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「本当にええ仕事、凄くいい仕事やなと思いますね」
噺家という仕事への愛情溢れる笑福亭鶴瓶の言葉を!

桂文珍、桂南光、笑福亭鶴瓶による大人気落語会『夢の三競演』が今年も、シアターBRAVA!で開かれる。毎年、12月上旬に行われており、その回数も第8回。落語ファン、三競演ファンの間ではすっかり年末の風物詩となっているのだが、今年は年の瀬も目前に迫った12月28日の開催と、まさしく笑い納めにふさわしい落語会になりそうだ。そして今年は、どんな演目で楽しませてくれるのか期待も募るばかり。
そこで、雑誌『ぴあ関西版』のころより続いている“お三方インタビュー”を今年も実施。お三方の胸のうちを文字数に制限されることなくたっぷりと聞いてきました。そのラストを飾るのが笑福亭鶴瓶。落語への愛がたっぷり注がれた珠玉の言葉をぜひ!

鶴瓶師匠からのメッセージはこちら!

――レギュラー番組8本をかかえ、なおかつ落語に鶴瓶噺のライブにと、今年も休む間もなく走り続けておられます。そんな2011年は、ご自身にとってはどんな年でしたか?

笑福亭鶴瓶 (以下、鶴瓶)「僕はやっぱり『鶴瓶の家族に乾杯』(NHK)をやってるから、3.11の東日本大震災があって大変なことになったなと。その時に『いち早くできることは?』と考えて、再会編としてもういっぺん行ってみようと思ったんです。幸い、僕がお会いした方は皆さん、助かってたんでね。そこからスタートして5、8、9月と3回行ったんですけど、5月に行った時はお寺で(私落語の)『青木先生』をやったんですよ。住職の着物を借りて。あれは衝撃的やったね」

――元々は、落語をやるおつもりではなかった?

鶴瓶「落語ができる状態じゃないでしょ。でも、向こうが『やってほしい』って言いはったからね。で、立ったままで『青木先生』をやったら、子供らがえらい笑ろてね。子供らも分かんねんね、ああいう時って。何か楽しいことを探そうとしてる」

――被災地で笑いを提供するというのは、ある意味、大変デリケートな問題ですよね。

鶴瓶「阪神淡路大震災の時は、まだ本格的に落語をやってなかったし、まずそんな状況やなかったんですよ。僕も西宮で被災して。でも、それでも落語会をしようと思って、震災発生から10日目にお囃子らみんな連れて西宮の中学に行ったんです。そしたら、お年寄りの方から『鶴瓶さん、何か笑わしてくれ』と言われて。そこで落語じゃなくて、立ったままで自分が震災に遭ったことをおもしろおかしくしゃべったんです。強いでしょ。自分も震災に遭って、震災の日から10日間のことをずっとしゃべるというのは。そら、向こうも笑うし。同じものを共有することによってすごく楽しめる感じがしたんで、鶴瓶噺ってええなと思って。その時に、落語の最初のカタチって多分、こんなんじゃないかと感じたんです。で、今回は東北のお寺で落語ができた。なんか不思議ですよね、十数年経ったら落語をやっているというのが。今回もどうしよかなと思ったんやけど、落語をやれた自分が嬉しかったですね。ええ仕事に就いてるなと改めて思いますよ。テレビに出てるということも含めて。特に『鶴瓶の家族に乾杯』なんかは、お年寄りの方もよう知ってはるんで、僕に会うだけでメチャ喜んでくれはる。改めて、もっと有名になりたいなと思いましたね。人のことを中傷する笑いも中にはあるけど、僕はそうじゃないと思っていて。人を喜ばす、人に楽しんでもらって、その上で『この人の話を聞きたい』と思ってもらえて、しゃべりも聞いてくれるわけでしょ。本当に、一番ええ仕事に就いたな、すごくいい仕事やなと思いますね」

――落語家としての深化が如実に現れたエピソードのように思います。

鶴瓶「今年は今日(10月14日)で60席。イチローが200安打を達成するがごとく、僕は毎年100安打、つまり100席を目指してるんですよ。『らくだツアー』をやった時が年間114本やったんですね。そこから毎年100席を目標にやりたいなと。でも、100席ってたいがいですよ。今日も天満天神繁昌亭に飛び入りで出てきたんやけど。今年もまだまだいろんな落語会があるから、ギリギリ12月28日の『三競演』で100席に到達したいなと」

――そんな中で、今年の『夢の三競演』の出し物は?

