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「いま生きていることに対してもっと謙虚になると、
たとえどんなにくだらないと思える一瞬でも愛おしくなる」
石井聰亙改め、石井岳龍が10年ぶりに放つ最新作
『生きてるものはいないのか』石井岳龍監督インタビュー

 石井聰亙という名前は1970年代から80年代の日本映画界において、ひときわ強い光を放っていた。自主映画の雄として登場し、爆発力と疾走感にあふれた『狂い咲きサンダーロード』(1980)と『爆裂都市Burst City』(1982)で若者の心を鷲づかみ、『逆噴射家族』(1984)でその存在は世界に知れ渡った。以後、何度かの沈黙の時を経ても、その動向は常に注目を集め続けた。その石井監督が、名も岳龍(がくりゅう)と改め、10年ぶりとなる新作『生きてるものはいないのか』(2月25日(土)より、シネ・リーブル梅田ほかにて公開)を発表する。これは事件だ。

 

――新作のキャンペーンで訊くことじゃないかもしれませんが、やはり、多くの方が知りたがっていることだと思うので、改名されたことからうかがいたいのですが…。

 

石井岳龍(以下、石井)いいですよ、皆さん必ず訊かれますから(笑)。でも、そんなに深い意味があるとか一大決心とかじゃないんです。シンプルに言うと心機一転したかったというだけなんです。前から、変えたかったんですよ。石井聰亙というのもすごくいい名前なんですけど、よく字を間違えられて嫌だったことと、名前が一種のブランドみたいになったのも好きじゃなかった。歌舞伎の役者さんは襲名とかで名前が変わるじゃないですか、私も人間の中身が変わったわけじゃないけど少しは成長した、という思いもあって変えたかったんですね。尊敬する葛飾北斎も何度も改名していますし。なかなかきっかけがなかったんですが、今回の映画に本格的に取り組むことになり、また、6年前から神戸芸術工科大学で教えていて、2010年に住まいも神戸に移したこともあって、2010年の1月から今の名前を名乗るようにしたんです。でも、要は心機一転です。

 

――岳龍というのは、どこから?

 

石井これにも深い意味があるわけじゃないんです。『ELECTRIC DRAGON 80000V』(2001)という作品もあるように、もともとドラゴン好きなんです。それで“龍”という字を使いたかった。でも龍の一文字だと、〇〇龍さんとかもういらっしゃるので、もう一文字つけるとしたら“岳”がしっくりくるかな、と。高みを目指す“昇り龍”のイメージですね。

 

生きてる_監督photo.jpg

――なるほど。岳龍(がくりゅう)、確かにいい名前ですよね。では、いよいよ新作『生きてるものはいないのか』についてうかがっていきます。さきほど2010年からこの映画の製作が本格的に動き出したということでしたが、企画はどういうところから始まったんですか?

 

石井2000年代の後半、日本の若い劇作家の戯曲をいっぱい読んだんです。映画はなかなか作りづらくなっている時代に、小演劇というのかな、彼らは伸び伸びと仕事をしていて、ちょっとうらやましいような気もして、彼らのその力はなんなのか確かめたいと思ったんですね。その中に劇団「五反田団」の『生きてるものはいないのか』もあったんです。

 

――『生きてるものはいないのか』は「五反田団」の主宰者で、今回の映画では原作・脚本としてクレジットされている前田司郎さんの書かれた戯曲で、2008年の岸田戯曲賞受賞作でもあるのですが、監督はどこに魅力を感じられたんですか?

 

石井まず、タイトルですね。インパクトがありました。それから読んでみると、口語体で書かれているのですが、その内容というか在り様が、私が大学などで時々「変な会話してるな」と思っていた、今の大学生達の日常会話そのものだったんですね。身近で見ていた風景がまさに目の前で展開されているというか。これはすごいと思いましたね。私にはあの会話は書けませんから。そして、さらに読み進んでいくと、そういった日常の会話を展開させながら、やがてそれとは真逆のテーマを突きつけてくる、そのアンビバレンツな感じ。すごい発明だと思いました。ジム・ジャームッシュ監督の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984)を初めて観たときのような衝撃を受けました(笑)。それから、言い訳できないな、とも思いました。

 

――言い訳というのは?

