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「人はやりたいなと思うことをやれてるのが一番幸せ」
三宅伸治、甲本ヒロト、山崎まさよしら参加の極上ソウルカバー盤
『BLACK BOX』を手に磔磔3DAYS、そして『新春!南吠える!!』へ
大西ユカリがそのルーツと生き様を語るインタビュー&動画コメント

 大西ユカリ、ルーツミュージックを歌う。今年でCDデビュー20周年を迎えたナニワが誇るボーカリストが、自らの音楽性を形成したブラックミュージックにフォーカスしたカバーアルバム、その名も『BLACK BOX』をリリースした。昭和歌謡のイメージが色濃い彼女だが、今作に収められたのは、ベティ・ライト、ロバータ・フラック、オーティス・クレイ、サム・クックetcから、エイミー・ワインハウスにジャネール・モネイと、彼女が影響を受けた新旧の名ソウルナンバー13曲。三宅伸治との共同プロデュースのもと、甲本ヒロト、山崎まさよし、中田亮(オーサカ=モノレール)ら豪華ミュージシャンも参加した、大西ユカリにしか実現し得ない、平成最後のナニワ・ソウルの決定盤とも言える作品となった。11月12日(月)~14日(水)には『大西ユカリの磔磔3DAYZ~秋の磔磔オン・マイ・カインド~』、来年1月5日(土)には関西音楽シーンの名物イベントとフィーチャリングした『新春!南吠える!! presents 大西ユカリ & BLACK BOX』が控える彼女に、そのルーツから生き様までを語ってもらったインタビュー。好きな歌を歌って生きていくために、彼女は今日も汗をかき、そして今でも夢を見る――。

 
 
何が起こるか分からへん“愉快な箱”やなっていう(笑)
まさに『BLACK BOX』です
 
 
――『BLACK BOX』をリリース以降の反応や、世に出た率直な気持ちはいかがです?
 
「ぶっちゃけた話、まさか作れるとは思ってませんでした(笑)。カバーアルバムは流行ってますけどジャンルがジャンルですので、最初は日本語で和訳することも考えたり、許諾を得るのにもすごい時間がかかったりして…曲の美観を損ねないイメージでいくと、基本的には英語で歌ってよかったなぁと今は思いますね。実際、ソウルバーのご主人とかいろんな街の方にも聴いていただいて、自分で言うのもアレですけど、“ビックリするぐらいよかったね”って、いつになく褒めてくれはるんで(笑)。オリジナルを押し付けるでもなく街場で鳴ってるのがええなって、今回はちょっと思いましたね。ほんで、『You don't have to be a star(星空のふたり)』(M-12) (マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・ジュニア)では、甲本(ヒロト)さんと日本語で“ドカン!”と歌ってみたり。何が起こるか分からへん“愉快な箱”やなっていう(笑)。まさに『BLACK BOX』です。ええのができたなと思います」
 
――街の人の意見がまず出てくる辺りは、ユカリさんの生き様ならではですね。
 
「よく呑みに行くバーへ自転車で持って行って、“これ鳴らして!”言うてね(笑)。お店によってサウンドシステムもそれぞれなんで、本当に小さな音で鳴らしてはる店もあれば、“ドカーン!”とクラブで鳴らしてもうたり。今回のマスタリングは若い子も混じってるんで、下がよう鳴ってるんですよね」
 
――そもそものきっかけとして、ここで自分のルーツを形にしておきたいという気持ちになったんですか?
 
