古希記念の独演会全国ツアーを完走
柳家小三治に見た「理想の噺家」
桂南光、2021年のトピックスをたっぷりと!
桂文珍、桂南光、笑福亭鶴瓶という上方落語のスターが競演する落語会「夢の三競演」。2004年にスタートし、いまや上方の冬の風物詩といえる人気の落語会だ。昨年はコロナ禍で開催を見送ることになり、今年は2年ぶりに3人の顔合わせが実現する。2021年は古希記念の独演会で全国を巡演した南光師匠。コロナ禍での生活から、落語との向き合い方、三競演への思いなど、たっぷりとお聞きしました。
――まずは、コロナ禍に見舞われたこの2年足らずを振り返っていただけますか?
テレビの仕事はありましたけど、去年の3月から6月の間は落語会はないしね。たまたま(笑福亭)鶴瓶さんが韓流ドラマの『愛の不時着』を見て「ごっつおもろいでっせ。見なはれ」って言うから、ホンマかいなと。ところがハマってね。ようできてるんです。3エピソードほど続けて見たら、その夜は北朝鮮に行ってる夢を見て、『俺、なんで北朝鮮に来てんねやろ』と(笑)。そこから、自分でもいろいろと韓流ドラマを探してきて見たりして、そういう意味では退屈しませんでした。
――もちろん葛藤もあったと思いますが、ありのままの状況を受け入れられたと。
どうなるか分からないけど、スペイン風邪でも収まったわけやからね。波を繰り返しながら2~3年したら収まるのとちゃうか、ジタバタしないでおこうと。あとは今まで作りたかった料理を作ったりとか。一番は、ゆっくり丁寧に作った朝ご飯を食べることかな。6時半くらいから起きて、時間をかけてご飯を食べて、ちょっと本を読んだりレコードを聞いたり。だから、朝の10時までは絶対に仕事に関することはしないっていう。
――丁寧な暮らしぶりが南光さんらしいです。もちろん、落語のお稽古もされていた(笑)?
そら稽古もしますねんけど、これをやらないかん、こういう笑いを入れようとかじゃなくて、もっと細かく。例えば『火焔太鼓(かえんだいこ)』やったら夫婦の関係。実はこの夫婦は口には出さないけど思いやりがある、みたいなところをあんまり言い過ぎない方がいいのかな、ちょっとした言葉のやりとりで言葉少なく表現したいな、とか考えてましたね。
――そんな中、今年の1月17日、京都・南座を皮切りに、約半年間にわたり「古希記念 桂南光独演会」の全国ツアーが開催されました。
還暦の時に南座さんで記念公演をやらせていただいたんですが、今回もお声をかけてくださって。うちの会社の人らも「じゃ、他のところも回りましょう」とドンドンと公演数が増えていったんですよ。いつもは俯瞰で自分を見てるけど、初日の南座は舞台に上がったら、さすがにウルッと来ました。ようこんな時に来てくれはったなって。桂ざこばさんなら号泣してはるけど(笑)。だって、知り合いの人でも「行きたいねんけど家族が止めるんで、ごめんなさい」みたいなことがいっぱいあったからね。以降も、見ず知らずの人がそれぞれの会に来てくれはって。だから誠心誠意、これが最後かも知れないという気持ちでやってました。
――では、古希記念の独演会ツアーは感謝と充実感で満ちておられた?
