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新曲『夜桜哀歌』も好調の山本譲二にインタビュー
あの名曲誕生秘話から愛弟子への思いまでたっぷりと
語ってもらった!

力強い歌声で聴くものを魅了する一方、バラエティー番組ではユーモアたっぷりにトークを展開。ロックバンド・怒髪天からは兄貴分として慕われ、たびたび共演するなど、演歌界だけにとどまらない活躍を見せる山本譲二。骨太なサウンドに乗せて昔気質な男性像を歌った新曲『夜桜哀歌』も好評な中、今回は、甲子園出場を果たした高校時代の思い出、名曲『みちのくひとり旅』の誕生秘話、そして愛弟子であるパク・ジュニョンへの思いなどをたっぷりと語る。

--譲二さんが高校時代、甲子園に出場されていたのは有名なエピソードですが、野球と歌では、どちらが先に興味を持たれたのでしょうか?

野球ですね。もともとは中学校に入学した時に父から「野球部に入って帰ってこい。途中でやめたら承知せんぞ!」と言われ、いやいややっていたんです。ところが、そんな野球も3年続けているとだんだん好きになってきてね。高校に入学した時は、自分から志願して野球部に入部しました。

--そこから、どのようにして歌に興味を持たれたのでしょうか?

一年生、二年生の頃は、練習が終わると毎日、部室で歌を歌わされていたんです。先輩の命令は絶対で、「おい譲二、○○の○○って曲があるから明日までに覚えて歌え」と言われたら、知らない曲でも覚えないといけない。帰り道、唐戸の町にあったジュークボックスでその曲を探して、ほとんどの曲は2回聴いて完璧に覚えていました。

--当時は、どんな曲を歌われていたんですか?

もうオールマイティーですよ。僕に選曲の自由はありませんから(笑)。森山良子さんの『この広い野原いっぱい』とか、美樹克彦さんの『回転禁止の青春さ』とか、いろいろ。そんなことを繰り返しているうちに、ある先輩から「譲二、お前そんなに歌えるんやったら野球なんかせんで歌手になったらどうや?」と言われまして。そうやって褒められたら、もう舞い上がっちゃいますよね。甲子園出場を報じる学内新聞にも「山本譲二 いつも歌を歌っている。その歌が絶品」と書かれたし、鏡見たら、まあまあ男前だし(笑)、「俺が歌手にならんで誰がなるん!」と思ってさ。高校を卒業して、一旦就職したけど、半年勤めた後、歌の道に進みました。

--親御さんの反応はいかがでしたか?

父はトラック運転手、タクシー運転手と、ハンドル人生で僕を育ててくれたんですけど、息子が甲子園に出場して、地元で評判の企業に入ったことをとても喜んでくれていたんです。それが、明日をも知れない歌の道に行きたいなんて言うもんだから、最初は猛反対。「お前は何を考えとるんや!」って怒られました。でも、僕も「父さんの夢は甲子園に出場して果たしたやん。今度は俺の夢を追わせてくれ!」って言い返して。その勢いのまま夜汽車に飛び乗り上京しました。

--上京してから、すぐに歌の修行を?

いや。最初は張り紙を見ては時給の良い仕事を点々としていました。それで最後にたどり着いたのが弾き語りの流し。何件か顔を出しているお店に偶然、作曲家の浜圭介先生がいらっしゃり、僕の歌を聴いて「君は歌手になりなさい」と背中を押してくださいました。それで24歳の時、好きな映画だった『ダーティー・ハリー』をもじって「伊達春樹」という名前でデビューしたんです。

--その頃は、どのような活動を?

もう全然、鳴かず飛ばずでね。故郷の友達に電話したら「お前の歌、誰も知らんぞ」って言われるし、キャンペーンしても誰も付いてきてくれないし……。広島でキャンペーンをやることになった時、どうにも身動きが取れなくなってしまい、実家の父に電話で事情を話したら、車に機材を積んで助けに来てくれたんです。そこからは親子二人でのキャンペーンですよ。ある時、宿の風呂場で、父が僕の衣装のシャツを洗ってくれて、アイロンもないし、どうやって乾かすのかな?と思ったら、勢い良くはたいたシャツを膝に引っ掛け、そのまま引っ張るんです。そしたらすごくきれいに仕上がってね。戦時中、父が所属していた海軍仕込みの技らしいんですけど、それを見た時、「父や母にこんな苦労をさせてはいけない……絶対に売れて親孝行しよう!」と決意しました。

--そこから北島三郎さんの元へ弟子入りされるわけですね。譲二さんの前にもお弟子さんはいたのですか?

