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デビュー30周年も目前に…“枠”にとらわれることなく
マイ・ウェイを歩き続ける香西かおりにインタビュー!

デビュー30周年目前の香西かおりが、新曲「秋恋歌」をリリース。9月には大阪 新歌舞伎座での公演も控え、現在、絶好調で充実の時を突き進んでいる。今回は、民謡界から演歌界へ転身したいきさつ、新曲の話、そして、香西と仕事を共にした玉置浩二、久世光彦、ナニワ・エキスプレスなど、いわゆる演歌のイメージからは想像がつかない、幅広い交流についても話を聞いた。

■民謡界のエースから演歌界のホープに

――香西さんは民謡歌手としてキャリアをスタートされましたが、物心ついた時から周囲には民謡がある環境だったのでしょうか?

全然そんなことなかったんですよ。近所の市場に歌を教えるところが出来て、お向かいに住んでいるおばあちゃんが私の母を誘いに来たんです。その時、母が留守で、おばあちゃんも一人で行くのは心細かったのか、留守番していた私が替わりに連れて行かれて。それがきっかけで、初めて民謡というものを知りました。

――聴いてすぐに民謡を歌いたいと思いました?

その時は、特に何の印象もありませんでした。ご近所付き合いということもあるし、おばあちゃんも自分が誘ったからということで、その後も面倒見てくれて。そうなると必然的に翌週も行かなきゃいけなくなって、やめるタイミングもなくなってしまいました(笑)。

――結果的にさまざまな賞も受賞されて、最終的に将来も民謡を歌い続けようと思われました?

それは、まったく思ってなかったです。民謡の世界でレコードデビューしたのが17歳の頃だったんですけど、私、商業高校に通っていたので、卒業したら普通に就職しようって決めていたんです。銀行に内定したんですけど、就職試験と民謡でレコード契約した時期がちょうど一緒だったので、職場には民謡の活動もしていることを先生から伝えてもらいました。それでもOKということでお返事をいただき、しばらくは二足のわらじで働いていました。だけど、後に金沢明子さんをきっかけに民謡ブームが巻き起こり、どのテレビ局でも民謡の番組をやるようになったので、私もそちらのお仕事が増えて、銀行をやめざるを得なくなってしまったんです。私としては堅実に、自分なりの人生プランを考えていたんですよ。普通に銀行で働いて、お嫁さんになって子どもを育てて……というイメージだったけど、真逆の方向に行ってしまいました(笑)。

――そこから演歌の世界に行かれたきっかけは?

民謡ブームが落ち着いて、今度は坂本冬美さんをはじめ、演歌の若手を育てるという業界のブームがあって。音楽出版会社のディレクターに目にとめていただき、「ちゃんと演歌のレッスンを受けて」と言われて、後に恩師となる聖川 湧先生を紹介していただきました。

――ご自身の思いとは別方向で話が進んで、ということでしたがレッスンなどを積み重ねる内に歌手を仕事にするという意思も固まって?

デビューの準備が進む中で、歌手として人前に出る以上、勝手なことは出来ないなと思うようになりました。当時は、演歌がある種のブームのような時代で、歌番組もたくさんあったし、まともに寝る時間もなく、体調管理だけで精いっぱいのような状態でした。

――香西さんはポップス系の楽曲も歌われていますが、演歌というジャンルに対しては、どのようなイメージを持っていました?

ジャンルとして“演歌”と言われるようになったのって最近のことで、私たちが子供の頃は懐メロも演歌も歌謡曲も全部含めて“流行歌”と言っていたんです。民謡は土着の労働歌であり邦楽なので歌い手によるオリジナリティーは薄いけど、演歌は、その人が歌う歌は、その人のものじゃないですか。そういう意味では、まだ身近に感じられるジャンルでしたね。

――歌唱法については、民謡で培われたものが演歌に生かされました?

生かされるパーツはたくさんあったけど、その頃の私は、行間を歌いすぎるというか、演歌・歌謡曲の歌い方を知らなかったんですね。聖川先生が言うところの、「情感を付ける、発音発声を正しく」とか、長く歌い続けるためには鍛える部分は鍛えないといけない。基礎トレーニングに関してはさまざまなことを教えていただきました。

――「雨酒場」でデビューされてからは、先ほどおっしゃったように、あっという間に時間が過ぎて?

もう、気づいたら10年ぐらい経っていましたね(笑)。

――1993年には玉置浩二さんが作曲された「無言坂」が発売され、大ヒットを記録しました。ポップス系アーティストである玉置さんが香西さんの作品を手掛けるには、どのような経緯があったのでしょうか。

玉置さんのスタッフと、うちの事務所の関係者が結婚したんですよ。それでお近づきの印にと披露宴に顔を出して、そのお礼にいただいたんです。

――では、香西さんに歌謡曲系の楽曲を歌わせようという意図があったわけでもなく?

