ホーム > MONO 30周年特別企画『30Years & Beyond』 > 第22回『2002~2003年とチェーホフについて』土田英生

 
 

プロフィール

土田英生
MONO代表・劇作家・演出家・俳優
1967年愛知県大府市まれ。1989年に「B級プラクティス」(現MONO)結成。1990年以降、全作品の作・演出を担当。1999年『その鉄塔に男たちはいるという』で第6回OMS戯曲賞大賞受賞。2001年『崩れた石垣、のぼる鮭たち』で第56回芸術祭賞優秀賞を受賞。劇作と平行してテレビドラマ・映画脚本の執筆も多数。2017年には小説『プログラム』を上梓。初監督作品『それぞれ、たまゆら』が717()出町座にて公開、出演ドラマ『半沢直樹』(TBS系・日曜21時~)719()放送開始。

作品情報

土田英生初監督映画
『それぞれ、たまゆら』

7月17日(金)~30日(木)
京都・出町座にて公開
原案:土田英生「プログラム」(河出書房新社)
監督・脚本:土田英生
https://www.tamayura-film.com/

第22回『2002~2003年とチェーホフについて』土田英生

MONOの30年の道のりをメンバーや関係者の話から紐解く連載の第22回。
コロナ禍の状況で少し間が空いてしまいましたが、また連載を復活します。
まずは土田さんのMONO「歴史編」から。
この状況下での話、2002年、多くの舞台に携わりながら、
初の連続テレビドラマの執筆をこなす多忙な日々…そしてチェーホフ論まで、
多彩な話をお届けします。

 

――コロナ禍のため、話をお聞きする期間が少しあいてしまいました。自粛も解除され、改めてお話を伺えればと思います。

これは演劇に携わっている皆さんがおっしゃっていますが、この自粛期間は、演劇の「これまで」と、「これからのあり方」みたいなものをすごく考えるきっかけになりました。いろんな集まりにも呼んでいただいて、8団体から声をかけていただきましたね。このコロナ禍の間に色々と話したことも含め、どういう風に伝えていけばいいのかを考えています。

――MONOの公式サイトで公開されているリモートドラマも、この状況下でお作りになれらました。(短編ドラマ『ともだち』『受難カウンセラー』)

リモートドラマを作ったのは、今後のためなればと思ったのが一つ。それと、昨年初めて映画を撮ったこともあって(第1回監督作品『それぞれ、たまゆら』)、自粛生活の中で少しやる気を失くしていたときに、編集の勉強でもしようとソフトをいじってたんです。そんなときに、劇団の若手メンバーから「何かやりたい」と言われて、その声に押される形でやることになりました。この作品を作ることで気持ちに張りが出たので、精神的には助かりましたね。

――このコロナ禍の中でも結構多忙だったかと思いますが、これからお聞きする2000年代初頭も、とんでもなく忙しかった時期ですよね。

ロンドンから帰ってきた後も含め、今となってはあの頃の自分が羨ましいくらい、たくさんの仕事をいただいていました。ようやく生活に不安がなく演劇をやっていけるようになった時期でもありましたね。オファーいただく仕事を次から次へと受けていて、すごく俗な言い方をすれば、「売れていくというのはこういうことだ」ってその当時は思っていました。なので、キツくなることに対して、「嫌だ」という気持ちはなかったですね。「売れてきたなあ」という喜びの方が強かったというか。それで気がついた時にはオーバーワークになっていました。

――土田さんにお話いただく「歴史編」は前回『橋を渡ったら泣け』(2002年3月15日〜24日)まででした。今回はその続きからお聞きしたいと思います。この年は他に大きな公演が二つありました。第30回公演となる『きゅうりの花』の再演ツアー(2002年8月1日〜30日)と、東京国際芸術祭に参加した『南半球の渦』(2002年11月28日〜12月18日)です。

『南半球の渦』に関しては、当時は一生懸命やっていましたが、明らかなオーバーワークの中で作った作品です。同時期に兵庫県立ピッコロ劇団の公演もあって(作・演出:土田英生 兵庫県立ピッコロ劇団第17回公演 『樅の木に短冊』2002年10月9日〜13日)、台本は『Holly Night』を書き換えて作ったんですけど、稽古がほぼ被っていたんですよ。その前に『きゅうりの花』のツアーもありましたし、それに加えて、初めての連続ドラマ『天才柳沢教授の生活』(フジテレビ系2002年10月16日〜12月11日)を書いていました。連ドラの脚本を書くのは初めてで、あんなに大変だとは分かっていなくて。それらを全部同時にやっていたので、今考えると相当キツかったですよね(笑)。

