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「この歳になって、芸とはそういうもんだなと」
11回目を迎える上方の名物落語会『夢の三競演』
恒例のお三方インタビュー第二弾は桂南光が登場!

桂文珍、桂南光、笑福亭鶴瓶という一門も異なれば、入門年も年齢も違う上方落語の“ビッグ3”が一堂に会し、その年の集大成とも言える高座で魅せる冬の風物詩『夢の三競演』。ぴあ関西版WEBでも恒例となったお三方インタビューでは、師匠それぞれの2014年を振り返ってもらいつつ、この会に向けての心境を聞いた。そしてインタビュー第二弾は、桂南光。名人と呼ばれる域に達しながらもなお、落語に対して「新しい発見があった」と語る南光。歯に衣着せぬ発言は痛快かつなんとも味わい深く、南光の魅力がたっぷりと詰まったインタビューとなった。

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――4年前から、改めて義太夫のお稽古を始められました。
 
桂南光(以下、南光)「稽古を積んできても全然上手にはならないんですけど、稽古すりゃするほど義太夫が好きになるという。最初の発表会でやった『堀川』のお俊、次にやった『壷坂霊験記』のお里。これはどっちの気持ちも分かるんですけど、こないだ3回目の発表会で『酒屋』のさわりを語らしてもらったんですが、お園の気持ちなんか分からない。結婚して肉体関係もない旦那が他に女を作って、子供もおる。自分のことを好いてくれないのに、『自分さえおらなんだら、ちゃんと親が勘当を許して戻ってこれる』って旦那のことを思ってる。そんな人なんか、今も昔もいないでしょ。でもね、ある種、男の理想なんでしょうけど、稽古してるうちに何かそんな人がいるような気がしてきて」
 
――実在するような気になられた。
 
南光「今年、竹本住太夫師匠が引退されて。たまたまそのドキュメンタリー番組のナレーションをやらしてもらうことになって、初めてちゃんと話をさせていただいたんです。『菅原伝授手習鑑』に桜丸が切腹する場面があるんですけど、私ら『死なんでもええんちゃうか』と思うねんけども、聞いてるとその世界に入っていって、こんなことも起こるねんなと感じられて。で、その時に『理屈抜きに凄い感動しました』て言うたら、『そう言うてもうて有難いですけど、とにかく嘘でっさかいな。みんな嘘やねんけど、嘘を真に演じるということが我々の仕事やから』て言わはってね。『ああ、そうなんやな』と」
 
――それは落語にも通じると…。
 
南光「そうです。落語もみんな嘘やねんけど、ちゃんと語って伝われば、ないことが現実になるような気がしてくるという。実際にそんなことないやろと思ってはっても、聞いてはる人が納得できるように演じたらいい。単にウケることを言うとか、笑わすだけやない、真実は他にあると。それを自分が演じられるかどうか分からないけど、笑いがなかったって伝わるものはあるわけですからね。この歳になって、芸とはそういうもんだなと気付かされました。若い時はとにかくウケたいから、それで本編を崩してしまったりすることもありますしね。ただ、若い時はなんぼ言われても、たぶん分からないと思うわ」
 
――南光師匠は、もうすぐ63歳。昔、思っておられた60代と現実の60代は違いますか?
 
南光「よく芸は60を越えてからとか言いますけど、昔は60を越えたら弱ってアカンやろうと思ってたんです。こんなに元気でおれるとは思ってなかった。肉体的には弱ってきてるのは間違いないんですけど、精神的にこうあらねばイカンと思ってたことがなくなったというか。こんなん思われたら嫌やとか、こんなん言われたら嫌やというのがなくなって、『そう思ってはるのやったら、どうぞ思って下さい』と。何と冷酷非情なスケベエな人間やと思われたってかまへん。そう思う人がおったら、たぶん私にそんな部分があるんでしょう。前は『そうじゃない。私はとっても良い人間で、真面目なとこもあるんですよ』と言うてたんですが、そう思われたいという気がなくなって。そこが楽なんでしょうね」
 
――落語を演じるのも楽になられた? 
 
