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福岡銀行TVCMイメージソング『あなたを連れていく』
他3曲を収録した最新ミニアルバム『A面』を携えて
旅をしながら人と会い、音楽を奏でて“愛”を歌う
-良くも悪くも、唄うたい-大森洋平インタビュー

大森洋平、37歳。1996年にシングル『彼女』でソニーレコードよりデビューし、その後独立。ギター1本を携えて日本全国を旅しながら歌を届けているシンガーソングライターだ。
近年では、2011年にアルバム『Garden』をリリース。そして2013年には『光になりたい』がふくおかフィナンシャルグループTVCMイメージソングに採用された。2014年、同曲を収録した4曲入りミニアルバム『A面』をリリース。1曲目に収録されている『あなたを連れていく』も引き続き、同グループのTVCMイメージソングに採用されと、躍進を遂げている。
ストレートかつ不思議と色香も漂うサウンドで、生活、愛、人生、そしてこの時代を歌う。力強く奏でるギターと裏腹に、憂いを帯びた甘い声がいつまでも耳に残る。彼もまた、日本にはこんないいアーティストがいるんだ!と声を大にして言いたい、多くの人にその音楽を聴いてほしいアーティストの一人だ。
メジャーからの独立後、現在のようにいわば“個人商店主”としてリリースやライブを精力的に行うようになるまでの道のりは、決して平坦ではなかった。ただひたすら己を信じて表現し続ける多くの者と同様に、大森もまた紆余曲折を繰り返しながらここまでやってきた。それでも旅の途中で見た景色や、言葉を交わした人間はみな、美しかった。
そんな“旅”の話も交えながら、ミニアルバム『A面』のこと、ライブ活動のことなどを聞いた。

--まず先にざっと説明をさせていただきます。『光になりたい』(2013年)『あなたを連れてゆく』(2014年)が「ふくおかフィナンシャルグループTVCMイメージソング」に採用されたきっかけは、同グループにお勤めの方がずっと大森さんのファンで、イメージソングを考える際に「ぜひお願いします」と代理店を通じてオファーがありました。そうして決まって。そして、その2曲含む4曲入りミニアルバム『A面』を今年、リリースしました。お話はここから始めたいと思います。

今回の(『A面』収録の)4曲に関して言うと、俺が主人公ではないんですよね。やっとそういうふうに書けるようになったんだなぁと。「ふくおかフィナンシャルグループ」のテレビCMは、働く人がいっぱい出てくる映像なんですけど、俺も気持ちがオーバーラップして「こういうふうに思ってたんだな」っていうことが何となく分かったんですね。働いている人たちの感情とか、ふわっと浮かんできて。俺もずっと同じことを続けきて、同じことを続けてきた人たちの“続けてきた意義”を書こうとしたら、近くにいる人間に対しての「ありがてぇな。でもまたやっちゃう!」というようなことへのお詫びと感謝みたいなものが全部合わさった感情、それが『あなたを連れて行く』も『光になりたい』も共通のテーマというか。感謝だけじゃなくて、「性懲りもなくすみません、また始めちゃってます」っていうお詫びもちょっと入ってる(笑)。「まだやってます」「まだやります。でも好きなんで」っていうようなこと。ただ、そういうことを繰り返して続けてきたから、今思い出すと何でもないことが力になってた、とか。この4曲はある程度、年食った人のためのテーマソングになればいいなというのが明確でした。そういう書き方は今まであんまりしてなかったですね。結構、衝動の方が強くて。歌への取っ掛かりは確かに喜びで、こんな純粋な繋がりがあって、俺のことを好きでいてくれて、その人の思いがずっと続いていたこともすごいし…。そういう喜びがまずあったけど、書こうとした言葉とか、考えとかは、働く人がいっぱい出てくる映像を見て、それでも生きるのはなぜなのかとか、それでもやろうとするのはやっぱりその人がいるからだ、みたいなことっていう。そうやってでき上がったので、俺自身も書いていて喜びがあったのと、あとはそうですね、正直な話、すごくメジャーな曲を書こうと思いました。今はなくなった線引きですけど、だから『A面』っていうタイトルも――まあ、後から『B面』っていう曲ができたからこそなんですけど、『A面』っていうタイトルもよかったなと思って。「これが世に出る歌だ」みたいなものを書きたかったんですよね。アンダーグラウンドでやってるわけじゃなくて、メジャーなところで聴かせたいんだ!っていうことをはっきりと打ち出したかった。