「これはディレクターとかに、“今までいろいろやってきたけど、あんたの一番の源のソウル、R&Bをやってへんやんけ” っていう意見を賜りまして(笑)。結局、記録として残してきてないから、“大西ユカリ=昭和歌謡のお姉ちゃん”みたいなイメージが付いてて、それはそれでいいんですけど、“そのベースにはこういうブラックミュージックがあるんだよ、だから歌謡曲に結び付いたんだよっていう、歌手としてのルーツを記録してみたら?”っていうところで、それはちょっと面白いかもなって。ただ、男、女、グループなのか、年代は、レコード、レーベル、地域…まぁ〜曲が選ばれへん! 40〜50曲候補が出て、その後に好きな曲と歌える曲は違うことに気付くんですけど(笑)。結果、自分の好きな音楽の本当にひとかけらですけど、ようこれだけ多岐にわたって並べられたなっていうのはありますけどね。でも、ソウルをこうやってカバーしようが、日本語で歌おうが、自分のやるべきことというか、進みたい道は変わらなかったですね、やっぱり」
 
――最初にリストアップしただけでも40〜50曲あるということは、この13曲を選ぶのは大変な作業ですね。
 
「もうだいぶあっちこっちに引っ張られる感じ(笑)。それでも今思たら、“あれ忘れてた! これ忘れてた!”っていうのは、正直あります。いろいろ考えたらホンマにキリがないんですけれども、今回はどんな人が聴いても大丈夫なようにというディレクターの意図とか、全体プロデュースを一緒にやった三宅伸治さんの意見も聞きながら、例えば、『Killing me softly with his song(やさしく歌って)』(M-7)(ロバータ・フラック)であるとか、『Tennessee Waltz』(M-9) (サム・クックVer.)であるとかは、皆さんもちょっとは知ってくれてるかな? とっつきやすくなるかな?っていうイメージですかね」
 
――三宅さんは、ゆかりさんがラジオでも“ソウル博士”と称していたぐらい知識が豊富で。
 
「めちゃくちゃ知ってはりますよ。さすが(忌野)清志郎さんのそばにおっただけありはるなぁと。脈々とR&Bなんですよね。そうかと思ったら70年代のコーラスグループみたいなところもいけはるし、もう全てにおいて博士です」
 
 
こういう喉の開き具合だとこういう言葉は出ないというところまで研究した
 
 
――レコーディングで改めてルーツと向き合うことで感じたことはありますか?
 
「ありました。実はこれ、去年の夏に着手して、リズム隊の録音をしたのは3日間ぐらいなんですよ。そこからさらに歌録りを重ねて歌詞を構築していったんですけど…やっぱり外国人って英語上手いなって(笑)。だから、ICレコーダーでテンポを遅くして、その単語がいかに発音されてるのかを1回全部分解して、さらにそこに和訳を付けて感情が入るように歌う練習をするんです。その作業をしてるときが辛くもあり楽しくもあり、化学的な分析をしてるみたいな気分になるんですよ(笑)。ジャネール・モネイの『Tightrope』(M-2)なんかはめちゃくちゃ早口なんですけど、ちゃんと歌えてはるって言うたら失礼ですけど(笑)、さすがやなと。全部が全部、この曲をやりたい→練習→録れた!→練習っていうのがギューッと詰まった半年ぐらいで、歌を入れられたときは泣きそうになりました(笑)」
 
――オリジナルはオリジナルでまた違う想いがあるでしょうけど、濃密な時間でしたね。
 
「そうですね。あと、エイミー・ワインハウスは20代でこの世を去ってますし、『Clean up woman』(M-3)なんかは、ベティ・ライトが17歳のときに録ってますから。その声色みたいなものも楽曲の風情ですので置いとかないかん。54にもなって17の歌を録るとなると、女優さんが女学生の役をやらはるみたいなもんですよね(笑)。よく聴くと歌もすごくかわいいんですよ。ただ、内容は男をかなぐり捨ててスッキリした女の歌なんで、何で10代でこない歌えてんねやろって思いますけど(笑)。こういう喉の開き具合だとこういう言葉は出ないというところまで一応研究はしたし、その表現を損ねたくなかったので、あえてキーも変えずに歌ってます。キーを変えるとサウンドも変わりますから、聴き慣れたソウルファンの人は“違う!”みたいになるんで、多少無理してでもその1曲に喉のコンディションを持っていって。日本語のオリジナルやったら“ここはこれでええねん!”でもいいんですけど、今回はそうはいかんっていうのはすごくありました。それでも作業としてはすごい楽しかったですけどね」
 
