ホーム > インタビュー&レポート > シンガーソングライターで名ギタリストの斎藤誠 『ネブラスカレコード~It’s a beautiful day~』を 携えてめぐるツアーと来る35周年への心境
――これまでにもご自身のルーツである洋楽のカバー集や、アコースティックアレンジのセルフカバー盤がありましたが、今回の『ネブラスカレコード~It’s a beautiful day~』は全編弾き語りで聴かせるアルバムですね。
今回はセルフカバーというより、いつもやっている『ネブラスカ』という弾き語りスタイルのライブをレコーディングしようということで、ぽろりんと弾いて歌ってみました(笑)。1996年に初めて弾き語りライブをやったんですが、その当時は“弾き語り=アンプラグド”という言葉がよく使われていたんですけど、僕がそれを使うのはちょっとしゃらくさい感じがしちゃって(笑)。当時のマネージャーと弾き語りライブのタイトルをどうしようかと話していた時に、ブルース・スプリングスティーンがほぼ弾き語りで作った『ネブラスカ』(1982年)というアルバムを思い出して。その時の会場が新宿だったんで、『新宿ネブラスカ』というちょっとイイ感じにうらぶれた響きのタイトルでライブをやりました。最初はその1回だけのつもりだったのが、その後年々いろんなところでやる機会を頂いて、その度に『大阪ネブラスカ』とか『神戸ネブラスカ』とか各地の地名を入れてやってきたんですが、その『ネブラスカ』のスタートから去年でちょうど20年だったのでそれを記念して今回のアルバムを作ろうと。単純にライブの『ネブラスカ』をレコーディングしたものだからタイトルが『ネブラスカレコード』なんですけど、レコーディングとなるとライブで歌っている時のテンションとは全然違いましたね。
――と言うと?
最近のライブでもよくやっている曲がほとんどなんですけど、お客さんが1人もいないスタジオにマイクが2本立っているだけで、ちょっとした緊張感も漂ったりして。ライブだとどうしてもがなっちゃうんですけど、もっと冷静に歌詞と向き合って、そっと歌うところはそっと歌って……というふうにできることが今回のレコーディングで初めてわかりました。だから、同じ弾き語りでもライブの『ネブラスカ』とは全然違ったものになりましたね。
――斎藤さんの歌声の温かさや心地よさとともに、昂っていたり逆に沈んでいたりと上下する感情の波が少しずつ穏やかになっていくような、聴いているうちに平熱の自分に戻してもらえるような感覚がありました。
アロマ効果みたいな感じですか?(笑)。最初はもっともっと静かな、始まって3、4曲目ぐらいですぐ寝ちゃうような静かなアルバムを作るつもりだったんですよ。でも、やっているうちにやっぱり熱くなってきちゃうんですね。今回、今までやったことのないアレンジをした曲もいくつかあって、『Coolest Sister』(M-2)はレゲエになっていたり、『愛すべきCRAZY』(M-6)はオリジナルはガンガンのロックンロールなんだけど、ものすごくやさしくなっていたり。『恋のやりとり』(M-12)はデビューアルバムの曲でもともとはディスコ調だったんですけど、これもメロウでやさしい感じになりましたね。マーティンのギターを使っているんですけど3、4月にあった『完全弾き語りTOUR~ネブラスカ2017~』ツアーでは2本のギターを使いましたが、今回のアルバムではもうちょっと贅沢に6~7本ぐらい曲によって使いわけています。1本1本ギターの音も違うから、弾いてみて曲に合うもの、その時歌ってみた瞬間の気分に合うものというように一番いいものを選んで。今回のブックレットには各曲に僕の簡単な解説とギターのクレジットも入れているので、ギターファンの方やどんなギターを使っているか気になる方はそれも読んでいただけたら。
――『愛すべきCRAZY』は歌詞に“4人がくれたリンゴが回ったまま”や“SLOW HAND”という一節があって、斎藤さんのこれまでの音楽人生の断片が見える曲でもありますね。
その曲は、いつもライブに来てくれたりCDを聴いてくれている愛すべきファンの人へのメッセージなんですけど、同時にロックというものに対して自問しているところもあって。子どもの頃の僕は、“自分はロックだ”と思っていたんですけど、よりロックな人たち――たとえば思春期に差しかかった70年代後半に、革ジャンに安全ピンをバーッと付けているような人たちとか、ライブをやるたびに血を流しているような人たちに出会ったりするたびに、“これがロックなのかもな”と思ったりして。それじゃあ自分は? と思った時に、自分は日本語で歌っているし、ラブソングばっかり歌いたいし……という自分の中でのぶつかり合いがあって。いまだにその答えは見つけていないけど、そうやって自分の中の戦いをやっている記録が、僕のライブだったりアルバムだったりするのかなと思うんですね。この先も答えは出てこないのかなって。
