ホーム > インタビュー&レポート > THE MICRO HEAD 4N'Sのドラマー、TSUKASAが 演歌歌手・最上川 司としてデビュー! 全力のステージを続けた果てに目指す夢とは?
――ロックドラマーであり演歌歌手という異色の経歴をお持ちの司さんですが、音楽との出会いはどのようなものだったのでしょうか?
父親が演歌が大好きで、家や車の中では、いつでも演歌がかかっていました。その影響で僕も演歌が好きになり、3歳の時には地元のテレビ局でやっていたちびっ子カラオケ番組にも出たんですよ。
――かなり早い段階から人前で歌っていたんですね。
そうですね。農協のお祭りやカラオケ大会なんかに出場しては、壁掛け時計や鍋、コーヒーセットなど、親が喜びそうなものを賞でもらっていました(笑)。あと、友人が買って喜んでいたゲームソフトと同じものを、僕が大会の景品でもらってしまい、その時は、なんだか気まずかったです(笑)。
――演歌以外のジャンルに対しては、どのような印象を持っていましたか?
今、バンドでロックをやっているのにおかしな話ですが、子どもの頃は演歌以外は歌だと思えなかったんです。歌というのは、ゆるやかで、ビブラートやコブシを効かせてこそと思っていたので。だからロックやポップスの歌はしゃべっているようにしか聴こえなくて。
――では、お友だちと音楽の話をされたりは?
友人たちは、よくポップスの話などをしていましたが、まったく入っていけなかったです。みんな僕が演歌が好きということは知っていましたが、演歌への思いは胸の内に秘めていたので、自分からその話をしたいとは特に思いませんでした。
――演歌歌手になりたいという思いは、いつ頃から芽生えたのでしょうか?
小学校の高学年ぐらいだったと思います。卒業文集に「演歌歌手になりたい」と書いたんですけど、その時はまだ子どもでしたし強い志ではなく、漠然としたもので。
――お父様の影響で演歌に興味を持たれたということですが、ご自身で聴きこんでいくうちに好きになった歌手の方などは?
北島三郎さん、細川たかしさん、山本譲二さん、鳥羽一郎さん、吉幾三さんが大好きになりました。特に細川さんの伸びやかで力強い声質は本当に素晴らしくて、それに加えてギターのアーミングのようなコブシ、ビブラートが、聴いていて超絶気持ちが良いんですよ。おこがましいですが、僕も細川さんのように人の心にすっと入ってくるような歌手になりたいと思っています。あと、吉 幾三さんに関しては、ご自身で作詞作曲をされていて、僕も自分で楽曲を手がけているので、制作の部分でも尊敬しています。
――演歌一色の環境からロックに目覚めたのは、どのようなきっかけで?
高校一年生の文化祭の時に、友人から「バンドをやるけどドラムがいないから叩いてよ」と頼まれたんです。それまでドラムってNHK「のど自慢」のバックバンドの方しか見たことがなかったけど、僕がやることになったのはメタリカで(笑)。
――演歌からスラッシュメタルとは、すごい振り幅ですね!
自分でもそう思います(笑)。でも、実際に楽器に触れたことでドラムの楽しさを知ってしまい、それからは「ドラム叩けるんだったら、なんだってコピーするよ!」という感じで、ジャンルを問わず、いろいろな曲を覚えていきました。
――バンド活動を本格的に始めたのは?
文化祭に出たことがきっかけで、そこからはずっとやっていますね。高校の時は、あまり人前で聴かせる機会はなかったけど、友達の家の小屋をスタジオ代わりにして、ひたすらオリジナル曲を作っていました。
――では、ライブ活動もその頃から?
実は僕、ライブハウスデビューはすごく遅くて、社会人になってからなんですよ。地元の山形県河北町は電車も通っていないようなところで、ライブハウス自体が山形市まで出ないとないし、ちょっとライブをやりに行くだけでも結構なお金と労力を要しました(笑)。
――ビジュアル系の世界に足を踏み入れたきっかけは?
まだ地元にいた頃、自分でバンドメンバーを集めようと思って雑誌に募集広告を載せたら、逆に「うちのバンドに入らないか?」と手紙をもらったんです。それがビジュアル系のバンドだったんですよ。X JAPANが大好きでビジュアル系も聴いてはいたけど、そのバンドに入って、初めて自分でメイクをしました。
――上京をされたのは、どのような経緯で?
そのバンドが解散することになって、ライブ活動で知り合ったバンドマンに先行きを相談したら、「一緒にやろうよ」という話になりまして。それで上京して結成されたのが、僕が以前に所属していたバンド・D’espairsRayです。
――その頃には、もうバンドで将来の道を考えて?
