「リスナーの人生に寄り添える音楽を、ずっと作っていきたい」 国民的バンドを目指し、J-POPの新時代を築け―― 『レポート』引っ提げヒゲダンがいよいよツアーファイナル大阪へ! Official髭男dismインタビュー
'15年にリリースされた1stミニアルバム『ラブとピースは君の中』がタワレコメン、ニッポン放送優秀新人に選出され、翌'16年の2ndミニアルバム『MAN IN THE MIRROR』がiTunesアルバムロックチャートにて1位、総合で2位を獲得するなど、大きな注目を集めてきた“ヒゲダン”こと、Official髭男dism。そんな彼らは、攻撃的でハイテンションな『始まりの朝』からアッパーに走り出す3rdアルバム『レポート』をこの春リリース。真骨頂のグルーヴィーチューンやメロディアスなバラード、さらにはラップや異色なエッセンスが入った曲まで多面性を増している。この新作を引っ提げて、現在は『Official髭男dism one-man tour 2017』を開催中。勢いに乗るバンドのフロントマンであり、ソウルフルなハイトーンボーカルで惹きつける藤原聡(vo&p)が、自身の音楽的なバックボーンから、バンドの成り立ちや新作のこと、今後の野望まで存分に語ってくれた。
自分が全く想定してなかった道が現れてきた
――Officia髭男dism(以下、ヒゲダン)というバンド名には、“髭が似合うようなおじさんになっても4人で活動していこう”という意思が込められているそうですが、結成した当初からバンドを長く続けたい想いがあったんですか?
「長く続けたい気持ちは変わってないんですけど、当時はまだ音楽でプロになるつもりはなかったんですよね。僕はこのバンドを組んだときに、初めてきちんとボーカルを始めたんです。元々、“地元のナンバーワンぐらいまでは登り詰めようぜ!”みたいな、働きながら趣味でもバンドを楽しくやれたらいいじゃないっていう感じだったので」
――’15年に1stミニアルバムをリリース以降、この2年ですごく勢いが増してきてますね。
「そもそもデビュー作を出したとき、僕はまだ地元でサラリーマンをしていたんです。CDの発売日も仕事をしていたので、iTunesで何位だとか、タワレコメンに選ばれたとか言われても、自分の街にはタワレコもないし、仕事中にはネットの情報もチェックできないし、東京で何が起きているのか分からない状態だったんです。そういうところから2年でワンマンツアーを回れるようになって、信じられない気持ちでいっぱいですね。でも、夢を追いかけて上京してきて、ワンマンライブをやれば集まってくれる人がいる状態を経験していくうちに、もっと自分たちの曲を多くの人に届けたいと思うようになったし、もっと大きな景色を見たくなってきて。CDデビュー前の自分が全く想定してなかった道が現れてきた。そこから自分の夢がガラッと変わった感じはしますね」
――地元にいた頃はどんな音楽活動をしていたんですか?
「地元にいた頃に加入していたコピーバンドで、キーボードを弾いていました。ギターは僕の幼馴染のお父さんだったりしたんですけど(笑)、スティーヴィー・ワンダーとかボズ・スキャッグスとかをやってましたね。そういうおっちゃんたちに育ててもらって、高校時代からいろんな音楽に触れてきたのは、今にめちゃくちゃ活きてます」
――ヒゲダンのベースにあるブラックミュージックの要素は、そういう環境の中で吸収されてきたんですね。
「母親がスティーヴィー・ワンダーとかエリック・クラプトン、ビリー・ジョエルが好きだったんです。それに、コピーバンドのボーカルの人が半端なく歌が上手だったんですよ。某テレビ番組の歌うま選手権の最終まで残って地上波で放送されるぐらい(笑)。他にも元プロのサックスプレイヤーとかベーシストの人もいて、そういう人たちから自分の同年代とはケタ違いの実力を生で見せつけられていたので。“こういう風になりたい!”っていう目標が近くにいたことは大きかったと思います」
――普通は同年代でつるみがちですもんね。
「高校の友達ともバンドを組んでたんですけどね。同世代でバンドをやってる人もあんまりいなかったし、育ったのが山陰の人口が少ない街だったので、音楽をやりたいと思ってもなかなか難しかったんですよね」
――歳上の方たちとは洋楽のカバーをやっていたということですが、友達同士ではどんな音楽性のバンドを?