南光「そう。だから、米朝師匠とか誰か凄い人達の落語を聞いてる人が『あんたなぁ』とか言わはると、前やったら『俺は俺の考えがあるから』って言ってたけど、今はもう言わない。言ったって、その人には分からないと思うから、『至らんもんで、すんませんな』って」
 
――落語といえば、近年は『火焔太鼓』や『居残り』と江戸の噺を上方のネタとして仕立て直す一方、今年は『百年目』もネタ下ろしされました。
 
南光「噺家になって、ネタ下ろしであんなに稽古に時間かけたことないですからね。だって10年くらい前からやりたいと思てたけど、なかなか機会がなくて。で、米朝師匠が『やったらええがな』って言わはって。自分でびっくりするぐらい稽古しましたよ。稽古をすればするほど、人物設定というか、番頭の気持ちとか旦那の気持ちをいろんな意味で考えて。番頭よりも旦那ができるかっていうのがあったんやけどね。できたかどうか分からないけど、旦那の気持ちがとてもよく分かったという。稽古もそうですけど、年齢というか、30歳でやっても絶対分かれへんと思うから、年齢重ねることも必要やなと」
 
――さて、今年の『三競演』では何を出されますか?
 
南光「また江戸の噺の『居残り』をやろうかと思ったり。これは東京では『居残り佐平次』という題名なんですけど、江戸の方は佐平次がみんなを騙して金を取って、着物も持って出て行くという、ちょっと悪人。それはそれでエエねんけど、私のは悪人じゃない。ほんまに調子のええ奴っていうのでやってるんですけどね。それを、大阪の匂いで包んでいます。でも、この会で何を出すかまだ分からないですね。当日のお楽しみということで(笑)」
 
――そして、今年は初の“東京公演”があります。以前のインタビューで、「東京で独演会はやりません」と宣言されていましたが…。
 
南光「別に東京に行く必要はないなという気やから。文珍さんと鶴瓶さんが行こうて言いはるし、ほな行きましょかと。人に頼まれたら行きますけど、自分から率先して東京でやりたいという気は全くないし、東京で独演会をやる気もないし…」
 
――それは何故でしょうか?
 
南光「私が思ってる伝わり方が、大阪なら伝わって、向こうではもう一つ伝わらんからです。別に東京にビビってるわけでも何でもないねんけど、もう一つビチャッとこない。その原因がこないだ分かったんです。実は、日本とトルコの文化交流会にいてるトルコ人と知り合いになってね。その人は日本語がペラペラで、東京で主催して落語会をやりたいと。はじめは50~60人だけのとこでやってくれと言うから「ほなやりましょか」。そう言うてたら、もっと大勢に呼びかけはってね。200人ぐらい来はったのかな。それがすごく中途半端な呼びかけ方で、そこには元々大阪の人で東京に住んでる落語好きな人、落語を初めて聞くトルコ人、落語が好きな東京の人と。そんな人らが来たんですよ」
 
――何ともバラエティーに富んだお客さんです。
 
南光「メッチャやりにくかったです。どこに焦点を合わしてええか。トルコの人は日本語を分かる言うてはるねんけど、大阪弁やし。でも、一応みんなにウケたいという気があるから、『義眼』と『ちりとてちん』をやったんかな。マクラふってる時に1部分の人だけ笑うわけよ。他の人は全然笑わない。別におもろいこと言うてへんのに、トルコ人だけ笑うとかね。何じゃこれと。今までやってきて、こんなやりにくいの初めてやなと。ところが、トルコの人らは『すごく面白かった』って言うんです。何がどう面白かったか分かれへんねんけどね(笑)。トルコの人でも、日本に住んで長い人と、まだあんまり慣れてない人もいてはって。結局、これと一緒やねんね、東京のお客は」
 
――生粋の東京人ばかりなら良いと。
 
南光「江戸っ子ばっかりならいいんです。江戸っ子と上方の人間は、ある種、気質が似てますから。ところが、北海道とか東北とかいろんなとこの人が来てて、結局、お客さんが一つじゃないんですよね。関西にもいろんなとこの人がおるけど、比較的一つやから。東京はそうじゃない。私のやり方で分かってくれる人と、もう一つ伝わってないなっていう人を肌で感じたんですね。最大公約数が読みにくいという。でも、文珍さんも鶴瓶さんも、東京の噺家さんでもワァッとウケはるねんから、そこのところを察知するんでしょう。私はそれに慣れてないからなのか、それができないのか。そこまで妥協することができないのか。前に『大銀座落語祭』に行った時に、大阪やったらここはもっとウケるのになぁみたいなとこがいっぱいあって。じゃ、これは言わない方がいいのかなとか感じるのでね。そんな操作するのが、それはそれでオモロイこともありますけど、もう邪魔くさいねん(笑)。だから、全然ウケなくてもいいんです。『あなたたちには私が分からないねんから、しゃーない』と」
 
