魚の演技がベースにあってのことなので。それをうまく調整するぐらいですね。
 
――二階堂さんは一瞬で現場を掴む方だとよくお聞きするのですが。
すごく繊細な人ですね。頭の回転も速いし。あと僕らと対等に話ができるっていうのもこの年の方でそうそういないんですよね。仕事の話をしているときは年の差を感じないですね。でもものすごく若い奔放な女の子に見えるときもあるし。だからものすごく多面性を持った方だと思いますけどね。
 
――なるほど。その二階堂さんが魅力的にダンスされるシーンが挿入されますけれども、とてもポップと言いますか、映画のダイナミズムになっていますよね。こうしたシーンでのこだわりはありましたか。
二階堂さんが演じる金魚である赤子を魅力的に映す上で、お客さんを驚かせたいけれども、それは驚かせるために驚かせるんじゃなくて、あくまで映画の内容と主人公たちの気持ちの流れに沿った意味づけも必要だと思ったので、その辺の兼ね合いですよね。どちらかと言うと私はやり過ぎるほうが好きなタイプなんで(笑)。今回フィルムで撮っているというのもありますし、笠松(則通)カメラマンがどっしりと構えるタイプの方ですし。二階堂さんも若いですけれどもベテランですし、卓越した演技力を持っているので、安心してできたと思いますけどね。
 
――いまフィルム撮影のお話も出ましたけれども、時代背景のこともあり古典映画の風格もありますよね。室生犀星と言えば成瀬巳喜男監督の『あにいもうと』を連想したりするのですが、1950年代前後の日本映画との繋がりを意識されることは今回ありましたか。
それはものすごくありましたね。50年代と言うよりも私が物心ついてから観ている映画とか、自分が知っている世界とか、あと古典ですね。成瀬さんも川島雄三さんもほんとに好きだし、そういう世界と映画が持っている力と言いますかね。日本映画でしかできない力。それをそのままやるのではなくて、いまの映画として、昔の映画が好きな方から若い方が観ても面白いと思えるような“跳ね方”、ポップと言われましたがまさにそのポップであることと、オールドスタイルの映画とをどのように結びつけるかということですね。それをやるにはこの題材はとても向いていると思いましたね。
 
――たしかに。
色彩のことも撮り方のことも含めて、注意深く世界を組み立てられると思いました。
 
――川島雄三さんのお名前が出るのは、あのハイセンスさみたいなところがお好きなのでしょうか。
ハイパーなんですよね。
 
――ああ、なるほど(笑)。
いま観ても全然古くならないというか、ハイパーな乱反射が透明感にまで行き着く。時代を超越したスピード感と古典性みたいなものを兼ね備えている。あと、じつはきちんと人間を描いていますよね、やっぱり。一生懸命な人間のおかしみと悲しみと切なさ、そうしたものを丸ごと描いているのに、乾いていて押し付けない。それがイカしている。いまの言葉で言えばクールっていう。そういうところがとても好きですね。
 
――それは石井監督の映画の感覚とすごく繋がりますね。
小津(安二郎)さんなんかもそう思いますけどね。クールだと思います。
 
――たしかにそうですね。
ただ、その時代の名人たちの映画と直結はできないので、僕らは僕らのやり方というか、俳優さんと自分に与えられたベストの方法があると思うので。彼らに使えなかったCGも使うことができるし、惜しみなくすべての力を出し切るというか。
 
――なるほど。こうした古い時代を描いた作品というのは、現代において何か失われたものが映されているのではないかと思うのですが、であるとすれば、『蜜のあわれ』という作品には現代にはないどういったものが描かれているのでしょうか。
この原作も忘れられていたというか、あまり知られていなかったんですけれども、犀星さんが描いた古典モダンな和風感が、今読むと、時代や日本を超越したハイパーなモダンさとして感じられる。“蜜”と“あわれ”の組み合わせ、ある種の根源的なエロスと東洋的な死生観、その両方がありますね。映画で言うと、娯楽性と崇高なアート性がミックスされているところが一番面白いと思う。聖と俗が同時にあって、それがうねるという。それは表現すべてにおいて重要だと思う。映画なので楽しく娯楽として観たいというのもあるし、だけど観終わった後に大事なものを持って帰れるような、そういった映画を観て育って感動してきているので。その一番いい両立を図る、両方安易に妥協するのではなくて、突き詰めた上で、一番高い緊張感のバランスを目指して攻めて、弾ける。それをちゃんとこなせる俳優さんもスタッフさんもしっかりいる。で、そういうお仕事が来たのなら、それが私の使命だと思うので、そのなかで全力を尽くすという。
 