ところが、噺家になって一番しんどかったんですよね。それは舞台じゃなく、コロナが流行ってて、自分がもしコロナに罹ったら、せっかく準備してもらってるのにその会はできなくなるじゃないですか。お芝居なんか出演者や関係者がひとりでも感染したら、1カ月公演が中止になる。初めは、自分は罹らないと思ってたけど、仲間内でも罹る人が出てきたりして『こんなこと、やらなんだらよかったな』と思うぐらいしんどかったですね。ホンマに3回ぐらい『もうやめよう』『なんでこんな時期にやってしもたんやろ。南座だけでよかったのにな』って思って。だから、最後の大阪松竹座公演が終わった時は心から『あぁ~よかった!』と思いましたよ。パンフレットの挨拶文にも書いたんですけど、こんな時期にできたというのは、ホンマに運がいいな、運だけかなと(笑)。
――以前、還暦から古希の間の10年間で「噺家になった気がする」とおっしゃっていました。
師匠や諸先輩に噺を教えてもらって。でも、こんな落語をやりたいとかいう思いもなくずっとやってきたんですね。けど、60歳を超えてからは『ここはウケないかん』とか、そんなことを思わなくなって、その噺をひとつずつ自分なりに考えて『ここは私には合うてないからやめよう』とか、そんな作業ができるようになったんです。だから『噺家になった』って言うのもおかしいけども、噺家をやらしてもらえるようになってるかなと思います。
――ご自身の思い描く落語世界が築けるようになったと。
昔は55歳で噺家をやめるって言うてたけど、占い師の人に「72で死ぬ」って言われたことがあって。だから噺家とか関係なく、72歳を人生のゴールにと思てるんですよ。で去年、うちの一門の桂宗助君の桂八十八襲名披露公演に(柳家)小三治師匠に出ていただいたんです。舞台に上がる前から「今日は『道灌(どうかん)』をやりますから。でも、どんな噺か忘れてしまって、(柳家)三三に聞いたんですけどね、そんな話だったのかなと思って…」言うて、それが嘘かホンマか分からない。けど、何ともいえん面白くて。そのまま高座に上がって『道灌』に入り、二言三言で「こんな噺ですよ。何が面白いんですかね」とか言いながら、世間話みたいなことをしゃべって降りはったんです。それを見てて『あっ、そうか。我々は落語という物語をやってるけど、ここまできたら小三治師匠の存在自体が落語やから、いてはるだけでいいんや』と。昔、うちの師匠(桂枝雀)が言うてはったのは「究極の噺家というのは出ていって何も言わずに、みなさんの顔を見てニコニコ笑って、ある程度、時間が経ったら降りてくる」という。そんなことはあり得ないと思ってたけど、こないだの小三治師匠はまさにお客さんの顔を見ながら何も言わないことのおかしさ。お茶を飲むのもおかしいんですよ。私には小三治師匠のようなことはとてもやれませんけども、ここまでいく人があるねんなと。噺家の理想を見たような気がしましたね。だから、必死になってここにいてる人を笑わそうとか、そんなことを思わなくてもいいと、今は思っています。
――小三治師匠には、まだまだご活躍をしていただきたかったですね。
ホント残念です。…あと落語とは違うんですけど、こないだ渡辺貞夫さんのライブに行ったんですよ。88歳なんですが矍鑠とされててね。さすがにガンガンとはやらないんですけど、アップテンポの曲もやりはって。でも、見てて何か違うんですよ。髪型も変わってないし、スタイルも変わってない。何か違うなと思ったら「メンバーを紹介します」。順番に紹介して、最後に「あっ、紹介するの忘れてました。実は、このサックスは今日が筆おろしなんですよ」と。そういうとメッチャ新しくて光ってるんです。「ずーっと使ってるので生涯いこうと思ったんですけど、やっぱり若いのがいいですかね?」って言うたらドッーとウケて。88歳でそんな新しいやつにせんかて、今まで馴染んでる方がええのに「これから、こいつとやっていきます」みたいな。噺家よりずっとしんどいんですよ。それも「やります!」とかじゃなくて、普通にやってはることに感動してね。途中で2回ぐらい間違えはったらしいんですけど、曲がどうとかじゃないのよ。またそれがライブやと思うしね。
――時間をかけて、納得いく噺に作り上げていく南光さん。古希公演でも口演された落語作家・くまざわあかねさん作の『上州土産百両首』、さらに古典の大ネタ『らくだ』は共にドラマチックな展開が心に響きました。
『上州土産百両首』は、元々はお芝居やからね。初めはそのままやってたんですが、うちのマネージャーや嫁はんから「可哀想やから何とか正太郎を助けてください」と嘆願されて。そこで、くまざわさんと話して噺の終わり方も変えたりしながらやってます。ハッピーエンドじゃないけど、聞いてくださった方がとにかく『良かったな』という思いで帰ってもらった方がいいですからね。『らくだ』も、私は基本的に性善説やから。生まれた時からそんな悪い人はいないわけで、やっぱり周りの環境とか、いろいろあると思うんですよ。だから、“らくだ”が何でそんな人間になってしまったんやろうと。周りの人らは、“らくだ”が死んでも手の一つも合わせたくないという中で、紙屑屋だけにはとにかく「成仏せえよ」と言わせたかったんです。あんまりベタベタしない距離感でね。
――さらに、あの人気ドラマ『半沢直樹』的な新作をお稽古中とか?