――『POP ROCK SHOP』(2008年)が出た時に、ポップな曲も熱くなる曲も聴けて、そういった好きなものばかりが集まったショップというタイトルも含め、これぞ斎藤誠さんだなと思ったのを憶えています。
そう。そうやって自分の中でも、ロックがあってポップがあって、日本語で、ラブソングがあって。それで、“ヨシ、これで大丈夫だ!”というわけでもなく、まだ心配が継続中なんですね(笑)。心配というより、本物への憧れと言ったらいいのかな。それはずっとなくならないんですね。たとえば最近、YouTubeとかで、かつては動いている姿を見られなかった洋楽のバンドの昔の映像なんかもたくさん見ることができますよね? まだ20代で若いくせに“俺達にはこれしかやることがねぇんだ!”みたいな雰囲気で演奏したり歌っているその人たちの姿を見ていると、“俺はこいつらの倍ぐらいの年齢なのに、まだ迷ってるなぁ”と思うことがあって(苦笑)。その不安感みたいなものが、自分がアルバム制作とかライブですごくバランスをとりながらやっていることにつながってきているんだと思う。たとえば今回の『ネブラスカレコード』にしても、曲順とか、曲間は2秒じゃなくて2.5秒にしたいとか、そういうことにものすごくこだわりたいんですね。たった0.5秒の違いなんですけど、それによって次の曲への心の準備が変わってくるというか。“そんなのどっちでもいいんじゃない?”と言われたらその通りなんですけど(苦笑)、僕自身が全体のバランスを取るやり方が好きで、作品に対しては最終的に完成形として納得できるものにしたい。デビュー当時はもうちょっとざっくりしていたんですけど、年を重ねるごとに慎重に、細かく目を配りたくなってきている自分もいて。
――そういう細かいところまで手を入れて心を砕いてできあがった『ネブラスカレコード』なんですね。
レコーディング自体は一発録りでそれほど膨大な時間がかかっているわけじゃないんですね。その分と言ったら変ですけどできる限りつぎ込みたくて各曲の解説みたいな文章を書いたり、写真も頑張っちゃおうと思ったり、何ならギターの弦は何を使っているんだとか、知りたいことがあれば何でも答えますので、そういう方は僕にウェブ上で質問して下さったら(笑)。そうやって、自分の中で準備をする楽しさがあるんですね。夏休みの宿題を8月31日に全部やる人もいますけど、僕は7月20日から何となくやり始めるタイプでとにかく準備をすることが大好きで。
――“幸せの準備ならOkay”と歌われている曲もありましたね。
『幸せの準備』(『PARADISE SOUL』2015年)ですね。あれはまさに僕自身のことで。完成形に出会っていないというところから始まる歌なんですけど、達成感というものを感じたことがない……というのは言い過ぎなんですが、何をしてもそういうものを感じた経験はなくて。そんなものはないんだろうなという意識なんですね。どんなにいいライブでも“あそこ失敗しちゃったな”とか、“あそこであれをやりたかったな”というのがある。でも、それがあるから次へ向かっていけるんでしょうね。“じゃ、その部分を克服して次はもっとおもしろくしたいな”とか、そういう感じが続いています。
――来年2018年でデビュー35周年を迎えられる大ベテランでありながら、今のお話を聞くと音楽家として生々しく転がり続けていることをリアルに感じます。
人によっては、僕らみたいな人間はスタイルも何もかもがもうでき上がっていて、現場に行ってササッとやってハイ終わり。みたいに活動していると思っている人もいるかもしれないけど、今でも常にガタガタ緊張しながらすべてのことに当たっていて、それは死ぬまで変わらないと思う。安定みたいなものを感じたこともないですし、普通の人から見たら特殊なミドルエイジなのかなって(笑)。ただ、そうやって常に転がり続けてはいるんですけど、来年の1月3日のバースデーライブでついに赤いものを身に着ける年齢を迎えることになりまして(笑)。
――おめでとうございます。
自分はそういう年齢なんだぞということは自覚しながら。そういえば僕が大学に入学したのが1977年で、その年にサザンオールスターズと出会ったから、今年でもう40年になるんですよ。それ、この間気がついたんで桑田さんにメールしようと思って(笑)。