鶴瓶「去年、会場で来年は『青木先生』やりますって言ったじゃないですか。でも、新しいもの、自分が今やっているものを『三競演』の中では必ずかけたいなと思うんです。『青木先生』はいつでもできるし、何か手を抜いてるように思われるのも嫌なんで。今年の集大成としては、『かんしゃく』と『お直し』なんですよ。トリやったら『お直し』をしようと思ってたんですけど、トップやから『かんしゃく』。だいたい出来上がってきたから、自分にとって今年のラストに持ってきたいなと思います」

――まさに、2011年の鶴瓶さんを見ていただくという。

鶴瓶「『お直し』は南光兄さんがやれと言わはって。これも一つの形になりつつあるんです。で、春風亭小朝さんが『かんしゃく』をやれと。でも、桂文楽師匠のを聞いて『これは無理やな』と思ったんです。それで、うちのおやっさん(六代目笑福亭松鶴)が死んで25年やし、松鶴の名前も忘れられたらいかんので、登場人物を松鶴に代えて作ったんです。それを小朝さんに聞いてもらったら『なかなかいい。ただ、こういう感じにしてほしい』と。小朝さんは僕の“情”が好きなんやって。その部分を入れてもう一度送ったら、ブログに『十八番ができました』と載せてくれたみたい。それは嬉しかったね」

――鶴瓶流『かんしゃく』は、六代目松鶴師匠へのオマージュですよね。

鶴瓶「『かんしゃく』は古典やけど、僕のはいわば“私落語”的なもので。松鶴はこんな男だという噺ですから。そういう意味では、やりやすい。今日も繁昌亭でかけたんやけど、弟弟子の鶴笑は『ちょっと泣きそうになりました』言うて、弟子の気持ちとして師匠を思い出したと。逆に、竹林は『えらい怒られてる兄弟子を思い出した』言うて。『青木先生』とかは、僕の思い出やから僕しかできない。でも、『かんしゃく』はうちの(松鶴)一門の人間やったら、みんなができる噺になったんちゃうかなと思います」

――年間100席を演じる中で、落語に対する考え方も変わられましたか?

鶴瓶「『錦木検校』を去年、やりましたよね。あれは柳家喬太郎のを聞いて、初めて自分でやろうと思った噺で。錦木を関西の人間に仕立て直したんです。あの噺あたりから落語がみんなフィットするようになってきたんですよ」

――ご自身がやりたい落語が見えてきた?

鶴瓶「昔、人に言われたんやけど、やっぱり人情的なもの。それと物語がきっちりしていて、それでいて情がある。それが僕に一番合うんとちゃうかなと」

――さて、今年は『夢の三競演』直前に還暦を迎えられます。

鶴瓶「20代は大阪で暴れて、30代から完全に東京に行って、40代でゴールデンとか色々やって、放送の世界を見て、50歳になって落語を始めて。それから10年。で、60歳から本当の夢が見られると思うんですよ。20、30、40、50代でやってきたことが、やっぱり60代で実現できる思うんです。だから、60歳ってすごくいいな。こんな60歳おまっか? ローライズ履いて、こんな派手なTシャツ着て(笑)」

――実現したい夢とは何でしょうか?

鶴瓶「今年、外国人の前で『青木先生』をやったんやけど、あとで聞いたら噺家ってぎょうさん、外国で落語会やってるんですわ。やり方も様々で。で、『鶴瓶の家族に乾杯』は、世界の106の国と地域で放送されてるんですよ。在留邦人に向けてね。こんだけ日本の人が外国に出てるんやし、何も外国人に落語をする必要はないやないかと。例えばアフリカに行って、日本人が何人いてても、そこで落語をすることで僕も何か刺激を受けるやろうし。もちろん、外国人も来ていいんですよ。パンフレットみたいなものを先に渡しといてあげたらいいじゃないですか。そういう形の落語というものを、世界でどう見せられるかなぁと。死ぬまでに全部は回れないでしょうけど、世界の日本人にこんにちはと(笑)」

――そう思われるようになったキッカケは?

