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「今、音楽やるのがすごく楽しい」
挫折も葛藤も礎に、ボイエンがついにメジャーデビュー
渾身の『FOREVER YOUNG』携え東名阪リリースツアーが開幕へ!
BOYS END SWING GIRL全員インタビュー&動画コメント

 ’10年結成、’13年より現メンバーにて本格的に活動を開始した千葉県成田市発のロックバンド、BOYS END SWING GIRLが、1stフルアルバム『FOREVER YOUNG』でついにメジャーデビューを果たした。彼らの挫折や葛藤、紆余曲折の人生をギュッと凝縮した同作には、バンドの窮地を救った過去曲から新境地を拓いた楽曲まで、骨太のバンドサウンドを軸とした実に表情豊かな12篇の物語が収められている。そこで、ぴあ関西版WEB初登場となる彼らに、デビュー直後の心境をはじめ、バンド結成時の話や、“僕は天才じゃない”と言ってのけた冨塚(vo&g)による気付きの言葉のマジック=“暗黙知”もふんだんに散りばめられた1枚について、たっぷりと語ってもらった。

 
 
一歩でも足を踏み外したら崖から落ちてしまう
崖っぷちでずっと片足立ちしているような感覚でした
 
 
――まずは、バンド結成の流れを教えてください。
 
冨塚(vo&g)「高校のサッカー部内でバンドを結成したのが始まりで、まずそこに幼馴染の白澤(b)がいて、3年生のときに文化祭に出るために隼(=鍔本・g)を誘って、大学に入って白澤が昇平(=飯村・ds)を連れてきてくれたんですよ。僕はそもそも中学生の頃はプロサッカー選手になろうと思ってたんですけど、県大会で強豪チームに大敗して、他人の才能を目の当たりにしてめちゃくちゃ落ち込んで…。それからは、親には“学校に行ってくる”と言って、実際は公園に行く、みたいな日々で(笑)。そのときにBUMP OF CHICKENとかMr.Childrenを聴いてギターを弾き始めて、ちょこちょこ作曲もしたりして」
 
白澤「僕は元々アコギを趣味でやってた程度で、バンドをやるつもりは全くなかったんです。でも、前のメンバーが抜けたりしたタイミングで誘われて、そこから半ば無理矢理ベースを始めて…(笑)」
 
鍔本「僕は野球部だったんですけど、(冨塚が)バンドでライブハウスに出始めてて、それを観に行ってたんですよ。それで“すごいなぁ、僕もやりたいな”って思ってたときに、ちょうど“ギターが抜けたから入ってくれ”って誘われて。ギターを弾いたことも全然なかったんですけど、バンドに入った次の日には野球部を辞めて(笑)」
 
飯村「俺は大学の軽音サークルで白澤と出会って、最初は“サポートをしてくれないか”みたいな割と軽いお誘いのイメージだったんです。でも、いざやってみたら楽しかったし、しっかりとした考えを持ってるバンドだなと思ったんで、ずっとやっていきたいなって」
 
――タイトル曲『フォーエバーヤング』(M-1)は、バンドを辛い時期から救った曲だと。
 


冨塚「曲ができた当時、僕らは大学4年生で、周りのみんなは就職も決まっていく中で、バンドを“すごいね”とは言ってもらえるけど、内心は“全然すごくないし、本当に砂の城だな”と思いながら活動していて…。頑張ればうまくいくかもしれないけど、同時に、このままみんなの人生を背負って曲を書くのは無理だ、とも思っていたんです。あと、僕の声が出なくなってライブを飛ばしちゃったのもあって、一旦バンドは活動休止して。そんなとき、ボイスメモに入ってた『フォーエバーヤング』をふと聴いてみたら、“すごくいいな”と思って。あのとき、ボイスメモを聴こうと思わなかったらちゃんと曲にはなってなかったし、本当に些細なきっかけから生まれたこの曲がバンドを救ってくれたので、思い入れは強いですね」
 