「高校時代はヘヴィメタルにハマってたので、ディープ・パープル、ボン・ジョヴィ、ドリーム・シアターとかをコピーしてましたね。全然できなかったですけど(笑)。あと、これはどこでもお話しする機会がなかったんですけどコピーバンドは2つやっていて、1つはAORのバンドでキーボードを、もう1つはホワイトスネイクのコピーバンドでドラムをやってたんです。めちゃめちゃしごかれてたんですけど、すごく面白かったですね(笑)。その甲斐あってか、あの山下達郎さんが米子にいらっしゃったときに、バックでベースを弾いているレジェンドの伊藤広規さんと一緒にセッションさせてもらう機会があって! 普通の19~20歳では体験できないことを、ちょっとはできたかなと」
――そういう洋楽的なところから、J-POPにはどのように結びついていったんですか?
「バンドでコピーする音楽はいろいろでしたけど、例えば日常生活で疲れたときとか、何かイヤになったときに自分が聴く音楽って、やっぱりJ-POPだったんですよね。僕は高校時代にaikoさんの音楽に出会って歌詞の素晴らしさを実感してから、aikoさんのアルバムを全部買って聴いてみたんです。aikoさんもルーツにブラックミュージックがあったり、キャロル・キングとかノラ・ジョーンズとか、本当にいろんなジャンルに触れている方なので、J-POPでもこんなにカッコいい音楽ができるんだと気付いて。それが今のバンドの音楽性につながっていると思います」
――音楽面や演奏は洋楽で鍛えられ、歌詞はaikoさんをはじめとしたJ-POPから学んだと。
「単純に音楽を楽しむという点ではヘビメタとかAORなんですけど、自分がリスナーと同じ目線で音楽に触れたのはJ-POPだったのがすごく大きくて。今は、自分が好きで触れてきた音楽のルーツに、歌いたい歌詞やメロディをミックスさせることを、すごく意識をしながらやってますね」
この4人で長く音楽を続けたいと心の底から思う
――メンバーとの出会いはどのようなきっかけから?
「大学で軽音楽部に入ったんですけど、楢崎(b)くんは僕が1年生のときに4年生だったんで、もう大大大先輩なんですけど、ドラムをバーって叩いてたら“お前めっちゃ上手いじゃん!”って言ってくれて、一緒にバンド組んだんですよ。松浦くん(ds)は僕の1つ下、小笹(g)くんは僕の2つ下で一番若い。松浦くんは高校時代から一応面識はあったんですけど、僕が大学2年のときに同じ部活に入ってきたんですよね。そこから一緒にコピーバンドとかもやったりして。ただ、ギターの小笹くんが一番出会ったのが早くて、僕が高校2年生で彼が中3のときに」
――このメンバーを集めたのも藤原さんですか?
「そうですね。この3人同士は顔見知りぐらいだったんですけど、僕が1人1人とすごく仲がよくて。歳が違ってもいい友達であり、プレイヤーとして尊敬している3人に出会えたのは大きかったし、プライベートでも丸1日ずっと遊ぶぐらい仲がよかったので、この3人を集めて一緒にバンドをやったら、絶対に地元で一番になれると思って」
――それがバンドを長く続けていける秘訣?
「そうですね、この4人で長く音楽を続けたいと心の底から思うので。だから、このバンドで上京も選択できた。僕1人だったら、こうはいかなかったんじゃないかと思ってます。なので、この4人で国民的なバンドに駆け上がっていくという目標に向かって、今は頑張ってるところです」
――紅白に出演するぐらいのバンドに?
「もちろん! 社会人をやっていた頃は、すごくいろんな人とお仕事する機会もあったので。70~80代の方もいれば、同じくらいの歳の方もいる。音楽に詳しい方にしか分からないのは悔しいし、自分が本当にいい音楽をやっている自信があるから、そこに届けたいなら国民的なグループになるしかないと思ったし。退職して、上京して、音楽一本でやっていくことを伝えたときも、“応援してるわ”、“紅白に出るときは見るから”ってみんなが言うんですよね。だから、そこまでたどり着くのが僕の人生の大きな目標ですし、リスナーの人生に寄り添える音楽を、ずっと作っていきたい。歳を取ってきたら見えてくることも違うから、出てくる言葉とかも変わってくると思うんで、自分の感じたものを、しっかりみんなで共有できるメッセージに変えていきたいなと思ってます」
――意識としてはJ-POPバンドである?
