ギター片手にデビュー10周年! 2枚のアニバーサリーベスト『DEPAPEPE ALL TIME BEST』 を手にツアー中のDEPAPEPEが、感謝も挫折も喜びも この10年をぶっちゃけるインタビュー&動画コメント
メジャーデビューを果たしても、10年そこにいられるアーティストは、どれだけいるだろう? ボーカルレスのインストゥルメンタルというスタイルながら、持ち前のメロディセンスとバイタリティでそのディケイドを見事に乗り越えた、神戸発のアコースティックギターデュオDEPAPEPEが、アニバーサリーベスト『DEPAPEPE ALL TIME BEST~INDIGO BLUE~』『DEPAPEPE ALL TIME BEST~COBALT GREEN~』をリリースした。ファンからのリクエストを元にセレクトされた珠玉の38曲を2枚のアルバムに宿したこのプロジェクトは、日本を含むアジア8つの国と地域(中国、香港、韓国、台湾、タイ、インドネシア、マレーシア)でも実施。「インストミュージックをポピュラーに!」と謳い続けた紆余曲折の10年間を2人に振り返ってもらった、今だから話せるインタビュー。
メジャーに行ってからの最初の5年ぐらいは
正直しんどかったですね
――デビュー10周年ということで、まぁサヴァイブしましたね(笑)。
三浦 「生き残りました(笑)」
徳岡 「何とか(笑)。昔ギターを持ってここ(=取材場所のぴあ関西)に演奏しに来たのも覚えてますよ」
――インディーズの頃からずっと取材してたDEPAPEPEがデビューした時期って、セカイイチとか関西のバンドがどんどんメジャーにいった時期でね。今やメジャーもインディーもない時代ではあるけど、同時にそれが続けられているのもやっぱりすごいなと。
三浦 「いつも“この10年どうでしたか?”って聞かれたら“いやもう、あっという間で”って言ってたんですけど、今の話を聞くと、とてもあっという間とは言えへんなぁって思いました(笑)。いやぁ~そう考えるといろいろあったなぁって、急に思い出しますよね」
徳岡 「奥さん(=筆者)はインディーズの頃からの知り合いやからあれですけど、あの頃は自分たちでも勢いを何となく感じてたから。そこからいざメジャーに行ってからの“これは耐えれるのか…?”っていう最初の5年ぐらいは、正直しんどかったですね。当時は音楽業界としてもギリギリCDが売れてた時代やったんで、そのサイクルに着いていくのが精一杯で。後半5年ぐらいで、やっと自分らのペースが出来たかなと思いますね」
――やっぱり“あっという間でした。いい思い出ばかりです”っていうわけではないわけやね(笑)。
徳岡 「“いい思い出ばかりです”って言いたいですけどね(笑)」
三浦 「やっぱり思い出すのってしんどいことの方が多いですよね。だから、“デビューした頃に戻りたいです”みたいなことは、とてもじゃないけど言えないですね。今の方がやっぱり楽しいです」
――観る方も最初はインストのデュオで掛け合いもトークもイケるとなると新鮮でおもしろがってくれるけど、とは言え慣れてはくるもんね。それはどう乗り越えていったの?
徳岡 「でも、僕らが得やったんが、すごいポップで分かりやすいことをやってたんで。それこそ押尾コータローさんとかテクニカルな人と一緒に演奏する機会もあったし、時にセカイイチとかバンドとも対バン出来る、ちょうど真ん中にずっといられたから。どっちかに振り切ってたらダメやったと思うんですけど、どっちもにバランスよくいられたのが、一番の理由かなと思いますよね。普遍的なライブも、時代の流れに合ったライブもある。そういう刺激も受けつつの中でやってこれたんで」
今が楽しいですね。今の方が絶対にいいものが作れる
――もう辞めようと思ったり、活動がうまくいかないこともあった?
