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2年ぶりに新作長編『ダイダラザウルス』を上演する桃園会
本作についてはもちろん“演劇の今昔”にも言及したインタビュー!

1月28日(金)~30日(日)、伊丹アイホールで2年ぶりの書き下ろし新作長編『ダイダラザウルス』を上演する桃園会。ある旅行者が訪れた遊園地。仕事の景気付けに大嫌いなジェットコースターに乗ることにした旅行者。彼の目に映る景色とは…? ファンタジーの中にもハードな世界観を取り入れた本作をどのような視点で描いたのかを、桃園会主宰であり、作・演出の深津篤史に聞いた。

―― @ぴあ関西です。今日はよろしくお願いします。今回は2年ぶりの新作長編とのことで…。

深津篤史(以下、深津)「『電波猿の夜』という作品以来ですね」

―― 世界観など、新たな部分などありますか?

深津「うちの劇団は、この4、5年は新作を年1本、もう1本は旧作の再演か、既成台本を私の演出でやると決めてまして、上半期公演が既成作品とかで、下半期公演が新作になると。その新作で東京の方にも行く形になってますので、今年に関しては、上半期の公演として精華小劇場さんの方で三好十郎さんの『浮標(ぶい)』をやらせていただいて。昨年は、上半期は岸田國士さんの作品をやって、下半期の公演は『ぐり、ぐりっと』という話で、短編3本立てだったんですね。で、1時間半とか、そういう長尺の作品としては2年ぶりになります。毎回別に決まった作風があるわけではないので、どれも違っていたりするんですけど、今回はファンタジーということで。これまでファンタジーもいくつかはやってますが、ファンタジー自体の数は少ないので、珍しいと言えば珍しいかな。特に、上半期にやった三好十郎さんの作品がいわゆる近代劇、骨太な人間ドラマでしたから、それと比べれば全く毛色が変わりますね。『浮標(ぶい)』は人間を描いた重厚な、油絵のような作品ですけど、それもやりつつ、それとは全然違うパターンのお話もやろうかなと」

―― 今回の作品のヒントというか、こういうふうなものを書いてみようというきっかけはあったんですか?

深津「元々イメージから入るんですけど、きっかけになったのは、最終電車が行き過ぎた後、1年に1回とか2回とか、線路を点検するために一両編成の保線車が通るんですけど、線路を点検するのでスピードがものすごく遅くて、明るくしないと分からないですから、まぶしいくらい照明がついていて。その保線車の前と後ろには人が普通に歩いてて。保線車自体は人の歩くスピードしかないんですね。それがとてもきれいで、幻想的な風景だったりするんです。音も、うるさいといえばうるさいんですけど、郷愁を誘う音ではないのかもしれないけれども、何かこう、嫌な音じゃないなっていう。それを見たときに、何かそういうものが出てくるような、そういう音がするようなお話を書いてみようかなっていうのがまずあって。で、タイトルの『ダイダラザウルス』っていうのは、もうなくなったけど、エキスポランドにあったジェットコースターの名前なんですね。エキスポランドができた当初に目玉だったジェットコースターで、当時は一番怖いものだったんですね。僕はジェットコースターが嫌いで乗らないんですけど、すごく怖いもんだと聞いていて。友達とかは乗ったとか乗らないとか、乗るとかって話になっていて、盛り上がっていて。その保線車のイメージとジェットコースターの名前から、まあ、旅みたいな話にしようと。電車も出てくるわけだから。で、電車はどこかに行っちゃいますけど、ジェットコースターは基本的には、ぐるぐる回って元のところに帰ってくる。あと、人によっては怖かったりするし、スリリングなもの、楽しいものだったりして。そういう旅があって、でも最終的には同じところに帰ってくると。目に見える風景は振り出しに戻るわけで、これを例えば夜の保線車の風景とリンクさせていくと幻想的になって、そこから夢と考えたときに、夢もいろいろ、怖かったり面白かったりするわけで。ただ、目が覚めたら同じベッド、布団の上なので、風景は変わらない。見える風景は一緒なんだけど、ジェットコースターの怖さ加減、面白さ加減によって、元の場所に着いたときにまた違ったように見えるっていう、そういうお話になればいいなってところで書いてみましたね」

―― 桃園会のホームページを拝見したら、幼稚園生のときに「1年生になったら」っていう歌を、すごい暗い気持ちで歌っていたってありましたが、そういうところも絡んでくるんですか?