――アルバムが始まったときの声の印象が、“ユカリさん、こういう感じの曲も歌えるんや”っていう印象だったので、今の話を聞いていたらまさにですね。
 
「その声色がなかったらこうはならないっていうのが随所にありますので。ま、一番最後の『Southern Belle(南部の女)』(M-13)(大西ユカリと新世界)だけはオリジナルなんですけど、これも英語になって生まれ変わってる感もあるので。今回は割と1~2テイク目の歌が多いし、そんなに修正もかけてないんですよ。だから、結構音程も生々しいというか、“ここ直そうよ! もう1回ここ歌いたい! ここのシャウトが足らん!”とかも思うねんけど、“なかなかナチュラルでええやないか”って言うてくれる人も多いんで、写真も含めてほぼほぼ無修正、みたいな(笑)」
 
――アハハ!(笑) でも、それはそれですごい!
 
「お客さんとまあまあ近い距離でライブもやってるもんですから、いらい倒して“あれ、全然違う”ってなったら、ちょっとイヤやん(笑)。いっそのこと絵にした方がよかったかなとも思たんですけど、ここはもう潔く(笑)。歌に関してもあまりにも自然というか、普通はもっと切り張りしたり音程をPro Toolsでいらうもんですけど、いらえへん過ぎてどうよって感じですけど(笑)。今までは割とやーやーと細かく言うてきたんですけど、やっぱり人の意見は聞いた方がええかなと思て、今回はスタッフの皆さんに委ねましたね」
 
――ある種カバーだからこそ徹底的に研究もしたし、手放せた、委ねられたのはあるかもしれないですね。
 
「案外、自分ではそのよさに気付かないもんで、それは思いましたね。だからもう逆に気楽でした。あとは聴き手の問題みたいなところなんで、歌い手はそれ以上はいいのかなぁっていう感じでしたね」
 
 
“好きなもんって何も変わってないねんなぁ”ってホンマに思いましたね
 
 
――ユカリさん的に特に思い入れがある曲とかはあるんですか?
 
「『Killing me softly with his song(やさしく歌って)』は元々ロバータ・フラックさんが歌ってはりましたけど、私がこれを歌おうと思ったきっかけはローリン・ヒルなんですよね。彼女がまだ結婚する前にフージーズで歌ってはるんですけど、『天使にラブソングを2』('93)で出てきやってから、後に“こんなにヤバい子やったんや”っていうのが分かって。その声色を聴いたときに、“この声に近付きたい”と思った。もう本当にヤキモチ妬くぐらいカッコいいんですよ、曲も声も。その声色は私が大好きなモータウンの方やったりにも通じていて、それにまた共通してたのがエイミー・ワインハウスやったり、全部がつながっていくんですね。喉の開き方が一緒の人たちがおるんですよ」
 
――それは歌い手ならでは聴き方かもしれないですね。喉の開きの好みとか気にしてないですもん(笑)。
 
「アハハハハ!(笑) だから、この曲はちょっとフージーズに寄せて録音したんで、“昔のネスカフェのCMのロバータ・フラックの曲やんね”っていう人にとっては、斬新なアレンジなんです。けど、フージーズみたいにシタールは入ってこないし、機械ではないパワードラムが鳴っている。でも、声色は私よりも若い頃に歌っていたローリン・ヒルを目標にしてるから、70年代も90年代も拾い上げた“今”っていう。そうするとみんなつながっていく。この曲を録って、“好きなもんって何も変わってないねんなぁ”ってホンマに思いましたね」
 