--メジャーの作りというのは、また違いますもんね。

そうなんですよ。今は大御所の人ぐらいしかやっていないように思うんですけど、でもそういうものを作りたかったなぁと思って。そういうのにもう1回、挑戦するというか。結果的に誰もが聴ける楽曲の中に感情も入れ込めたので、すごくよかったなぁと思ってます。

--『光になりたい』も『あなたを連れていく』も普遍的ですもんね。

TVCMで流れるんだったら、そういうふうにしてみたいなって思ったり。だけどそれだけじゃないというか。(アルバム)『Garden』とかも、振り返ると全部、繋がっているんですよね。その時は目の前のことでいっぱいいっぱいですけど。『Garden』は東日本大震災の後にできたアルバムですが、震災以降の曲は完全に矛先も変わって、テーマも明確になって。そこにいる人たちに届くようにしたいし…。2011年は俺、1曲も書けなかったんですよ。ライブはずーっと回ってたんですけど。

--2011年というと、デビュー15周年の年でもありますよね。

はい。震災が起こったんですけど、既にツアーは決まっていて。でも、それより現地に行って何か作業とかした方がいいんじゃないかとか、自分の役目があんまりよく分からなかった。でもツアーで回っていくうちに、(福島県)南相馬市も行けたり、その年のうちに(福島県)相馬市も行けて。そこで歌って、飲んでる時、その瞬間だけなんですけど、みんながすごい笑顔になったりして。で、いろんな話をしているときわどい話になって、喧嘩にもなることがあるんですよ。だけど、そこで音楽がバーンって鳴って、愛が生まれたんですよね。そうやって生まれた現場を見たので、「ああ、もしかすると、この時代に歌うということにも意味があるのかもしれない」と思えて、年が明けて何かを書かなくてはと思い、やっと書けたのが『ガーデン』でした。それが大きかったですね。『ガーデン』が書けたことで自信がついて、まだやれるなって思って。それで他の曲もわーって書けて。

--『Garden』はどこか、抜けた感じがありました。

あれは本当に自分の思いを全部入れて。恥ずかしいとか、恥ずかしくないとか、そういうことを全部よそに置いて書けたので。あの曲以降はたぶん、変わりました。たぶん、ステージも変わったと思う。

--2009年からのライブ活動で言いますと、2011年までが年間50本代、2012年から年間70本代とぐんと増えて、ツアータイトルも「ウタウタビ」から「LOVE goes on」と変わって。この2年くらいで何か変わったんですか?

変わったというか、いい意味で諦めもあって…。抜けたと言えば抜けたんでしょうね。「歌っていらるぜ」っていうのがはっきりとあるような気がします。さっきのテーマじゃないですけど、「申し訳ねぇ、俺はこれ、やります」っていう。その分、全力、全開で。ライブでも、今日の全力を出し切れたかどうかっていうことだけがポイントだったりするので。若い時には全力に対して迷っていた部分もあったんですけどね。全力を出しても、すごくいい日もあれば、何にもならない時もあって。それは結果とかではなく。で、今は、曲を書いてる時はものすごく迷って、苦しんでもいますけど、曲を出す時にはもう、迷っててもしょうがないっていう。そこに行き着くまでに10何年かかってます(笑)。そういう意味では、20代は棒に振ったと思っていて。作ってきた楽曲は間違っていなかったんだけど、アウトプットする時の感情がうまくいかなくて。曲を書いた心理状態のままステージに上がったりとか。それで俺自身と戦う作業で疲れきっちゃって。外に向かってなかったんですよね。この話はよくしてるんですけど、今はそこが変わりました。書いている時は書いている時で、ステージ上ではちゃんとやれている気がします。

--これは聴く側の一方的な見方ですけど、20代の大森さんの歌にリアルタイムでは出会えませんでしたけど、今、このタイミングであの頃の歌を聴くからこそ見えてくる景色があるなぁと、ライブで思います。

昔の曲とか、すげぇ背伸びしてたけど、ちゃんと書けてたんですよね。当時は、自分がすごいことをやっていたのに分からなかったんで。自己評価ができないくらい若かったし。だからすごく感謝してるんです、その時のスタッフとかに。後悔のない楽曲を作らせてもらって、レコーディングをさせてもらえて。俺、メジャーから離れる時も、全然揉めてないんですよ(笑)。今でも当時のスタッフと会ったりします。今、個人になってもやれているのは、あの時のおかげなんですけど、「棒に振った」というのは自分の感情であって、音楽に関しては有意義な環境で、有意義な時間を過ごすことができたと思います。歌うということがライフワークとするならば、当時はそれをうまくやれていなかったってことですね。

--音楽をライフワークにする決意は、何か、タイミングが訪れたりしたんですか?

