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プロフィール

金替康博(かねがえやすひろ)
1967年6月20日生まれ。福岡県出身。
立命館大学卒業後、1992年から1997年まで劇団「時空劇場」(主宰:松田正隆)に所属。1998年にMONOに参加。近年の主な出演舞台に、竹内銃一郎集成『花ノ紋』、東京マハロ『紅をさす』、壁ノ花団『ニューヘアスタイルズグッド』『ウィークエンダー』『水いらずの星』、 ABCホールプロデュース『目頭を押さえた』など。そのほかテレビドラマ、CM出演も多数。第2回関西現代演劇俳優賞男優賞受賞。

第16回「ACTOR’S HISTORY⑥」金替康博 後編

MONOの30年をメンバーや関係者の話から紐解く連載の第16回。
前回は幼少の頃から大学時代、演劇との出会いまでを
金替康博さんにお聞きしましたが、今回は時空劇場を経て、
MONOのメンバーになられたその後の道のりを引き続きお届けします。

 

――立命館大学で『月光斜』に入られ、<みんなで協力してひとつの作品を作る>という演劇の本当の楽しさに出会い…。というところまで前回はお聞きしました。大学時代のその後のことをお聞かせください。

僕、今もそうなんですけど、セリフをモチャモチャ喋るから -はっきりと喋らないから-ひとに「何言ってるか分からない」って言われてたんです。それで意識して自分のセリフに耳を傾けると、自分でも何を言ってるか分からない。それぐらいダメな役者でした(笑)。でもなぜかずっとキャスティングされ続けていたんです。

――それはなぜだったと思われますか。

その時の演出の人に聞いてみたんです。なぜキャスティングしたのか。そしたら、なに言ってるか分からないけど、華がある気がするって言われて(笑)。当時、華があったかどうか分かりませんが(笑)、その時々の方が育てようとしてくれたのだと思います。

――大学で演劇に没頭されて、その後、どうされるおつもりでしたか。

ヘタだったので、就職するつもりでした。育たなかったんですね。でも僕が4回生の時に、松田(正隆)さんや内田(淳子)さんが、劇団を作るっていう話になったんです。それが「時空劇場」です。やはり僕は誘われなかったですけど。でもなぜか、後々に声をかけていただいて「時空劇場」に入りました。自分がヘタだと認識してましたので、スタンスとしては、ちゃんと就職して迷惑がかからない程度に手伝いをしようという感じで入れてもらいました。

――で、結局、就職はされずに…?

一度就職したんです。京都の小さなところに。でも、劇団の公演も重なって忙しかったです。考えたら分かりそうなもんですけど。考えなしだった。ボーナスをもらう前に辞めないと不義理になると思って辞表を書いて「たった3ヵ月ももたんのか!」と怒られて。ほんとに申し訳ありませんでした(苦笑)。なんかあったら劇団を辞めるスタンスのはずが、会社を辞めちゃって。ちゃんと考えたことがなかったんですよね(笑)。人生に対してもしっかり考えたことなかったですし。なんとなく時代もそういう雰囲気だったと思います。「なんとなくは生きてはいけるでしょう」みたいな。だから「どんなことして生きていこうかな」って考えてましたね(笑)。とりあえず、劇団やってみようみたいな。

――時空劇場時代のことを少しお聞かせいただけますでしょうか。

僕が初めて「役者って面白いな」って思ったのが『紙屋悦子の青春』(1992年・時空劇場第5回公演)に出演した時でした。この公演で初めて「演劇ってこういうものなのか」と肌で感じた気がしました。舞台に立っていて、お客さんの気を感じるというか。ゆっくり波打ってて。そして、その波に呼吸を合わせる、セリフのリズムや抑揚を合わせる。すると、今度はお客さんが僕の呼吸の変化に合わせてくれる。そしてより大きなグルーヴに…、なったかどうか分かりませんが、そんな瞬間を感じて。その時、自分の中で初めて演劇がしっくりきた感じがしました。お客さんと一緒に作品を作っていくという感じが。だから自分にとっては“大きな”舞台でしたね。

――その後、時空劇場は解散することになります。

「急になくなるもんなんだなぁ」とは思いました。なくなるときって、ぶつかりあったりいろいろあってなくなっていくのかなって思っていたんですけど…。あっさり、松田さんがやめようと思うって。「しょうがないな」と思いました。あっさり言われたけど座長の松田さんは急に決めたわけじゃなくて、たぶん親友だった土田さんとかには相談してたと思うんです。僕は「力になれなかったんだろうな」って。解散を考える前段階でフォローしないといけないわけですから。「辞めようと思うところまできてたんだな。なんの力にもなれず申し訳なかったな」って。

――時空劇場時代に『路上生活者』(1994年)でMONOに出演されています。MONOとの出会いについてお聞かせください。

大学1回生の時に土田さんの立命芸術劇場が上演した、つか(こうへい)さんの『いつも心に太陽を』に、僕の先輩が客演で出ていて、お手伝いに行ったんです。その時に土田さんとは初めて話しました。だからずっと土田さんとは面識はあって、「人が足りないんだよ」って言われてMONOの公演のビデオを撮ったり、よく手伝っていましたね。最初に観たのはB級プラクティス時代の『狂い咲きシネマ』(1989年)です。僕があまり面識がない俳優の方々が出演されていて「踊ってはるなぁ」っていうイメージでした(笑)。プロの劇団みたいだと。