 

石井「映画は演劇と違ってお金が掛かる、だからできないんだ」という言い訳ですね。さほどお金を掛けなくてもこれだけの表現ができるんだ、というのがそこにあった訳ですから。「五反田団」には『ビンボーくん』という芝居もあって、これなどは畳2畳のスペースに3人が居て、まあ貧乏話なんですが、普遍的な広がりを持つテーマが展開されていくんです。結局、小演劇の力というのは、アイデアや工夫を含めた演劇としての技術力なんですね。前田君が『生きてるものはいないのか』を書いたのは、彼がまだ20代の頃ですが、彼らはずっと精力的に戯曲を書き続けることによって、その演劇の技術力を培ってきたんです。それは貴重ですよね。そこで、私にもずっと培ってきた映画力というものがありますから、それをぶつけてみたらきっと面白い作品が出来るはずだと思ったんですね。それが今回の映画化の動機です。

 

――2000年代の後半、監督が若手戯曲家達の作品を読みふけったというのは、長編劇映画としては2000年の『五条霊戦記//GOJOE』以来、10年間映画を撮ることができなかったということと関係があるわけですか?

 

石井そうですね。あの時期は自分の演出力とかシナリオを書く力とかを見直そうとしていて、いろいろと刺激を受けようとしてしたことですから。

 

――実際、映画が撮れなかったときは辛かったですか?

 

石井いや、今回はそうでもなかったです。前の『逆噴射家族』(1984)から『エンジェルダスト』(1994)までの撮れなかった10年間は正直辛かったですけど、今回は何本か充実したシナリオが出来ていて、不況であるとか、日本映画を取り巻く様々な状況で結実こそしませんでしたが、シナリオの方向は間違っていないという思いと、自分の中ではコツコツと前進しているという自信があって、焦りはなかったですから。声を掛けていただいて、大学で教えるようになったことも大きかったですね。教えることが自分の強化にもつながったし、人材を育てることもできたし。逆に撮れる態勢になるまでは動かないほうがいいと思っていましたから。今回の10年は自分を鍛え直す、まあ修行と言うか(笑)、いい期間でした。

 

――10年の間に出来ていたシナリオというのはどういった作品だったんですか?

 

石井多くはジャンル映画と言うか、娯楽映画の新しいジャンルを切り開こうとしたものでした。そのチャレンジは今は実を結んでないですけれども、これから必ずどこかで役に立つと思います。

 

――今後、映画化されていくということですか?

 

石井いや、そのままの形で復活するというのは残念ながら難しいと思いますが、ただ、その準備のために培った力というのは確かにあるんです。大ベテランの方を含む大勢のシナリオライターと仕事をしましたし。自分を高めることが出来たと思います。それから学生達が書いてくるシナリオを講評するのも勉強になりました。次から次へと書いてくるものを的確に批評しなければなりませんから。なにが悪くて、どうしたら良くなるかを瞬間的に判断できないと、私が教える意味がないですからね。そこは必死でやりました。

 

――現在、神戸芸術工科大学では、何人ぐらいの学生を教えていらっしゃるんですか?

 

石井一学年15人です。少数精鋭というのも、お引き受けする理由の一つでした。スタッフの人材育成も大切なことだと考えていましたし。それと、教え始めたのがちょうどアナログからデジタルへ移行する時期と重なったというのも良かったです。新しいことを模索したりチャレンジしたりするのに大学というのはいい環境ですから。ほんとにいい場所というか状況を与えてもらったなと思います。

 

――映画の出演者の中にふたり、大学の学生さんが入っていますが、これは初めからの決まっていたんですか?