――しかし、しばらくしたら、そのお気持ちも変わってたりして…。
 
南光「変わると思いますよ。人間は変わりますからね。ただ、東京公演が決まった時に『東京でやるんですね?』『いよいよ東京進出ですか?』と。これが嫌やねん。何で東京に進出することがすごいと思うねん。名古屋でずっと独演会やってても、九州行こうが岡山行こうが誰も何も言えへんのに、『東京ですか』みたいな。その時点で負けてるわけや、東京に。何で上方落語が東京に行かないかんわけよ。東京で認められないとアカンのか、みたいな」
 
――(笑)分かりました。話題を変えましょう。ご自身が思われる『三競演』の魅力とは?
 
南光「私は楽ですね。やってることは違うねんけど、価値観とかが似てるんでしょうな。だから、楽屋で3人で話して、いつもしょーもないこと言うて笑ろてますからね。誰かとそんなに気が合うってことはないんで。3人が3人とも自分以外の2人を好きなんでしょうね。いつ寄ったって変わらない。そんな友達というか仲間は、なかなかいませんからね。我々も楽しいし、お客さんも楽しんでくださったら、こんな有難いことはないですね」
 
――では、最後に大阪、東京のお客さんにメッセージをお願いします。
 
南光「大阪に関しては11年目なので、初心に返って(笑)。楽しい、ちょっとよその落語会とは違う味わいがあるんじゃないかと思いますので、お待ちしております。東京の方には…何もないけど(笑)。東京の人は私のことをそんなに知らないでしょうから、文珍さんと鶴瓶さんを見にきて、ついでに『あっ、こんな奴もおったんか』と思ってもらえれば(笑)」
 
 
取材・文/松尾美矢子
撮影/大西二士男



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『夢の三競演 2014』
桂文珍インタビュー

笑福亭鶴瓶インタビュー

(2014年11月 4日更新)


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桂南光
かつらなんこう●1951年生まれ、大阪府出身。1970年、二代目桂枝雀に入門し、“べかこ”に。1993年に三代目桂南光を襲名。国立文楽劇場での独演会も2回目、今年は「火焔太鼓」「どうらんの幸助」を披露した。テレビ番組『ちちんぷいぷい』(MBS)、『大阪ほんわかテレビ』(YTV)などにレギュラー出演中。

夢の三競演2014
~三枚看板・大看板・金看板~

11月15日(土)10:00~チケット発売

Pコード:439-803

▼12月22日(月) 18:30

梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ

全席指定-6500円

[出演]桂文珍/桂南光/笑福亭鶴瓶

※未就学児童は入場不可。

[問]夢の三競演公演事務局
[TEL]06-6371-0004

チケット情報はこちら


『夢の三競演』演目一覧

※登場順
2004年
桂文珍『七度狐』
桂南光『はてなの茶碗』
笑福亭鶴瓶『らくだ』

2005年
笑福亭鶴瓶『愛宕山』
桂文珍『包丁間男』
桂南光『質屋蔵』

2006年
桂南光『素人浄瑠璃』
笑福亭鶴瓶『たち切れ線香』
桂文珍『二番煎じ』

2007年
桂文珍『不動坊』
桂南光『花筏』
笑福亭鶴瓶『死神』

2008年
笑福亭鶴瓶『なんで紅白でられへんねん! オールウェイズお母ちゃんの笑顔』
桂文珍『胴乱の幸助』
桂南光『高津の富』

2009年
桂南光『千両みかん』
笑福亭鶴瓶『宮戸川
~お花・半七馴れ初め~』
桂文珍『そこつ長屋』

2010年
桂文珍『あこがれの養老院』
桂南光『小言幸兵衛』
笑福亭鶴瓶『錦木検校』

2011年
笑福亭鶴瓶『癇癪』
桂文珍『池田の猪買い』
桂南光『佐野山』

2012年
桂南光『子は鎹』
笑福亭鶴瓶『鴻池の犬』
桂文珍『帯久』

2013年
桂文珍『けんげしゃ茶屋』
桂南光『火焔太鼓』
笑福亭鶴瓶『お直し』