題材としては今回昭和34年っていう時代背景があったので、それに合わせて自分の大好きな日本映画の古典をひとつの雛型にしていますけど、でもそれを再現したりノスタルジーにしようということではなくて、いまの映画にするっていうこと。その両方が大事だと思うんですよね。背景世界は、このドラマやテーマに感情移入してもらい楽しんでもらうための映画的なリアル。新しいこともいまの流行も大事だと思うんですけれど、ある種根本的に映画で何ができるのか、映画を観るという行為のかけがえのなさであるとかね、映画表現の本質をきちんと見つめることも大事なので。つねにその両立が図れれば最高だと思うんですけれども。『蜜のあわれ』というタイトルは私はとても好きなんですけれども、まさにその両立を体現している。いま人気者の二階堂さんがこれをやるっていうのもその精神のひとつだと思います。
 
――監督ご自身がそうありたいと。
そうですね。そういう映画を観て育ったし、愛しているし、そういう映画に救われてやってきて。自分は自分ができること、自分のベストでやるしかないので。それを邁進するだけっていう。
 
――石井監督のフィルモグラフィについて言うと、80年代のフレッシュさであり若さ、尖った感じというイメージが強いように思うのですが、今回の『蜜のあわれ』については老いや死というテーマが非常に色濃くなっていますよね。今後もそのようなテーマを追求される予感はありますか。
(即答して)ないです(笑)。
 
――あ、そうですか(笑)。やりきった感じがあるという?
いや、そういうことじゃなくて、いまやろうとしている作品ではないです。ただ、生きるということとか活動的なエネルギーを考えると、同時に死のことも考えなければならないというのかな。片方だけでは駄目だと思うんですよ。それははっきりそう思いますね。とくに表現するということにおいては、破壊と再生というのはつねに表裏一体というか、闇があって光がある。“蜜”があって“あわれ”もある。つねにその葛藤だと思うんで。楽しいことを見つめるなら、悲しいこともついてまわるというか。人間の感情ってそんな単純ではないだろうということとか、たとえば正義にしても悪にしても。それをどうやって面白く見せるのか、ただ単に薄っぺらいものでなく見せるにはどう工夫したらいいのか。それが僕らの使命だと思うので。だから死生観というのはどこかでついてまわると思うんだけれども、今回のは題材が完全に片足そっちにあるというか、それがあって赤子さんの自由奔放な“跳ね方”も生きるので。
 
――その両軸があるという。
せめぎ合いが生き生きしていればするほど、いいと思うんですよね。スリルがあるというか。もっともっとやりたいですけれども、今後準備している作品のなかではこういう題材はないですね。
 
――なるほど、わかりました。では最後の質問です。デビューから30年以上経ちいまなおこうした先鋭的な作品を撮られているということに驚かされるばかりなのですが、作品作りの原動力はどこにあると感じてらっしゃいますか。
いや、毎回一生懸命やってきただけなんですけれども。10年撮れないことも2回あったし、すごく大変なんですけど。ただ、その作品を撮るときは苦しくないと思ってやってますから。たとえ依頼された仕事を受けたときもね。いま自分が最高だと思うもの、いましか撮れない映画を撮るっていうことだけ。なぜか僕、これしかできないんですよね。いま『狂い咲きサンダーロード』を撮れって言われてもできないし。それは自分の年の問題だけじゃなくて、あれは当時のスタッフや山田辰夫さんたちとの出会いで成立しているし。すべての映画はそうだと思うんですよ。タイミングというものがとても大事で、映画はひとりでは作れない。俳優さん、スタッフ、それを支える人たち。映画をどうやって見せるかということと、最終的にはお客さんとの共同作業なので。そこで何がいまベストで、自分がどのように力を発揮できるのか。そういったことをやってきただけで、これはこれからも全然変わらないし。前は少し迷いがあったんですけれど、いまはまったくないですね。「これでいいんだ」と思う。
 
 
取材・文:木津 毅
 



(2016年4月15日更新)


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Movie Data


©2015『蜜のあわれ』製作委員会

『蜜のあわれ』

●梅田ブルク7ほかにて上映中

出演:二階堂ふみ/大杉漣/真木よう子/高良健吾/永瀬正敏/韓英恵/上田耕一/渋川清彦/岩井堂聖子
監督:石井岳龍
脚本:港岳彦
撮影:笠松則通
音楽:森俊之
美術デザイン:佐々木尚
衣装デザイン:澤田石和寛
原作:室生犀星

【公式サイト】
http://mitsunoaware.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/168143/


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