約1年ぶりのリモート取材の画面の前に現れた渡辺諒(vo&g)の表情はどこかはかなげで、でも、意を決してそこにいるようなまなざしで、ANTENAの最新作となる3rdミニアルバム『あさやけ』について、この1年の多大なる喪失感について、そして、それでもなお歌い続けるという覚悟について、胸の内を臆することなく語ってくれた。昨年、キャリアの最高到達点と言える1stフルアルバム『風吹く方へ』('20)をリリースしながら、そのツアーは延期につぐ延期を経て開催中止に。いまだ出口の見えないコロナ禍に翻弄され、活動休止という幕引きを選ぶ戦友たちを見てもなお、自分はなぜ音楽を続けるのか――。そんな苦悩と葛藤の中で身を削るように生み出した全8曲は、海外の新旧の音像を巧みに取り込みながら、タイムレスで美しい歌謡のメロディラインを見事に一体化させたANTENAサウンドの一つの完成形とも言える出来に。現在はその『あさやけ』を手に、昨年はかなえられなかったオーディエンスとの再会を各ツアー会場にて果たし続けている彼らが、忘れられない1年を超えてたどりついた、かけがえのない今とは?
――去年は素晴らしいアルバム『風吹く方へ』を作ったものの、そのリリースツアーは予定通りに開催できず。ただ、いろんなアーティストがSNSでの発信やライブ配信で乗り切ろうとするそんな中でも、ANTENAはいち早く5月に音源(=完全受注生産期間限定盤『All right, good night』(’20))を発表して。ミュージシャンたるもの音楽でリアクションしてほしいなと思ってたから、内心うれしかったなと。
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「今振り返ると、あの頃はまだ活動自粛とか公演中止・延期に対してもちょっと楽観的に見てたというか、ポジティブな気持ちで向き合えたからこそ、音源を発表したりMVを作ったりできたんですよね。それが夏になってフェスも中止になり、秋になってもライブが満足にできない。当初、思っていたより“この空気感ってまだ続くんだ”っていう、よく分からない不安との戦いになっていって…」
――そのムードを食らってしまった。
「『風吹く方へ』のツアーもちゃんとできていないのに、自分たちの物語をファンのみんなとどう一緒に作り上げていくんだろうと考えると、自分が何のために曲を作っているのか分からなくなってきて…。書けば書くほど遺書みたいな歌詞しか出来上がらないし、でも、(レーベルと契約している以上)次のリリースはしなきゃいけない。そうやって“しなきゃいけない”という脳みそになり始めたとき、“あ、これはもうダメだな”と自分でも気付いて。レコーディングを延ばしてもらったりもしたんですけど…夏〜秋ぐらいは結構
しんどかった なぁ…。このまま何もかも終わってもしょうがないという気持ちではありましたね」
――音楽人生の窮地を迎えて。しかもコロナという自分ではどうにもできないことで。
「そうなんですよね。ただ、マイナスな気持ちでもそれがリアルな自分なら、仮に遺書みたいな内容になっても=’20年を生きた渡辺諒として形にしたいと思ってたんです。でも、やっぱり歌詞を変えた方が良いんじゃないかという話になって…“俺は自分の気持ちすら残せねぇのかバカ野郎!”みたいな(笑)。書きたいことも書けないし、やりたいライブもできないし、“俺の気持ちはどこにいくんだろう?”って…心が迷子になりやすかったですね」
――とは言え、最新作の『あさやけ』は、結果的にダウナーなだけに終わってはいなくて。
「エンタメ業界全体の収入が96%減みたいなニュースを見て、みんな苦しかったと思うし、そんな中でやるべきことは、“俺も苦しかったんです”って歌うことじゃないという気持ちにだんだんなってきて。自分たちの音を価値あるものとして手に取ってくれるのだとしたら、それはやっぱりマイナスなことよりも、みんなで一緒に乗り越えてきたことを、みんなで喜び合えるものがふさわしいのかなと思ったんですよね」
ゴールがいつになるかは分からないけど、寝てまた明日、目が覚めるうちは
そこまで走ってみようと思ったんですよね
――それには具体的に何かきっかけがあったのか、じわじわそういう想いになったのか。
「かつて活動をお休みしていた時期があって、メンバーが、スタッフが、自分のことを待っててくれた=待たせた感覚もあるので、だからこそ、曲が書けないことに不甲斐なさを感じちゃったりもするし、でも書けないし、それだとリリースもできない。ライブがどんどん流れていったら、ファンの人たちに忘れられちゃうんじゃないかという不安とも戦ってたり…俺も一時は“もう無理だ”みたいになってたんですけど」