はい。何人かいましたけど、みなさん途中でリタイアして、どんどん少なくなっていきました。師匠も今では穏やかになられましたけど、当時はまだお若く、修行も厳しいし、めちゃくちゃ怖かったですよ。でも、そんな人だからこそ僕は自分の24時間をこの人に捧げようと思い、故郷も両親も、当時付き合っていた後の女房もすべて捨てて。そこまでしないと響いてくれない人ですから。

--北島さんの元での修業を経て1976年、ついに山本譲二として再デビューを果たされますが、伊達春樹時代と比べて体制も万全だったのでは?

それは、もちろん。事務所もしっかりしたマネージャーをつけてくれたし、プロデューサーには夏川りみちゃんや山内惠介君を育てた三井健生さんを迎えてくださいました。ところが、デビューから3枚目のシングルまでは、なかなか結果が出せなくてね。4枚目にして、やっと『みちのくひとり旅』に出会うんです。師匠から「譲二、ちょっといい曲があるらしいから聴きに行って来い」と言われ、向かった先にいらっしゃったのが、“艶歌の竜”として有名なディレクター・馬淵玄三さんと作家の先生方。馬渕さんが作曲の三島大輔先生に「ちょっと、あの曲弾いてあげて」と言って、弾き語りで聴かせてくださったんですけど、もうサビの「たとえ~」のところで「この曲を誰にも渡さないでください!僕の曲にしてください!」って馬淵さんに土下座しましたよ。

--まだ、まったく世に出る予定がない状態だったんですね。

そうですね。実はその時、タイトルも『みちのくひとり旅』ではなくて、当時の僕がそんなこと言えるわけもないのに、なぜか「曲名だけは『みちのくひとり旅』に変えてください!」って言っちゃったんです。東北を表す「みちのく」というフレーズがすごく新鮮に感じられて、それだけはお願いしました。

--同曲は100万枚を超える売上を記録し、まさに譲二さんの運命を変える1曲になりました。

ところが、この曲も売れるまで1年かかったんですよ。もう毎晩、いろいろなお店におじゃまして一生懸命歌っていたんですけど、そんな姿をお店のママやマスターが気に入ってくれてね。それで熱心に有線にリクエストしてくれたのがヒットに繋がったのかなと思います。

--この大ヒットがあったことで、ご自身の歌手としての展望も一気に広がったのでは?


『紅白歌合戦』には出たいと思っていましたが、決定の報せを聞いた時は、やっぱり嬉しかったですね。それと同じぐらい嬉しかったのは、この曲のヒットを受けてアルバムを出せたこと。これで、自分はやっと歌手になれた!という実感を得ることが出来ました。

--その後、1999年にはレコード会社を現在のテイチクエンタテインメントに移籍され、第一弾シングル『花も嵐も』が大ヒットを記録します。

移籍することになった時、声をかけてくれた会社の中にテイチクがあって、僕もマネージャーも「テイチクがいいね」と話していたんですけど、決定打になったのは川中美幸ちゃんのひと言。仕事で一緒になった時に「譲二さん、テイチクに来てよ!スタッフも頑張ってくれるし、すごくいいわよ!」って。それでテイチク入りを決めて、一発目にどんな曲を持ってくるのかと思ったら、出てきたのは王道演歌の『花も嵐も』。僕は、『みちのくひとり旅』路線の曲がくると予想していたので、「こう来るか!」と驚きましたけど、爽快で突き抜けるような曲調が素晴らしいなと思いましたね。おかげさまでみなさんからご支持いただき、これ以後、いい感じの夫婦像を描いた曲が増えていきました。

--そのテイチクに移籍して16年目となる今年、新曲『夜桜哀歌』が発売されました。本作は譲二さんの歌手デビューのきっかけを作った浜圭介先生が作曲を手がけられていますね。

ある時、浜先生とご飯を食べながら、いろいろな話をしていたんですけど、ふと先生が「譲二、俺、音楽生活50周年なんだ」とおっしゃって。それを聞いて僕も「それじゃ先生、僕に曲を書いてくださいよ!先生の50周年にご一緒できなくちゃ山本譲二も男がすたりますよ!」って言ったら、すごく喜んでくださったんです。その3日後には、この曲が僕のもとに届いていました。