――続く『Goodbye My Love』(M-2)は、サウンドも歌詞の心の描写も美しい曲です。
 


冨塚「この曲はとにかく時間をかけて、一生懸命書きました。その過程があまりに辛過ぎて、スタジオで号泣したぐらいですから(笑)。本当に心がいっぱいいっぱいになっちゃって」
 
飯村「ビックリしました。スタジオから会話とかも何もなく急に泣きながら出てきて(笑)」
 
冨塚「それぐらい、当時は自分の才能と戦うのが本当に辛かった。一歩でも足を踏み外したら崖から落ちてしまう、崖っぷちでずっと片足立ちしているような感覚でした。この曲をメンバーに聴いてもらったときに“すごくいいね”って言われて、そこで初めて“よかったな”と感じて。いつも誰かに判断してもらって、やっと曲が完成するというか」
 
飯村「この曲を初めてスタジオで聴かせてくれたときは、鳥肌が立ちましたね。僕は“絶対にこの曲がリードがいい”ってずっと言ってたので、無事にそうなって“やったぜ!”っていう感じです(笑)」
 
白澤「歌詞に“衣替えをした 春物のコート 音も立てずに/ぽとりと落ちた 映画の半券/ああこんなところに まだ君はいたのか”っていうフレーズがあって。周りの人にもやっぱりそこは残るって言ってもらえるんですよね。そういう印象的なフレーズが書けたのはすごいと思うし、音楽をそこまで知らない人にも届くようないい歌になったなって」
 
鍔本「僕も同じく、そこがすごい好きです」
 
冨塚「一瞬でみんなの共感を得られる、“暗黙知”というのがあって。普段は全然意識していないけど、“確かにそうだな”と思えるような言葉に触れたときに、人の心は動く。歌詞を書くときはそれをずっと意識してるので、この曲ではその暗黙知を表現できたんじゃないかな」
 
――今作では、この曲をはじめ『縋 -sugare-』(M-3)、『Wonder Light』(M-6)、『リベラル・セブンティーン』(M-10)を、作詞家のjam(=山田ひろし)さんと共同で書かれていますね。
 
冨塚「最初は作詞の先生が入ることに戸惑ったんですけど、“まずは君が書きたいことを全部教えてもらった上で、より伝わるようにしていこう”っていうjamさんのひと言で、すごく安心して。“この言葉だと伝わり方が限定されちゃうから、次までにもっと伝わるように考えてきて”みたいな宿題形式でプロの意見をいろいろと教えてくれたので、めちゃくちゃやってよかったですし、新しいやり方だなと思いました。本当に僕のいいところを伸ばしてくれる方で、次回作でもぜひお願いしたいですね」
 
――その影響か、『縋 -sugare-』は詩的な面が如実に表れています。
 
冨塚「言葉やフレーズもこの曲が一番影響を受けてますね。例えば、Aメロからちょっと異質な雰囲気を出したいけど言葉が見つからないっていうところも一緒に探してくれて、jamさんと共作した感覚が一番強い曲です。この曲の始まり方もアルバムの中で一番好きで、“観たことがあるような風景をどう伝えるか”っていうところにたどり着けたなって。逆に次の『Boo!! Let it go!!』(M-4)は、あまりにも“爽やかだ”と言われることが多過ぎてムカついて書いた曲なんです(笑)。今までもダークな面は出してきたつもりなのに、そこの印象は全然残ってないんだなと思って」
 
白澤「メジャーデビューのタイミングで、この2曲が入れられたのは結構大きかったと思いますね」
 
 
バンドマンはみんなギャンブラーだよ(笑)
 
 
――『毛布の中で抱き合って』(M-5)は一転して、甘い歌ですね。
 
冨塚「実はこの曲の“前髪を切ったり 爪を塗ったり/シャンプーをかえたり ちょっと痩せたり”っていうフレーズは、母ちゃんに“これは言い過ぎだから”と言われ(笑)、でも、jamさんからは“絶対に入れた方がいい”と言われ、結局jamさんの意見を採りました(笑)。僕の周りには言葉を大事にしてる人が多くて、作詞に関しては母ちゃんもめっちゃ客観的に意見をくれるんで、音楽を始めて最初に歌詞の相談をしたのも母ちゃんだし、その後は僕の恩師でもある塾の先生に毎回添削してもらってたから、今回のjamさんともスムーズにやりとりができたと思うんですよね」
 
