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「年々、弱っていく3人の枯れ具合をご覧ください(笑)」
上方の冬の風物詩『夢の三競演』が今年も開催!
桂南光が落語への想いをたっぷりと語る!

上方の冬の風物詩ともいえる落語会『夢の三競演』が今年も開催! 桂文珍、桂南光、笑福亭鶴瓶という上方落語の人気スターが共に繰り広げる、年に一度の三人会だ。ぴあ関西版WEBでは、2011年より毎年、開催に向けてお三方にインタビューを実施。南光師匠に、この一年を振り返ってもらいつつ、今ハマっていることや落語への想いなど、たっぷりと聞いた。

――9月には、イタリア、フランスをご旅行されたそうですね。絵画がお好きですから、美術館も巡られたんですか?
 
「一番見たかったのは、前回行った時に修復中だったレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』。15分の交代制で見るんですが、“ダ・ヴィンチは他の人たちと全然違う捉え方で描いた”とかガイドさんから説明を受けて、15分間でしたけど堪能しました。あとはマチス美術館に行ったり、ちょうどパリに来ていた原田マハさんが、オルセー美術館でやっていたセザンヌの人物画展に一緒に入ってくれはって、すごい説明をしてもらったり。マチスやセザンヌのことを詳しく知ることができたので、それは感動しましたね。セザンヌなんかは金持ちの銀行家の息子で、別に絵描きにならなくてよかったのに、親に反対されてもなったとか。その後、文豪のエミール・ゾラと出会ってんけど、彼がセザンヌのことを勝手にモデルにして、売れない画家で認められなくて悶々として最後は自殺してしまうっていう小説を書いてね。それをまた当人に送ってるんですよ。セザンヌが激怒して決裂し、そこから人間不信に陥ったっていう話を聞いたら、生き様がみんな作品に出るんですよね。マチスもそうですけど、我々噺家もそうやろなと。幸せに暮らしてる人と、そうでない人では落語に対する捉え方とか、表現の仕方が変わるんやろうなと思てね。そういう意味では、私は苦労なんかしてないし気楽やし、これでエエのかなと。ただ、うちの嫁さんに“こうやって旅行もできて、私と結婚して良かったでしょ”って言うたら“今まではね”。“まだ分かりませんね”と言われてムカッときましたけど(笑)」
 
――毎日新聞に連載中の「南光の『偏愛』上方芸能」も好評です。南光さんが、気に入っていること、気になっている上方芸能を月1回取材されるという。
 
「こないだ、大阪の老舗昆布屋『神宗』の先代店主の尾嵜彰廣さんというご隠居さんにお会いして。自分では言わはらへんのやけど、近松門左衛門のすごい研究家なんですよ。豊竹咲太夫のお師匠はんと本も2冊出してはって。ひいおばあさんとか、おばあさんから話を聞いたりして、学者では分からない船場のしきたりや風習、近松の時代の大坂のことを知ってはるからね。近松自身もそれを知ってて書いていたという。そんなことを知らんと読むのと聞くのとでは全然違うでしょ。だから今、近松にすごいハマってるんです」
 

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――市井の研究家でなければ分からない、リアルな近松の世界がある、と。
 
「でね、東京の噺家さんで僕よりずっと若い蜃気楼龍玉という人が、近松の『女殺油地獄』を落語でやってるんですよ。本田久作さんという東京の落語作家の人が本を書いて、その噺を聞いた人が“すごく面白かった”と。本田さんと連絡をとったら大阪の豊中の出身で、うちの師匠(桂枝雀)の家の近所に住んでいて中学の時に師匠のとこに入門に来た人だったんですよ。その人が落語作家になってるんです。地噺でやってるのかなと思ったら、ちゃんと会話の落語にしてあって、すごく良く『女殺油地獄』の世界が書けてる。“俺もやりたい”と頼んだら“どうぞやってください。近松のもんやから、大阪の人がやった方がいいでしょうし”と。今、まるまる大坂を舞台に替えて書いてもらってるんですよ。その本が来るのがすごい楽しみで、できたら来年の春ぐらいにやりたいなと思ってます」
 