徳岡 「4~5年目ぐらいはあったよな?」
三浦 「でも、それもやってることがおもしろくないというよりは、(メジャーでの)いろんな負荷とかストレスによることの方が多かったと思うんですよね。5年目以降、役割をちゃんと分けてからはすごくよくなったと思います」
徳岡 「僕が曲書きますと。なので、ライブとか人前に出たときのパフォーマンスは三浦に全部任せると。最初はある程度、僕も総合プロデューサーみたいにならなあかんとずっと思ってたんですけど、もう三浦に任せられると思ったんで。僕はもう“セットリストも決めません”ぐらいのスタンスで」
三浦 「そうすると役割がすごい明確やから、上手いこと回りましたよね。“DEPAPEPEという会社”と考えると、僕が即売係になってね(笑)」
徳岡 「2人の仲も改めてよくなってね。2人でもよく呑みに行くし」
――すごいねぇ。10年越えてみんながそうじゃないからね。“俺の曲をもっと入れたい”とか、“あいつの曲も1曲ぐらい入れないと”みたいな感じだと、やっぱりね。逆に、そもそも曲を書くより演奏する方が楽しい人間もいるし、演奏より曲を書きたい人もいるしと。
三浦 「もうまさに(笑)。DEPAPEPEをよくしようっていう目的がすごく明確やったから」
徳岡 「三浦がもし“俺の曲も入れてください”って言ってきても、もちろんよかったら入れる。でも、そもそもそういうスタンスで三浦はモノを言ってこないんで。“曲に関しては徳岡さんを信頼してるんで”みたいな言い方をしてくれるから、上手くいったんやろなと」
――10年やってきて、改めていい関係やね。
三浦 「そこでさっきの言葉なんですけど、“今が楽しい”ですね。今の方が絶対にいいものが作れると思う。それは音源も、パフォーマンスとしても。そういう意味では、今は活動していてすごく充実してます」
自分のプライドと無駄に戦ってるときがあるじゃないですか
ただ、今はプライドがないわけじゃなくて
出来ないことは出来ないと言う勇気も持ったし、ペースをちゃんと掴めてる
――あと、この10年を振り返って“うわぁ~DEPAPEPEやっててよかったな”と思い出してしまうような最高の瞬間と、マジでヤバかった最悪の事態を聞きたいなって(笑)。
三浦 「分かりやすく嬉しかったのは、デビューのときに初めて日比谷野音で、何人来るかも分からない状態でフリーライブをしたときに3000人ぐらい集まってくれて…。そんなに大勢の前でライブしたことがなかったんで、あの光景は今でも思い出しますね。その後、あそこよりも大きなところでもやったし、それも嬉しかったけど、やっぱり最初の衝撃がデカかった。キツかったのはねぇ…それこそ徳岡さん家で練習してるときの、家の光景とかを思い出しますね(笑)。出来んかって怒られたりとか、2人の仲が悪くなってるときを(笑)。ちょっと胃が痛くなるなぁ…それがもう最悪なときかな。どっちにしても10年を振り返って印象深かったのは最初の数年、特に1~2年ぐらいかな。いい意味で、そこからはそこまで心がブレなくなってますね」
徳岡 「僕は出来事というよりは、海外にこれだけ行けるようになるとは思ってなかったんで、それがトータル的には本当に嬉しい誤算というか。それも10年続けられた秘訣かな」
――プロフィールにもタイで3000人集まったって、ヘタしたら日本より人気あるんちゃう?(笑)
三浦 「そうなんですよ!(笑)」
徳岡 「これはね、みんながみんな言わないんですけど、絶対に日本より人気があるんですよ(笑)。きっかけは多分YouTubeとかやと思うんですけど、実はもうデビューの次の年ぐらいには海外には行ってたんで」
――ちなみに危機は?
徳岡 「曲が出来なくてホンマに無理、みたいなときは3枚目のアルバム『HOP! SKIP! JUMP!』(‘08)ですかね」
――要はリリースのペースが早かったときというか。
徳岡 「そうそう。メジャーの1作目でもうストックはなかったんで。そこからずーっと曲を作ってきたけど、『HOP! SKIP! JUMP!』のときは自分でもちょっとね、もう投げ出したくなるくらいイヤやったんですよ(笑)。あのときはしんどかったなぁ…今でも思い出しますね」
――でも、それを越えて書けるようになったやんやね。
徳岡 「ね。何かふとふっ切れる瞬間があって。何かね、自分のプライドと無駄に戦ってるときがあるじゃないですか。ただ、今はプライドがないわけじゃなくて、出来ないことは出来ないと言う勇気も持ったし、ペースをちゃんと掴めてるのかなと思います」
――結局、自分たちを活かすためにそこで頑張るべきか、だったら自分の得意分野で突っ走るべきか、みたいな戦い方も分かってくるもんね。
徳岡 「ホンマにその通りで。DEPAPEPEはテクニカルなことがずっと出来るデュオじゃなかったから、“俺らって絶対に生き残られへんよな”みたいなことは2人でずっと不安に思ってたんで。けど、メロディであったり、この2人の空気感であったり、勝負出来るところもあるのは何となく分かってたんで。この道でとりあえず行こうとなってからは、上手くいってますね」
――テレビでDEPAPEPEの曲がたまに使われたりすると、分かるもんねやっぱり。独特のメロディラインというか。
徳岡 「テレビを観てて、ドキッとしますよね自分で(笑)」
『ONE』は、これが出来てなかったら多分DEPAPEPEを
続けてないんじゃないかなと思うぐらい、自分らの中では大きい曲
――そして、10周年のご褒美じゃないけど、2枚のベスト『DEPAPEPE ALL TIME BEST~INDIGO BLUE~』『DEPAPEPE ALL TIME BEST~COBALT GREEN~』が出て。これはリクエストを募って投票により選曲したということやけど、結果を見てどうでした?