 

石井いえ、違います。出演者は染谷将太君以外、全員オーディションで選びましたから。あの二人はプロの俳優達に混じってオーディションを受け、勝ち抜いたということです。

 

――冒頭で語られる三角関係の軸になる男性と、村上淳さんと一緒に現れる“魚大好き青年”ですよね。ふたりとも雰囲気を持ってるし、演技も巧いですね。

 

石井いや、巧くはないですよ(笑)。でも、それでいいんです。こちらの求める演技のあり方が、巧い芝居をすることではなくて、存在で勝負しろということですから。自分の存在を役に近づけるか、あるいは自分の中にあるその役の部分を見つけろといったことですね。わざとらしいことは一切するなとは教えていました。

 

――オーディションは、他の学生達も受けたんですか?

 

石井ええ、大勢受けました。女子学生にも期待してたんですが、彼女たちはオーディションで実力が発揮できなかったですね。

 

――受かって出演している二人は、プロの俳優さんたちと共演していても存在感がありますね。

 

石井動じないんですよ、本番でも。あれはなんなんでしょうね(笑)。本人たちは「緊張したぁ!」て言っていましたが。リハーサルを東宝のスタジオで行ったりしたので、その頃から段々と自分達がエライことしてるなって自覚が生まれたんじゃないですか。これから舞台挨拶などがありますから、どんどん緊張していくと思いますよ(笑)。

 

――染谷さんだけオーディションで選んだのではないというのは、彼の出演は決まっていたということですか?

 

生きてる_染谷.jpg石井いや、そうじゃないんです。彼が演じてくれた喫茶店員の役だけ、どうしてもふさわしい人が見つからなかったんです。もちろん彼のことは知っていて、『パンドラの匣〈はこ〉』(2009年、冨永昌敬監督)で観て驚きましたから。「誰だ!?、この俳優は!」という感じでした。それで、いつか一緒に仕事したいなとは思っていたんですが。本来あの役は25歳の設定なんですね。彼は出演時18歳でしたから、違うんじゃないかと思ってたんです。でも、どうしてもいい人が見つからなくて。思いきって彼にオファーしてみたんです。結果は大正解でした。

 

――彼のいいところは、どういうところですか?

 

石井“映画栄え”するんですね。特にクローズ・アップで捉えたときに輝くものを持っている。普段は見た通りの大人しい青年なんだけど、スクリーンに栄えるんです。それと彼自身が無類の映画好きなところ。同世代の俳優で彼ほど映画を愛している人はいないんじゃないかな。

 

――終盤部分で、彼の相手役を務めている田中こなつさん、彼女も凄く役柄に合っているので、ひょっとしたら彼女もオファーされたのかなと思いましたが。

 

石井彼女はオーディションです。でも、確かに映画を撮ってみて、彼女の存在感にも驚きました。今回判ったことは、日本には素晴らしい俳優さんがたくさんいるということですね。知られていないだけで、皆さん凄い実力がある。オーディションでは“打てば響く”演技を見せてくれた方がたくさんいました。今回、出演してくれている人はその中でも選りすぐりの人ばかりですから、皆さん素晴らしいです。ぜひ、この映画で知っていただきたいですね。

 

――ほんとにそうですね。あと、村上淳さんと渋川清彦さんも面白い役で出演なさっていますね。

 

生きてる_村上.jpg石井彼らもオーディションに応募してくれたんです。でも、彼らには来なくていいって言ったんですよ。前に一緒に仕事をしていて実力は判っていましたから。ただ、ふさわしい役があるかどうかでした。それで、役があったからと連絡したら、彼らはもう自分でキャラクターを研究してきていて、村上君は映画で着ているあの格好でやって来て、初めは「なんだ、その格好は」って笑ったんですが、面白いのでそのまま採用しました(笑)。渋川君も坊主頭でやって来て、あの役は原作ではもう少し年配の役なんですが、彼に合わせてキャラクターを少し変更しました。

 

――そうすると、舞台とまるっきり同じという訳ではないんですね。

 