深津「郷愁、ノスタルジーってところが入ってくるので、その辺も入ってくると思うんですけどね。幼稚園のときにああいう歌を歌わされましたけど、僕は幼稚園のときに友達が少なかったって言うか、いじめられたこともあったので、1年生になってもうれしくないなっていうのがあったんで…。だからあんまり、楽しい気分ではなかったですね。何かそういうところもありつつ、生まれて40年ほど生きてきたっていう、これも旅として考えればっていう部分も含めて…、そうかなと」

―― 深津さんご自身の40年の旅も含まれている。

深津「というのもある程度…。全部がそうじゃないですけど、ある程度は私小説的なというか、私戯曲的なところはどこかにあるので、今回もそういう部分はちょっとはあるかなと」

―― その40年の旅というのは、どんな旅ですか。

深津「どんなんでしょうね…。うーん……。あんまりこう、振り返ったりはしない方なんで…。特にこういう仕事をしていると時間が経つのが早いですから。例えば、今は年始なので、年末年始という行事があるから年の節目を感じますけど、これがないともう、よくわからないことになっちゃうので。何曜日でも変わらない生活であるし、公演のサイクル、うちの劇団だったら半年に1回ですけど、本番の2ヶ月くらい前から稽古がはじまり、タイトルを決めたり、チラシを発注したり何だりっていう作業が入りで、4カ月くらい前からそういう仕事が入って。公演が終わったら、今度は清算をやったり何やったりっていうことがあると。その間に外部の仕事がぽんぽんぽんと入ってくる。舞台を作ってバラして、また次の現場に行って舞台を作ってバラして。また次の現場に行く間に夏になったり秋になったりっていうものの繰り返しになるので…。お休みの日もたくさんあるんですけど、まあ、それが本当に休みなのかどうかっていうのはちょっとわかんないところもあって。よくわからないままに経っていくっていうのが正直なところなんですよね。お芝居を始めて25年になるのかな…」

―― 大学生の時からですか?

深津「19歳のときだから、25年になるんですけど、四半世紀経ったんで。四半世紀経ったっていう感覚もあんまりないですし、大学に教えに行って、19歳、20歳の子に教えるときに、僕の半分以下の年だったりするけど、話すと別に普通に演劇やってる人たち。こう、隔たりみたいなものも感じますけど、でも、すごく大きな隔たりがあるわけでもなく…」

―― 今の若い子は“ゆとり世代”とか言われることもあると思うんですが、そのあたりってどうなんでしょうか。

深津「人によりますよね。結局、ダメな人はどの世代でもダメだし、いい人はいいし。もしかしたら、今はダメな割合が増えているのかもしれないですけど、そんな増えている気もしないし。ただ、”演劇をやります!”っていう人じゃなくて普通に授業で生徒を見たときに、特に学期が始まって最初の4月、5月くらいの時期は、何だかよくわからない子がいっぱいいます。でも、何だかよくわかんない子は授業に来なくなりますし、来る子はまじめな子、芝居が好きな子だったりするので……。やっぱりこう、そんなには変わらない。ただ、子どもが減ったせいで、大学の門戸が広くなりましたから、昔と比べたらものすごく頭の悪い子が増えているのが事実ですけどね」

―― 入りやすくなっているんですね。

深津「はい。漢字がわからないし、算数ができないし、まあ、一般常識がなかったりするので。“あなたは多分、大学には入れなかったよね、昔は”っていう子がわんさかいるので、そこはまあ、面倒といえば面倒なことになってるなと思いますね。昔よりかはちょっと子どもっぽい、コミュニケーションが下手な子が増えてるなとは思いますけど、でもそれも1年、2年ですね。、まあ、先生によると思いますけど、ちゃんとした先生についてたら、3年生くらいになったらそれなりにはまあ、まともにはなりますけどね」

