卒業、夢の中へ、スケバン刑事、はいすくーる落書etc…
女優として、そして歌手として、斉藤由貴の30年
大阪での25年ぶりの貴重なコンサート
11/8(日)森ノ宮ピロティホールを前に語るインタビュー
斉藤由貴と言えば、何を思い浮かべるだろう? 強烈なインパクトを残した麻宮サキ役に体当たりで挑んだ『スケバン刑事』(‘85)か、不良少年たちと対峙する新米教師を演じ、主題歌の『TRAIN-TRAIN』をはじめTHE BLUE HEARTSの楽曲が彩った『はいすくーる落書』(‘89)か。はたまた、松本隆(作詞)×筒美京平(作曲)により生まれた卒業ソングの代表曲にして彼女のデビュー曲であり、今でも歌い継がれる『卒業』(‘85)か、井上陽水の名曲カバーが自身最大のヒットを生んだ『夢の中へ』(‘89)か…。女優として、歌手として、今年でデビュー30周年を迎えた斉藤由貴が、いよいよ11月8日(日)森ノ宮ピロティホールにて、25年ぶりに大阪でコンサートを行う。今年の3月には記念アルバム『ETERNITY』を発表、日比谷のシアタークリエにて先んじて行われた東京公演を経て、アニバーリーイヤーを締め括る記念碑的なこの1日。25年ぶりに幕が開くその前に、30年の歩みを語った貴重なインタビュー。
NGを26回とか出したときには、本当に青くなって
もう…逃げてもいいかしら?って(笑)
――30年というのは人生においてかなりの時間だと思うんですが、改めてデビュー30周年を迎えた感慨深さや、振り返って思うことはありましたか?
「今、思い付いたことなんですけど、デビュー10年目ぐらいで結婚して、20年目ぐらいで最後の3人目の子供を産んでと、プライベートですけどそういう大きな出来事が10年ずつの括りにあって。30年目のこの1年間は、お仕事という意味ではとても充実していて、スタッフの中にもお祝いムードがあって。私の中で意図したわけではないけれど、30年を自分の中で深く振り返る、いい時間になってる感覚はありますね」
――導かれたように10年周期で人生の節目がやってくるという。この30年を語る上で、代表作の1つである『スケバン刑事』(‘85)の麻宮サキ役は社会現象になるぐらいのブームでしたけど、振り返ってあの時代の経験が今に何かつながってることはあります?
「『スケバン刑事』の思い出話は、てんこ盛りあります(笑)。やっぱりすごく大変な仕事でした。ああいうキャラクターが私の中にあまりないので、撮影のときは辛かった思い出があるんですけど、一番苦労したのがやっぱりヨーヨーで。私ね、本当に運動神経がないんです(笑)。当時は今みたいに何度も撮り直しが出来るシステムじゃなくて、1回撮ってはNGが出るとフィルムを捨てなきゃいけない時代だったので、ヨーヨーでNGを26回とか出したときには、本当に青くなってもう…逃げてもいいかしら?って(笑)。マネージャーさんがつかこうへいさんの舞台出身の方だったので、イメージを固めるのではなくてどんどん壊していくことを、躍起になって私に課してきたんです。私はあんまり自分で仕事を選んだりはせず、基本的には与えられた仕事をやってきたんです。なので、スタッフというかブレーンの人に恵まれたのは、間違いないと思います」
――あと、30年間そのスタッフの顔ぶれが変わらないとのことですが、それもなかなかないことですよね?
「最近ね、当然のことながらSNSとかそういうインターネット系のことはすごく進歩してるじゃないですか。私はものすごくアナログな人間なので、よく分かってなかったんです。それでちょっと検索してみたら、今仰った通りのことが書かれていて。斉藤由貴という人間は、とても恵まれていると。“デビューしてから事務所も変わらず、周りのスタッフがみんな彼女の前にずーっとい続けている。さしたるイメージチェンジも戦略も必要としないまま、何となく仕事がコンスタントに続いた、とてもラッキーな女優”みたいに書いてあって。自分のことってあまり客観的に見えないじゃないですか。だから、それを読んだときに、事務所との出会いもきっとそうなんだと思いますし、私のことを育てようと思ってくださったスタッフ、面倒をみようと思ってくださったディレクターさん…いろんな人との出会いにしても、自分はとっても運がいい人間なんだなぁってすごく実感しましたね。本当に感謝しています」
私に対しての“思い入れ”みたいなものをありがたく受け取って、受け入れて
――3月にアルバム『ETERNITY』をリリースされてますが、30周年でアルバムを作ろうとなったのは?