――『Wonder Light』はライブで盛り上がりそうな曲ですよね。
 
鍔本「最後のアウトロのギターソロは、本当にレコーディングのギリギリまで考えてました(笑)」
 
冨塚「俺が『SING/シング』(’17)っていう映画がめっちゃ好きで、“この劇中歌でカッコいいギターソロがアウトロに入るから、こんな感じで弾いてくれ”って隼に伝えて。それで頑張って時間をかけて録ってたんですけど、俺は途中で帰っちゃって(笑)。後で出来上がりを聴いて、“あれ一番好きだわ、カッコよかったよ”っていう(笑)」
 
――『クライベイビー』(M-7)はピアノとストリングスのシンプルな構成で、個人的にはミスチルの『つよがり』(’00)級の名曲の予感がしています。
 
冨塚「ありがとうございます! ミスチルはめっちゃ好きなんで嬉しいです(笑)。これが最後にできた曲ですね。今までにない感じで1曲やりたいなと思って、アレンジャーさんにピアノがメインのアレンジをお願いしました」
 
飯村「なのでこの曲では、僕たちは完全にお休みです(笑)」
 
冨塚「次の『ストライド』(M-8)は、『CLOCK』(’17)っていうミニアルバムに入っていた、昔からある曲ですね」
 
――“1% の可能性に100%BET で賭けたんだ”、“誰にも言わせやしないぜ これまでが無駄なんて”というフレーズが、ボイエン(=BOYS END SWING GIRL)の活動と重なって説得力が増しますね。
 
飯村「僕もその歌詞が好きですね」
 
冨塚「(飯村を見て)ギャンブラーだからね」
 
飯村「バンドマンはみんなギャンブラーだよ(笑)」
 
(一同笑)
 
冨塚「僕は天才じゃないけど、他の人と何が違うのかを考えたときに、やっぱり挫折したことがすごい大きいんですよ。そのときの経験を絶対に大事にしたいなと思って。サッカーがもうちょっとうまくいってたら絶対に書けなかった曲だし、そもそもサッカーをやってなかったら曲自体書くことにはなってなかった。『ストライド』が書けた=自分の人生が出せたなって。本当に大きなターニングポイントだったと思います」
 
飯村「それと、『クライベイビー』から『ストライド』の流れも沁みますよね」
 
冨塚「曲順はずっと自分たちで決めてきたんですけど、バラードを連続で入れたり、『縋 -sugare-』と『Boo!! Let it go!!』を並べちゃうような発想は今まではなかったんで、そこは本当にスタッフさんと一緒に作れたからこそですね。あと、アルバムという形態で音楽を聴くのが僕はすごい好きで。今はストリーミング時代だけど、僕が憧れてきたミュージシャンは…それこそミスチルだってバンプだって、アルバムにすごいこだわってる。僕は“好きなアルバムは何?”っていう話から始めたいタイプなので、そういう面をちゃんと持てたんじゃないかな」
 
――そして、ミニアルバム『NEW AGE』(’18)にも収録されていた『MORNING SUN』(M-9)の冒頭の歌詞も、まさに先ほどの暗黙知による発見というか。
 


冨塚「1日は当たり前に過ぎていくけど、“46億年あって同じ日は1日もないんだぞ”って」
 
飯村「あと、ここまで僕ら4人以外の音を全面的に出したサウンドはこの曲が初めてなんです。元々はアコギで弾いていた曲だったんで最初はエレクトロなアレンジに違和感を覚えたし、“急にピコピコして時代に乗り始めたぞ”って叩かれると思ったけど(笑)、僕ら自身も改めてアレンジャーさんといい関係を築けるきっかけになった曲だと思いますね。この曲がなかったら、『FOREVER YOUNG』はできてなかった」
 
