柳井"871"貢インタビュー
【第8回】メジャーデビューって本当にすごいの?②
柳井“871”貢(やないみつぎ)。株式会社ヒップランドミュージックコーポレーションの執行役員及びMASH A&Rの副社長として、「THE ORAL CIGARETTES」など全6組のマネジメントを担当する傍ら、近年は独自に「#871ンスタライブ」「#871さんに質問」など、SNS/noteを中心に主に音楽業界を志望する若者に向けて継続的に発信を続けている。
そんな彼が、自身の仕事やひいては生きる上でのキーワードに掲げる”No Border”とは?境界にこだわらず働き、壁を作らず人と関わり、越境して生きていく、そんな871流「NoBorder的思考」を紐解いていく。
――メジャーに行くかどうか、という選択をバンドと共に決めるということも柳井さんはあったかと思うのですが、そうした際の判断基準は何だったんですか?
871:生活保障をどのタイミングでするか、というところが世のプロダクションやマネージャーによって意見が分かれる部分だと思うんですよね。手腕が問われるところというか。
――そこ、詳しく教えてください。
871:食いついてきたなあ(笑)。
――あまり聞けない話ですから。
871:一般的に、バンドをやったりアーティスト活動をしたりしている人たちの漠然としたイメージで言うと、今はバイトしながら音楽活動をしているけど、いつか音楽活動だけで食べていけるようになりたいなっていうのが、まずは大きな目標としてはあると思うんですよね。でも例えば、どこかのプロダクションの人間がふらりと現れて、「君、才能があるから、都内のワンルームマンションと月20万円を保証しよう。だからバイトなんかやめてバンバン曲を書いてくれ」って言われたとします。もちろん人にもよりますが、じゃあその彼なり彼女は、よしもうバイトもしなくていいんだし、部屋に篭って曲を作りまくるぞ!ってなるかと言えば、残念ながらそうならないことが結構あるですよ、これが。
――え!
871:だいたい月のうち半分以上はNetflixやマンガを見てアウトプットすることなく終わっていくみたいなケースがあるんです(笑)。音楽に限った話ではないと思うんですけど、創作のタネみたいなものって、必ずしもひとりで部屋に篭って生まれるかと言えば、そんなことはないんですよね。バイト先の店長が理不尽で、とか、バイト先の異性と恋してフラれて、とか、そういった創作とは何の関係もない外からの刺激による心の動きが出てきてはじめて創作のタネが生まれるんです。バイトしんどい、このストレスを音楽にぶつけられる!とか、例えばそんなことでもいいんです。だから、その人のつくる音楽がドキュメント性の高いものであればあるほど、長い目で見た時に、そのアーティストの成長を考えて僕は生活の援助をなるべくしないようにしています。これはセオリーでもなんでもなくて、あくまで僕の場合というか、考え方においてはということですけど。
――そのアーティストの特徴や成長度合いがどのあたりなのかをしっかり見極めてメジャーでやることがいいのかどうかを判断するということですね。
871:例えば150人のフォロワーに対してしか発信していない人は、1万人に向けて、彼らの心に届くような発信をすることはかなり無理があると思います。もしくは1万人からのレスポンスを受け止め切れない。だから手腕が問われるというのは、どうやって成長させるかと共にタイミングを見極められるか、なんですよね。あと、メジャーデビューするかどうかということで言えば、プロダクション的にわかりやすいのは、そのアーティストを軸としたレコードメーカーとの力学ですね。
――それはどういうことですか?
871:ライブハウスで100人動員していますというバンドと、すでにZeppクラス(2000人規模)をソールドするくらいの勢いのバンドだと、プロダクションからすれば後者の方がより有利な条件で交渉できるわけですよ。なぜならもうすでに活動が成立しているわけですから。対して前者の場合は、成長を見込んだ契約になりますから投資に基づいた包括的なものになる。だから、そうした価値を高めるためにもメジャーに行くかどうかのタイミングやその判断は重要なんです。
――なるほど。あと、あえてメジャーに行かないという判断の裏側にあるものとして、音楽性を守るため、というのはあったりしますか?
871:うーん……、そこは一概に言えないというのが正直なところですね。非常に意見が分かれるところというか、人によって考え方が違うところなのかもしれないですね。音楽性をブレさせないことへの頑なさって、どこまで必要でどこまで必要じゃないかがその時点での考え方は千差万別ですからね。それはもう、突き詰めれば好き嫌いの話になってしまうのかもしれません。例えば誰かのアドバイスによって、そのバンドなりアーティストが自身の音楽にまつわる何かを変えたとしましょう。それで良い結果が出れば正しくて、思い望んだ結果が出なければ間違っていたということになるんです。で、思い望んだ結果が出なかった場合、その責任の矢印っていうのは変えることを発案した人、もしくは組織に向くわけです。メジャーに行って音楽性がガラリと変わってダメになったってよく言われるやつですね。でもそれって、本当に発案した人たちが悪いの?って僕は思うんです。その発案がレコードメーカーからもたらされたものだとして、彼らの立場になって考えてみれば、そもそもヒットさせるためにそのバンドなりプロダクションなりとパートナーシップを結んだわけです。だから、そもそも思い望む結果が満足にはまだ出ていない中で、新しいトライアルをしてみるというのは至極真っ当な提案なのではないかと。そしてそれがどれほど強制力を伴ったものであったかということはひとまず置いておいて、その前から満足な結果が出ていなかったのも、結果を出すために提案を受け入れてチャレンジしたのも、結局はプロダクション、もっというとバンドやアーティスト自身の責任とも言える部分もあるよね、と僕は思うんです。
Text by 谷岡正浩
(2021年8月 6日更新)
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