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プロフィール

土田英生
MONO代表・劇作家・演出家・俳優
1967年愛知県大府市まれ。1989年に「B級プラクティス」(現MONO)結成。1990年以降、全作品の作・演出を担当。1999年『その鉄塔に男たちはいるという』で第6回OMS戯曲賞大賞受賞。2001年『崩れた石垣、のぼる鮭たち』で第56回芸術祭賞優秀賞を受賞。劇作と平行してテレビドラマ・映画脚本の執筆も多数。2017年には小説『プログラム』を上梓。2020年7月、初監督作品『それぞれ、たまゆら』が公開。ドラマ『半沢直樹』(TBS系・日曜21時~)出演、9月12日(土)・13日(日)「感謝の恩返しスペシャル企画 朗読劇『半沢直樹』」出演。

STAGE

「感謝の恩返しスペシャル企画
 朗読劇『半沢直樹』」

9月12日(土)14:00/18:00
9月13日(日)12:00/16:00
新国立劇場 中劇場
全席指定-6500円
【出演】
〈12日(土)14:00〉南野陽子/土田英生/尾上松也/山崎銀之丞/他
〈12日(土)18:00〉佃典彦/尾上松也/山崎銀之丞/他
〈13日(日)12:00〉南野陽子/土田英生/尾上松也/山崎銀之丞/他
〈13日(日)16:00〉南野陽子/土田英生/尾上松也/賀来賢人/他
※未就学児童入場不可。
※各公演配信あり。

MOVIE

映画『それぞれ、たまゆら』
監督・脚本:土田英生
原案:小説『プログラム』(河出書房新社)

京都・出町座 公開終了
東京・ユーロスペース 10月24日(土)~11月6日(金)
愛知・名古屋シネマテーク  上映予定

第24回『初心にかえる』土田英生

MONOの30年の道のりをメンバーや関係者の話から紐解く連載の第24回。
回を重ねるごとに、話の内容が多彩になっていく歴史編。
今回は「初心にかえる」というキーワードが浮かび上がった
2004〜2007年までのお話を伺います。

 

――ロンドンから帰ってこられて最初の公演が『相対的浮世絵』(2004年)ですね。いつも一緒だった4人のうち2人が、高校生だったある夏に事故死。月日が流れて舞台上では、その頃の想い出話や現在の状況まで「4人」が話に花を咲かせている。もちろん、そのうちの2人は…。大人になった2人と高校生のままの2人の話が食い違って…という作品でした。前回ロンドン留学で「状況を相対化できた」とおっしゃっていたことが具現化された作品でもありますね。

内容はロンドンで考えました。「人と人との関係。それはどうしたって相対的にならざるを得ず、しかしそれではどうにも消化できない個々の想いもあり…。そんな浮き世をシンプルに描いた作品」と劇団のホームページの作品紹介に書かれている内容は、ロンドンで考えました。

第32回公演『相対的浮世絵』 2004年12月4日(土)・5日(日)北九州芸術劇場 小劇場、12月9日(木)~12月13日(月)兵庫・AI・HALL、12月16日(木)愛知・長久手町文化の家 風のホール、12月19日(日)静岡・フォルテホール、12月23日(木)~12月28日(火)東京・シアタートラム

 

――尾方さん、水沼さんもこの連載で『相対的浮世絵』についての印象を語っておられます。(本連載第12回〈尾方〉「5人での最初の公演だったので「これでいいのか」という不安もあり、「面白くあってくれ」という期待もあり、それらが入り交じっている感じが、心地良い緊張感を生んだ公演だったと思います」、連載第20回〈水沼〉「2004年以降は、男5人でやる気楽さがありましたね。公演があると「いつもの家に帰ってきた」って感じがしましたから」)

僕、自分の作品で「これはいい出来だ」とか気持ち悪くて言えないんですけど、この作品は「よく書けてる」と思うんですよ(笑)。あまり評価されなかったことで逆に開き直れました。今までは「評価されたい」と思っていましたけど、「これが分かってもらえないんやったら、もうええわ」という感じはありましたね。SEも暗転もなく、役者五人が喋るだけ。シンプルでありながら緊張感がある作品だったと思います。

――続いての公演は『衛兵たち、西高東低の鼻を嘆く』です(2005年)。城門の前で五人の衛兵たちが守ろうとしているものは何なのか……。深く考えさせられる作品でした。

『相対的浮世絵』は劇団での人間関係に対しての想いを作品として描きましたが、これは公演自体が、自分を含めた劇団に対するアピールだった気がします。ロンドン留学の前くらいから、MONOはお客さんも入るし、それなりに知名度も出てきて。だけど今後5人でやっていくなら「初心に帰らないと」ということを意図的に考えてやった公演です。ツアーもなく京都だけの公演にして、メンバー5人はスタッフも兼業しました。例えば衣装の管理は金替くんとか…。もちろん必要なところは外部にお願いしましたけど「MONOはメンバー5人がやっている劇団なんだ」と、確認する公演でした。あとこの頃、小劇場の中でコンテンポラリーな作品が増えてきていましたが、僕はその系統の作品があまり好きじゃなかった(笑)。だったら自分たちなりの「笑える、エンターテインメントな不条理劇をやろう」と思って創りました。