―― 矯正されるっていうのが大学じゃないみたいですね。

深津「あと、演劇をやろうっていう人たちは、減ってます。特に関西は。減ってるんだけど、例えば絵を描きたいけど、絵は描けない、苦手だ、よくわからない。音楽をやってみたいけど、やったことがない、ピアノを弾いたことがないのでできない。というわけで私には何のとりえも今のところないんだけど、でもお芝居だったら身一つなのでできるかもしれない。声優だったら、多少変な顔でも声だけなのでできるかもしれないという理由で、アニメと演劇をごっちゃにして芝居をやろうという子はものすごく増えてますね。それもどこかで別れていくんですけど、でも1年生とかを見てると、そういう子が多いし、そういう子は、特に何か自分を表現したいんだけど、下手で。コミュニケーションをとるのが基本的には下手で、言うたらオタクっぽいところが強いので、そういう子が開いていって、お芝居の方に向いていくには最低1年はかかるなっていう気はします」

―― 開いていく子ってどんな感じになるんですか? 記憶に残った子とかいますか?

深津「それはいっぱいいますね。目が濁ってる人が多いので、そういう子がいつの間にかちゃんとした目になって。そういうのは面白い。僕は、例えば30人の生徒がいて、その30人全員がプロにならなくてもいいと思っていて。ただ、その30人が全員プロにならずに、お嫁さんになったり、OLさんになったり、サラリーマンになったりするんだけど、何かその、学生時代の思い出だけじゃなくて、自負とか、自信につながるものとして残ればいいし、もっと言うと、自分には演劇はできなかったっていう、無理だったっていうことに気がつくっていうのも大事なことなので、そういう何か、試練が…」

―― ひとつの諦めみたいな…。

深津「そうですね、ひとつの定年みたいなものを悟るっていう意味も含めて考えると、お芝居の授業っていいんじゃないかなって思いますね」

―― その定年みたいなものを自分で気づくっていうのは、結構酷な話ですね。

深津「だと思いますね。ただまあ、今の若い人っていうと何か嫌な言い方ですけど、定年するのが早いんですよね、結構。諦めが早いので、もうちょっとあがけばいいのにねって方がたくさんいらっしゃる。あと、居丈高な人も少ないんですよね。19歳で芝居を始めましたっていう子って、最初は居丈高な子もいるんですけど、オレはできるとか、私はきれいとかっていう感じで鼻が高くなりきった方でも、ちょっと言ったらすぐその鼻が折れる。すぐ諦めちゃう。ちょっと言っても折れずに、ずっと居丈高で諦めないっていう子は減ったと思います。いけ好かない子は減ったと思いますね。いっぱいいますけど、ちょっと言ったらいけ好かなくなくなるので」

―― いけ好かないキャラでずっとやってる子は少ない?

深津「少なくなったと思いますね。やっぱり弱いのかな。面と向かって戦ったりってことができない人が増えてる気がするので。私はやらないからよくわからないですけど、腹立ったらつぶやいてっていうので流しちゃったりしますから…。まあ、つぶやいて、それを人に見てもらってっていうのはわけのわからない話だと思うんですけど、そこら辺でガス抜きしてる人は大変多いし。それが悪いことだとは言わないけれども、他にガス抜きするところがない人はやってもいいと思うんだけど、せっかく演劇とかやってるんだから、ガス抜きする部分はいくらでもあるんで、そんな小出しにガスを抜いてたらパワーが足らなくなっちゃいますから、何か怨念じゃないけど、そういうマイナスの力はもっと溜めて芝居にぶつけたら、いいものができたりするのになと思いますけどね。僕と同年代の劇作家さんとか、大体みんな、恨みがましい人が多いので、朗らかな人は少ないですからね」

―― 日々のうらみつらみが…。

深津「そうだと思いますよ。まあ、万歳(南河内万歳一座)の内藤(裕敬)さんはそういうのはない人だし、京都の松田正隆さんもどっちかっていうと朗らかな人だと思います。でも朗らかじゃない青春時代を送った人の方がきっと多いので。モテないとかね」

―― モテないって切実な問題ですね。

深津「あと、頭が悪いとか、スポーツができないとか、お金がないとか…」

―― 関西だと面白くないも入るでしょうね。

深津「入ると思いますよ。そういうところを、面白くないから、じゃあ違うところで勝負しようとか、頭が悪いから違うところで勝負しよう、顔がみっともないから、デブだから…っていう、何かいろんなところでマイナスのパワーを別に出してきたと思うんですけど、それは減ったなって思いますね、大変」