――上方の噺家さんが、近松作品を演じることは意義深いですね。
 
「神宗のご隠居さんに聞いた話から、(落語作家の)小佐田定雄さんと相談して、近松が出てくる落語もやってみたいなと。僕は気が付かなかったんやけど、近松は“大坂って素晴らしいとこで、一番いいところにあなた方は暮らしてますよ”というような、大坂にヨイショしてるとこもあるんですって。それは、大坂で心中があったら、それをモデルに書き直して脚色してとか、近松が大坂で人形浄瑠璃の本を書いて生きていくために、ね。だからそんな裏話、余話を、近松自身を主人公にして落語にでけへんかなと思てます」
 
――文楽をはじめ、さまざまなジャンルにも関心をお持ちの南光さんですが、今年はオール阪神・巨人さんの『三夜連続漫才』公演のプロデュースもされました。
 
「あれは、僕は何もしてないんですよ。彼らはやろうと思てたんやけど、なかなかきっかけがつかめなくて。たまたま『偏愛』のインタビューに行った時に“昔、ダイマル・ラケット先生が爆笑三夜をやってはりましたな”言うたら“僕らも実はやりたいんです”。“そのうちやろうと思てます”て言うから、“そのうち言うてたら、やられへん。いつ死ぬや分かれへん。もうトシやから、すぐやんなはれ”って背中を押したというか」
 
――では、他ジャンルとの関わりから、新たに見えてくる落語の世界ってありますか?
 
「落語に関しては、三競演を始めた頃から割と自由にできるようになってきたなと思いますね。それまでは、やっぱり米朝師匠やうちの師匠に教えてもらった型を崩してはいけないという思いがずっとあってね。いくつか変えたところもありますけど、今はもっとそれが緩くなってきたというか。だから、落語をやっててとても楽しくて楽ですね。落語は仕事やねんけど、他のいろんなことにも関わったりしてて、捉え方としては趣味みたいになってんのかな。仕事やったら楽しめないでしょ。でも他のジャンルのことをやって、それを落語に取り入れようとかはないんです…が、近松もそうやけど、何でも落語にできますからね。犬であろうが猫であろうが、しゃべらないものでもしゃべらすことができるわけやし。だから、これを落語にしたら面白いんじゃないかなっていうのは、すごく感じますね」
 
――そんな思いの中で、今年ネタ下ろしされたネタ、今ハマっているネタを教えてください。
 
「『市川堤(いちかわつつみ)』は今年やったんですけど、あんなもん幽霊出さなかったら、何の救いもないし、おもろいことも何ともないっていうことが、よう分かりました。幽霊が出ると、そっちへ気も行くし、『わぁっ!』というのがあって発散もするんですけどね。だから、来年の夏の独演会では、間のとこをちょっと変えて、幽霊も出してやりたいなと思てます。あとは『蔵丁稚(くらでっち)』をやったのが結構楽しくて。実は、先代の片岡仁左衛門さんの書きはったものが残ってて、そこに上方の『忠臣蔵』のやり方が書いてあるんです。判官の切腹の場なんかも微妙に違うんですよ。それを誰もやってなかったので、僕は先代の仁左衛門さんの型で四段目の説明をしてます。去年の5月に京都の上七軒でもやったんですが、そしたら打ち上げで『今日、あんたの『蔵丁稚』を聞いて、私は先代の仁左衛門さんの舞台を思い出しました』って言うおばあさんがいてはってね。“エエッー!”って。私は先代のを見てませんから、そんなこと思てくれる人がいるんだなと思て感動しつつ、お客さんは怖いなと」
 
――では、これから手掛けたいネタは何でしょうか?
 
「『へっつい幽霊』ですね。六代目笑福亭松鶴師匠の型でやろうと思ってます。六代目の『へっつい幽霊』は2回ぐらいしか聞いてないんですが、こないだエエ音源を持ってる人がいて、それを手に入れて。あと年末に『三人兄弟』をやります。笑いは少ないねんけども、私はおもろいと思てるんです。当時の遊び人の三人の息子たちの着物の違いとかがとてもよく出てるから、残しておきたいなとおもてね」
 
――『蔵丁稚』も『へっつい幽霊』も笑福亭のネタですよね?
 
「松鶴という名前を早く襲名してほしいのに誰もしはらへんから、私がとにかく笑福亭のネタをどんどんどんどんやって、八代目松鶴を目指してると(笑)。先代の七代目になった松葉君が夢枕に立って『お前に名乗ってもらいたい。頼む』と言うてきたという(笑)」
 
――そんなストーリーまで出来ているんですね(笑)。さて、『夢の三競演』も14年目を迎えますが、その間に変わったこと、変わらないことは何でしょうか?
 