――本当に…去年はヘヴィでタフな1年だったんだね。
「ただ、“何で俺は生きちゃってるんだろう?”と考えながらやるべきことをやっていく中で、いくらでも辞めるタイミングはあったけど、何だかんだ続けてるということは、まだ続けることに意味があるのかなという気持ちになっていったんですよね。自分がやるべきことを全うして、自分で終わりを決められるのも、一つの正解だと思うんです。でも、俺はまだその道を選べないし、ゴールがいつになるかは分からないけど、寝てまた明日、目が覚めるうちは、そこまで走ってみようと思ったんですよね。だから今回の『あさやけ』は、すごく好きな作品ではあるんですけど一生懸命生み出した曲が多かったので、次の作品でいろんなことがもっと自然に昇華されていくのかなと思いますね」
――あと、コロナ禍で活動休止や解散という選択をするバンドも多かったけど、ANTENAはそうはしなかった。
「去年1年間で確信したというか、自分の中で今後の軸になってくるんだろうなと思ったことがあって。走り続けていればやっぱり“何か”が起きるんですよ。それは、売れてる/売れてないとか、CDの売り上げが上がった/下がった、ライブがソールドした/しなかったとかは関係なく、続けていれば人生にイベントは起きるんですよね。どの船に乗って自分の人生を走らせるかとなったときに、俺はまだANTENAで起きるイベントを自分でも楽しみにしてるところがあるので。いろんなバンドが活動休止を選んだことにも正しさはあると思うけど、俺らはまだ走る。走っていれば何かに出会えるその“何か”を、まだ夢見ていられるのかなとは思いますね」
――音楽が自分を苦しめ、音楽が自分を動かす。
「うん、やっぱりそうなんですよね」
まだ過去を回収できてないんですよ
だから未来のことなんて歌えないというモードだったんです
――ANTENAの作品群からは毎回コンセプトを感じるけど、今作で何か軸となるものはあった?
「いや、今回は何もなかったです。去年出した『風吹く方へ』も、その前の『深い 深い 青』('19)も、活動を経て得たものからコンセプトを決めることが多かったんですけど、そもそも振り返ることがあったからコンセプトが生まれてたんですよね。例えば’19年だったら、活動を再開して、ツアーには待っててくれた人たちがあんなにいて、明らかに反応が変わってきた実感もあった上で、この先、自分たちがどうしていこうか、みたいに振り返る過去と未来を両立したものだったんです。でも、いざ『あさやけ』を作ろうとなったとき、過去を振り返るも何も、『風吹く方へ』のツアーがちゃんとできなかったから、まだ過去を回収できてないんですよ。だから未来のことなんて歌えないというモードだったんです。だから最初は、とにかく曲を作らなきゃいけないしんどさと戦ってたんですけど、作っていく上で形が見えてきた、みたいな感じでしたね」
――今回はある意味、出たとこ勝負というか、自分たちでもどんな作品になるのか分からなかった。
「ただ、曲単体としては“音楽の楽しさ”みたいなところに立ち返りたいとは思っていたので、久しぶりにがっつりギターソロを入れてみたり、テンポの速い曲でシンセを使わずバンドサウンドを鳴らしてみたり、打ち込みの音源を入れてみたり…しばらくやってなかったことをやってみようぜみたいな感じで」
――そう考えたらバンドで良かったというか、そういう仲間が、乗組員がいて良かったよね。
「乗組員にはすごく助けられましたけど、呑気に銭湯に行ってたり、ゲーム配信とかしてると“イラッ”て(笑)」
――アハハ!(笑) 今作を聴いてもいわゆるANTENA節というか、“この人たちが歌って演奏すればANTENAの音楽になる”と真っ先に感じましたけど。
「それは自分たちとしても結構感じるところで…何て言うんだろう? 自分で曲を作ってるときにも一つ思っていたのは、良くも悪くもANTENAになっちゃうというか、“このままでこれ以上はないんじゃないかな?”と少し思ったんですよね。安心感と言われればそうなんですけど、“ANTENAっぽさ”の中で収まっちゃう音楽をこれから先もずっと作り続けていくとなると、それはそれで現状維持でしかなくなっちゃうので。『Night Flight』(M-3)はテンポ速めで、ギターソロも入れて、ちょっとロックっぽい位置に立たせたり、『Jibunmakase』(M-2)では、80年代のエレキドラムの打ち込みとかシンセサイザーのリバーブ感とか、普段好きで聴いてる感じを入れたりもしたんですけど、俺が歌うとANTENAになっちゃうんですよね(笑)。次作ではもっと違う感じで、良い意味でANTENAをぶっ壊すこともできそうだなとは思いましたけど」