「そうですけど、J-POPという型が1つあるとしたら、そこからのカッコいいはみ出し方を日々模索していますね。やっぱり長く続いてるバンドは歌詞や曲調、編成、見た目もそうですけど、圧倒的で唯一無二の個性があると思うんですよ。僕はサザンも大好きなんですけど、サザンみたいな曲を歌う人はいないし、桑田さんの声を聴けば一発で分かる。そういう唯一無二のものを自分もちゃんと持ちたいなって。その時々で通常のJ-POPにはないものを何か1つは与えて、それをヒゲダンの音楽として出すことはすごく考えてます。平成の今、音楽やっている自分たちだからこそできることは何かないか探していますね」
出会った人の表情とか、その人に起こった出来事とか
自分が隣にいて体感したこと、1つ1つ自分がカメラマンの如く覚えてる
――現時点で、自分たちの武器になるような“はみ出している部分”はどういうところだと思います?
「まず1つは、メンバーが全員コーラスができるということ。アコースティックセクションでは全員がリードボーカルを取ったりもするし、ドゥーワップ系の声をサンプリングしたりとかもするんですよね。あとは、僕と楢崎くんが吹奏楽部に所属していたのもあって、今作では楢崎くんがサックスを吹いたり、僕がパーカッションを演奏したり、曲によって普通のJ-POPとはひと味違ったバランスやメロディの作り方をしています。歌詞もそうで、『犬かキャットかで死ぬまで喧嘩しよう!』(M-2)は、僕だから歌えるウエディングソングだと思います」
VIDEO
――あの曲はタイトルからウエディングソングとは思わないですよね。
「世のウエディングソングにはたくさん名曲があるし、僕も好きな曲がいっぱいありますけど、その中で自分なりの祝福の仕方をしたいなって考えたんです。喧嘩しない夫婦なんていないじゃないですか。だから喧嘩というものをいい意味で捉えた上で、ちゃんと自分たちの幸せの道を歩いて行ってほしいなと思って。“犬かキャットか”はあくまでも例え話で、ラーメンは“塩か醤油か”とか、そういう小さなこだわりで価値観がぶつかることもあると思うんですけど、どれだけ愛し合っていたとしても自分と全く同じ人間じゃないんだから、お互いの価値観の違いも笑っていじりながら楽しくやっていってほしいって、人生で初めて友人の結婚式に出たときに思ったんですよ。それがきっかけでできた曲なので。“死ぬまで喧嘩しよう”という言葉を、いかに“本当に幸せです”という感情の比喩表現にできるか、すごく意識して作りました。これは本当に今のヒゲダンらしいJ-POPを作ることができたと思ってますね」
――ぜひ定番曲として歌い継がれていってほしいですね。
「自分の体験がこうやって曲になっていくのは本当に嬉しいです。前作までは、自分が社会人の頃に体験したことや、新聞で見付けた記事のことを書いたりすることが多かったので。割と辛い思いをして膝を抱えている人たちに“一緒に頑張っていこうよ!”って言えるような曲が多かったんですよ。でも今回は、人の幸せな瞬間とか、“あの頃は若くてバカやってたな~!”とか、そういう感情に寄り添える曲を作りたいなと思って。当然、社会の不条理を歌った曲もあれば、普段は題材にしないようなちょっとコミカルな歌も作ったりしてるので」
――ちなみに、社会の不条理を歌った曲というのは『イコール』(M-6)?