「私たちは全然変わってないと思いますよ。ただ、あの二人とやらしてもらって、世間の扱いというか、仲間内の扱いというか…我々みたいになりたいという人たちがいるじゃないですか。うれしいですけど、そういう見方をされるトシになったということは、もう終わりやなと(笑)。考えたら、みんな高齢者やからね」
 
――変わらない一番の理由は何でしょうか?
 
「3人とも、あとの2人が好きなんですよね。私がそうやから。2人とも、とても素敵な人なんですよ。自分にはない部分があるし、自分とは違う芸に対してリスペクトがあるから、尊敬もしてるわけですよ。たぶん、そこやと思うんです。昔は女性の好みが違うから揉めないて言うてたけど…2、3年前から女の人の話はしなくなりましたね。だから、一昨年より去年、去年より今年、弱っていく3人の枯れ具合をご覧ください(笑)」
 
――でも、文珍さんは『三競演』で南光さんと鶴瓶さんが「本気を出し過ぎ!」と。
 
「僕は全然ムキになってないですよ。普通の落語会よりも、とっても楽にやらしてもらってますもん。こんな気楽にやれる楽しい会はないなと。2人に甘えてやってますからね。ただ、甘えてたんではダメだから、ちゃんとしようという思いはあります」
 
――文珍さんは、「もっと楽なやつと組んだら良かった」ともおっしゃってました(笑)。
 
「そんなこと言うということは、文珍さんも本気でやってるんですよ(笑)」

取材・文:松尾美矢子
撮影:大西二士男



(2017年10月24日更新)


Check
桂南光
かつらなんこう●1951年、大阪府出身。1970年、二代目桂枝雀に入門し“べかこ”を名乗る。1993年に三代目桂南光襲名。レギュラー番組は『ちちんぷいぷい』(MBS)、『大阪ほんわかテレビ』(YTV)など。

夢の三競演2017
~三枚看板・大看板・金看板~

Pコード:481-049
▼12月28日(木) 18:30
梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
全席指定-6500円
[出演]桂文珍/桂南光/笑福亭鶴瓶/笑福亭鉄瓶(「開口一番」)
※未就学児童は入場不可。
[問]夢の三競演公演事務局■06-6371-0004

チケット情報はこちら

夢の三競演 演目一覧

※登場順

2004年
桂文珍『七度狐』
桂南光『はてなの茶碗』
笑福亭鶴瓶『らくだ』

2005年
笑福亭鶴瓶『愛宕山』
桂文珍『包丁間男』
桂南光『質屋蔵』

2006年
桂南光『素人浄瑠璃』
笑福亭鶴瓶『たち切れ線香』
桂文珍『二番煎じ』

2007年
桂文珍『不動坊』
桂南光『花筏』
笑福亭鶴瓶『死神』

2008年
笑福亭鶴瓶『なんで紅白でられへんねん! オールウェイズお母ちゃんの笑顔』
桂文珍『胴乱の幸助』
桂南光『高津の富』

2009年
桂南光『千両みかん』
笑福亭鶴瓶『宮戸川
~お花・半七馴れ初め~』
桂文珍『そこつ長屋』

2010年
桂文珍『あこがれの養老院』
桂南光『小言幸兵衛』
笑福亭鶴瓶『錦木検校』

2011年
笑福亭鶴瓶『癇癪』
桂文珍『池田の猪買い』
桂南光『佐野山』

2012年
桂南光『子は鎹』
笑福亭鶴瓶『鴻池の犬』
桂文珍『帯久』

2013年
桂文珍『けんげしゃ茶屋』
桂南光『火焔太鼓』
笑福亭鶴瓶『お直し』

2014年
笑福亭鶴瓶『青木先生』
桂文珍『御血脈』
桂南光『五貫裁き』

2015年
桂南光『抜け雀』
笑福亭鶴瓶『山名屋浦里』
桂文珍『セレモニーホール「旅立ち」』

2016年
桂文珍『くっしゃみ講釈』
桂南光『壷算』
笑福亭鶴瓶『山名屋浦里』