――そんな時期に劇団の公演として『きゅうりの花』の再演があったわけですね。 

以前にもお話したとおり、1999年の『-初恋』で、東京でも本格的に公演をやり始めたんですね。で、東京のマーケットに自分たちの魅力をもっと知ってもらうためにも、関西で評判の良かった作品をやりたいなと。それで『きゅうりの花』を再演することになりました。

第30回公演『きゅうりの花』 2002年8月1日~6日 扇町ミュージアムスクエア、8月10日 長久手町文化の家 風のホール、8月14日~21日 ザ・スズナリ、8月30日 宮崎県立芸術劇場 イベントホール

 

――東京はスズナリでの公演でしたね。

そうですね。前売り券が完売して、追加公演をやったのを覚えています。SNSもない時代で、劇団のホームページだけで追加公演の告知をしたと思いますが、それでも40人くらいの方にご来場いただけました。

――翌年、2003年4月には、特別企画の第2弾『チェーホフは笑いを教えてくれる』を上演されています。第1回は1997年の『ローランドゴリラとビーバー』でしたが、特別企画を上演することになったきっかけをお教えいただけますでしょうか。

あまり深くは考えてなかったと思うんですけどね…。僕自身が、ダメだとは思いつつ、劇団のことを非常に家族的に考えるクセがあるんです。劇団というのは「創作をするため」の集団ですし、他人の集まりなので、創造的なもの以外の「関係性」は、所属するメンバーがルールさえ守っていれば必要ないと思うんです。でも、僕はメンバーからの愛情をすごく求めますし(笑)、僕自身も愛情をかけることが、どうしても自分のアイデンティティになっちゃうんです。だからMONOの公演と呼ぶ限りは「全員揃ってやりたい」という気持ちがある。でも、全員が出られないときがあるので、これが特別企画になりました。MONOの本公演として、全員が揃っていないというのが、自分の中で生理的に許せなかったんだと思います。それで特別企画という名前を編み出しました(笑)。

――『ローランドゴリラとビーバー』はどんなストーリーだったんですか?

西山智樹君と尾方君の二人芝居です。公演が1月で、年末から稽古したんですが、なぜかやる気が起きずに、結局10日くらいで台本を書いて仕上げた公演です。だからセリフは危ない状態でした。でも、今読むと意外と面白い話で。旧友同士が久しぶりに会うという設定なんですね。学生時代、片方はすごく派手な男、片方は地味な男で、この派手な男がずっとマウントを取ろうとして会話をするんですけど、最終的には、その人は今ものすごく不幸で、大人しい方は着実に人生を歩んでいて…。立場が逆転するという話。それを喫茶店で話しているだけの1時間ぐらいの作品です。僕もウエイター役で少し出ました。芝居の途中、西山君のセリフで「寝るな!」というのがあるんですけど、その時に客席の何人かがピクッ!としたのは覚えています(笑)。

――特別企画の第2回公演『チェーホフは笑いを教えてくれる』はチェーホフの一幕物をベースにした作品でした。チェーホフは土田さんにとってどんな存在ですか?

チェーホフに関しては「教養として読まねば」とは思っていたので『桜の園』とか『三人姉妹』とか読んでいましたけど、最初は何にも面白くなかったですね。ウォッカのことを「ヴォートカ」みたいに書いているし(笑)。何のことか分からないですよね、ヴォートカって。「サモワールはいかが」っていう会話とか。「この人たちは何してるのかな」って思っていました。ただ一幕物を読んだときに、面白いなと思ったんです。

MONO特別企画vol.2『チェーホフは笑いを教えてくれる』 2003年4月25日~27日 京都芸術センター

 

――どのあたりが面白かったですか?

「これ、めっちゃコントやん」というのと、僕がやりたかった会話がそこにあったというか…。主観と主観がぶつかって、「笑いながら喧嘩する」みたいなシーンがその前から僕の芝居には多かったんですけど、チェーホフが僕を真似たんじゃないかと思うくらい。「なんでチェーホフ、僕の好きなもの知ってるの?」って(笑)。『結婚申込』を読んだ時にとにかく面白いなと思い、それを通してほかのチェーホフの長編の良さが分かってきたという感じです。でも、僕が思う「チェーホフの面白さ」に同意をしてくれている人は案外少ないんです。無理解な人同士が喋っているというのが、チェーホフの基本スタンスで、この喋っている内容をクローズアップするとコントになる。それを引いて見ると、このお互いの無理解の中にある孤独が見えてくる。主観と主観のぶつかり合いと誰にも理解されない部分――そこからくる孤独、そのどうしようもなさが悲劇になるんですよ。書いている視点は一緒で、カメラ位置を変えてチェーホフは短編と長編を書いている。アップにしているのが『煙草の害について』『結婚申込』『熊』などで、ずーっと引いてみると『ワーニャ伯父さん』、『桜の園』になるんじゃないかというのが、私なりのチェーホフ論です。

 

取材・文/安藤善隆
構成/黒石悦子