「はい。これは僕が営業マンとして働いてたときに感じたことですね。あと、結構ドラマを観るんですけど、池井戸潤さん原作の『下町ロケット』とか、『株価暴落』『半沢直樹』がすごい好きなんですよね。『半沢直樹』の中で出てきた“銀行員は晴れた日に傘を貸し、雨の日に取り上げる”っていう言葉もそうですけど、自分の幸せとか夢のためにはしょうがないことかもしれないけど、何か歌わずにはいられない衝動に駆られたんですよ」
――こういう曲が生まれる背景には藤原さんがサラリーマンを体験していたということがあるんですね。
「めちゃくちゃ活きてますね。この作品より以前の作品ももちろんそうですし、2年間やっていた営業マンの頃体感したことは、国民的なバンドになっていく上で不可欠だったんじゃないかなと僕は思ってるんです。特に70代以上の方と話をする機会がたくさんあったのはすごく大きなことだと思っていて。職種としては金融関係というかライフプランとかに絡んでくるような仕事だったんですけど、その人たちが見せる表情とか、涙とか、いろんな人の人生の大きな瞬間に触れてきたこと、その仕事をしたことによって見てこれた景色は、自分の中ではすごく尊いものになってますね。本当にいろんなこと考えさせられたし。僕は見てきたビジョンを元に曲を作ることが多くて、出会った人の表情とか、その人に起こった出来事とか、自分が隣にいて体感したこと、1つ1つ自分がカメラマンの如く覚えてるんです。でも、自分の体験をそのまま曲にすればいいかと言うと、必ずしもそうではない。リスナーが自分の感情を重ねる余地を残すのは大事だなと思っていて。“みんなのうた”になるために、歌詞はすごく考えてます」
――最後の『Trailer』(M-7)が異色だなと思いました。これは村上春樹の小説にインスパイアされてできた曲だと 。
「こういう曲は初めての取り組みだったと思います。『1Q84』という小説が本当に素晴らしくて、すごく好きなんですよね。そこから、自分がこの物語の主人公だったら何を感じるだろう、何を見るだろうっていうコンセプトで書いたんです。『Trailer』は僕らなりのはみ出し方をしている曲ですね。そもそもこの曲はボーナストラック的な意味合いもあって、Trailer=映画のフィルムの余白、次回予告という意味があるので、後書きっぽい感じにして締めくくろうとは思ってました。今までに開いたことのない扉を開けましたね。『55』(M-4)とかもそうなんですけど、歌詞の意味を大事にしつつ言葉のハマり具合に重点を置いていくスタイルを取りました。『Trailer』は今までで一番静かで音数も少ない曲だし、『Rolling』(M-5)は今までで一番テンポが速くてハイテンション。そういう意味では、今ヒゲダンがやってみたいこと、やれることを全部詰め込んだアルバムになってますね」
“ヒゲダンだからこそできること”を、もっともっと追及していきたい
――そして、『レポート』というアルバムタイトルは、“音楽人生レポ”という意識があったそうで。
「僕が人生で体験してきたことが歌詞に入っていて、それは僕なりの人生レポで、音楽レポでもあるっていうことなんですよ。2つの意味が1つのレポートになってるという感じですね。ちゃんとアルバムのコンセプトを踏襲した上で歌詞を書けたのは、自分の中で大きな変化でした。今回は、聴いてくれた人に“どの曲が好きでしたか?”って聞くと、本当にバラけるんですね。『55』とかはメンバーがラップしてますし、勇気を出してやってみよう!と見せた側面も、すごく気に入ってもらえてるから。これがOKなら今度はどんな面白いことをやってみようか、“ヒゲダンらしさ”の可能性がどんどん広がってきたかなと思ってますね」
――今回が3rdミニアルバムですが、フルアルバムにも期待が高まってきていると思います。
「フルになると、もっともっと曲の振り幅も出てくるのかなと思いますけど、やっぱり1stフルアルバムを出すなら、バンドを代表する1枚にしたいですね。あとは、音楽的にも言葉的にも、“ヒゲダンだからこそできること”を、もっともっと追及していきたい。それをこれから先どう具現化していくか、今はずっと模索しています」
――ライブに関してはどうですか?
「このミニアルバムにはライブ向けの曲が結構入ってるんですよね。みんなで歌える曲、手を突き上げる曲、タオル回す曲…そういう曲が生まれてきてるから、ライブの熱量が今までよりもさらに上がっていくんじゃないかな。その反面、曲のメッセージがライブの熱量や盛り上がりでどんどん流れていってしまうのは、本意ではないので。バラードをちゃんと歌う、メッセージを届ける準備をしたいなと。そういう場所を作れるバンドでありたいんですよね。なので欲張りかもしれませんが、1本でライブを2本観たくらいの充実感があるライブを作っていけたらと思ってます」
――大阪がツアーファイナルとなりますが、最後に意気込みをお願いします!
「自分たちの持ち味というか、今後の可能性、今やりたいこと/やれることが全部詰まったアルバムのツアーなので、ライブも同じ姿勢で、面白そうだよなと思ったらとりあえずやってみる、っていうのは大切にして取り組もうと思ってます。あとは、会場も今までのツアーよりも大きくなってるから、その会場とその人たちの想いとか熱気に負けない熱量で、熱いライブをしっかりやるのが大事じゃないのかなと思います。大阪でやれば、僕たちの地元の山陰から観に来てくれる人もいるだろうし、普通に自転車圏内から観に来る人もいるだろうし。キャパが大きくなってお客さんが増えた分だけ、いろんな人がヒゲダンを観に来てくれるわけだし、そういう人たちが心を震わせられるような、しっかり届く歌を歌うことは、一貫してやっていこうと思っていますね」
Text by エイミー野中
(2017年7月13日更新)
Check