鶴瓶「(間)寛平兄さんが地球一周したじゃないですか。あれを見ててオモロイなと。向こうに住んではる日本人に、日本語やからこっちも聞きやすいやろ? 『この国、どんな国?』とか言うて(笑)。それをまた資料として持って帰れるし、落語と鶴瓶噺、どっちでもいけるなと」

――60代の幕開きともいうべき今年の『夢の三競演』。この会を迎えるお気持ちは?

鶴瓶「(この会に)指名してくれはった文珍兄さんと南光兄さんに早く追いつく、というぐらいの気でないとできへんので。だから、あえて『かんしゃく』をするいうこと。これがあって良かった思いますよ。やっぱり胸を借りてる部分がすごくあるし。ただ、今までの7回は何とか切り抜けてきて。『まだ全然、ダメだった』といつも思いますね」

――では、鶴瓶さんが考える、この会の見どころは何でしょうか?

鶴瓶「いみじくも2011年のラストの落語会になったんやけど、この年の瀬になぜ、そのネタをするんかっていうところも感じ取ってほしいですね。3人ともやっぱり、いろいろな思いがあって出てるわけやから。競争じゃなく、いい会にしたいと思うからね」

――文珍さんは、『夢の三競演』出演の条件はダンスだと断言されました(笑)。

鶴瓶「文珍兄さんが楽しんではるのやったら、踊ります! でもね、何でか体が動かへんのよ。拒絶してますわ(笑)」
 

(取材・文/松尾美矢子  撮影/大西二士男)




【関連ページ】
『夢の三競演 2011』

桂文珍インタビュー
https://kansai.pia.co.jp/interview/stage/2011-10/111013-e003.html

桂南光インタビュー
https://kansai.pia.co.jp/interview/stage/2011-10/111008-s002.html
 

(2011年10月28日更新)


Check

『夢の三競演2011~三枚看板・大看板・金看板~』

11月19日(土)チケット発売

Pコード:415-858
※発売初日(11/19[土])はチケットぴあ店頭での直接販売およびインターネット販売はなし。

特別電話[TEL]0570(02)9550(10:00~18:00)、通常電話[TEL]0570(02)9999にて予約受付。
11/20[日]以降は空席がある場合のみ店頭販売およびインターネット販売あり。
販売期間中は1人4枚まで。


●12月28日(水) 18:00

シアターBRAVA!
S席6300円

A席5250円

[出演]桂文珍/桂南光/笑福亭鶴瓶/他

[問]シアターBRAVA![TEL]06-6946-2260

※未就学児童は入場不可。

チケット即完必至です!お早めに!!
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プロフィール

笑福亭鶴瓶

しょうふくていつるべ/1951年12月23日生まれ、大阪府出身。1972年2月、六代目笑福亭松鶴に入門。社団法人上方落語協会副会長。NHK『鶴瓶の家族に乾杯』(毎週月曜20:00~20:43)、フジテレビ『笑っていいとも!』(毎週木曜12:00~13:00)、TBS『A-Studio』(毎週金曜23:00~23:30)、毎日放送ラジオ『ヤングタウン』(毎週日曜22:00~23:30)など、テレビ、ラジオのレギュラー番組は週8本。初の主演映画『ディア・ドクター』(2009年 エンジンフィルム/アスミック・エース)では、数々の主演男優賞を受賞し、映画『おとうと』(2010年 松竹)でも日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞した。毎年秋に東京で行う独演会のほか、巧みに構成されたフリートークをノンストップで魅せる『鶴瓶噺』や、14人の弟子を全員集め、落語会当日、舞台上で出演者を選抜する『笑福亭鶴瓶一門会』など趣向を凝らしたステージで楽しませてくれる、稀代のエンターテイナーだ。

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