高校一年生からはロック一筋でしたから。でも正直、頭の片隅に演歌歌手への夢もちょっとはありました。実はD’espairsRayのファンクラブ限定ライブでメンバーの特技披露みたいなコーナーがあって、たまに演歌を歌っていたんですよ。意外なことにお客さんも喜んでくださって。
――ロックファンの方にも司さんの演歌への思いが伝わったんですね。
珍しいジャンルだし興味を持ってくださったのかな。ファンの間でも少しずつ認知されて、海外ライブの時も”enka please”って紙が掲げられることがありました。
――D’espairsRay解散後は、どのように過ごされていたのですか?
D’espairsRayの活動に全身全霊で向き合っていたこともあり、解散したことで、なんか、もうバンド活動に疲れちゃって。バンドとは違う形で音楽をできないかと思った時に、「自分は演歌が好きだったじゃないか!」ということを改めて思い出したんです。それで、演歌歌手になるにはどうすれば良いのかと思い、自分なりに試行錯誤を始めました。
――現在、所属しているTHE MICRO HEAD 4N'Sへの加入はどのような流れだったのでしょうか?
D’espairsRayの活動休止が2010年の年末で、翌年6月に「永久に活動を停止します」と発表したんですね。それと同じ時期に加入のお話をいただいたのですが、その時の僕は演歌の活動が思うように行かず迷走していまして。そんなタイミングでのお誘いだったので、「よし、もう一度ドラムで頑張るかぁ!」と決心し、加入させていただきました。
――結果的には、そこから本格的に演歌歌手への道も開かれて。
これはですね、ある時、THE MICRO HEAD 4N'Sのギターで所属事務所の社長でもあるkazuyaさんに「実は僕、演歌歌手を目指して一人で活動していたんですよ」とお話したんです。普通はジャンルも違うし、「ふ~ん」で終わるようなことだと思うんですけど、kazuyaさんは、「面白そうだね。バンド活動と並行して、もう一回、演歌歌手を目指そうよ!」と言ってくださったんです。
――では、そこからはkazuyaさんのサポートも得て、演歌デビューへの準備を。
とはいっても、自分の歌の実力は素人レベルだと思っていましたし、そんな状態でデビューもできないから、とりあえずTHE MICRO HEAD 4N'S企画のイベントライブの中で、毎回、10分ほど演歌を歌う場を作っていただいたんですね。そこでまず力を付けようということになって。それを1年間ぐらい続けてから、インディーズではありますが、「演歌歌手を目指して活動を開始します!」と正式に発表しました。
――それからは、すぐに演歌関係のお仕事も?
発表の3ヶ月後に半田浩二さんのコンサートにゲスト出演させていただける機会があって。まだアルファベットのTSUKASA名義だったんですけど、いろいろな経験をさせていただきました。
――いきなり本格的なステージで緊張もあったのでは?
いや~、ものすごく緊張しましたよ。でも、僕が話す山形弁のイントネーションでお客さんからも笑いが起こって、半田さんも僕のことを詳しく説明してくださったので、会場全体が温かいムードに包まれました。
――デビューの決定はどのように?
半田さんのイベントの後、ライブハウスでのソロ公演を続けていたところに、kazuyaさんがレコード会社の方を連れて来てくださって。しばらくしてkazuyaさんに「TSUKASA、6月デビューだから。頑張れよ!」と言われ、とても驚きました。普通、演歌歌手を目指すなら作曲家の先生に弟子入りしたりして修行を積むわけじゃないですか。それが、こんな自分がいきなり出てきて、みなさんに怒られるんじゃないかと。喜びの反面、不安もありました。
――その心配とは裏腹に、司さんのデビューは演歌界からとても好意的に迎え入れられましたよね。
そうなんですよ! 先輩方からも「新しい風を吹かせて演歌界を盛り上げて!」と言っていただけたのが嬉しかったですね。
――そんな先輩方からのアドバイスで印象に残っている言葉などは?
同郷の星である大泉逸郎さんから「長くやる秘訣は、お客さんとのコミュニケーションだよ」とお言葉をいただきました。今、演歌のお仕事でやっていることって、本当に全部が初めてなんですけど、みなさん、僕がトークで噛んでも温かく見守ってくださって。ロックの時とは、また違った安心感がありますね。だからといって、あまり不器用なままでもいけないけど。
――デビュー曲である「まつぽいよ」は、司さんご自身で作詞作曲を手がけられていますが、どのような思いで作られた作品なのでしょうか?