第33回公演『衛兵たち、西高東低の鼻を嘆く』 2005年11月18日(金)~23日(水・祝)京都・ART COMPLEX 1928

 

――このあと、前々回(第22回)お話しいただいたように土田さんはさらに多忙になりますね。2006年は北九州芸術劇場プロデュース・天王洲銀河劇場オープニングシリーズ『錦鯉』の演出、ドラマ『Happy!2』(TBS)の脚本、映画『NANA2』へも出演したりしています。

忙しくはなりましたけど、精神的にはロンドンへ行く前の方がキツかったですから。ロンドンから帰って来てからは、テレビドラマの脚本執筆とかが重なったとしても、事情を素直にメンバーに話すことができたし、その上で仕込みを免除してもらったり。だから辛くもなく、まさに働き盛りという感じで、結婚もして、生活も安定していました。この頃から、MONOの本公演は年1本だけというルーティンも確立していくようになりましたね。

――そんな中で『地獄でございます』(2007年)を上演されます。温泉!?サウナ!?のロビーらしき場所で男5人がお互いの状況を陽気に話していた時、ふとなぜ自分たちがこの場所にいるのかを疑問に思い、それが分からないことに気づく。その理由を従業員に聞いてみると……。というストーリーでした。

これは私にとって台本がうまく書けなかった3大作品のひとつですね(笑)。前回の公演を経て、5人でのコミュニケーションも充実してて、劇団の中の人間関係はすごく良くなっている状態だったので稽古が楽しくて仕方なかったんです。もう単純に5人で集まって「ちょっとセリフを言っては笑い」、「誰かがセリフを間違えては笑い」、「稽古途中で中断して話しては笑い」ってことをやっていたら、いつの間にか本番2週間前になっていて、焦って残りを書いたという公演です。これはメンバーみんなが同じだと思いますけど「稽古が楽しかった」って言うと思います。それこそ高校の部活動みたいな感じでした。毎日が愉快で仕方なかった。けれど台本としては忸怩たる思いが残っています。この作品と『床下のほら吹き男』と『うぶな雲は空で迷う』が個人的には思い通りに書けなかった3大作品です(笑)。作品としての評価は別だと思いますけど。

第34回公演『地獄でございます』 2007年2月8日(木)~12日(月・休) 東京・三鷹市芸術文化センター 星のホール、2月16日(金)~2月25日(日)大阪・HEP HALL、3月1日(木)愛知・長久手町文化の家 森のホール、3月4日(日)岡山県天神山文化プラザ、3月6日(火)・3月7日(水)福岡・ぽんプラザホール、3月10日(土)・11日(日)福岡・北九州芸術劇場 小劇場

 

――書けなかったのは、時間的なものだけが理由だったのでしょうか?

うーん。やっぱり登場人物が5人だけというのが難しかったんです。その時は全然思わなかったんですけど、物語が展開していかないんですよね。人数が足りなくて。逆にこれが3人ぐらいなら別のベクトルで書けたと思うんですけど…。物語を転がすにはある程度の人数が必要なんですよね。全員のシーン、そしてそれぞれ少人数のシーン。5人だとバリエーションがなさすぎて苦しいんですね。

――だから次の公演から客演を迎え、後に新しいメンバーを迎える伏線にも繋がっていく…。

そうなんです。『地獄でございます』を書いて、同世代の男5人だけの物語なんて、そんなに種類がないということが分かりました(笑)。だから書けなかったんです。

――2007年は『その鉄塔に男たちはいるという』の公演でニューヨークに行かれていますね(『It is said that the men are over in the steel tower』 ※『その鉄塔に男たちはいるという』NYバージョン)。公演されることになった経緯をお聞かせいただけますでしょうか。

元々、ロンドンでリーディング公演をしてもらったことあって、そのために『その鉄塔に男たちはいるという』を翻訳してもらっていました。だから英語台本は元々あったんです。その後、今度はニューヨークのジャパン・ソサエティーで日本の劇作家の作品を取り上げる企画があって、その中で『その鉄塔に男たちはいるという』が取り上げられて。リーディングされて評判がよかったと。じゃあ、これをフルプロダクション(注:舞台制作の事業組織)にしようという話が向こうで持ち上がったというのがいきさつです。中心になって進めてくれたのが現在、新国立劇場芸術監督の小川絵梨子さんでした。アメリカの観客にもしっかり理解できるような内容にしようと、アダプテーションもしてもらいました。このプロダクションでもアメリカの若い劇作家を小川さんが連れてきてくれて、僕もニューヨークにしばらく滞在して、小川さんと彼と三人でニューヨーク上演用の台本作りをしました。最初の翻訳がイギリス英語だったので。やがて俳優のオーディションを経て、オフ・オフ・ブロードウェイの劇場で上演されました。ありがたいことに、私だけではなく、MONOのメンバー全員が観劇ツアーに招待してもらったんです。しかも1日だけ、終演後には日本語でワンシーンを私たちが演じる機会もいただきました。楽しかったですね。

 

取材・文/安藤善隆
構成/黒石悦子