――グローバルなサウンドにJ-POPの メロディを乗せる、ANTENAのひな型はここでひと通りできたのかもね。
「そうですね。何が一番嫌かと言うと“慣れ”なので。やる側も聴く側も慣れちゃうと…それがスピッツとかの規模までいけてたらまだしも、俺らが慣れるのはまだ早いんで」
――だからこそまだ終われないし、実験し尽くしたわけでもない、ANTENAを続ける理由というか。
「そうなんですよね。まだまだやってみたいことがあるし、自分たちがこの先出会うべきものがきっとたくさんあると思う。そのためにも、今までの自分たちからの卒業を、ちょっと感じているところではありますね」
誰かにとって大事な人になれるような、いないと何か物足りないような
その温度感がANTENAの今後のキー
――そんな中でも、『Jibunmakase』の“ネオン パッパッパ”という言葉遣いとか、アーバンなポップスに乗せる“東京はやばいんです”というサビのフレーズはすごいなと思ったけど(笑)。
「アハハ!(笑) そこは結構気に入ってるんですよね。世の中に対してムカついても、やることはやらなきゃいけなかったり…ちょっとでも自分の中の反発心を昇華して表現したかった、せめてもの反逆心だったんでしょうね(笑)」
――あと、この曲の“何者にもなれない”というフレーズは30代初頭特有の感覚だと思うし、Twitter でも“俺はオシャレでも知識人でもないし、でもオシャレや知識の抱負さに憧れるし、でもどこかとことん踏み込めなくて。俺たちのバンドと音楽はそういう「なりきれないけど密かに憧れてる」っていう誰にでもある心の中の不良心を表現していくことなんだ”と言っていて。そういう年齢=経験からくる気付きと、コロナで突き付けられた現実が重なった、バンドのターニングポイントな気もしました。
「去年は確実にそうだったと思いますね。King Gnuみたいなワイルドさを持ちたいとか、Suchmosみたいなストリート感に憧れはしても、結局、自分が今まで生きてきて、31年積み上げてきて自分の中にないものって、根本から手に入らないものだと思うんですよ。だからそれに憧れるより、自分自身を肯定できるようなもの、改めて自分が持っているものを活かすことがアイデンティティにもなっていくと思うし、それが楽曲として、バンドとして、もっと本質的な厚みになってくると思う。そっちに舵を切れるようにしたいなと今年は思いますね。もうずっと調子に乗ったまま、ウェイウェイできたら幸せだったけど(笑)、気付かざるを得ないことが多かったです」
――みんなそれぞれに理想もあって、でもそうなれなくてうらやましくて…みたいなことはどんな仕事をしていてもあるし、その気持ちってみんなが抱えてることだからよりシンパシーを感じると思うよ。例えば、クラスの40人中35人がKing Gnuみたいなクリエイティブ学級だと居場所がないじゃん?(笑)
「それは嫌だなぁ~(笑)。常田(大希・vo&g)さんは学年に一人で良いんです!(笑) 誰もが憧れるような、学年に一人しかいないようなカリスマ性は俺にはなかった。でも、誰かにとって大事な人になれるような、いないと何か物足りないような、その温度感がANTENAの今後のキーになるのかなとは思ってますけどね」
――いやぁ〜濃いね、今回の話は。やっぱり心の動きがすごく重要な作品だし、『花空』(M-5)なんかも、“⼼は曲者だよな/⼀⼈で抱えるには無理がある”というフレーズ=想いを起点に歌詞を組み立てていったと。
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「それこそ、『花空』はリアルに経験したことが特に強く出た楽曲ですね。何か…人がいなくなっちゃうことを何をもって実感するのかなとずっと考えてたんですけど、例えば、奥さん(=筆者)に前回
インタビュー してもらってから1年以上経ったわけじゃないですか。その間、会えなくても俺は悲観しなかったし、奥さんもそうだったと思うんですけど、もし会えない状態が一生続くなら=いなくなった実感になると思うんです。いなくなるって別に生き死にだけじゃないと、そこで初めて分かるんですけど」
――生きてても、一生会わないなら自分の人生からいなくなるもんね。
「そうなんですよ。それが一番寂しいことというか。今回は『花空』をはじめ再会を祈る楽曲が多くて、アルバムを出すこととかツアーを回る意味でもあるんですけど、お客さんとかファンとかリスナーの方にとって、俺らと会わないことが続いていく=いなくなってしまうことを、実感させたくなかったのはやっぱりありますね。アルバムを出すからには、人前に立ってツアーをやるからには、もう一度ちゃんと再会したかった。“さようなら”=その人と会わないことが無限に続いていくこと、にならないように」