D’espairsRayの解散でどん底の状態にあった時に、夢を抱いて上京したことを思い出し、その当時のシチュエーションを演歌で歌いたいと思ったんです。この曲は僕にとって、演歌の世界における処女作みたいなもの。言葉選びに苦労しましたが、最終的には素直な気持ちで、そのままの思いを表現しました。
――デビューされて9ヶ月になりますが、この曲を通して得たものは大きかったですか?
それはもう、すごく大きいです!いろいろなところで歌わせていただいて、人って少しずつでも成長できるんだな~と思いました。最初は緊張しっぱなしだったけど、それも徐々に慣れてきて、最近は、お客さんの顔を見て歌えるようになりましたし、歌を人に届けるとは、どういうことなのかも少しずつ分かってきました。
――2月には新曲「ひとひらの桜」が発売されました。こちらは、どのような経緯で作られたのでしょうか?
実は、この曲も「まつぽいよ」もインディーズで活動している時からすでにあった曲なんです。「ひとひらの桜」は、僕の祖父が亡くなったことをきっかけに、「遠く離れた人に思いを伝えたい」という気持ちを込めて書きました。春は出会いや別れの季節と言いますが、卒業とか転勤とか、そういった場面にも当てはまる内容ではないでしょうか。
――メロディーやサウンドにロックのテイストも感じられるので、幅広い世代に伝わりそうですよね。
切なく始まって切なく終わるという曲調ですが、低音の効いた打ち込みサウンドで迫力もありますし、気持ち良く聴いていただけると思います。
――ご自身で曲を作る際、大事にしていることなどは?
バンドの時は、どうしてもサウンド重視になるんですけど、演歌の場合は自分の歌いやすさや、「こういう言葉とメロディーが合わさるから感動するんだ」という兼ね合いを考えて作っていますね。
――今回のカップリング曲「最上川慕情」は初の外部作家による提供楽曲ですが、歌ってみての印象は?
自分では思いつかない言葉やメロディーが満載で、新しい最上川 司を開拓していただける1曲をいただけたなと思いました。僕、歌う分にはド演歌が好きなんですけど、自分で作ると、あまりその感じが出ないんですよね。それもあって、演歌の本筋とも言える「最上川慕情」は、歌っていてすごく気持ち良いです。
――昨年11月にはカバーアルバム「奥の唄道」も発売され、定番曲から通好みなものまで、選曲も印象的でした。
東北を舞台にした楽曲で構成したんですけど、このアルバムを通して、みなさんに昔の素晴らしい演歌を知っていただきたいです。日本人は演歌の心を忘れちゃいけません!他にも歌いたい曲がたくさんあるので、このアルバムはシリーズ化できたらいいですね~。
――今後も演歌歌手とバンド活動は並行して行う予定で?
そうですね。自分では「二足のわらじ」ならぬ「二足のスリッパ」と言ってるんですけど。僕の出身地の河北町がスリッパの生産日本一なので、あえてそういう表現で。どちらも本気でやっていきたいです。高校時代の文化祭で、ロックライブと演歌カラオケの両方でステージに出たことが、演歌歌手・最上川 司とTHE MICRO HEAD 4N'SのTSUKASAのルーツであり、僕自身のスタンスだと思っています。バンドメンバーのみんなには、普段からいろいろ協力してもらっていて、本当に彼らには頭が上がらないですね。
――今後は、どのように活動を展開していきたいと考えていますか?
昨年はデビューという華々しい舞台に立たせていただきましたが、自分にとっては、まだまだ修行の年でした。今年も勉強中の身ではありますが、培ってきたものを存分に発揮できるように、毎回のステージを全力で歌っていきたいと思います。そして、いつかは「NHK紅白歌合戦」という夢の舞台に立てるように頑張ります!
――最後に、読者の方へのメッセージをお願いします。
いろいろな方から異端として見られていると思いますが、デビュー当初から言っているように演歌を愛する気持ちは人一倍強いです!どうぞ、見た目は不思議な最上川 司ですが、みなさんの黄色い声援と応援の程、よろしくお願いいたします!
構成・取材・文/伊東孝晃(クエストルーム)
撮影/河上良(bit Direction lab.)