―― マイナスのパワーの勢いは感じにくいんですね。

深津「そうですね。マイナスのパワーとかは、何かニュースに対するコメントとかで発散してる。日記とか見てるとマイナスだらけなので気持ち悪くなりますけど、あれは結局匿名だから、どこにも行き場がない感じでマイナスのパワーがその世界の中に溜まっていくだけなので…」

―― そういうパワーは、例えば舞台だったら、お客さんとのやり取りもあったりするんでしょうか。

深津「お客さんとコミュニケーションできるかどうかは別としても、何がしかの発散はできるはずなんですよね。それは役者としてではなくても、台本を書くという行為においても、演出するという行為においても、照明をする、音響をするという行為であっても、何がしかの発散になるはずで。お芝居は言うても出してなんぼなんで。例えば、サラリーマンやOLの方の発散の仕方っていうか、発露の出方っていうのは、昇給したとか、時給が上がったっていうことになっちゃう可能性が高くて。でも、演劇の場合は、一応ね、出してなんぼで、出たものに対してまた評価されますから。それははっきりと評価されちゃうんで、つまらないとか、面白くないとか、辞めたほうがいいって言われるし、かわいかったとか、かっこよかったってことも言われるわけだから、演劇だと常にそういう視線にさらされて。何がしかのわかりやすい昇給はないんだけど、わかりやすい評価は出るから、それが嫌だったらしょうがないんですけど、そういう職業なので、心が弱いとしんどいかもしれませんけどね。でもまあ、やってればある程度強くなりますしね…」

―― ちなみに、深津さんの原動力って何ですか?

深津「何ですかね。僕は多分、マイナスのほうが多いと思いますけどね。楽天家ではあるんですけど。いじめられてたのも小学校低学年までだし、そんなにこう、ひどい家庭環境っていうわけでもない。まあ、父親がいないっていうのは傍から見てるとひどい家庭環境とされるのかもしれないけど、本人からするとそうは思わなかった。大学もストレートで入れたし、基本的には悪くないんだけど、特に若いときはね、日々、挫折を経験するので。そういうマイナスの部分は力になってるのかなって思いますね。特に僕の世代とかは、丙午の次の年なので、ものすごく人が多くて。演劇を始めた子も同期はものすごく多くて。多いんだけど、バブルでみんな就職できた時代だったので、みんないい会社に入って卒業と同時にものすごく人が減って。ちょっと上の世代、僕よりプラス5つくらいまでの世代に、松田さんがいたり、鈴江(俊郎)さんがいたり、内藤さんがいたり、岩崎(正裕)さんがいたり、土田さんがいたりっていう、きらびやかな才能がわ~っと京都、大阪にいた時代だったので、誰かが賞を取ると悔しいし、誰かが褒められたら悔しいしっていう負の力はよく働いた気はしますね。さすがにこう、ライバルが松田さん、鈴江さん、土田さん、内藤さん、岩崎さんとかで、東京には平田(オリザ)さんがいてってなると、負けたくはないと思っても、そのメンバーに負けないようにすると相当な能力がいるので、結果的によかったと思いますね」

―― 切磋琢磨してますね。すごい時代ですね。

深津「そうですね。でも、僕の下があんまり出てこないんで。僕の10年くらい下になったらまた出てくるんですけどね。ごまのはえくん、上田誠くん、山口茜さん、竹内(佑)くん、樋口美友喜さん、サリngROCKさんとか、大体75年から80年代くらいの間に生まれている人たちなので、僕の10年下くらいにわ~っと入るんですけどね」

―― その10年間が結構、空洞になってるんですね。

深津「結構いないですね。特に僕の1個下、2個下くらいはいないですね。いるのかもしれないですけど、僕はあんまり知らないですね。役者はいっぱいいますけどね、劇作家、演出家っていうところで見ると、本当に少ないですね。僕と同い年もほとんどいないですから。関西で作演で僕と同い年で生き残っているのは、今年のOMS戯曲賞を獲ったはしぐちしんくんですね」

―― この10年に何があったんでしょうか。

深津「バブルが大きかったんじゃないですかね。みんな就職できたんでガサガサっと辞めていったっていうのはあるでしょうし、ちょうど小劇場演劇が一番停滞していた時期もその時代だったりしますから。僕が86年に芝居を始めて、小劇場演劇が停滞しだしたのが86年以降なんですよね。がーっとお客さんが減っていって。盛り返したのが90年代、94、5年くらい。平田オリザが出てきて、「静かな演劇」が出てきて、また上がってきたっていう。ちょうど86年から95年にかけて衰退してきている時期なので、その時期に入ってきた人たちは、演劇にあまり魅力を感じなかったんじゃないですかね。お客も減ってきているし。辞めちゃう」

―― なるほど。では、深津さんから見て、今はどういう動きだと思いますか?

