ホーム > NEWS > ドイツ現代写真を代表する写真家 アンドレアス・グルスキー日本初個展!
ドイツ現代写真を代表する巨匠アンドレアス・グルスキー。長らく待ち望まれていた彼の日本初個展『アンドレアス・グルスキー展』が、2月1日(土)より国立国際美術館にて開催中だ。前日の記者発表では来日したグルスキー本人への質疑応答も行われた。
本展では、《ガスレンジ》(1980年)から《カタール》(2012年)まで51点の作品が展示されており、彼の30年以上にわたる活動を一望することができる。展示はグルスキー自身の緻密なプランに基づいており、年代順ではなく、作品の傾向や大小を考慮した配列や導線で構成されている。また、途中に水面を映した作品が何度も挟み込まれるが、展示のアクセントとして効果的となっていることも挙げておきたい。
グルスキーの作品には、予断や思い入れを排した冷徹な眼差し、徹底した細部へのこだわり、写真としては異例の巨大サイズ(一辺2~3メートル、時には5メートル超も)、画面に写る全てのものを等価に扱う、といった特徴がある。たとえば本展出品作のうち、《香港、上海銀行》(1994年)では、超高層ビルの幾何学的なフォルムとビル内で勤務する無数の人々の姿が克明に写し出される。また、灰色のカーペットをモチーフにした《無題Ⅰ》(1993年)と、人工衛星から海洋を撮影した《オーシャン》(2010年)は、被写体のスケールに極端な差があるにもかかわらず、対象を見つめる眼差しは平等である。
記者発表時にグルスキーは、「私の作品はこれまで様々な視点から解釈されてきたが、私自身は作品にメッセージを込めたことはない」と言い、「写真はコミュニケーションの道具として使われることが多いが、私は多くの人が写真の使い方を間違っていると思う」とも述べていた。この言葉は何を意味するのか。それは彼の作品がもっぱら視覚的関心から発したものであり、純粋な視覚体験以上でも以下でもないということだ。かつて画家のセザンヌは、印象派の画家モネを評して「モネは一つの目に過ぎない。しかし何という目だろう!」と言ったが、グルスキーにもこの言葉が当てはまるのではなかろうか。
ただし、グルスキーの目は19世紀の画家とは違う。そこには1990年代後半以降急速に発達したデジタル技術が深く関与しているからだ。複数の写真画像をモニター上で合成して仕上げる彼の作品は、巨視と微視が一つの画面に同居しており、もはや人間の目の限界を超えている。写真でありながら写真を超え、特殊な視覚体験を強いる彼の作品は、「対象の全てを見尽くしたい」という芸術家の業そのものに思えてならなかった。
(2014年1月31日更新)