ホーム > インタビュー&レポート > 「ええ加減なことはできない」と挑む『夢の三競演』 桂南光という世界観で見せる落語へのこだわりと あくなき挑戦、そして米朝師匠への思いとは?
――まずは、2015年を振り返っていただきましょう。
桂南光(以下・南光)「やっぱり、(桂)米朝師匠が亡くなられたことが一番大きな事でしたよね。亡くなられてから、米朝一門会の動員が増えたり、米朝師匠のCDとかDVDもドッと売れたり。改めて米朝師匠って特別な人で、すごい人やったんやなと思いましたね。誰かが、うちの一門は誰も辞めてない、それがすごいと言うねんけど、それは辞めてない弟子がすごいんじゃなくて、破門にしなかった師匠がすごいわけで。米朝師匠に『もう辞めてもらいたいなとか、思われたことないですか?』って聞いた時に、『わしとこに来てくれたちゅうことで、それはないな』と。みんなで『はぁ、すごい人やなぁ』てしゃべってたら、トイレに行きはる時に『けどな、うちの弟子にはアホが3人おる』て言うて行きはったのが印象的でしたね。誰とは言いはれへんねんけど(笑)」
――師匠の方が、弟子よりずっと大変だと思います。
南光「そう。師匠の方が、ずっと辛抱しないと。でも、米朝師匠はあれだけの直弟子と孫弟子、ひ孫弟子にも均等に出番を組んだりしてはりましたからね。うちの師匠の(桂)枝雀なんか、自分の気に入った子しか前座に使えへんし、ずっと使てても気にいらんようになったら一切使わない。私は私で、同じような感じやから。自分の会を良くしたいと思うので、この子は良くないと思ったら使わない。米朝師匠はそんなん関係なく、自分の弟子をみんな前座に付けてはって。だから噺家としてもすごいけど、人間的にも優しくて大きい人やったなと思いますね。亡くなられて、その偉大さ、大きさに改めて感じ入りました」
――米朝師匠が亡くなられて、一門の雰囲気は変わりましたか?
南光「それは、全然変わってないですね。米朝師匠に『そんなことしたらアカンやないか』てガ~ンと言われたら、みんな聞いてたんですよ。でも、それを言う人がいなくなったからいうて別に一門がバラバラになってないし、それぞれに自立心が出るかも知れないし。ただ、昔やったら米朝師匠だけでなく、(六代目笑福亭)松鶴師匠でも『おまはん、そのネタやるのは早い』ていうのがあったんですけど、それが今はもうなくなってますからね。一門に関係なく、昨日今日入って来た子が大ネタをやるという」
――ネタに対する考え方が変わってきていると。
南光「やっぱり何年かの積み重ねがないと、そのネタをやってはいけないというものがあると思うし、できないんですよ。私も『百年目』を去年やりだしましたけど、改めて思いますね。まだ自分でも出来てるとは思わないけど、30代、40代では『百年目』というネタなんかを触ってはいけないという。ネタちゅうのはようできてますから、素人の人でもやろうと思たらやれるねんけど、大勢の人が300年以上の中で作り上げてきたもんで、みんなの財産なんですよ。ネタに対して申し訳ないというような気持ちを持たないかんし、もっとネタを大事にして欲しいというのが今の想いですね」
――また、9月には朗読劇に初挑戦されました。
南光「三島ゆり子さんと太宰治の『お伽草子~カチカチ山』という朗読劇をやって。三島さんが語るうさぎは16歳のピュアな処女。僕が語るたぬきは37歳のいやらしいオッサン。このたぬきが若いうさぎに言い寄ってくどくんですけど、次から次へとエライ目に遭うという。女性には残忍性があって、男性はいやらしい部分がある。気をつけやないかんという、教訓的な内容になってるんです。『台本を読むだけやから、台詞覚えんでええし、楽やから一緒にやりましょ』って言われてOKしてしまってんけど、ただ読むだけやなしに段取りがいっぱいあってね。ナレーションや音楽が入ったり、照明とかの位置が決まったらそれに合わせて動かなあかんし。そういう意味では、落語はとっても楽やと思いましたね」
――アドリブも入れられたんですか?
南光「2回公演だけだったので、アドリブは全然してません。ただ、落語とは全然違うので、こういうとこが面白いのかと。それはそれで面白かったですね。けど、落語は自分で段取りつけて気を入れてやるねんけど、朗読劇はあんまり気を入れすぎてもダメなんですよね。椅子に座ってやったんですが、例えば『よってこないでよ』という台詞の前に、ちょっと体を寄せるだけで実際には触らない。それで、聞いてる人には伝わるという。また、落語はここはカットしようとか全て自分で演出するけど、今回は演出家の言われるままにやって。それはそれで面白かったし、新しい体験をしました」
――次回のオファーがあれば?