――今はこうやって曲に込めた想いを話してくれてるけど、作っていた頃はのたうち回ってたんじゃないかと心配になるようなヒリヒリ感を自ずと感じるなぁ…。
「アハハ!(笑) こだわりがある分、好きな曲なんですけど、聴くと苦しくなっちゃう。そう考えると、作らなきゃいけない環境にあったことはありがたかったと思いますね。これで特に締切がなかったら、今でも『あさやけ』を作ってなかったかもしれないし。あれやこれやとお尻を叩かれる中で、まだ走れると気付けたことも多かったので」
自分の生きた証を形にするのって実はすごく大事なんじゃないかって
――『あいのうた』(M-7)はタイトル曲と言ってもいい曲だと思うけど、身近な人ほど距離感が難しかったりする中で、終わりの見えないコロナ禍で、結局は愛に行き着くような。
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「去年1年で、普遍的な優しさに触れたいなと思うようになって。もうすっごくベタですけど、“そばにいるよ”と言ってもらうだけで、自分の中の世界が開いていくような…。ライブハウスが悪だとか、自粛警察が生まれたりとか、“こんなご時世に人と会うなんて”みたいにギスギスしちゃってる世の中で、これから求められるものはもっと普遍的な優しさとか安心感というか…。だからこそ、『あいのうた』では改めて、当たり前のことを大事にできるような、この曲を聴いてくれた人がそういう優しい気持ちになってもらえたら良いなと思って作りましたね」
――この気持ちを抱えてツアーでみんなに会って、改めて自分たちがどう思うのか知りたいね。
「本当にそうですね。ライブハウスに来ること自体のハードルがやっぱり上がってるじゃないですか。今までは“ソールドアウトさせたいです!”なんてよく言ってましたけど、そういうこともうかつには言えないし、俺もそんな気持ちにはなれないので。お客さんも同じような感覚で来る人が多いと思うんですよ。そうやっていろんな想いを抱えながら、来るという選択をしてくれた人たちが集まった空間で、自分たちが何を感じるのか」
――目を見て分かることもたくさんあるだろうしね。
「ね。大前提として、“やって良かったな、楽しかったな”という気持ちにはなると思うんですよ。でも、その気持ちの内訳は今までとは変わってくると思ってて。それと次作に向けた感情が合わさったとき、どんな景色が見えてくるのか。走り続けていれば絶対に何かが起こるし、続けることを続けていくことがやっぱりすごく大事なんですよね」
――いや〜先生、達観しましたね(笑)。
「1年間のたうち回ったかいがありました(笑)」
――今回も相変わらずのクオリティにちゃんとメッセージを忍ばせて、それが的を射てるし、コロナ禍で諒くんのパーソナリティをより垣間見たというか…すごく人を見てるんだなと思った。
「俺らは曲が作れるから、仮に俺が明日死んだとしても、生きた証は残せるわけじゃないですか。そう考えたら、何だかすごくもったいない気がしてきて。それぞれの人がそれぞれに波乱万丈の人生があったはずだし、そこから自分の正解とか哲学、価値観みたいなものが生まれる。俺が今、Instagramのストーリーで日記を上げてるのも、自分の思想とか哲学、自分が何を感じてきたかを形にしておきたいからで。で、いずれ本を作りたいという(笑)。それは別に需要のある/なしじゃなくて、自分の生きた証を形にするのって実はすごく大事なんじゃないかって、この1年で改めて感じたので。バンド以外の表現でも、できることを増やしていきたいなとは思ってますね」
――そして、ツアーに関してはやって初めて見る側は行くか/行かないかを選べる。例え今は行けなくても、そういう選択肢が残されている方が未来はあると思う。
「俺らはメディアへの露出が多いバンドでもなかったし、夏フェスとかに分かりやすく出ていたわけでもなくて。一本一本のライブでちょっとずつお客さんが増えて、それを軸に活動していたので。この1年、満足にライブができないことで忘れられちゃう不安はすごくあったし、それはセールスにも大きく関わってくることで。ANTENAに興味をなくしちゃった人が、そのまま数字にも表れてくる。ただ、そんなに悲観はしてなくて、これからも出会う人たちは増えていくと思うし、いろんな人をもっと巻き込んでいける未来を感じてるので。だからこそ、行きたかったライブにも行けない、やりたかったライブもできない、いつコロナ禍が明けるかも分からない状況で毎日毎日、感染者数を気にして生きてく中でまたライブで会えたとき、この1年の苦しかったことをみんなで乗り越えてきた喜びとか幸せを、感じられるような一日にしたいと思ってます!」