――ちょっと話は変わりますが、2015年にリリースされた洋楽カバー集『Put Your Hands Together!』のブックレットで、斎藤さんがNRBQの『アイ・ラブ・ハー・シー・ラブズ・ミー』の解説で「2011年3月下旬、再び音楽って素晴らしいと思えたのは彼らのロケンローのお陰です」と書かれていました。東日本大震災があった時ですね。
そうですね。1996年にNRBQが初来日した時に観に行ったんですが、その日は世の中にこんなにも楽しい音楽があるんだってことを改めて知った驚きの日だったんですね。その時僕は38歳で、アルバムでいえば『Dinner』(1996年)をリリースした年だからいい大人なんですけど、ライブの間中ずっと頭の上に“ハッピー”と書いた看板が乗っかっているみたいで、ずっと天井を向いて笑っていたような気がする。震災があった時、自分がすごくだらしなくなって自信がなくなったり音楽に手がつかない日々が2~3週間ぐらい続いた時に、最初に聴こうと思ったのがNRBQだったんですね。とにかくバラードは絶対聴きたくなかったし、自分でも歌いたくないぐらいで。そんな気持ちの時にNRBQのやさしいロックンロールを聴いて、自分でもびっくりするぐらい復活したんですね。楽しいことというのは人間にとってこんなにも大事なんだな、笑顔ってとっても大事なんだなと思えて、それからまたコツコツと詞を書くようになって戻ってこれた。『アイ・ラブ・ハー・シー・ラブズ・ミー』もまさにそういう曲で、どうってことない曲なんだけどあったかくてやんちゃで雑多で、僕のいちばん好きな世界なんですね。NRBQは“世界一のバー・バンド”と呼ばれたぐらい、底抜けに楽しいライブを毎晩毎晩アメリカ各地で繰り返していて、人を喜ばせるため、笑顔にするためにここまでやっちゃうのかと思うぐらいで。同じことをフランク・ザッパにも感じていたんですけど、ザッパの場合は寸劇とかもあって下ネタもガッツリ入ってくる(笑)。いいトシをした大人が集まってギャグみたいなくだらないことに時間もお金も労力も使って、一生懸命になってやってる。NRBQのそういうところに僕の中で“コレだ!”ってぎらりと目が輝いたのを覚えていますね。
――“バラードは絶対聴きたくないし、歌いたくなかった”と思われていた時期もあったんですね。『大切な雨やどり』(M-4)や『夕陽の交差点』(M-5)、『Waltz in Blue』(M-10)あたりは特にじっくりと耳を傾けたいバラードで、改めて聴けてよかったと思います。
震災の時は誰もが音楽に向かう姿勢を問われたというか、いろんなことを考えて整え直すきっかけにもなったと思う。僕も自問自答しながらの音楽ライフですけど、アルバムもライブも“いつでもできるからいいや”とは思わなくなりました。とにかくたくさん歌って、CDもいつまであるかわからないからやれる時にやるべきだって。たとえばライブの終わりにいつも、“また大阪に来るから!”って言いますけど、その言葉の中には、“絶対にもう一回ここへ来て、今日のライブをもしみんなが喜んでくれたんだったら、次はこれ以上のものを頑張って作ってくるから”という意識がある。それは、アルバムに対しても同じで、何を大事にしなきゃいけないかはわかるようになってきましたね。3月にあった『完全弾き語りTOUR~ネブラスカ2017~』ツアーの2日目が仙台でちょうど3月11日だったんですね。ほぼいつも通りのメニューなんですけど、震災のことを歌った僕の『明日の空に』という曲に続けてジョン・レノンの『イン・マイ・ライフ』を歌いました。『イン・マイ・ライフ』は歌詞的に震災にぴったり過ぎる内容でもあるので、結構根性のいる作業だったんですけど、ステージで歌った時に何か神聖なもので体が満杯になるような気持ちになって。会場からはすすり泣きも聞こえたりして、本来そういったものが聞こえると僕なんかはビビる方なんですけど、その時は動じることもなく歌うことができたし、『イン・マイ・ライフ』を歌うことであの日来てくれた仙台の皆さんが一つになったように感じる事ができて。前日の3月10日が横浜だったんですけど、“明日11日は仙台で歌ってきます”とMCで言った時に、“頑張ってこいよ”っていう雰囲気がお客さん達から伝わってきて、その瞬間、音楽とか距離みたいなものも超えてちょっとだけ横浜と仙台が繋がったような気がして。その横浜の皆さんの気持ちをそのまま連れて仙台に行った気分でした。そういうことがあるからツアーっておもしろいですよね。