南光「機会があれば、またやりたいなと。何年か前に、(桂)文珍兄さんが三遊亭圓朝の続き読みをやりはったでしょ。そんなんも、ちょっとやってみたいかなとか。こないだ、米朝師匠の思い出話をしてた時に、師匠は舞台で役者としてやるのはあんまり好きやなかったけど、なんでやろ?と。実は、まだ本名の中川清の時に自分で演出して芝居をやってはるんですよ。自分で演出するような人やったし、落語なんかも仕立て直したり、色んなことをしてはった人やから、人に『こうしないさい』と言われるのがたぶん嫌やったんやろうと。自分のセンスと合わなんだら、できないじゃないですか。だから昔、一門で『海道一の男たち』というお芝居をやった時に、最初は出る言うてはったんが結局『嫌や』と言わはった気持ちがよく分かりました(笑)。こんだけ噺家やってきたら、やっぱり演出されるより、する側の方が面白いかなと。結論としては、自分が演出して朗読劇をやってみたいという気になりましたね」
――さて、第12回を迎える「三競演」ですが、今年の演目は何をお考えですか?
南光「まだ考えてないですが、『抜け雀』を一昨年からやり始めて。絵が好きやから『やったら』とか言われてましたし、自分でもやろうと思ててんけど、小田原が舞台やのに登場人物が大阪弁っていうのがね。米朝師匠は『昔は、落語でも浪曲でも水戸黄門や左甚五郎は、みな大阪弁でやってた。けど、誰も違和感を感じなかった。あの噺は上方落語やし、あれでええねん』って言うてはってんけど、僕自身が納得できなくて。それで考えて、旦那が大阪から来てる養子にして、5年ぐらいで嫁さんも大阪弁になったと。そんなことありえないねんけど、それを思い付いたからやり始めたんです。これは『火焔太鼓』に続く、養子シリーズ第2弾。元々、『抜け雀』の宿屋の亭主も養子は養子なんですよね。結構、みなも『あれは納得しますな』と。ただ、今やってるサゲも若い人は分からないみたいで。だから、みんなが分かって納得してもらえるサゲを、落語作家の小佐田定雄はんと相談してるねんけど、この暮れまでにできるかどうか。だから『三競演』で『抜け雀』やるとは宣言はしませんが(笑)」
――南光さん独自の『抜け雀』を練り上げるという。
南光「米朝師匠がたくさん残してくれはったネタは、それはそれですべてようできてると思うねんけど、自分がやる時は頑張って、それを大事に残しながら米朝師匠がやってはった以上により納得して面白くしないと申し訳ないと思うんですよ。話を壊さないで、納得して伝えるという。やる側の人間として、ただただ同じようにやってるんでは、ね」
――今後、やってみたいネタというのは?
南光「12月に『除夜の雪』を高座に上げるんですが、あと『三枚起請』と『三十石夢の通い路』もやりたいと思ってて。ただ、『三枚起請』もサゲがも一つ分からないじゃないですか。だから、納得するサゲができたらやろうかなと思てます。昔はこんなやり方なんですよ、というんじゃなくてね。米朝師匠は現代に通じるように構成を変えたり、分からん言葉なんかはマクラでちゃんと説明してはるねんけど。僕らは前よりももっと分からなくなってる部分を、ちゃんと分かるようにするのが仕事やと思いますからね。反対に自分の好きな浄瑠璃を手短に説明すれば、パロディーのような落語もできるかなと。こないだ内子座に文楽を見に行った時に、『義経千本桜』の『鮓屋』の部分をやってはって、若い太夫さんが5分もかからんと『鮓屋』の展開を説明してはったんです。ほんなら、終わった時に周りの人が『あの人の話で、よう分かったなあ。書いてあるもん読んだらややこしいねんけど、すっと入ってきましたな』と。僕も何べんも見てるねんけど、いつもより分かったんで、そんなふうなやり方にすれば落語もできるなと。そんな噺は今までなかったから、新しく作っていけたらいいかなと思ってます。別に浄瑠璃は語りませんけど(笑)」
――毎年、お三方が火花を散らす「三競演」。文珍さんは、年々みなさんの真剣具合が増してきたと嘆いておられましたが…。
南光「1回目とか2回目は、たぶんお祭り気分やったんでしょうね。3人でやれて楽しいし。それは変わらないねんけど、11年以上経つと自分らの位置もあって、そない遊んでられへんなと。ちゃんとしたことを後輩の人に示さなアカンし、ええ加減なことはできないんでね。自分が一番ウケようとか、認められようとかいう気はないと思うんですけど、それぞれがちゃんとやる。それがプロやからね。あんな高い金額をもらってるねんから、満足して帰ってもらえるように、私は私なりにやろうと思ってます」
――南光さんも、他のおふたりの熱量は感じますか?