――『路上生活者』に出演されるきっかけは何だったんでしょうか。

まだ時空劇場に所属していたんですけど、土田さんと会うたびに「何かやらせてください」って僕から頼んだんです。隣の芝生じゃないですけどMONO楽しそうで。この後犬飼さんが辞められるんですけど、尾方くんが入ってきた頃で、「MONOは今、過渡期にあるのかな」って感じがしました。隣の芝生も大変そうでしたけど、楽しかったのは間違いないです。

――その後『きゅうりの花』(1998年)で正式に劇団員として加入されます。金替さんの中で印象に残っておられる作品は何でしょうか。

やっぱり『きゅうりの花』になりますかね。この公演、利賀公演があったので、そこでは集団生活をするわけですけど、その中でも気負ったことをせずに、ひとりでいたい時はひとりでいればいいし、みんなとワイワイしたい時はそこに参加してもいいし…という感じでした。そんなことも含めて、劇団員になったから何かを求められるわけじゃなくて、「僕はこのママでいいんだ」ということを示していただけた公演でした。それは舞台の上の演技に対してもそうで、MONOに染まるというより、より良い組み合わせを探していくみたいな。ただ、セリフまわしをもう少し早くしてほしいという演出はたびたび受けましたけど。

――MONOの作風についてはどう思われていますか。

その時々の時代に応じていろいろ変化はしているけれど、土田さんには芯が通っていて、それを曲げないっていう部分が作品にも反映されていると思います。だから作品ごとにいろいろ取り入れる部分は違っても、作品の芯はブレない。それが長く愛されてるのだと思います。

――そんな中で、金替さん自身は役者として心境の変化などはありましたか。

MONOに入った当初は、もっと自分が変わりたかったんですよね。MONOに入ろうと思ったのが「新しいことをしたいな」って思ったからでもあったし。というより、「新しいことをしないといけない」と、少し強迫観念みたいなものを感じてました。そんなことをずっと思いながらやっていたんですけど、『相対的浮世絵』(2004年)あたりからかな、あまりそういう考えはなくなって、変わるというよりは今、自分にあるものを深めていきたいと思うようになりました。

――そのきっかけは何だったのでしょうか。

直接的なきっかけではないかもしれませんが、多分、かつては演劇にもっと強く何かを求めていました。演劇というジャンルはもっと何者かになれるんじゃないかと。あんなにワクワクした演劇に対して、だんだんワクワクできなくなってきて「なんでなんだろう」って考えたりもして。真摯さが足りないんじゃないかとか。せめて自分のかかわるやつだけは絶対にワクワクする作品にしないといけないと思い込んだり。でも、だんだんしんどくなってそれを考えること自体をやめたんです。演劇に何かを求めることをやめるようにした。そのせいで失ったもの、演劇に対する情熱だとか、もあるかもしれないけど、楽にはなれました。ま、勝手に求めて、勝手にしんどくなってただけなんですけど。

――少し話は変わりますが、新しいメンバーも加入されて、感じられることはありますか。

劇団員として一緒に過ごしていくうちに、MONOの芝居にすごく早く馴染んでいってる感じがしていて、これは客演として参加していた方々とは明らかに違うんじゃないかと感じます。この後はゆっくりと新しいMONOっぽさを一緒に作っていけたらと思います。

――これから、演劇という表現の中で挑戦してみたいことはありますか。

答えになるかどうか分かりませんが、演劇に対してモヤモヤしていたあの時期に1本「お芝居を書いてみたらよかったかな」という思いがあるんです。「モヤモヤを成就させるものを書いときゃよかったな」と。そしたら今みたいに消極的じゃなくて、もっと積極的に演劇に関われているんじゃないかと。でも今は、スッキリしちゃってて(笑)。だから、これから演劇で何かをやりたいというのはないですね。

――最後の質問です。これもみなさんにお聞きしていますが、なれるとしたらメンバー中の誰になってみたいですか?

田さんですね。僕は人付き合いが苦手で、ひとりでいることが多かったりします。まあ、ひとりでいることが好きだから、結果的にそうなってるのもあるんですが。先日、(前回お話しした)子どもの頃に家の隣に住んでいた友人と久しぶりに会う機会があったんですけど、そんなに盛り上がりもせずに終わっちゃったんです…(笑)。あんなに一緒にいたのに。これはもう人付き合いうんぬんではない。人としてもう少しちゃんとしないといけないんじゃないかと。不必要に盛り上がらなくても良いけど、ちゃんと近況を話して、連絡先も交換してと。土田さんはその点、コミュニケーション力がすごい (笑)。まったく関わりのない人と必要もなく仲良くなる人です。そんな土田さんになりたいです。こんな理由で大丈夫ですか(笑)。

 

取材・文/安藤善隆
構成/黒石悦子