――そう考えたら、歌い続けたユカリさんが’18年に出す意義を感じますね。
 
「リミックスとかもちょっと狙ってますしね。DJの人らが気付いてくれへんかなぁと思って。そこにフージーズのキメとか入れてくれたらええなぁと思ってたら、ついこの間それが実現したんですよ! オケでショーをやろうと思うって言ったら、クラブDJの人が“これ、ちょっと足してええっすか?”みたいな。その人は40代ぐらいやったんですけど、みんなで寄ってたかって“これは絶対フージーズや!”って盛り上がってて、ちょっとラップを入れてくれたりして、現場でそれが発揮できた。サラッと曲目だけ見たら“ロバータ・フラックの曲をやるのね”的な感じかもしれないですけど、奥底にはこの曲をいかに若い世代がいろんな想いを込めてもう1回焼き直せるのかという」
 
――何かが起きるのを分かってる嗅覚と、それができるアレンジの余白は素晴らしいです。
 
「こういう音楽が街で鳴ることこそが楽しいし、“これ誰?”ってなったときに“あれユカリちゃんらしいで”ってなったらオモロいなと思って。最初に私が歌謡曲をやり出した頃、ソウルとかをやってはる先輩に“あんた誤解されんで”って言われたんですよ。でも、私の中ではジェームス・ブラウンも和田アキ子も同じところにおるんです。当時はみんなキョトンとしてましたけど、どっから聴いても歌謡曲ってソウルやないかって。あの頃、私がもっと裕福でバンドをたくさん抱えられたら、ポリドール・オーケストラとかと、当時の歌手がやってはったようなことをやりたかった。それができへんかったから、ゴーゴーみたいになったんですね。それだとカバーしやすいのは70年代より60年代になっていく。60年代は修正が効かないアナログテープの時代だから、間違ったままレコードになってたりするんですけど(笑)、そこからモータウンに行き着くんですよね。だから、私を歌謡の世界に結び付かせてくれたのもこういう音楽なので、聴いた人の違和感が、点が線になるといいなって」
 
 
いわゆる社会人にいつでも戻る覚悟があって
“これであかんかったらまた働いたらええわ”っていう気持ちなんです
 
 
――ここでアルバムに参加している甲本ヒロトさんや山崎まさよしさんとのつながりを改めて聞いておきたいんですけど、まずヒロトさんとの最初の接点は何やったんですか?
 
「木村充揮さん、忌野清志郎さんです。清志郎さんの『ナニワ・サリバン・ショー』のときに木村さんとかと一緒にシークレットで立たせていただいたのをきっかけに、伸ちゃん(=三宅伸治)とも仲良くなり。私は木村さんと同じ事務所なんですけど、木村さんに関してはもうヒロトさんも神様やと思ってはるんで(笑)。私は私で木村さんを宇宙の王子様やと思てますけど(笑)。こういう共通の縁があるお陰なんです。最初に、“大西と木村のライブにヒロトさんが飛び入りで出るのはどうやろか?”みたいな話があったのが去年の夏やったんですけど、ヒロトさんがケガをしはりましたんでそれが秋に延期になり、ほなちょうど録音の時期と重なってますやんと(笑)。一か八かお願いしたら、選曲が面白いということで奇跡的に参加していただいて。ヒロトさんもツアー中でしたので断られてもしゃーないなと思ってたんですけど、“この曲なら、ユカリちゃんならいいよ”みたいに言ってくれて」
 
――マイク挟んで向かい合って録ったということでしたもんね。
 
「ヒロトさんってビックリするぐらい声が大っきいんですよ。お互いの声が被りますから一切直せなかったんですけど、それでも2~3テイクでOKでしたね。まさよしさんに至っては、下北で録音の前に呑んでるときに偶然会って、“明日空いてる?”って聞いたら来てくれたんですよ(笑)。まさよしさんってギターを弾いて歌ってはるイメージですけど、ハーモニカがすごいんですよ。1回聴いたぐらいですぐにパッと吹いてくれはりました。いやもう素晴らしかったですね。オーサカ=モノレールの中田(亮・vo&key)さんもホーン隊を連れて来てくれはったんですけど、あの人らは譜面も全然要らんし、存分にやってくれはりましたね。最高でした! 今、手伝うてもろてるミュージシャンは結構モノレール出身やったりするんですよね。でも、ホンマにこればっかりはタイミングというか、横のつながりというか、うちのスタッフの皆さんの底力ですね。大阪の底力!(笑)」
 