南光「鶴瓶さんのを一番感じますね。あんなに真剣にやるとは思えへんかったから。あの人は、『三競演』をやり始めてから落語に目覚めたというか。この11年の間に、噺家としてすごい成長をしはったなと思いますよ。たぶん僕らよりも、よう稽古してると思う。こないだ、ある人から『飛行機に乗って、前で何やぶつぶつ言うてる変なオッサンがおるなぁと思ったら鶴瓶さんでした。あんな飛行機の移動中も稽古してはるですね』と。僕ら、飛行機の移動中に絶対稽古せえへんもん。たぶん、ほかの移動中でもやってはるんでしょう。ただ、あんだけ色んな仕事をこなしながらですからね。すごいと思いますよ」
――昨年は、初の「三競演」東京公演が実現しました。当初、南光さんは東京公演について、かなり難色を示しておられましたが、手応えはいかがでしたか?
南光「やりやすかったですよ(笑)。別に普通にやりました。文珍さんと鶴瓶さんのお馴染みで、たぶん良いお客さんが来てはったんでしょうね。私は別にそんなにウケんでもええわ、あのふたりが楽しましてくれはったらええわ。私は言われて来てる、うまいこといこうが、いこまいが、知らんよという気やから。だから、爆笑ネタをやろうと思わなかったんで『はてなの茶碗』をやったんですよ。心地よく。文珍さんにも『なっ、べかちゃん(※南光の前名・べかこ)、良かったやん。また来ようや』って言われて、『はぁ、分かりました』と(笑)」
――これを機に…。
南光「東京で独演会をやろうとかいう気は、全然起こってません。聞きたかったら『大阪に来なさい』と。でも、今度は『火焔太鼓』を上方のネタとして東京でやるかもしれませんね。東京の新聞記者の人が、一昨年に大阪で『火焔太鼓』をやった時に聞きに来はって。『大阪の空気というか、雰囲気を感じられました』って言うてくれはったから、それをやってみようかなと」
――今年の東京公演は、去年とは違う想いのようですね。
南光「ちょっと楽しみですねえ。去年、初めて私の落語を聞いた人がほとんどというか。そやから、『なかなか面白そうやったがな』と言うてもらえたら、上から目線やないけど、今年は去年よりもずっと面白いのを聞かせてやろうと思いますからね」
(取材・文/松尾美矢子 撮影/大西二士男)
(2015年11月 2日更新)
Pコード:446-295
※発売初日は店頭での直接販売および特別電話[TEL]0570(02)9510(10:00~18:00)、通常電話[TEL]0570(02)9999にて予約受付。販売期間中は1人4枚まで。
※販売期間中は1人4枚まで。
▼12月25日(金) 18:30
梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ
全席指定-6500円
[出演]桂文珍/桂南光/笑福亭鶴瓶
※未就学児童は入場不可。
[問]夢の三競演公演事務局
[TEL]06-6371-0004
2004年
桂文珍『七度狐』
桂南光『はてなの茶碗』
笑福亭鶴瓶『らくだ』
2005年
笑福亭鶴瓶『愛宕山』
桂文珍『包丁間男』
桂南光『質屋蔵』
2006年
桂南光『素人浄瑠璃』
笑福亭鶴瓶『たち切れ線香』
桂文珍『二番煎じ』
2007年
桂文珍『不動坊』
桂南光『花筏』
笑福亭鶴瓶『死神』
2008年
笑福亭鶴瓶『なんで紅白でられへんねん! オールウェイズお母ちゃんの笑顔』
桂文珍『胴乱の幸助』
桂南光『高津の富』
2009年
桂南光『千両みかん』
笑福亭鶴瓶『宮戸川
~お花・半七馴れ初め~』
桂文珍『そこつ長屋』
2010年
桂文珍『あこがれの養老院』
桂南光『小言幸兵衛』
笑福亭鶴瓶『錦木検校』
2011年
笑福亭鶴瓶『癇癪』
桂文珍『池田の猪買い』
桂南光『佐野山』
2012年
桂南光『子は鎹』
笑福亭鶴瓶『鴻池の犬』
桂文珍『帯久』
2013年
桂文珍『けんげしゃ茶屋』
桂南光『火焔太鼓』
笑福亭鶴瓶『お直し』
2014年
笑福亭鶴瓶『青木先生』
桂文珍『御血脈』
桂南光『五貫裁き』