それは、まったくなかったです。たまたまの出会いでご縁をいただいて(笑)。

――作詞の市川睦月こと久世光彦さん(「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」といったドラマを手がけた演出家)は、香西さんのリサイタルの演出を担当されていました。そういった人脈を考えると、いわゆる演歌・歌謡曲の現場とは違った方と接触する機会が多かったのかなと感じます。

久世さんには初リサイタルから、ことあるごとに構成・演出をお願いしていたんですけど、それも巡り合わせですよね。歌謡曲や昭和の時代の音楽が大好きな方で、歌も本当にたくさん知っているんですよ。カバー曲でも、私が知っているというと、「じゃ、これはやめよう」って負けず嫌いなところもあって(笑)。ちなみに初リサイタルの構成は、「俺の聴きたい歌を歌ってもらうから」というのが選曲の基準だったんです(笑)。その当時、玉置さんもアーティストとして活躍しながら、役者もされていた時代で、ドラマで久世さんとお仕事をされていたんですよね。

――製作中に玉置さんとのやりとりは?

一切なかったです。ただただ、「ありがとう!」って言っていただいて(笑)。この曲、メロ先で、先に曲が上がって、歌詞は誰にお願いしようとなった時に、玉置さんとも馴染みだし「久世さんがいいんじゃないの?」って。

――香西さんご自身は、曲を手にした時の印象はいかがでしたか?

もう絶対、歌いたい!と思いました。最初にいただいたデモテープは玉置さんがハミングでメロディーだけを歌われていて、まったく演歌の要素はなかったんです。演歌でああいう歌い出しの曲って他にないし、独特の魅力を感じました。

――この曲のヒットは、香西さんにとってターニングポイントになりましたか?

私は最初から気に入って歌い始めたけど、周りからは「香西かおりは、どこへ向かうのだろう?」って心配されましたね。和太鼓がドンドコ鳴るような演歌が人気を博していた時代に、しっとりした「雨酒場」でデビューして、「流恋草」で一応、飛躍できる流れに乗ることが出来て、そんな時にいきなりの「無言坂」だったので。演歌っぽくないので心配されたけど、その後は時代とともに、「無言坂」の雰囲気を継承するような作品も出てきて、流れも変わってきましたね。

――曲のリリースと同時期に関西テレビの「夢の乱入者」(ジャズギタリスト・渡辺香津美がゲストたちとスタジオセッションを繰り広げる音楽番組。1990~1997年放送)にも出演されていましたよね。

東京へ出てきてから、いろいろなミュージシャンやジャズメンたちとの出会いがあって、彼らと一緒にいろいろな場所で、けったいな音楽をいっぱいやっていたんですね。その中の一人が渡辺香津美さんであり、ナニワ・エキスプレスのメンバーだったんですよ。ナニワのベーシストの清水 興さんとは、今でもしょっちゅう一緒にやらせてもらっています。その繋がりの中で、「こういう番組があるんだけど」って教えてもらい、二つ返事で出演させていただきました。

――演歌歌手としてお仕事されている一方、ご自身で独自の活動もされていたんですね。

最初は国際交流基金のイベントに呼ばれて、そこからどんどんつながっていったんです。演歌をモチーフに違った音楽を作るということで、そこで出会ったのが、はにわオールスターズを率いていた仙波清彦さんたち。仙波さんの周囲にはたくさんのミュージシャンの方がいらっしゃるから、一気に付き合いが広がりました(笑)。

――演歌の楽曲のリリースも重ねつつ、昨年リリースされたアルバム「うたびと~stage singer~」のようなポップス系の作品も出されて、ファンのみなさんは香西さんのさまざまな側面を楽しめますね。

演歌ばっかり歌っていると、「もうポップス系の曲は歌わないんですか?」って言われるし、ポップスばっかり歌っていると「演歌をやって欲しい」と。きっと私のファンは欲張りなんでしょうね(笑)。

――ファンのみなさんの音楽的キャパもすごく広いんですね。

デビュー10周年で玉置さんからいただいた「すき」という作品を出した時に、一回、データを取ったんですよ。ジャケットも洋服で、ポップスを歌う私と、着物で演歌を歌う私、どっちが良いでしょうって。そうしたら、ちょうど5:5になって。「すき」のような曲が出ると演歌ファンの5の方々は、いったん離れてしまうんですけど、それまでになかったところから新しい5がやってくるという。だからトータルは常に10なんです。これは、どっちの要素も常に必要ということなのかなと思っています。