深津「うーんとね、東京の一極集中がまた起こっているんだろうなとは思うんですよね。松田さんと、鈴江さんが、岸田賞をお獲りになったのが96年なんですよ。で、僕が98年に獲ってるのかな。岩崎さんはその間、最終選考に残ったんだけど、落ちてるんですよね。99年には地方から岸田賞が3人出て。しかも松田さん、鈴江さんが岸田を獲った次の年が松尾スズキさんなんですね。その次が僕で、僕の次にケラリーノ・サンドロヴィッチさんが獲ったんですね。その間、松尾さんやら僕やら、ケラさんやらと競って落ちた劇作家が永井愛さん、鐘下辰男さん、マキノノゾミさんとか。第一線で大活躍している劇作家さんが落ちちゃったんですね。だから、東京の方で地方は何かすごいんじゃないかっていう話になって。で、地域創造さんとかが音頭をとって『リージョナルシアター・シリーズ』っていうのが始まって、東京で演劇祭をやると。青森から九州まで粒ぞろいの劇作家、カンパニーを呼んで演劇祭をやるっていうのが始まって、初年度に岩崎さんの太陽族と、うちの桃園会と土田さんのMONOと、あと、岐阜からジャブジャブサーキット、青森から弘前劇場と、そのくらいが出たんですよ。で、まあ、すごいじゃんみたいな話になって、次の年に確か鈴江さんの八時半が行ったりして。で、今はどうなったかというと、『リージョナルシアター・シリーズ』自体がなくなったんですね。演劇祭としてやったのは3年間くらいなんですよ。今度は地方の若手の才能に対して、ドラマドクターとして、例えば僕だとか元リージョナルシアターの人たちがついて、リーディングで競わせるみたいなことをまた2、3年やって、遂になくなっちゃったんですね。その間大阪では、OMSがなくなり、近鉄小劇場がなくなり、精華はできたけどもうじきなくなりっていう、ガーンと右肩下がりになっている。東京では座・高円寺ができたり、あうるすぽっとができたり、劇場がどんどん建って。岸田賞の常連もまた東京勢になっちゃったし。大阪で、例えばエンターテインメントで(観客が)入る劇団はどこだってなったら、昔は惑星ピスタチオがあったけどそこも解散しちゃったし、ピスタチオに代わるくらい入るエンタメ劇団があるかっていったらない。どこもない。ヨーロッパ企画ががんばってるけど、ピスタチオほどは入らない。エンターテインメントと我々桃園会みたいな変な芝居の劇団っていうのは両輪だと思うので、エンタメがたくさんがーっと客を入れて、我々みたいなものが賞を獲って助成金で稼ぐっていう、そういう両輪で回ってこそ芝居の世界が豊かになると思うんですけど、エンタメはぷすんぷすんって感じだし、こっち側も最近はドカンと突出した才能が出づらくなってきてて。東京からはどんどーんと花火が上がってるっていう状態は残念なことだなぁと。そうではなくすためにも、精華小劇場とかは役割があったと思うんです。東京のとんがってる劇団を呼んだり、若手の劇団にロングで貸して、がんばってもらったりっていうことをやってきたんだけど、それもなくなっちゃうんで、なかなか厳しいなぁと。僕自身も、職業が劇作家・演出家なので、じゃあどこでご飯を食べますかってなったら、もちろんこっち(関西)で食べてますけど、でも向こうの仕事の方が格段にいいですから、お金はね」

