「作曲家の心が伝えられる演奏を」
ピアニスト、伊藤恵の新たな境地
ベートーヴェン、ショパンほかを弾く
「ベートーヴェンという人は不屈の精神で“人間とは何か”っていうような哲学を音楽で描いた人だと思うんです。だけどそんなベートーヴェンの楽譜にドルチェ(甘く、優しく)と指示された部分のどれほど優しいことか。こんなに優しい人は世界中にいないんじゃないかというくらい彼のドルチェは優しい。そこから何か、ベートーヴェンの本質につながる道は見つけられないかと思いました」
そう語るのはピアニストの伊藤恵。4月12日(木)、京都府民ホール・アルティでベートーヴェンとショパンを中心としたプログラムを弾く。1983年第32回ミュンヘン国際音楽コンクールピアノ部門で日本人として初の優勝、以来、実力と人気を兼ね備えたピアニストとして常に第一線で活躍を続けて来た。1999年からはシューマンとシューベルトのリサイタルにそれぞれ8年がかりで取り組み、高い評価を収めている。作曲家たちへの温かなまなざしを感じさせる響きは、この人ならではの魅力だ。「シューマンもシューベルトも私が大好きな作曲家。その演奏に取り組むうちに、ふたりが見ていた景色の先にはいつもベートーヴェンがいたんだなって感じるようになったんです」。若い頃には手が届かないと感じたこともあったというベートーヴェン。しかし年を重ね、彼女自身もベートーヴェンの亡くなった年齢を過ぎた。「弾いてもいいよ、と作曲家自身から許してもらったような気持ちがする」と柔らかく笑う。後半のショパンは12曲でひとつの世界を形作る、万華鏡のような作品。その美しさの中には、あまりにも純粋ではかない男性特有の「滅びの美学」があると言う。「だからショパンの音楽って、私にとってはすごく神聖で透き通った水晶みたいなもの。触れてはいけない。指紋なんか絶対つけちゃいけないみたいな繊細な世界なんです」と語る。
「聴いている人が、誰が弾いているのかを忘れるような演奏がしたいって、私はいつも思っているんです。私のピアノから、ああ、ベートーヴェンはこんなことを考えていたのか、とか、ただただシューマンの悲しみに触れるとか、ショパンの透き通った世界にいつの間にか誘われているとか。そういう風な演奏をしたいというのもひとつの目標としてあるんです。演奏で人の心を伝えるということが、とても難しい時代になって来ているような気がします。けれどそんな中で私のピアノから何かが伝わって、お客さまに少しでも作曲家の思いを持って帰っていただくことができたら、うれしいですよね」。
(2018年3月 2日更新)
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