――そういう感じで、どんどん裾野が広がって。

そうですね。誘われたら断らないという姿勢を保っていたら、いろんなところに広がって。今回の「うたびと~stage singer~」も、レコード会社の方が「香西は、どうやら怪しげな関わりをいっぱい持っているようだ」ということを嗅ぎつけて(笑)、ディレクターが話を持ちかけてくれたんです。

――アルバムを聴かせていただいて、民謡からポップスまで幅が広く、ご自身のルーツに基づいた選曲なのかなと思ったのですが。

まずは、参加してくれるミュージシャンたちと何をやろうかというのが基本でした。時間もなかったので、とりあえずやったことがある曲を集めて、その中から抜粋しました。中にはディレクターが、「これを香西の歌で聴いてみたい」といったものもあって。そんな感じで選曲しました。

――音色も非常にライブ感がありますよね。

同時録音で、本当にライブで録りましたから。ほぼ一発録りですね。

――ファンはどちらの香西さんも求めているとのことですが、このアルバムの評判も上々で?

なんかね、妙に業界内でウケが良いです(笑)。本当は、もっと広く世間に知らせるチャンスがあればいいんですけど。

■温かい歌声で届ける最新曲「秋恋歌」

――新曲「秋恋歌」のお話を。温かみのある本格演歌の楽曲ということで、歌い心地はいかがですか?

非常にいいですよ。今回、「風恋歌」以来の叶 弦大先生のメロディーなんですけど、久しぶりに作曲をお願いして。

――聴かせていただき、優しさが伝わってくる歌唱が印象的でした。

歌の中で求められる女性というのが、たぶんそこかなと思うんですよ。どこか、かわいらしさ、やさしさがあるような。

――歌詞を読みながら聴くと主人公の女性の素性が気になりますね。一番の最後で、今、独り身であるということはわかるのですが。

まず、普通に別れたのか、それとも亡くなってしまったのか……という感じですよね。でも、歌って決め事はないし、そこは聴く人がそれぞれに解釈していただけたらいいと思うんです。私の作品でヒットする歌というのは、どこか曖昧さがあるもので、行間を読むというか、聴き手の創作意欲を刺激する歌が結構ヒットにつながっているように感じます。

――原文彦先生の作詞は初めてで?

はい。最近、ヒット作をたくさん書いてらっしゃる先生ですよね。ただ、お住まいが四国ということで、レコーディングではお会いできていなくて。

――4月に発売されてステージでもたくさん歌われていると思いますが、お客様の反応はいかがですか?

今回、みなさんの反応が早いんですよ。カラオケ好きな人たちはカップリング曲の「花は泣かない」でノドを温めて「秋恋歌」を歌われるそうなんです。珍しいパターンですね。

――香西さんが、ぜひ注目してほしい聴かせどころは?

私の場合、ある音域から裏声に変わるラインがあるんですけど、久しぶりにその使い分けの心地よさを楽しんでいただけると思います。自分で歌っていても心地よいので、カラオケで歌う方にも共感していただけると思います。

■歌って笑って、梅沢富美男劇団との特別公演

――9月には梅沢富美男劇団との共演で新歌舞伎座公演を開催されますが、楽しみにされていることなどは?

私、喜劇が大好きなので、梅沢さんとご一緒すると、ずっと見ていたいな~と思って、着替えの途中なのに袖まで行っちゃうんですよ(笑)。そんな空気感の中でご一緒できるのは、いつも楽しいです。

――梅沢さんは、喜劇での役柄とは裏腹に女形は艶やかで。

もう、なんであんなにキレイになれるの!?って思うぐらい! 私も化粧習いにいこうかな(笑)。今回、お芝居では、私も梅沢さんも芸者の役なんですけど、負けないようにせなあかんなって思っています。でも、梅沢さんが完璧に顔を作ってきたら負けるかもしれませんね~(笑)。

――この公演の少し後にはブルースフェスティバルにも出演されるんですよね。

そうなんですよ。こちらは、清水さんや有山じゅんじさんとやらせてもらいます。こっち系の活動も最近やっていますので、ご興味ある方は、ぜひ遊びに来てください。

■30周年への思いと展望

――来年が30周年ということで、振り返ってみて今の心境は?

