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ハイドン:交響曲 第9番 ハ長調 Hob.I:9
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第9番 変ホ長調 K. 271「ジェナミ」
ハイドン:交響曲 第27番 ト長調 Hob.I:27
ハイドン:交響曲 第70番 ニ長調 Hob.I:70
8月12日(金)に行われるいずみ定期演奏会No.32 ハイドンマラソンにはふたつの大きな聴きどころがある。モーツァルトのピアノ協奏曲第9番とハイドンの交響曲第70番だ。ハイドンの全交響曲とともに、ベートーヴェン、モーツァルトなどの作品も取り上げるこのシリーズでは、音楽史の様々な謎や発見に出会う楽しみも数多い。
これまで「ジュノーム」の愛称で知られ、ザルツブルクを訪れたフランスの女流ピアニストに献呈された、という逸話が語られていた第9番は、21世紀になってから当の女性が特定されたため、今回はその名「ヴィクトワール・ジェナミ」から「ジェナミ」の表記となった。1777年、モーツァルトが21歳の年に書かれたこの曲は、それまでの多くの古典派の協奏曲とは違い、第1楽章の冒頭、オーケストラの呼びかけにこたえて、いきなり独奏ピアノが走り出す。その効果は絶大で、この作品の華麗で優美な性格を鮮やかに印象づけるものとなっている。ピアノは今年2月、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」での共演も記憶に新しい日本センチュリー交響楽団・アーティスト・イン・レジデンス、小山実稚恵。円熟のピアノはこの曲の魅力を最大に引き出し、モーツァルトの瑞々しい若さと才気を届けてくれることだろう。
そしてハイドンの交響曲第70番。1779年、多くの意匠を凝らした作品の中にあって、前時代であるバロック音楽の要素を多く取り込んだ異色の作品となっている。とりわけ第4楽章に堰を切ったように現れるフーガは印象的であり、交響曲のフィナーレにフーガを用いた初期の例として、注目すべき作品と言えるのではないか。これより9年後、モーツァルトが最後の交響曲となった第41番「ジュピター」の第4楽章で壮大なフーガを展開するが、こうした技法や発想の継承がどのように行われていったのか、思いを巡らすのも一興かも知れない。「ジュピター」の命名が、あのペーター・ザロモンである、とされていることもどこか興味深い。
より多くの人にオペラに親しんでもらおうと、びわ湖ホールが上演している〈びわ湖ホール オペラへの招待〉シリーズ。16作目となる今回はフランスの作曲家ジュール・マスネの知られざる傑作『ドン・キホーテ』を取り上げる。ドイツでも活躍中の気鋭の演出家、菅尾友の演出を得て、出演はびわ湖ホールが誇る「びわ湖ホール声楽アンサンブル」のメンバーたち。指揮はヨーロッパの歌劇場での経歴を多く持つフランスの女性指揮者、クレール・ジボー。演奏には日本センチュリー交響楽団が当たる。
生涯に実に25作ものオペラを完成させたマスネ。その中には『マノン』や「タイスの瞑想曲」で知られる『タイス』、『ウェルテル』などの作品があり『ドン・キホーテ』はその21作目の作品だ。主人公の声域がテノールではなく、バスという珍しいオペラでもある。原作はスペインで17世紀に書かれたセルバンテスの「ドン・キホーテ」。スペインの片田舎、ラ・マンチャに住む老人が中世の騎士物語の読み過ぎで自分を若く勇敢な騎士だと思い込み、痩せ馬ロシナンテにまたがって、従者サンチョ・パンサをお供に諸国遍歴の旅に出る、といった物語である。どれほど馬鹿にされようと、どれほど失敗を重ねようと心は気高く意気は軒昂。オペラはこの物語を自在に脚色し、ドゥルシネ姫への恋、風車への突撃といった有名なエピソードを絡めつつ、山賊たちとの一騎打ち?へと進んでいく。
マスネ独特の流麗な響きに彩られ、時にコミカルに、時に心を揺さぶる、まさにオペラの醍醐味に溢れた全5幕。オペラを初めて観る人もオペラの大ファンという人も、様々な発見と感動に満ちた時間を過ごすことができるだろう。
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島村楽器グランフロント大阪店 スタインウェイルームで行われている、日本センチュリー交響楽団の「ハイドン大學」。 5月27日、その第5回は日本テレマン協会音楽監督、延原武春氏を迎えて行われた。延原氏は電子チェンバロを用意し、まずバロック・オーボエを用いてテレマンのため息の音型からスタート。次いでクラシカル・オーボエもまじえながら、ハイドンのオーボエ協奏曲、モーツァルトのオーボエ協奏曲を抜粋で演奏し、当時の演奏と現在行われている演奏の違いを表現してみせる。 「僕は教職に着いたことがないので…(笑)」、延原氏の講義はむしろ訥々と、ユーモアをまじえながら進む。ハイドンとモーツァルトの音楽の違いを明らかにしながら、当時の演奏会のプログラムも用意して「交響曲(シンフォニア)」がその頃、どのように人々に聴かれていたかなど、現代の視点からはなかなかわかりにくい、生きいきとした音楽史が語られていく。またクリストファー・ホグウッドや、フランス・ブリュッヘンの名も、学究的な音楽家としてではなく、懐かしい演奏仲間の思い出として語られる。古楽演奏の一線を歩んだ延原氏ならではの語り口が興味深い。 「その時代時代に理解されて、演奏された決まりごと。作曲家が思い描いていた音。今でこそ古楽と言いますが、19世紀にはいるとそういう発想はすぐ失われた。パリのコンセルバトワールでもそんなことは教えませんでした。皆オペラの演奏に忙しかったのでしょう」「ハイドンという人は、エステルハージ家というものすごい貴族の宮廷の音楽監督を、長く務めた作曲家でした。彼はひとりひとりの楽団員が、何が得意か、ということまでちゃんと知っておったんですね。だからそれを生かすように音楽を書いた。ですからハイドンの演奏をする時は、当時の宮廷ではどんな規模で演奏をしていたのか、どんな楽器を使っていたのか、その辺をわかって演奏する。そうすると音楽がとても“素敵”なものになっていくんですね」(延原氏)。 決して押し付けではなく、演奏家としての巧まざる実感。それが聞くものに伝わる延原氏のハイドン大學だった。さて、次回7月7日(木)に行われる第6回ハイドン大學には、元桐朋学園大学教授・大崎滋生氏を講師として迎える。ハイドン大學ではすでにおなじみの大崎氏だが、その講義は日本におけるハイドン研究の第一人者としての十分な手応えを感じさせるもの。ハイドンの全体像を軸に、8月のハイドンマラソンで演奏される初期から中期の交響曲について、鑑賞のポイントを語る予定だ。 |
(取材・文/逢坂聖也)
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(2016年6月20日更新)