冨塚「正直、リリースするまでは不安だったんですけど、いざしてみたら…これは隼が言ってたんですけど、お客さんたちが聴いたときに“BOYS END SWING GIRLらしい曲だね”って言われたと。僕らとしては未知数な曲も、聴いてる人からしたらBOYS END SWING GIRLらしくなる。だったらもう何でもできるなと思ったんですよ。この曲があったから本当にいろんな曲が作れるようになったのはありますね」
 
白澤「“ボイエンらしい”って言ってもらえると最初は思ってなかったので、本当に意外でしたね」
 
 
誰かに必要とされてることに気付くだけで生きていける
 
 
――ちなみに、『リベラル・セブンティーン』は何で17歳なんですか?
 
冨塚「Base Ball Bearの『17才』(’07)がめっちゃ好きで、17歳になる瞬間もその曲を聴いてたぐらいなんで(笑)、年齢が入った曲をずっと作りたいと思ってたんですよ。あと、『セブンティーン・アゲイン』(’09)っていう映画も好きで、元々同じタイトルで歌詞も書いてたんですけど、当時のレーベルの社長さんに“まだ若いのにもう『セブンティーン・アゲイン』は早い”って言われて(笑)。僕はもちろん17歳を経験してるし、塾の先生として17歳の子に教えたこともあるので、またいろんな解釈ができる立場だと思ったんですよ。だけど、“こう生きなさい”っていう歌じゃなくて、“これは17歳の私たちの歌だ”ってみんなが自分自身の歌にしてほしかったし、そう思ってもらえるためにはどうしたらいいのか悩んでたらjamさんが、“一人称を僕→ウチに変えたら、17歳の視点に立てるんじゃない?”ってアドバイスをくれて。それが本当に効いたなと思ってますね」
 
――これで聴いた人と曲がグッと身近になるというか。
 
冨塚「それに、17歳ぐらいって思春期でいろいろあったりして、思い詰めてる子も多いじゃないですか。でも、自分1人じゃ解決できないけど、誰かに必要とされてることに気付くだけで生きていけるって、その子たちに伝えたい。だからと言って、説教臭くなるのはイヤだなと思ったときに、“セブンティーン ウチらきっと 生きてるだけで誰かのためになってる”っていうフレーズができたんです。本当にこの歌詞が書けてよかったですね」
 
――そして、白澤さんアレンジの『ナニモノ』(M-11)ですが。
 
飯村「ついに出番が来た!」
 
冨塚「今までのインタビューで喋ってないことを喋ろう!」
 
白澤「まぁ、まずは喋ってきたことから話すと…」
 
(一同爆笑)
 
白澤「元々この曲はずっと前からバンドアレンジの曲だったんですけど、今回のアルバムの候補曲になるということで、ちょっと違うことやってみたいなと思って。普段こういう感じの音楽は聴く方じゃないですけど、見よう見まねで1から作ってみました。1曲を通して人生の起承転結みたいなものを表せたらいいなと思って、最初はお母さんと赤ちゃんの声のサンプリングから始まって、徐々に盛り上がりつつ最後は心電図の音で一生が終わる。そういう構成で編曲しましたね。こういうアレンジについては今までも散々話してきたんですけど、さっきの暗黙知の話で、“帰り途 ふと嗅いだ匂いが僕を連れ戻す/思い出は心じゃなく 身体が覚えているようだ”っていうフレーズは、マジでそうだなと思うんですよね。今になってふと嗅いだ匂いで小学生の頃を思い出したり…普段思っていても言葉にできてないことが、こうやって形になって表れたものだと思います。っていうのが初出し情報でした(笑)」
 
冨塚「この曲は、サッカーを一緒にやってた小学校の同級生と呑んでるときに、“俺たちはサッカー選手になれなかったけど、自分が表舞台に立つ人間じゃないっていつ自分に言い聞かせるのか”っていう話をしてたら、“輝きの裏で泣くことに決めたあの日を”っていうフレーズが出てきて。やっぱり自分より才能があると思ったりすると、辞めちゃいたくなる気持ちが生まれる。それを深く語ってはないけど、ここに込められたのはすごくよかったなと思ってます」
 