――ユカリさんもCDデビュー20周年に、こういう音源が出せたのは感慨深いですね。
 
「元々ゴスペルで自分の声を録ってからちょうど20年。間は空いてるんですけど、続けてよかったなぁと思って。まさに“原点回帰”みたいな感じで、本当に嬉しい。ただ、20周年やからこれを作ろうと言うたわけでもなく、次に行くのにもう1回、名刺代わりのもんが要るやろ、みたいな話になったんですよね。ありがたい話です、本当に。別にヒット曲に恵まれたわけでもなし、ライブもずっとやらせてもうて、そこそこお客さんも来てくれはるし(笑)、ラジオまでやらせてもろたりしてね。いまだにね、キョトーンとなってまうんですよ、自分でも。何でやれてんのか不思議なんですけどね。まぁ、ずーっと思てんのは、歌手やと言い出してからこうやって形にさせていただいてるにしろ、いわゆる社会人にいつでも戻る覚悟があって、“これであかんかったらまた働いたらええわ”っていう気持ちなんです。働いたら生きていけるんで。それも歌うためやったら苦にならへん。そんな20年やったような気がします」
 
――そんなに気張らず、好きな歌を歌って生きていく。
 
「結局、人はやりたいなと思うことをやれてるのが一番幸せで。そのために働くことを惜しまへんかったら、好きなことってずっとできんねんなって。その繰り返しやった気がしますね。私の場合は周りにも恵まれてましたので、もう1回ちゃんとスタッフとタッグを組み直したのも大きかったかもしれないです。そこで今のテイチクレコードとも出会わせていただいたのも何かの縁やし、その一線にはそれこそ天童(よしみ)さんたちがいはるわけですから(笑)」
 
――過去のインタビューで歌も変わり続けてると仰ってたんですけど、その感覚って今もありますか?
 
「ありますね。キーとかはどうしても無理なことも出てきますんで、そこは受け入れるようにはしてますけど、歌詞の理解度とか、歌うときの表現の仕方とか、衣装を着たときの佇まいみたいなものは、やっぱり昔よりは随分と気が回るようになったかもしれない。大人になったのかもしれないです(笑)」
 
 
あとはもう紅白に出て、最後に親孝行っていう感じです(笑)
 
 
――途切れずにやってきたライブに関してはどうですか?
 
「今はどの現場でも大丈夫なスタンスでやれてる気がしますね。これもやっぱり年齢やろうね(笑)。ちょっとした野外のイベントとかの話も来るんですけど、それもやった方がみんなが幸せになるかなって(笑)、そこはもう物怖じせんと1人でも出向いて歌いに行くんですけど、そこでもちゃんと持っていけるのは経験でしょうね。芸人さんじゃないんですけど、ちょっとオモロいことを言うと思われてるみたいです(笑)」
 
――リリース時に動画コメントを観て、こんなにネタを挟んでくるアーティストおらんやろって思いました(笑)。
 


「アハハハハ!(笑) 多分、若い人がやったらあざとくなることが、この歳になるとあざとなくなってくるんで、えらいもんやね。だから今がちょうどな感じ(笑)。昔からあんなことばっかり言うてんねんけど、やっと年齢が追いついてきたんやなって思いますね」
 
――ここまで歌い続けて、何かこれからの理想像とかはあったりしますか?
 
