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ホーム > NEWS > ドビュッシーの作風の変化を巡る「事件」に迫る! ピアノはいつピアノになったか?補遺 「ドビュッシーとピアノの謎」

ドビュッシーの作風の変化を巡る「事件」に迫る!
ピアノはいつピアノになったか?補遺
「ドビュッシーとピアノの謎」

 「ピアノはいつピアノになったか?」は、2003年3月から05年の3月にかけて大阪のザ・フェニックスホールで行われた全8回のレクチャーコンサートシリーズである。同ホールの音楽アドヴァイザーである大阪大学教授・伊東信宏が監修を務め、17世紀後半のクリストフォリによる“発明”以来、ピアノが現在の形になるまでの過程を発達史と演奏の両面から追ったこのシリーズは大きな注目を集め、07年には書籍としても出版されている。1月23日(土)、ザ・フェニックスホールでは「ピアノはいつピアノになったか?補遺」と銘打ち「ドビュッシーとピアノの謎」と題したコンサートを開催する。取り上げられるのはドビュッシーと彼が愛用したとされるドイツ製のピアノ、ブリュートナーを巡るエピソードである。
 
 ドビュッシーのピアノ作品は、1904年を挟んで劇的に変化する。その年の夏、当時不倫関係(後に結婚)にあったエンマ・バルダックとともに、イギリス、ジャージー島へ逃避行を図ったドビュッシーが、その地で購入したとされるのが、このブリュートナーピアノである。従来のピアノに比べ、同じ音を連打する際のメカニックに優れたこのピアノには、もうひとつ、音色を際立たせるアリコートと呼ばれる特許があった。高音部の1音ごとに実際には打鍵されない共鳴弦を張ることにより、独特の輝くような響きが実現されていたのである。ドビュッシーの音楽を代表する『版画』『喜びの島』『映像第1集』などの作品が生み出されるのは、まさに彼がこのブリュートナーを手に入れる前後からのことであるという。
 

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 コンサートではドビュッシーの作風の変化という「事件」に対して、気鋭の音楽学者で同志社女子大学教授の椎名亮輔が、いくつかの手がかりをもとに迫っていく。そしてこの「事件」のもっとも重要な「証拠」として提出されるのが、1913年製のアリコート付きブリュートナーピアノ。フランス音楽の演奏に定評のあるピアニスト・野原みどり(京都市立芸術大学准教授)が、この楽器を使って、実際にドビュッシーが聴いていたかも知れない音、思い描いていたかも知れない音楽を演奏する。レクチャーコンサートならではの、知る楽しみと聴く楽しみに満ちた「ドビュッシーとピアノの謎」。ピアノ作品に近代的な響きを作り上げたドビュッシーの新たな創造の魅力が発見できそうだ。



(2016年1月 5日更新)


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伊東信宏 企画・構成 ピアノはいつピアノになったか ? 補遺
「ドビュッシーとピアノの謎」

ブリュートナー 1913年ライプツィヒ 85鍵 長さ1,890㎜、幅1,510㎜
協力:フォルテピアノ ヤマモトコレクション


【講師】椎名亮輔                                 【ピアノ】野原みどり

1月23日(土)16:00
あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール
指定席-3000円 チケット発売中 Pコード 271-497
学生券-1000円(※ザ・フェニックスホールでのみ取り扱い)

【プログラム】
ドビュッシー:ピアノのために
                     版画
                     喜びの島
                     映像第1集


【問い合わせ】

■06-6363-7999(平日10時~17時)