――最後の『Alright!! ~令和若者讃歌~』(M-12)も、若者に向けて作られた曲だと。
 
冨塚「僕たちはずーっと友達に応援してもらってきたバンドで、本当にそこは誰にも負けないんじゃないかなと思うんですよ。そうやってここまで来れたから、お返しに同い歳の友達に応援歌を書きたいなと思って。それからは、友達と呑みに行って何が辛いかとか、どういうふうに仕事をやっているのかとかをめちゃくちゃ聞いて、頑張って友達の立場になり切って書きました。めっちゃ好きですね、この曲」
 
飯村「野外ライブでもやりたいですね」
 
冨塚「それこそ隼が、“この曲はプロのアレンジャーさんがついて、ブラスとかストリングスが入って、本当にスタジアムでやれる曲になるまでは出したくない”って。そのご意見を聞いた形ですよね?」
 
鍔本「はい!(笑)」
 
 
今までのバンド人生で一番の作品ができた
 
 
――このアルバムが出来上がったとき、どんな気持ちでした?
 
飯村「やっぱりすごく感動しましたね。今までで一番いいものが作れたなって確信しました」
 
鍔本「めちゃくちゃ自信作になって、“みんなはどう思うだろう?”とかはあんまり思わなくて。“これでダメならしょうがない”って思えるぐらいのCDになってよかったです」
 
白澤「いいものができた分、本当に録るのは大変でしたね。それこそ、『毛布の中で抱き合って』なんかは、録る2日前ぐらいに最終型を聴かされて…でも、それもメジャーっぽい感じがするんですよね~(笑)」
 
飯村「もはや前日だった気がする(笑)。そこから自分のフレーズに落とし込んで、夜が明けたらレコーディング…」
 
冨塚「メンバーに途中経過を見せたくないんですよね。中途半端なものを聴かせて、“こいつ才能ないな”って思われるのがイヤなんで。迷惑なのは分かってるんですけど、自分が納得するまでは絶対に聴かせたくない。だからみんな、前日に聴かされることになるんですけど(笑)。あと、チームにすごく厳しいスタッフさんがいて、それこそ、制作中に“メロディが弱い!”って追い込まれて泣いちゃった最初に話した人のことなんですけど(笑)、それぐらい基本的に褒めることをしない人から、“『Goodbye My Love』を聴いて泣きそうになったよ”と言ってもらえたときは、“もう、このために頑張ってきた!”って思いましたね」
 
飯村「あれは確かに嬉しかったよね」
 
冨塚「めっちゃ嬉しかった。今までは、自主レーベルを立ち上げたり、タワレコ全店に電話してCDを置いてもらったり、そういうところまで全部自分たちで考えてやってたんです。でも、メジャーのお話をいただいたときに、その厳しいスタッフさんとレーベルの方から、“君たちには音楽だけをやってほしい。そのために環境を整えてサポートするから”って言われて、そこですごく気が楽になって。だから今回のアルバムができたとき、“これで俺たちの最初の仕事は終わった”って心から思えたんで、大きな一歩だったなと思います」
 
――アルバムのリリースに際し、憧れのLUNKHEADの小高芳太朗(vo&g)さんからディスクレビューも書いてもらっていましたが、そこで“冨塚君は生粋のド変態だと、思う。”と(笑)。
 
冨塚「もう、ずっと“爽やか”って言われてきたから、“変態”って言ってもらえるのがめちゃくちゃ嬉しくて(笑)」
 
(一同爆笑)
 
冨塚「でも、気付いてくれる人は気付いてくれるんだなって、救われました。憧れの小高さんにそう言ってもらって、あと、大好きな小説家の重松清さんにも“君の歌詞はいいよ”って言ってもらえるようになって…もう他の誰にどんなに叩かれてもいいと思いました(笑)」
 