「“こんなことができたらいいな”とかいうのは、こういうアルバムを作ったからこそ思います。生演奏でずっと生々しいことをやってきたので、機械に埋もれたとしても柔和できるような、そういう柔軟性のある歌手でありたいなってすごい思いますし。次のオリジナルにももう着手してるし、ホンマにいろんなヒントを今回はいただいたので。あとはもう紅白に出て、最後に親孝行っていう感じです(笑)」
 
――いや、ここにきて出たら確かにオモロい。でも、割とその絵が浮かびますね。
 
「そうなんですよ。“楽屋挨拶、何持って行こうかな?”とか、“挨拶って全員に行かなあかんのかな?”とか」
 
――アハハハハ!(笑)
 
「何か浮かぶんですよね。私の場所は多分、メイクルームの端っこやろなとかね(笑)。いざ立つときの衣装は絶対にずっと作ってくれてるところでとか、何かいろんなところに恩返しみたいなことが、最後の最後にできるような気がする。でもそれは、ずーっとずーっと思って叶わへん方がオモロいかもしらんけど(笑)。“年末空けといてよ! 紅白出るまで死なんといてや!”とか、ちょっと年上の老夫婦にもう鞭のように言うてんねん(笑)。母親にもそれまで元気でおってもらうために、近所のスナックの昼間のカラオケ1000円歌い放題のときに私の曲を歌いに行かせて(笑)。でも、そういうことを私が言う方がいいんですよね。その方が皆さんトキめかはるんですよ。出る/出ーへんはもうこっちの段取り次第というか、ヒット曲があったらええだけの話なんですけど、そのためにはやっぱり一生懸命、曲を書かないかんやろうし。そんなん言うてる方が、みんなもこの人に懸けようとか、もっと応援しなあかんなとか、奮い立ってくれはるような気がして。それが形になったらめっちゃええやないですか?」
 
――いや、ホンマそうですね。最初は堅実な話になるのかなと思ったら、全然夢ありましたね(笑)。
 
「アハハハハ!(笑) 絵空事ですけど、そのぐらい思てる方がこの歳になったらいいんですよ。若い子やったらね、“いや、おこがましいんですけど…”ってなるけど、私らぐらいになったら、“いつ死ぬや分からへんのに言うとかな損やんか!”とか言うて、そのまま死んでもええなと思ってるんですよね(笑)。“あんなん言うてる人生やったなぁ”と思って歳いきたいなと思うんです。こまどり姉妹とかまだ現役ですもん! 菅原都々子さんとかまっだまだ」
 
――見てるところが重鎮過ぎてすごいですね(笑)。
 
「いや、ホンマこの人らやって肉食べて今でも歌ってるでと思ったら、私らはまだまだひよっこやなと(笑)。これからもよう寝てよう食べて、一生懸命やろうと思います!」
 
 
Text by 奥“ボウイ”昌史



(2018年11月 8日更新)


Check

Movie Comment

終盤に向け加速する関西感(笑)
大西ユカリからの動画コメント!

Release

新旧のルーツをたどる全13曲!
ソウルの名曲を集めた強烈カバー盤

Cover Album
『BLACK BOX』
発売中 2778円(税別)
テイチクエンタテインメント
TECE-3489

<収録曲>
01. You know I'm no good
02. Tightrope
03. Clean up woman
04. Precious Precious
05. That lucky old sun
06. If loving you is wrong
  I don't want to be right
07. Killing me softly with his song
08. Trying to live my life without you
09. Tennessee Waltz
10. Every little bit hurts
11. Rock me again & again & again &
  again & again & again
12. You don't have to be a star
  (星空のふたり)
大西ユカリ&甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)
13. Southern Belle(南部の女)