徳岡 「リリースする各国でやっぱり好みが違うし、あと各国で有名な曲も微妙に違って。例えば韓国やったら『いい日だったね。』(『COBALT GREEN』M-8)は、有名なドラマの挿入歌として使われてみんなが知ってるとか、タイやったら生命保険会社のCMで使われてたり。“何でこの曲がそんなに有名なんやろ?”って思ったら、そのCMが映画仕立てですごい泣けるんですって。だからそれは入れとかないと、みたいな」
――日本のランキングはどうでした?
徳岡 「まあ『雨音』(『INDIGO BLUE』M-11)が1位なのがよく分かんないなって思ったけど、あとは妥当かな」
――“1位がよく分かんない”っていうのが一番謎やけど(笑)。ライブの鉄板とかでもないってこと?
徳岡 「そういう曲じゃないんですよね。何でなんですかね?(笑) だから意外やなって」
――上位20曲の中で、印象深いエピソードがある曲は?
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三浦 「『ONE』(『COBALT GREEN』M-1)は、これが出来てなかったら多分DEPAPEPEを続けてないんじゃないかなと思うぐらい、自分らの中では大きい曲ですね。『START』(『INDIGO BLUE』M-1)のサビとかもそうなんですけど、当時はオクターヴ奏法でよく弾いてて、“それがDEPAPEPEっぽいから、やっぱりサビはそうしないと”みたいな固定概念が自分たちにもあって。本当は単音でもうちょっとメロディアスな旋律を弾きたいけど…みたいな感じでモヤモヤしてたところで、1回バンッ!っと思い切ってオクターヴ奏法をやめて作ったのがこれですね。そこからまた曲がいっぱい作れるようになったから」
徳岡 「あと、『Snow Dance winter session』(『INDIGO BLUE』M-13)はインディーからやってる曲ですけどMVがすごい雪の感じですけど、石垣島で撮りました(笑)」
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――アハハハハ!(笑) マジで!? 何でなん?
徳岡 「いや、何でなん?って俺らも思いながら(笑)。デビュー前に曲作りで石垣島に行かせてもらったんですよ。何かメジャーっぽいじゃないですか(笑)。そこでついでにPVも撮っとこう、みたいな。出来上がりはすごい冬っぽいんですけど、“何でここで撮ってるんやろう?”って思いながらやってましたね(笑)。あと、『Hi-D!!!』(『COBALT GREEN』M-11)は、僕らがDEPAPEPEを組んで初めて作った曲ですね」
三浦 「『紫陽花』(『INDIGO BLUE』M-14)のMVでは僕らが妖精になってますし(笑)」
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――10年間いろいろあったんやね。普通の人生で“ちょっと妖精になってくれ”って言われることないもん(笑)。
徳岡 「しかも30を越えてね(笑)」
三浦 「ないですよね? それっきりですけどね、妖精になったのは(笑)。でも、それからは基本、演技とかはやめとこうみたいになりましたね(笑)」
――みんなが一生懸命投票してくれて、曲を選んでくれて、ベストアルバムが出来上がっていく過程とか、そういう想いが集まってくる光景を見て何か思った?
徳岡 「自分らで選んだら多分違う曲を入れてるのもあるし、演奏とかテイクも気になるじゃないですか? でも、お客さんにとってはベストアルバム=その当時の思い出とかが関わってくるから、僕らの技術的な面はあんまり関係ないところもあると思うんで。自分らの私情を挟み込んでしまうから、逆に聞いといてよかったなと思いましたね」
三浦 「聴くときに制作過程のことばっかり思い出すから(笑)」
――そうやね。あの辛かった頃の曲は絶対に入れたくないとかね(笑)。
(一同笑)
徳岡 「絶対にありますよ(笑)」
三浦 「あの曲、本当はすげぇ恥ずかしいのになってこっそり思ったりしてます(笑)」
不思議な10年ですね、ホンマに
――ちなみに、『INDIGO BLUE』と『COBALT GREEN』の棲み分けはどうやって?