--曲調、歌詞ともに力強く、硬派な男性像が強調されていますね。

最近、こういう系統の曲がなかったし、僕も歌っていて思わず「かっこいいでしょ!?」って言いたくなります。時代設定はいつ頃なのか?少なくとも平成じゃないよねってことで、ジャケットもモノクロに。あえて細かい説明はしないけど、曲を聴いた方の想像が膨らむようにと、作家の先生方やスタッフがいろいろこだわって作ってくれました。

--譲二さんご自身は、主人公についてどのようなイメージを描かれていますか?

2番の歌詞に、辛い境遇にあった女性と良い仲になるけど、添い遂げられないという描写があって、普通なら、その女性と一緒になればいいのにと思うじゃない?でも、「古い疵」というフレーズがあるところを見ると、この主人公は昔、身も心も捧げ尽くすような恋をしていたんだろうね。それもあって、今、目の前にいる女性を幸せにできないと負い目を感じている。だから一人で去っていくという。いい奴でもあり、脛に傷も持っていて、そういう部分がカッコよさとして印象に残るんでしょうね。本当にドラマチックな歌詞だと思います。

--ご自身でもお気に入りの1曲とのことですが、レコーディング現場の雰囲気はいかがでしたか?

僕の好きなように表現したり、ディレクターや浜先生がおっしゃったことを踏まえたりしながら、全部で5回歌いました。『みちのくひとり旅』の時は大変でね。2ヶ月かけて数百回スタジオで歌い直したので、その頃から比べると早くなりました(笑)。

--譲二さんが歌い方でこだわった部分は?

100%の力で歌わないこと。CDを買われた方は何回も繰り返して聴くから、あまり力いっぱい歌うと飽きちゃうんです。そうならないためにインテンポで、自分の思い入れを極力込めないように。隙間を作るように心がけました。あと、プロじゃないと歌えない部分も入れないと歌いたい人には歯応えがないでしょうから、そこも意識しました。



 

--カップリング曲「俺の花」は、テンポ感のある歌謡曲ですね。

浜先生にどんな曲ですかと聞いたら「夫婦もので、『花』は君の奥さんのことだ」とのことで、最初は『花も嵐も』みたいな曲調を想像していました。それが聴いてみたら全然違っていてびっくりですよ。おしゃれでカッコいい曲ですよね~。カップリングにしておくのがもったいない。歌詞にある「バラと拳」が、どういう意味なんだろうと思って女房に聞いてみたら「拳っていうのは、お父さんの手。バラが私。トゲもあるけど、それでも私の手を握って守るって意味でしょ」と帰ってきて、すごく納得しました。この曲もステージで歌うのが楽しみです。

--そのステージについてですが、最近拝見したステージで「演歌=直立不動」というイメージとは対照的に、大きくアクションを交え、めいっぱい動かれる譲二さんの姿が印象的でした。

そういう動きって、ちょっとしたところにヒントがあるんです。僕が最近、参考にしたのは、サンドラ・ブロックがFBIの捜査官を演じた『デンジャラス・ビューティー2』という映画。劇中でラスベガスのショーで踊りながら犯人を探すシーンがあったんだけど、その動きがすごく良くてね~。ぜひ、ステージでやりたいと思い、取り入れました。あと、僕のステージは何を話しだすか、何をやらかすか分からない、予想がつかないというのも売りなので、そこも含めて楽しんでいただきたいですね(笑)。

--最後に、今後の演歌界を盛り上げるための譲二さんの意気込みをお願いします。

意気込みというか危機感を感じています。今、10代、20代の人たちが大人になった時、演歌というジャンルはどうなっているんだろうって。僕達が若い頃は先人が偉大で、テレビやラジオも含めて、演歌を歌える場所をいっぱい作ってくれたんですよ。それを受け継いだ僕らは、さらに良くして後輩に渡さないといけないのに、御存知の通り、今、音楽業界全体が厳しい状況でね……。健闘できなかったと反省もしているけど、こうなった以上は踏ん張るしかない。今の状況からどうやってヒット曲を生み出すかということは常に考えています。