「正直に言うと…私、(30周年を)スルーしようと思ってたんです(笑)。恥ずかしいじゃないですか。年齢を追うごとに誕生日が恥ずかしくなるのと同じで、30年も経って今さらね…関西弁風に言うなら“よう言わんわ”っていう(笑)。そしたら、私のデビュー当時からのマネージャーさんに、“30周年だから何かやろうよ”みたいに言ってもらったので、じゃあやりますか? アルバム出そうよ、コンサートもやろうよってことになって。『ETERNITY』はジャズスタンダードのカバーが主軸になったわけですけど、それも言わば30年来の私のスタッフが、“由貴ちゃんにこういう曲を歌って欲しいな”とか、“こういう曲を歌える年代になってきたね。僕、この歌が好きなんだ”とか、それってすごい個人的だよね?って思うんですけど(笑)、そういう皆さんの私に対しての“思い入れ”みたいなものをありがたく受け取って、受け入れて、じゃあ作ってみましょうかという感じで出来上がりましたね」
――女優業と歌手業との2本の柱があると思うんですけど、歌うことはご自身にとってどういうチャンネルというか、位置付けになるんですか?
「あの…自分の大前提というか自覚としてまず1つに、“歌が下手である”っていうのがあって(笑)。私の中での歌の位置付けは、演技の一方法というところが大きいです。ただ、大きな違いは、演劇の場合は役名を与えられるんですけど、歌の場合は私の名前で出ていますっていう気分なので、すごく月並みな言い方ですけど、裸のような気持ちになって…怖いんですけど、だからこそ、すごく大切な表現の場だなぁと思います。自分を省みるいい機会になります」
大阪でコンサートをするのはものすご~く久しぶりなので
その分濃い想いを持ってきてくださると思うんですよね
――先んじて3月に東京でライブが行われましたが、実際にやってみてどうでした?
「前々から感じてはいたことですけど、本当にお仕事って不思議な風のようなものが吹くときがあって。追い風というか、流れのようなものとでも言うか、25周年ぐらいから何となく歌に関するお仕事をもらったり、例えば近々だったら、『THE MUSIC DAY 音楽は太陽だ。』とか『FNS歌謡祭』に出てみたり、歌に関わる活動が実はここ数年結構あったんです。3月のライブのときには、30年という節目を利用してじゃないですけど、自分の残りの時間をどんな風に過ごしてくんだろう?っていうことを考える、いい機会になったなぁとすごく思いました。多分お客さんもそうだと思うんですよ。例えば、私がデビューした当時に高校生だったり大学生だったりした人たちが課長さんや部長さんになってたり、子供の受験のことや家のローンのことで悩んでたり(笑)、人生のそれぞれの段階を踏んできてるはずなんで、“あぁ、あの頃から30年経ったんだな”って自分のことを考える、想いを馳せる、共鳴するような空間を作る機会になったんじゃないかなぁと思いました」
――スタッフが変わらないのと同様に、ファンの方も同じように人生を歩んでこられて。
「うちの子供たちもその30周年のコンサートに呼んだんですけど、“おじさんたちがいっぱい来てるけど、みんな泣いてる”って(笑)。きっと皆さん、すごくいろんな想いを抱えながら聴いてらっしゃるんだろうなぁって。それと同じようなことが大阪のお客さんにも起きてくれるといいなぁ。私、デビューした最初の頃に、新大阪駅に着いてタクシー乗り場に向かう最中に、大阪弁のケンカを見たことがあって、そのインパクトがあまりに強くて、大阪ってすごいところだなぁって思った(笑)。歯に衣着せず正直に反応してくださるのは、怖い部分はあるんです。でも、そんな中でも大阪のお客さんに、“よかった~! おもしろかった~!”とか言ってもらえると、何かレベルの高い及第点をもらったような(笑)、そんな気持ちに実はなります。コンサートでは25年ぶりですけど、舞台では大阪に長くいることがしょっちゅうあるので、褒められると“よし!”っていう気持ちにいつもなりますね」
――最後になりますが、25年ぶりの大阪でのコンサートはどんなものになりそうですか?
「大阪でコンサートをするのはものすご~く久しぶりなので、その分濃い想いを持ってきてくださると思うんですよね。そういう気持ちのやりとりが出来たらいいなぁと思います。森ノ宮ピロティホールであたたかい素敵な時間が作れたら…もう本当にそれに尽きますね。何か不思議な現象で、『卒業』という歌の威力なのかもしれないですけど、中学生とか高校生とか若い方が私の曲を何かで聴いて、“すごく好きになりました”とかお便りをいただいたりすることが結構あるんです。そういう“初めて来ます!”なんていう方にも来てもらえたら、実はすごく嬉しいなぁって。新しいアルバムからも“今の私”ということで選曲はしますけど、大きな柱としては皆さんが“うわぁ〜これが聴きたかった!”と思う曲を網羅するコンサートになるよう鋭意制作中なので、きっと喜んでもらえるかな」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2015年11月 6日更新)
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