―― ああ、そうなんですね。

深津「全然違います。大体半分くらいになりますからね、関西は。ものすごい違います」

―― ええ、そんなに違うんですか。

深津「下手したら半額以下ですから、大阪は。だからねぇ…」

―― それだとどうしても、東京になっちゃいますね。経済的な面でも。

深津「そうですね。だから、学生さんでも、演劇を志して、がんばりたいっていう子に対して、どうしたら食べられますかって聞かれたら、役者志望でとりあえず顔がキレイだったり、男前だったりする子に対しては、もう大阪はいいから、若いうちにできるだけ早く東京に行ってしまえ、その方がいいって言いますね。年食ってから東京に行ったら後がないけど、19、20の頃であれば潰しが効くので、ダメだったら帰ってきて関西で芝居をやればいいので。25歳過ぎたらアイドルでも売れないし、男前の子でも25過ぎじゃ厳しくなってくるし、プロダクションもなかなか取ってくれなくなるから、早く行けとは言うんですね。それほど顔もよくないし、容姿がちょっとうーん……っていう人に対しては、演技力で頑張るんであれば、関西のちゃんとした演出家のいる劇団に入るか、関西の養成所とかに入ってお金払うんだったら、東京の養成所に入った方が仕事もつながりやすいし、先生も向こうの方がいいしって言うんですけどね。そうやって僕も言っちゃうので、いい子は行っちゃいますね、本当に」

―― ちょっとさみしい感じですね。

深津「関西の劇団で頑張ろうっていう子は、それでいいと思いますけど、食うにはちょっと遠回りになる。関西で役者として食うために、例えば桃園会に入ることは悪いことではないと思いますけど、食えるまでに時間がかかる。桃園会は東京で年に1回しか公演しませんから露出が違いますし、こっちに大きなプロダクションがあるわけでもないしっていうところで難しいかなとは思いますね」

―― 結局は本人がどういう生き方を選ぶかってところですね。

深津「作・演出志望だったら、それは別に東京に行かなくでもこっちで頑張ればいい話なので。ただ演出家を志望する子は勉強しないといけないので、そこらへんも難しいところですね。小劇場は作・演を兼ねる場合が普通なので、セットで考えて、自分で本を書いて劇団を起こして、旗揚げしてやってしまうので、あんまり勉強しないままにやっちゃったりしますけど、本の才能があっても演出がついていかない場合もあるし、難しいところですね。じゃあ東京がこう、関西の才能を買って何か仕事で呼んでくれるかっていったら全然ない。鈴江さん、土田さんも東京に行っちゃったし。松田さんくらいですね、東京から劇作家としての仕事が来るのは。だから本当は私とか松田さんとかが頑張って東京で出稼ぎして、“こう行くとこの電車に乗れますよ”っていう道筋を作るべきだと思うんですけど、なかなかそれも簡単にはできるものではないので。時間がかかります」

―― なるほど。またそういう道筋ができれば、違ってきそうですね。では、再度作品のお話に戻りますが、この『ダイダラザウルス』は、どういった感じで見てもらいたいとか、ありますか。

深津「ストーリーはあるんですけど、夢の断片が続いていくようなお話なので、夢の断片をしっかり追うとよくわかんなくなるじゃないですか。だから、あんまり難しく考えずに、夢を見ているんだと思って観ればきっと楽しいと思います。そのうち話もつながってきますから。うちの劇団は難解とか言われることもあるんですけど、難解な作品だぞって構えず、ひとつひとつのシーンは優しいシーンなので、楽しんで、ゆったりした気持ちで観ていただけたらいいんじゃないのかなと思います」

―― 細かく追っていくよりも…。

深津「そうすると置いていかれちゃうんで…」

―― ああ、逆に。

深津「目の前でいろんなことが起こってるなぁっていうのを楽しんで観ていただけたら。重たい芝居でもないし、そこかしこに笑うシーンもあるし、基本的には暗い話でもないので、楽しく、構えずに観てもらうのが一番いいかなと思いますね」

―― わかりました。今日は貴重なお話もたくさん聞かせていただきまして、ありがとうございました。




(2011年1月21日更新)


Check
(写真はすべて)桃園会第38回公演より。撮影/白澤英司

公演情報

桃園会 「ダイダラザウルス」

▼1月28日(金) 19:30
初回特別料金2000円

▼1月29日(土)・30日(日)
土15:00/19:00 日15:00
一般3000円 学生2000円

AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)
[劇作・脚本][演出]深津篤史
[出演]亀岡寿行/はたもとようこ/紀伊川淳/森川万里/橋本健司/長谷川一馬/川井直美/寺本多得子/出之口綾華

※この公演は終了しました。