石井基本的に登場人物の数などは変えていないですが、キャラクターはやはり映画として、また出演者の個性を考えて膨らませたりはしています。でも、ダイアローグは原作から圧倒的に素晴らしいので、俳優さんの呼吸で多少アドリブを入れたり言葉を入れ替えたりして、自分の言葉として語ってもらいましたが、大事な部分は一切変えず、書かれた通りにやってもらっています。

 

――あの前半部の日常会話が始めから台詞として書かれていたのですか。それは凄いですね。

 

石井そうなんです。私も初めて心酔したというか、先程も言いましたが、これは書けないなと思いましたからね。あのほとんどくだらないと思われる会話を全編で繰りひろげているように見えて、その裏側では生と死を題材にした非常にシンプルでありながら深い出来事が起こっている、不条理なようで実はそうでもない状況ですね、しかもそれをエンタテインメントとして見せる、まさに様々な併せ技を駆使した前田君の演劇力です。

 

――そこに石井監督の映画力も加わって、さらにグレード・アップしている訳ですね。

 

石井それを目指しました。編集や音の入れ方など、仕上げには時間をとって丁寧に行いましたから。でも、それもやはり台詞を始めとして原作がしっかり出来ていたから出来たことですね。土台がしっかりしているので、こちらも思いっきり力をぶつけられた。前々から、理想の表現というのは、スタジオで出来た完成度の高い表現をライブの臨場感とか疾走感と併せて創造することではないかと考えているんですが、今回、まだまだだけれども少しは近づいたかなと思います。

 

――最後に、この作品で描かれた世界が昨年の大震災、というよりも原発事故以降の日本を予見したものではないかという意見もあるのですが、それについてはどうお考えですか?

 

石井原作は2007年に書かれたもので、確かに先見性があり、私が惹かれたのもそこだったと言えるかもしれません。でも、実はここに描かれた世界は普遍的なもので、いつどこで起こっても不思議ではないと思うんです。そうなるとどこの世界とリンクしていてもそれは当然な訳です。だから、むしろ現在の日本と強くリンクしていると言えるのは、私達の知らないところで取り返しのつかない恐ろしいことがずっと起こり続けているのではないか、ということです。私達はそういう世界でいま生きているのだということを覚悟しなきゃならない。そして、いま生きていることに対してもっと謙虚にならなきゃいけない。すると、たとえどんなにくだらないと思える一瞬でも愛おしくなる。私はこの映画を撮ったおかげで、大学でよく耳にするくだらない会話が前より少し愛おしくなりましたから(笑)。

 

取材・文:春岡勇ニ




(2012年2月17日更新)


Check

Movie Data



(C)DRAGON MOUNTAIN LLC.

『生きてるものはいないのか』

●2月25日(土)より、シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸にて公開
●3月3日(土)より、京都シネマにて公開

【公式サイト】
http://ikiteru.jp/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/158014/


Event Data

シネ・リーブル梅田とシネ・リーブル神戸で石井監督による舞台挨拶が決定!

【日時】2月25日(土)
11:30の回上映後/14:15の回上映前
【劇場】シネ・リーブル梅田
【登壇者】石井岳龍監督 (予定)
【料金】一般1800円/大・高生1500円(要証明)/小・中生・シニア1000円
※チケット販売方法の詳細は劇場HPにてご確認ください。

【日時】2月25日(土)  14:30の回上映後
【劇場】シネ・リーブル神戸
【登壇者】石井岳龍監督 (予定)
【料金】一般1800円/大・高生1500円(要証明)/小・中生・シニア1000円
※チケット販売方法の詳細は劇場HPにてご確認ください。

【シネ・リーブル梅田】
http://www.ttcg.jp/cinelibre_umeda/

【シネ・リーブル神戸】
http://www.ttcg.jp/cinelibre_kobe/


Present Data

石井岳龍監督直筆サイン入りプレスプレゼントはこちら!

https://kansai.pia.co.jp/invitation/cinema/2012-03/ikiteru.html