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プロフィール

土田英生(写真右)●1967年愛知県生まれ。MONO代表、劇作家、演出家、俳優。1989年に「B級プラクティス」(現MONO)結成。1990年以降全作品の作・演出を担当する。1999年『その鉄塔に男たちはいるという』で第6回OMS戯曲賞大賞を受賞。2001年『崩れた石垣、のぼる鮭たち』で第56回芸術祭賞優秀賞を受賞。2003年文化庁の新進芸術家留学制度で一年間ロンドンに留学。劇作と並行してテレビドラマ・映画脚本の執筆も多数。その代表作に『崖っぷちホテル!』、『斉藤さん』シリーズ(共に日本テレビ系)など。2020年、自身が監督を務める映画『それぞれ、たまゆら』公開。またTBS系テレビドラマ『半沢直樹」に出演するなど俳優としても注目されている。

 

第30回『自分の家の玄関は自分で掃く』土田英生

MONOの30年の道のりをメンバーや関係者の話から紐解く連載の第30回。
「自分で家の玄関は自分で掃く」。
この言葉に2010年以降の土田さんの気持ちが表出されています。

 

――前回(第27回)は2012年、第39回本公演『少しはみ出て殴られた』を通して「寓話」そして、作品を書く際の劇作家の視点についてお話しいただきました。今回は同年の11月、男肉 du Soleilの団員・高阪勝之さんが座長を務める「kitt」の第1回公演『梢をタコと読むなよ』(2012年11月9日〜11日 AI・HALL)の作・演出された時のお話からお願いします。

MONO特別企画vol.5『空と私のあいだ』(連載第26回参照)の本番前々日に、出演者の高阪くんが交通事故に遭って公演に出られなくなって、横山拓也くんが人生で初めて役者をやるという無謀な事態になりました(笑)。高阪くんは集中治療室に入ってたんですけど、意識が戻った時に「こんなに迷惑をかけたら、芝居を続けられない」と言ってると聞いたので、慌てて手紙を書いたんです。「退院したら、また機会を作るから」って。そうしたら、彼、退院してから「いつやりますか?」って聞いてきたので(笑)。それで企画が立ち上がって実現したのがkitt梢をタコと読むなよ』です。


kitt第1回公演『梢をタコと読むなよ』2012年11月9日(金)~11日(日) AI・HALL

 

――kittはその後、MONOのメンバーになる高橋明日香さんが参加されていたユニットですよね。

高橋さんと岩田奈々さんは高阪くんの近畿大学(文芸学部・芸術学科)舞台芸術専攻の後輩なんですよね。二人も『空と私のあいだ』に出演していたんですが、高阪くんが事故に遭ったことに対しては、他の共演者以上にショックを受けていました。「あれだけMONOに出たいと言っていた高阪さんが事故で出られなくなった」って楽屋で泣きながら話してました。そんなこともあって、高阪くんと快気祝いでご飯を食べにいった時にそのことを伝えたら、自然と「二人にも声をかけよう」という話になったんです。

――そういうきっかけだったんですね。2013年は前年にも増してもっと忙しくなっています。本公演入れて舞台が5本。MONOの第40回公演『うぶな雲は空で迷う』、文化庁主催『ウェルズロード12番地』の作・演出、草彅剛さん主演、ヒロイン堀北真希さんのフジテレビ主催『二都物語』(演出/板垣恭一)の脚本、さらに翌年全国を巡回することになる千葉雅子さんとの二人芝居『姐さん女房の裏切り』で作・演出・出演、そしてkittの第2回公演『ウィンカーを、美ヶ原へ』の作・演出です。

この前あたりから……2010年以降でしょうか、意識が変わってきていました。それまではとにかく仕事が順調で、待っているだけで仕事をいただける状態だったんですよね。それが減りはじめてきた。「このまま(仕事が)無くなっていったらどうなるんだろう」って初めて不安に思ったし、焦りみたいなものがなかったと言えば嘘になります。ただ、常に自分に言い聞かせてきたことなんですが、駄目になった時に良かった頃の残像をかき集めちゃダメなんです。同じことして待ってても、仕事はどんどん減っていくだけですから。新たな興味を探してやってみる必要がある。つまり自分から何かする。そういう風にスイッチを変えました。周りからは「なんで今さら若い子と組んでやってるの?」って言われたり、「自分のキャリアにとってそれはどうなん?」という方もいらっしゃいました。著名な人たちとの座組みでやるというのをキャリアだと言うのなら、この年は『二都物語』と『ウェルズロード十二番地』だけです。あとは全部自分たちで仕掛けたものでした。

――でもなかなか難しいスイッチですよね。

その時に興味をもってやったことが新しい魅力につながっていくんだと思うんです。私にとっては若い人とやってみようということだったんですよね。kittもそうでした。それと同時に同世代である千葉さんとも二人芝居をやってみた。自分から仕掛けられるようになった分岐点がこの頃だったんじゃないかなと思います。

――自分から仕掛けていって、公演が増えているということですね。

そうなんです。次の5年先とか10年先、生き残るために、あえて一から色々やってみようって。

――以前の「公演の増え方」とは違うということですよね。

それまではこちらが何もしなくても依頼がきてたんで(笑)。けれど逆に「好きなことできるやん」っていう気持ちでやってましたね。

――そういう思考には、なかなかなれるもんじゃないですよね。

MONOを始めた時のような気持ちをずっと持っておかないといけないっていうのがあるんです。自分のやりたいことをやれなくなったら終わりですよね。今、焦るのは自分のモチベーションの維持だけです。若い頃は自分を評価してもらうことだけに気持ちが向いた時期もありましたけど、今はそんなことはなくなりました。他人に対する嫉妬もあまり無くなってきちゃって(笑)。元々嫉妬イコール私という性格だったのに(笑)。活躍する人を見てもそんなに焦らない。若い世代の人が注目されて、活躍しているのを「いいなあ」と素直に眺めてられますし。

――次のステップに移られたということでしょうか。

そうなんでしょうかね。ここをどう越えるかってすごく大事だと思うので。やっぱり常に自分の家の玄関は自分で掃かないと。

――「自分の家の玄関は自分で掃く」。いい言葉ですね。

誰かがやってくれてたんですよ。人がやってくれていて、いつも綺麗だったんですけど、汚れてきて「なんでやってくれへんのや」って言い出したら、そこで終わるので。もともと自分で掃除してたはずで、汚れてたら自分で掃除したらいいだけです。

――説明をお聞きすると、さらにいい言葉だと思いました。

今日ちょうど家の玄関掃いてきたんで(笑)。

 

取材・文/安藤善隆
構成/黒石悦子