--譲二さんの場合は、所属事務所のジョージ・プロモーションでパク・ジュニョンさんを育成され、人気も沸騰中で、後進に対する土壌づくりは果たされていると思います。

僕はジュニョンを一人前にするまでは他の誰にも手を付けないと決めているんですけど、彼のことは初めて会った時に歌も聴かないで「この子は大成する!」と確信しました。ファンのみなさんもすごく熱心でね。先日も彼が東京でディナーショーをやったんですけど、即日完売ですよ!僕も見に行って、お酒が入っていたせいもあるけど、最後、客席の真ん中まで飛び出してアンコールの声を上げました(笑)。お客さんも驚いていたけど、一緒にやってくれてね。その勢いで前まで出て「ジュニョン、ステージに戻ってこいよ!」って言っていたら女房に「あんたが戻って来なさい!」って怒られました(笑)。

--譲二さんのジュニョンさんに対する思い入れは相当なものですね。

僕がデビューした頃に比べたら、歌の上手さも格段に上だし本当に素晴らしいです!二人でカラオケに行ったら彼の曲を全部入れて一緒に歌うんですけど、これが、いい曲ばっかりなんですよ~。最新曲の『河口湖』も最高。もう僕、全力でジュニョンを河口湖の観光大使に推薦します!(笑)

--頑張ってください!そして、『夜桜哀歌』のヒットもお祈りしています!

ありがとうございます!僕も本当に気合いが入っているし、みなさんから「これ、めちゃくちゃカッコいいですよ!」と言っていただけるのが嬉しいです。ぜひ、聴いて、歌って、このカッコよさを体感してください!

(取材・文/伊東孝晃)




(2015年10月14日更新)


Check

Release

Single

発売中

『夜桜哀歌』

マキシシングル
TECA-13620/定価:¥1,204+税

シングルカセット
TESA-13620/定価:¥1,204+税

<収録曲>
01.『夜桜哀歌』
02.『俺の花』
03.『夜桜哀歌』(オリジナル・カラオケ)
04.『夜桜哀歌』(メロ入りカラオケ)
05.『俺の花』(オリジナル・カラオケ)

Profile

山本譲二
やまもとじょうじ●1950年2月1日生まれ、山口県下関市出身。早鞆高校野球部に在籍し、昭和42年第49回夏の甲子園大会に出場した。1974年、芸名 "伊達春樹" でビクターより『夜霧のあなた』で歌手デビュー。1975年、新宿コマ劇場で北島三郎の楽屋に何度も通い詰め、付き人兼前唄を務める様になる。翌年、YTV『全日本歌謡選手権』で10週勝ち抜き、43代チャンピオンに。1978年、北島音楽事務所に正式に移籍し、キャニオンレコードより『北ものがたり』をリリース、本名の山本譲二で再デビューした。そして1980年、『みちのくひとり旅』をリリース、翌1981年にミリオンヒットを記録し、数々の賞を受賞する。同年、NHK『紅白歌合戦』に初出場を果たした。1999年にテイチクレコードに移籍し、2000年に移籍第1弾シングル『花も嵐も』を発売。12月31日、NHK『紅白歌合戦』5回目の復帰出場した(通算14回目)。2015年10月21日(水)にはシングル『北の孤愁』を含む、代表曲、ヒット曲全16曲を収録したアルバム『山本譲二 2016年全曲集』もリリースする。


公演情報

柏原歌謡フェスティバル~山本譲二・市川由紀乃・三山ひろし・蒼彦太 歌の祭典~

発売中

Pコード:276-014

▼2016年2月6日(土) 13:30/17:30

リビエールホール(柏原市民文化会館) 大ホール

前売指定-6000円

[出演]山本譲二/市川由紀乃/三山ひろし/蒼彦太

[ゲスト]Wヤング

※未就学児童は入場不可。ビデオ・カメラまたは携帯電話での撮影禁止。出演者は変更になる場合がありますので、予めご了承ください。変更・払戻不可。

[問]リビエールホール
[TEL]072-972-6681

チケット情報はこちら

テイチクレコード倉橋賢治さんよりレコメンドが到着!

さて、今回の新曲『夜桜哀歌』ですが、昭和の映画を思い起こすような、どこか影のある男の不器用な生き様を描いた世界観で、まさに「背中で歌う」曲です。現在65歳という年齢を感じさせない、まさに“兄貴”のような譲二さんですが、繊細に哀愁を込めた歌を是非聞いて、カラオケで歌ってみてください!