――リリースに伴う東名阪ツアーもいよいよ始まりますが、大阪公演は7月12日(金)LIVE SQUARE 2nd LINEで、この日はリアクション ザ ブッタ、tonetone、Outside dandyとの対バンです。
 
飯村「まだ一度も披露してない曲もあるんで、僕ら自身もどんなライブになるのか、いい意味でドキドキしてます」
 
鍔本「あと、今まではミニアルバムだったから対バンでも全曲できてたんですけど、フルアルバムだから全曲はできないっていうのが、初めての感覚だなと」
 
冨塚「確かに! それも暗黙知だな(笑)」
 
――全曲聴きたい人はぜひファイナルの東京ワンマンにも足を運んでもらうということで。最後に、ぴあ関西版WEBの読者とファンの皆さんに向けてメッセージを!
 
白澤「今までのバンド人生で一番の作品ができたと思ってるので、いろんなところに注目して聴いてもらいたいなと思いますし、ライブならではの雰囲気とか表情とか弾き方も楽しみに、足を運んでいただければと思ってます」
 
飯村「メジャーデビューできたのは、当たり前なんですけど周りの人の力があってこそなんで、感謝の気持ちが溢れ過ぎていて。最近は、“ありがとう”って言い過ぎて軽く聞こえちゃうかなと思うぐらい、本気のありがとうを伝えてるんですよ。だから、“このありがとうは軽くないよ”って会場で伝えたいです!(笑)」
 
鍔本「アルバムの曲、たくさん聴いてください。ライブも観に来てほしいです」
 
冨塚「もうちょっといってみようか!」
 
鍔本「いつもありがとうございます…グッズも買ってほしいです!(笑)」
 
(一同爆笑)
 
冨塚「それここで言う?(笑) 伝えたいことは全部歌詞にできたと思うんで、あとはもうこのインタビューを読んでもらえれば。今、音楽やるのがすごく楽しいなと思ってて。やっぱりそこが一番だなとも思うし、お客さんともその楽しさを音楽で共有していけたらいいなと思ってます!」
 
 
Text by 松川沙織



(2019年7月 9日更新)


Check

Movie

大阪のお客さん2人時代から語る(笑)
ボイエンからの動画コメント!

Release

代表曲から新境地までを網羅した
メジャーデビューアルバム!

Album
『FOREVER YOUNG』
発売中 2539円(税別)
Imperial Records
TECI-1644

<収録曲>
01. フォーエバーヤング
02. Goodbye My Love
03. 縋 -sugare-
04. Boo!! Let it go!!
05. 毛布の中で抱き合って
06. Wonder Light
07. クライベイビー
08. ストライド
09. MORNING SUN
10. リベラル・セブンティーン
11. ナニモノ
12. Alright!! ~令和若者讃歌~

Profile

ボーイズ・エンド・スウィング・ガール…写真左より、飯村昇平(ds)、鍔本隼(g)、冨塚大地(vo&g)、白澤直人(b)。千葉県成田市出身の4ピースロックバンド。小学校からの幼馴染である冨塚と白澤を中心に’10年結成。’12年に鍔本、翌’13年に飯村が加入し、本格的に活動を開始。10代の頃から『RO69JACK』や『HOTLINE』『HARENOVA』など数々のコンテストで入賞し注目を集め、’16年9月に自主レーベルNazcaRecordsより1stミニアルバム『KEEP ON ROLLING』をリリース。’17 年より88Music・Village Again associationと契約し、2ndミニアルバム『TRANCE』、3rdミニアルバム『CLOCK』とリリースを重ねる。同年、テレビ朝日『EX シアターTV』主催『ROAD TO EX 2017』にて見事優勝し、年末に憧れのEX THEATER ROPPONGIのステージを踏む。“ROAD TO EX 初代優勝バンド”という肩書きを引っ提げ’18年は『METROCK 2018』などの大型フェスにも出演し、4thミニアルバム『NEW AGE』をリリース。ツアーファイナル公演の代官山UNITでのワンマンライブを成功させる。そして’19年6月5日、1stフルアルバム『FOREVER YOUNG』にて、ついにメジャーデビュー。冨塚の透き通りながらも力強い声、メロディアスな楽曲、そして4人から発せられるグルーヴやアンサンブルを武器に、地元・千葉県成田市から果ては世界を目指して活動中。

BOYS END SWING GIRL
オフィシャルサイト

https://www.besg.jp/

Live

初のフルアルバムを引っ提げ
東名阪ツアーがついに開幕!