Profile

おおにし・ゆかり…’64年、大阪府富田林市生まれ、大阪在住。山崎廣明(ダイナミックス/ex.シャネルズ)、横山剣(クレイジーケンバンド)の薫陶を受け、’86年に北米黒人ソウル音楽グループCASINOを結成、音楽活動を開始。’95年、ゴスペルクワイアJaye's mass choirに参加。’98年、『Joy』(Jaye's mass choir名義)にてCDデビュー。本館的なゴスペル・R&Bエッセンスを身に付けた女性シンガーとして国内外から注目を浴びる。’00年、大西ユカリと新世界でデビュー。昭和歌謡ブームの火付け役として君臨し、9枚のアルバムをリリース。’09年、バンド活動休止を発表しソロシンガーとして活動開始。ソウルフルな歌声と圧巻のパフォーマンスで老若男女から支持を得る。’16年7月にはシングル『大阪に雨が降れば/ユカリ☆EXPLOSION』を、翌8月にはアルバム『EXPLOSION』をリリース。 ’18年、レコードデビュー20周年を機に、初めて自らのルーツミュージックであるR&B、ソウル、ブルース、ファンクを歌うカバーアルバム『BLACK BOX』を6月20日にリリース。現在はラジオ大阪『GO!GO!フライデーショー!』のメインパーソナリティーとしても毎週金曜(昼12:00~17:00)に出演中。’19年1月9日には、『BLACK BOX』より豪華デュエットで贈る名曲2曲のアナログ化となる、7インチ・シングル『You don't have to be a star(星空のふたり)』をリリース予定。

大西ユカリ オフィシャルサイト
http://www.hustle-records.com/

Live

年内の京都日替わり3DAYSに続き
年始には豪華メンツでリリースライブ

 
【京都公演】
『大西ユカリの磔磔3DAYZ
~秋の磔磔オン・マイ・カインド~』
チケット発売中 Pコード126-708
▼11月12日(月)19:00
[共演]仁義なき小林バンド
▼11月13日(火)19:00
[共演]ズクまし半ダース娘
▼11月14日(水)19:00
[共演]三宅伸治(g)/高橋“Jr.”知治(b)/
Kenny Mosley(ds)
[ゲスト]木村充揮
磔磔
自由席4500円
磔磔■075(351)1321/GREENS■06(6882)1224
※未就学児童は入場不可。小学生以上は有料。

チケット情報はこちら


【大阪公演】
『新春!南吠える!! presents
 大西ユカリ & BLACK BOX』
チケット発売中 Pコード132-643
▼2019年1月5日(土)19:00
BIGCAT
自由席4500円
[出演]大西ユカリ
[共演]Kenny Mosley(ds)/中村キタロー(b)/三宅伸治(g)/佐々木久美(org)/
前田サラ(AS)/栗原健(TS)/MONKY(BLACK BOTTOM BRASS BAND)(BS)/
MAKOTO(JABBERLOOP)(tp)/
ズクナシ(cho)
[ゲスト]中田亮(オーサカ=モノレール)
BIGCAT■06(6258)5008/GREENS■06(6882)1224
※未就学児童は入場不可。小学生以上は有料。

チケット情報はこちら


Comment!!

ライター奥“ボウイ”昌史さんの
オススメコメントはコチラ!

「随分とご無沙汰だったユカリさんとのご対面であり初取材。過去最高に関西弁が飛び交った原稿になったんじゃないでしょうか?(笑) 今回はそのルーツをたどることで自ずと人生観の話にもなりましたが、僕が何よりノックアウトされたのは、“結局、人はやりたいなと思うことをやれてるのが一番幸せで。そのために働くことを惜しまへんかったら、好きなことってずっとできんねんな”という言葉。そう、歌い続けるために働き続ける覚悟。これってサラッと今の時代のミュージシャンのライフスタイルを言い当てちゃってるというか。もちろん、いい時期も苦しい時期もありがならの大西ユカリの20年。最後の最後に紅白まで話が進んで本当に最高だったし、もしテレビの前でそんな姿を観ることができたなら…今はまだ小さくとも確かなこの胸騒ぎを信じて、姉さんの行く末をこれからも見守りたいと思います!」