――そのツアーを終えて今度は4月27日(木)神戸チキンジョージを皮切りに、今作のリリース記念ツアーが始まりますね。
神戸、名古屋、横浜、東京でやりますが、4か所とも出演メンバーやゲストが違って、たぶん神戸でのライブがいちばん『ネブラスカレコード』そのものに近いライブになりそうな気がします。僕、ライブのアンケート用紙をいまだに自分で作っていて、毎回ライブが終わった後に読ませて頂いてるんですけど、30年ぐらい前からずっとインプットされているファンの方のお名前を今でも見つけたりするんですよ。実際に逢ったことは一度もないんですけど、“この人、ずっと前から来てくれてるな”って人もいて、そういう方がふとした瞬間に苗字が変わったり、中には戻ったりする方もいたりして(笑)。いろいろあってもずっとライブに来てくれているんだなと思うと本当にありがたいなぁと思います。実は『ネブラスカレコード』を作る前にオリジナルのアルバムを作り始めていて、ちょっと気が早いですけどこのツアーが終わったら、その作業に戻ります。根っから準備グセがついている人間なので、オリジナルアルバムも少しでも早く皆さんにお届けできるように頑張ります。
取材・文/梶原有紀子
(2017年4月24日更新)
発売中 3,000円
インペリアルレコード
<収録曲>
01.天気雨
02.Coolest Sister
03.バースデー
04.大切な雨やどり
05.夕陽の交差点
06.愛すべき CRAZY
07.ステキなロスタイム
08.初恋天国
09.恋は知らぬ間に
10.再会の魔術
11.Waltz In Blue
12.恋のやりとり
発売中
Pコード:325-969
▼4月27日(木) 19:00
チキンジョージ
全自由-5000円(整理番号付、ドリンク代別途要)
[問]キョードーインフォメーション
[TEL]0570-200-888
さいとうまこと…’58年、東京生まれ。青山学院大学在学中の’80年より音楽活動をスタートし、’81年に発売された原由子の1stソロ作『はらゆうこが語るひととき』にアレンジ、ギター、コーラスなど全面的に参加。翌’82年、小林克也&ザ ナンバーワンバンドに参加。映画『アイコ十六歳』の音楽監督を務める。’83年10月にシングル『ワンスモア・ラブ』、アルバム『LA-LA-LU』でデビュー。翌`84年に2ndアルバム『BE-GRAY』発売。同年サザンオールスターズの野外スタジアムツアーのオープニングアクトを務める。`85年4月に3rdアルバム『PARADISE A GO!GO!』をリリースし、同年秋から翌年まで半年間渡米。’94年、桑田佳祐のソロツアーにギター&コーラスで参加し、以降サザンオールスターズのサポートギタリストとしても活躍。自身の音楽活動に加え、高野寛、つじあやのなど他アーティストのプロデュースやテレビ番組の音楽制作、また毎年ツアーを行い精力的に活動を展開。これまでにベスト盤やカバー盤を含むアルバム15枚をリリース。今年3月29日に『今 僕を泣かせて』(弾き語り)を配信限定リリース(アルバム未収録)。4月26日に全編弾き語りで聴かせるアルバム『ネブラスカレコード~t’s a beautiful day~』をリリース。4月27日(木)神戸チキンジョージ(ゲスト:柳沢二三男)を皮切りに各地で違ったゲストを迎えて行うアルバム発売記念ツアー『斎藤誠Live~春は四種の味わいで~』を名古屋、横浜、東京で開催。デビュー35周年を迎える’18年1月3日(水)東京・日本橋三井ホールでバースデーライブを開催する。
オフィシャルサイト
http://www1.odn.ne.jp/cah32600/index.html
http://tearbridge.com/saitomakoto/
「『ネブラスカレコード』に収録されている12曲の中で特に思い出深いのが、『大切な雨やどり』。1996年に発売された名盤『Dinner』に収録されていて、当時勤めていた編集部で初めてこの曲を聴きました。仕事やその他でホトホト弱っていた夕暮れから夜に向かう時間帯に、するりと耳に滑り込んできた斎藤さんの歌声は、何とも言えない温かさとほんの少しの寂しさがあって。曲に登場するいろんなものを抱えた大人たちと自分の姿をダブらせて聴いているうちに、心がほぐれていった気がします。そこからうんとさかのぼって、人生で初めて斎藤誠さんの歌声を聴いたのは自分が中学生の頃で、それから来年で35年。世界一やさしい歌声で歌う、世界一シャイなロマンチストのアニバーサリーに一足早く心からお祝い申し上げます」