 
『BOYS END SWING GIRL
 TOUR 2019 “FOREVER YOUNG”』

【愛知公演】
チケット発売中 Pコード154-527
▼7月11日(木)19:00
アポロベイス
スタンディング2500円
[ゲスト]幡野友暉/tonetone/Kream
アポロベイス■052(261)5308

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Pick Up!!

【大阪公演】

チケット発売中 Pコード154-420
▼7月12日(金)18:30
LIVE SQUARE 2nd LINE
前売2500円
[ゲスト]リアクション ザ ブッタ/tonetone/Outside dandy
LIVE SQUARE 2nd LINE◼️06(6453)1985

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【東京公演】
チケット発売中 Pコード154-760
▼7月21日(日)18:00
WWW X
スタンディング2500円
ハンズオン・エンタテインメント■03(6812)9539
※未就学児童は入場不可。

チケット情報はこちら


【東京公演】
『PIA MUSIC COMPLEX 2019』
一般発売6月26日(水)
Pコード未定
▼9月29日(日)11:30
新木場・若洲公園
1日券9500円
[出演]打首獄門同好会/UVERworld/キュウソネコカミ/10-FEET/ネクライトーキー/NOISEMAKER/Hump Back/フラワーカンパニーズ/BLUE ENCOUNT/HEY-SMITH/BOYS END SWING GIRL/マキシマム ザ ホルモン/ミオヤマザキ/美波/ヤバイTシャツ屋さん/ROTTENGRAFFITY
ディスクガレージ◼️050(5533)0888
※小学生以上はチケット必要。未就学児童は保護者1名につき1名まで入場可。エリア制限あり。雨天決行、荒天中止。詳細は問合せ先まで。出演者はいずれかの公演に出演。出演者変更に伴う払戻し不可。

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ライター松川沙織さんからの
オススメコメントはコチラ!

「取材前日、ちょうどBOYS END SWING GIRLのインストアライブに出向いたのですが、まさかの迷子になりラスト1曲の『Goodbye My Love』しか聴けず(笑)。でも、(鍔本)隼(g)さんが鳴らすめちゃめちゃ綺麗なギターの音をはじめ、バンドの音を、歌を生で聴いて、“これは間違いなくボイエンを好きになるな”と。実際にお会いしてみると“ホンマに25歳!?”と疑いたくなるぐらいしっかりしていて、でもどこかスポーツ少年特有の屈託のなさも共存している、魅力的な4人でした。冨塚(vo&g)さんは“自分が書いた曲と同じ人生を歩むことがある”そうなので、めちゃくちゃ成功する曲を書いたら実現するかも(笑)。あと『ストライド』の“あの日の歓声が あの日の太陽が 僕の背中を押すよ”というフレーズはお母様案件らしく、本当に作詞のクレジットにお名前があってもおかしくないぐらい(!?)、素敵な親子関係ですよね。そしてそんなフロントマンに振り回されるメンバーも個性豊かで(笑)、ご意見番の隼さん、ドラム&音楽大好き過ぎる飯村(ds)さん、ゆっくりお話しされるけどライブではっちゃけちゃう白澤先生(b)(蒙古タンメン、私も大好きです!)。彼らがバンド人生を諦めなかったから、私も音楽を好きでい続けたから、こうしてBOYS END SWING GIRLとその音楽に出会えたことを、本当に嬉しく思います。『FOREVER YOUNG』にはまさに彼らの人生が詰まっているので、このアルバムを聴いて、ぜひライブ会場に足を運んでみてください!」