三浦 「普通2枚同時でリリースしたら、だいたい“何とかサイド”的に分けるじゃないですか? そういうのをやめて、ただ単に1枚じゃ収まりきらなかったから2枚出す、みたいにしたいなって。だから、Ⅰ・Ⅱみたいな感じもヘンやし、色にするにしても対照的な赤と青とかじゃなくて、DEPAPEPEだと青と緑がイメージかなって。どっちも自然な、アコースティックな雰囲気も出るかなと」
――じゃあホントに2枚で1つのものというか。ブルーっぽいとかグリーンっぽいっていうことでもなく。
三浦 「そう感じてもらえると嬉しいなぁと。あと、どちらか1枚でもDEPAPEPEが分かるようにはしたいなって」
――でも壮観ですね、これだけ曲が並ぶと。全部で何曲あるんやろ?
スタッフ 「150曲ですね」
三浦 「150曲中、パッと弾けるのがこれぐらい?ってことですね(笑)。でも、これだけ曲があると、Aメロを弾きながら違う曲のBメロを弾きそうになることはありますけどね(笑)」
――でもまぁ、記念になるものが出来ましたよね。
徳岡 「そうですよね。あと、海外同時リリースも初めてなんで、これを今後のDEPAPEPEの足掛かりにする意味でも、納得して出せたベストかなと。まぁでも今出しとかないと、もういつ出せるか分からんやろうなって」
――ここで出さんかったらまた5年後になるからね(笑)。海外のリアクションって、やっぱり違うわけ?
徳岡 「違いますね。海外の方が“ウォ~ッ!!”っていう体現の仕方がすごいですね」
三浦 「同じアジア圏という意味では、逆に日本だけが違う感じがします。内に秘めてじっくり聴くんやなぁって」
――今やDEPAPEPEも、シーンにおいて不思議な立ち位置になってますよね。
徳岡 「僕らがやり始めた頃よりインストバンドも増えましたけど、かと言って自分らはフェスに出る系じゃないし」
――バンドはいてもデュオみたいな形で違うアプローチをするユニットが出てきたわけでもないし。
徳岡 「ホンマに隙間産業やったんですね(笑)」
――(笑)。それが10年の秘訣かなぁ?
徳岡 「そうですね(笑)。不思議な10年ですね、ホンマに」
三浦 「“不思議な立ち位置”という表現は一番ありがたいですね。“DEPAPEPEはこうです”って決まってないのがいいなぁと思いますね」
――いや~よく10年やってこれましたね。
徳岡 「いや、ホンマね。皆さんのお陰です」
三浦 「楽しいことだけ思い出すようにします(笑)」
(一同笑)
三浦 「ギターを弾いて、人が喜んでくれることを10年続けられてるだけで、ホンマに幸せやなぁと思います。これからもなるべく長く、ずっと続けられるように」
――しかもこの表現は歳をとっても長く続けられるもんね。
三浦 「どの年齢で弾いても大丈夫やと思います。ただ、ちょっと演奏のテンポが落ちるかもしれないですけど(笑)」
こうやってまたいろんな人とつながっていけてることが
幸せだなぁと思います
――そして、ベストアルバムに紐づく東名阪ツアーもあって。
徳岡 「ベストなツアーなのでお客様が喜ぶセットリストにしてね。そうすると俺らも意外と楽しめると思うんで」
三浦 「あと、去年もエレキギターを弾くライブをしたりと新しいチャレンジはしてきたから、“これが10年です!”というよりは、それを経てこれから先も“DEPAPEPEが何かまたおもしろいことをするんじゃないか!?”って思ってもらえるようなライブにしたいと思いますね」
――アニバーサリーイヤーを振り返ってどうでしたか?
三浦 「去年はまずインドネシアに行ったり、海外から始まったのが嬉しいなと思いましたね。そういう活動をしつつ10周年のベストアルバムを出して、10周年記念のライブもしつつ、プロモーションで改めてまた全国廻ったり。こうやってまたいろんな人とつながっていけてることが、幸せだなぁと思います」
徳岡 「去年はよくライブしたイメージの年やったんですけど、こんなアコギデュオの形態だからこそいろんなところでライブが出来て、それがこのベストにつながってるのかなぁって。これから先、改めてライブを大事にしていかないとって思った年でしたね」
――それでは最後に、10周年以降のこれからの抱負を聞きたいなと。
三浦 「この次の10年があるならば、もっともっと行けてない国とか、もしくは欧米でもチャレンジ出来ることはしつつ、日本も細かく廻りたい。やっぱり観てもらってナンボだと思うんで、たくさんライブが出来るようにしていきたいと思ってます」
徳岡 「みんなが聴いてすぐ分かるいい曲を作りたいし、それが出来たらDEPAPEPEはもっと強くなれるかなって」
――『戦場のメリークリスマス』(‘83)みたいな、言葉がなくとも通じる普遍的な名曲というかね。そういうやり甲斐のある課題はまだまだあるかもしれないね。本日はありがとうございました!
三浦 & 徳岡 「ありがとうございました~!」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2016年2月25日更新)
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