(2016年3月11日更新)
『ひとひらの桜』
初回盤
発売中 ¥2000(税込)
ユニバーサル
UPCY-9451
<収録曲>
SINGLE
01.ひとひらの桜
02.最上川慕情
03.恋の霞城
04.ひとひらの桜 オリジナル・カラオケ
05.最上川慕情 オリジナル・カラオケ
06.恋の霞城 オリジナル・カラオケ
DVD
01.ひとひらの桜 Music Video
02.ひとひらの桜 振り付けビデオ
03.メイキング
『奥の唄道』
発売中 ¥3240(税込)
ユニバーサル
UPCY-7072
<収録曲>
01.まつぽいよ
02.望郷じょんから
03.津軽海峡・冬景色
04.北酒場
05.みそ汁の詩
06.みちのくひとり旅
07.北国の春
08.津軽平野
09.南部蝉しぐれ
10.北の花嫁
11.愛しき日々
12.花は咲く
13.まつぽいよ English Ver.
Pコード:291-132
▼5月28日(土) 13:00/18:30
日本橋三井ホール
全席指定-5800円
[出演]ジェロ/純烈/徳永ゆうき/花見桜幸樹/最上川司
※未就学児童は入場不可。
[問]ホットスタッフ・プロモーション
[TEL]03-5720-9999
発売中
Pコード:285-628
▼4月15日(金) 19:00
Shangri-La
スタンディング-4500円(整理番号付、ドリンク代別途要)
※来場者特典付き。3歳以上は有料。
[問]キョードーインフォメーション
[TEL]0570-200-888
発売中
Pコード:284-981
▼3月13日(日) 18:00
GARRET udagawa
▼3月18日(金) 19:00
LIVE HOUSE Hearts
▼3月19日(土) 18:00
HEAVEN’S ROCK さいたま新都心 VJ-3
▼3月21日(月・休) 18:00
BAYSIS
▼4月21日(木) 19:00
TSUTAYA O-WEST
スタンディング-4500円(ドリンク代別途必要/特典付)
※3歳以上はチケット必要。
[問]ディスクガレージ
[TEL]050-5533-0888
▼4月16日(土) 18:00
最上川 司
もがみがわ つかさ●山形県出身。2009年にユニバーサルミュージックからD'espairsRayのドラムとしてデビュー。2006年には欧米15カ国のライブで総動員数1万5千人を記録。同年8月にはドイツで7万人を集めたEU最大のメタルフェス『Wacken Open Air』に唯一の日本人バンドとして参加する。また、ドイツでの音楽雑誌の表紙を飾った経験もある。D'espairsRay解散後、THE MICRO HEAD 4N'Sに誘われ、加入。2013年2月にEUツアーを成功させ、全会場にて『花笠音頭』を披露。ドイツ、ロシア、ポーランドなどの会場の観衆を沸かせる。2015年、ビジュアル演歌で最上川 司で遂にソロデビューした。
最上川 司
http://www.universal-music.co.jp/mogamigawa-tsukasa
プロモーションやキャンペーンなどで最上川 司と一緒に行動していていつも感じるのは、彼の歌に対する情熱です。いや、情熱というか、歌う事がこれほど好きな人間をあまり見た事がありません。
新譜の発売タイミングで各地のCDショップさんや大型ショッピングモールなどで歌わせていただくのですか、一連のスケジュールが終わると彼は必ず淋しそうな表情で、「毎日でもいいのでキャンペーン入れてください」と言います。毎日歌ったら喉も壊すし、たまには休みも欲しいはずなのに、彼は本気です。1日でも多く歌っていたいのです。
たまに食事に行って、食べた後、飲みながらもう一歩突っ込んだ話でもしようと、カラオケのあるお店なんかに行くと、「ちょっと歌っていいですか」とマイクを握った後、閉店までマイクを離さず、結局突っ込んだ話はおろか会話できず仕舞いということも。
歌手の方の中には、プロなのでカラオケスナックでは歌いたくないなんて人もいらっしゃいますが、最上川の場合はお構いナシ。他のお客様に「上手いねー」なんて褒められると、本当に嬉しそうにしています。
ワンマンコンサートだけでなく、CDショップさんやショッピングモールのキャンペーンは毎回自分のライブをスマホで録音し、コンサートの直後に聴いて一人反省会を開いています。セットリストやMC、そして歌のチェックを自分できびしくやっています。終わったことなんだからもういいじゃないと声をかけたくなりますが、用意されたお弁当を食べるのも忘れでチェックしている彼の表情は真剣そのもの。
好きなだけでなく勉強熱心なんだなーといつも感心しています。歌の先生に付いた訳でもなく、独学で歌を学んできたコンプレックスがあると彼は語りますが、それがあるからこその日々の彼の努力は本当に頭が下がります。
いつかそんな陰の努力が歌好きな最上川に輝くスポットライトを当ててくれるよう、皆さんも是非応援してあげて下さい。