落語作家の小佐田定雄さんが書いてくれたんです。タイトルは『近江屋佐七』。近江商人の“三方よし”の話で、商家の旦那、番頭、手代のそれぞれの裏話というか。でも、半沢直樹とは何の関係もなくて(笑)。あんな展開とは違うんですけど、今は『ここはこう変えた方がいいかな』とか思いながら稽古してて、楽しいんですよ。
――さて、2年ぶりの開催となる「夢の三競演」ですが、今のお気持ちは?
この3人は何年ぶりに会うても変わらないと思うし、また一緒に楽屋でしょーもないことを言えるのは、とても楽しみですね。
――では、最後にお客さまにエールやメッセージを送っていただけますでしょうか。
なんの責任も持たれへんのでエールはよう送らんけど、人間が生きてると、こんなことが起こるというのを受け入れて過ごさなしゃあないんじゃないですかね。けど、アフターコロナの落語界は、そんなに大きくは変わらないと思いますよ。2、3年で落ち着いたら、みんなが生で聞ける、楽しめることを良かったと感じるでしょうし、演者側も当たり前やと思ってたことがやれる有難さを感じながら、力いっぱいやると思いますよ。今まで以上にね。
取材・文:松尾美矢子
撮影:大西二士男
(2021年11月16日更新)
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桂南光(かつらなんこう)●1951年、大阪府出身。1970年、二代目桂枝雀に入門し“べかこ”を名乗る。1993年に三代目桂南光を襲名し、伝統に独自性をプラス。今年は古希記念の独演会を全国各地で開催した。レギュラー番組は「バラエティー生活笑百科」(NHK)など。
夢の三競演2021
~三枚看板・大看板・金看板~
12月5日(日)一般発売 Pコード:508-734
▼12月22日(水) 13:30
梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
全席指定-7000円
[出演]桂文珍/桂南光/笑福亭鶴瓶
※未就学児童は入場不可。
※発売初日は店頭での直接販売および特別電話[TEL]0570(02)9520(10:00~18:00)、通常電話[TEL]0570(02)9999にて予約受付。
[問]夢の三競演 公演事務局■06-6371-9193
<夢の三競演 演目一覧>
※登場順
2004年
桂文珍『七度狐』
桂南光『はてなの茶碗』
笑福亭鶴瓶『らくだ』
2005年
笑福亭鶴瓶『愛宕山』
桂文珍『包丁間男』
桂南光『質屋蔵』
2006年
桂南光『素人浄瑠璃』
笑福亭鶴瓶『たち切れ線香』
桂文珍『二番煎じ』
2007年
桂文珍『不動坊』
桂南光『花筏』
笑福亭鶴瓶『死神』
2008年
笑福亭鶴瓶『なんで紅白でられへんねん! オールウェイズお母ちゃんの笑顔』
桂文珍『胴乱の幸助』
桂南光『高津の富』
2009年
桂南光『千両みかん』
笑福亭鶴瓶『宮戸川
~お花・半七馴れ初め~』
桂文珍『そこつ長屋』
2010年
桂文珍『あこがれの養老院』
桂南光『小言幸兵衛』
笑福亭鶴瓶『錦木検校』
2011年
笑福亭鶴瓶『癇癪』
桂文珍『池田の猪買い』
桂南光『佐野山』
2012年
桂南光『子は鎹』
笑福亭鶴瓶『鴻池の犬』
桂文珍『帯久』
2013年
桂文珍『けんげしゃ茶屋』
桂南光『火焔太鼓』
笑福亭鶴瓶『お直し』
2014年
笑福亭鶴瓶『青木先生』
桂文珍『御血脈』
桂南光『五貫裁き』
2015年
桂南光『抜け雀』
笑福亭鶴瓶『山名屋浦里』
桂文珍『セレモニーホール「旅立ち」』
2016年
桂文珍『くっしゃみ講釈』
桂南光『壷算』
笑福亭鶴瓶『山名屋浦里』
2017年
笑福亭鶴瓶『妾馬』
桂文珍『へっつい幽霊』
桂南光『蔵丁稚』
2019年
桂文珍『スマホでイタコ』
桂南光『上州土産百両首』
笑福亭鶴瓶『オールウェイズお母ちゃんの笑顔』
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