長かったといえばそうだし、あっという間のような気もするし。とにかく濃かった。いつの状態を振り返っても濃いんですよ。濃密な時間を超えてきて、薄まる瞬間がありませんでした。

――お話を聞いていると、いわゆる演歌歌手の方とは少し違った道のりを歩まれているように思います。

うちの事務所が、私が来るまで演歌をやったことがなかったんです。だから「演歌なら、こうあるべき」みたいなスタイルがなくて。社長も、私がミュージシャン仲間たちとやっている活動については何も言わないし。そんな事務所の体制のおかげで、いろいろな方々と関われたと思います。

――デビュー当時から忙しくされ、10年目でいったん落ち着かれたとのことですが、その中で歌手としての自信を感じるようになったのは、どれぐらいの時期からですか?

そんなのは、いまだにないですよ。まだまだ現役で頑張っている先輩方もたくさんいらっしゃいますし。

――では、気持ち的には一生現役で?

いや、そこは、どないでも。(笑)。こんなこと言ったら怒られるけど、私、歌手というのは、そこを負荷に感じてやる仕事ではないと思うんですよ。そんなメンタルでは良い歌は歌えないと思うし。ま、楽天家なので、気負いはまったくなくて。

――30周年の記念コンサートなどは?

来年、5月22日のデビュー記念日に東京でコンサートを行う予定です。関西からは、ちょっと遠いけど、こちらも、ぜひ観ていただきたいですね。

――今後、挑戦したいことなどは?

おかげさまで歌や劇場公演はやらせていただいているので、今後のことでいえば、「うたびと~stage singer~」のようなアルバムを、この先も増やしていけたらいいですね。セッションなどをやり貯めていって、またアルバムにできたらいいなって。これは自分にとっての記録のようなものなので、こういう形の音楽を、引き続き残していきたいですね。

 

取材・文・構成/伊東孝晃(クエストルーム)




(2016年8月31日更新)


Check

●Release

秋恋歌

発売中

<CD MAXI>
¥1,300(税込)
ユニバーサルミュージック
UPCY-5019

<カセットテープ>
¥1,300(税込)
ユニバーサルミュージック
UPSY-5019

<収録曲>
1.秋恋歌
2.花は泣かない
3.秋恋歌(オリジナルカラオケ)
4.花は泣かない(オリジナルカラオケ)

うたびと ~Stage Singer~

発売中

<CD>
¥3,240(税込)
ユニバーサルミュージック
UPCY-7074

<収録曲>
01. Vaya Con Dios
02.気分を変えて
03.プカプカ
4.無言坂
05. Sentimental Journey
06.何もいわないで
07.アカシアの雨がやむとき
08.津軽あいや節
09.とまり木夢灯り
10.ステージ・シンガー

●Live

梅沢富美男劇団
梅沢富美男・香西かおり 特別公演
「芸者の意気地/梅沢富美男・香西かおり オンステージ/華の舞踊絵巻」

▼9月1日(木)11:00
▼9月2日(金)11:00/16:00
▼9月3日(土)11:00
▼9月4日(日)11:00/16:00
▼9月5日(月)11:00
▼9月6日(火)貸切/16:00
▼9月7日(水)11:00
▼9月8日(木)11:00/16:00
▼9月9日(金)11:00
▼9月10日(土)11:00/16:00
▼9月11日(日) 11:00

新歌舞伎座

1階席-12000円

2階席-6000円

3階席-3000円

[出演]梅沢富美男/香西かおり

※特別席は取り扱いなし。未就学児童は入場不可。

[問]新歌舞伎座
[TEL]06-7730-2121


「なつかしい×あたらしい なにわブルースフェスティバル」

発売中

Pコード:301-421

▼9月18日(日) 17:00

なんばHatch

全席指定-5000円(ドリンク代別途要)
ブルースシート-10000円(指定、ブルースセット付、ドリンク代別途要)

[出演]有山じゅんじ/上田正樹/内田勘太郎/大久保初夏/OSAKA ROOTS BAND/金子マリ/くいだおれ太郎/香西かおり/SAKISHIMA meeting/ザ・たこさん/清水興/仲井戸“CHABO”麗市/山岸潤史

※未就学児童は入場不可。小学生以上は有料。
※ブルースシートのブルースセット内容は当日のお楽しみとなります。

[問]GREENS
[TEL]06-6882-1224

チケット情報はこちら

●Profile

香西かおり

こうざいかおり●1963年8月28日生まれ、大阪府出身。1988年、「雨酒場」でデビュー。同年、第7回メガロポリス歌謡祭 優秀新人賞受賞、第22回日本有線大賞 新人賞。以降も数々の賞を受賞。1991年、「流恋歌」で『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。以降もヒット曲多数。茶道(裏千家免状)、華道(未生流)、日舞(藤扇流名取り)、簿記3級、珠算初段、情報処理検定2級、商業検定2級と多才でも知られる。