気づいたらなっていて。おかんにも言われたことがあって。「そろそろ辞めるかも分からんぞ」って言ったら、おかんがキレ気味に「あんた、辞めて何すんの!? 何ができんだ!」みたいなことを言って。わお!って(笑)。普通、親なら「よかった」って思うだろうに(笑)。それはもうずいぶん前ですけど、それで、「あ、そうだよね」って気づき始めて。10代でデビューしたので、確かにお金になるものは歌しかなかったと言えるので…。ただ、「これ、言葉にするとカッコいいけど、結構、キツいんだぜ!?」っていう(笑)。今となると「歌しか金にならんって残念やで!?」って話で(笑)。そういうことに気づき始めて。あとは震災をきっかけに、相馬とかのいろんな人に直接会えて。音楽だけをやっていたら会うことがなかった町の人たちが関わったプロジェクトに自分も参加できたので。服を作る人、レコード屋、市役所の職員とか、いろんな人と会った時に、俺の役割が「そこでちゃんと歌うことだ」と分かって。それって、俺も一企業みたいな位置づけでの参加になるじゃないですか。それぞれが自立してやっている状況に置いてもらえたおかげで、当たり前ですけど「俺は歌を歌って対価をもらっているんだ」と。働いたことのあるミュージシャンは、そういうことも分かっているんですけど、俺は分かっていなかった。音楽しかやっていなかったので。町で働く人たちと対等に同じ場所に置かれた時、俺は歌を歌うんだと。ちゃんと作ってちゃんと歌う。それが分かった時にライフワークになり得たというか、良くも悪くも、唄うたい」という諦めがついたんだと思います。

--先ほど、相馬という地名がでましたが、この土地との関わりはいつからなんですか?

相馬のモリタミュージックの森田さんが、デビュー当時から俺のことを好きでいてくれて。今はもう完全にスタッフみたいに繋がっているんですけど。昔から応援してくれて、大森を相馬に呼ぼうと署名まで集めてくれていたらしいです。そのことは17年後に知るんですけど(笑)。震災後にあったHEATWAVEのライブの打ち上げで偶然、森田さんと隣り合わせになって、「初めまして」って挨拶したら、「僕は会ったことがあるんだよ」と。それが16年ぶりの邂逅でした。その時、いろんな話をして。「お前としゃべりたかったんだけどさ、レコード会社の人間をどけても、事務所の人間をどけても、全然お前にたどり着けなかったんだよ」って。「確かに俺、守られてました」って(笑)。「いけすかねぇヤツだったよ」「俺のせいじゃないですよ!」って話もしながら(笑)。3月に震災があって、5月に渋谷でたまたま会って。その時に「相馬に来てくれる?」「行きます!いつでも言ってください」って言ってたら、2週間後に電話が掛かってきて「大森くん、7月どう?」「行きます!」って。まだ余震もあったんですけど、行って、ライブやって。そしたら、昔からのファンの子たち――女子高生だった子がお母さんになって来てくれたりとかして。

--月日を感じますね。

そうなんですよ。「16年越しだぞ」って。そこからは結構な頻度でライブをしていますが、そういうことがあって、今、全部が繋がっている。10何年越しでいろんなことが繋がって。当時からいろんな布石が打たれていたんですけど、あまりにも時間が掛かりすぎた。

--その方たちも聴き続けてきてくれて、いろんなご縁があって。

ずっと好きでいてくれて。途中で聴かなくなってもおかしくないんですけどね。福銀の人もそうなんですよね。その人がたまたまショッピングモールに行ったら、俺がまだ歌ってて。それですごく感動してって。そこからイメージソングの話になるまではさらに6年以上、経っているんですけど、そのショッピングモールで『スイレン』か何か聴いた時に鳥肌が立って、「いつか絶対、呼ぼうと思っていたんです」みたいな話をしました。本当、ラッキーで、ファンにも恵まれたというか、ライブ会場は結構女性が多いんですけど、ポイントポイントで引っ張ってくれたのは熱い男たちだったので、そのうち仲間みたいになって。

--なるほど、大森さんは九州に強いイメージがあるんですけど、九州にも昔から応援してくれている人たちがいて、手弁当で…

イベントを作ってくれて、呼んでくれて。そこから発展してイベンターも絡んできてくれてということが起こって。

--一瞬、九州出身かな?って思いますね。

そうなんですよ、みんなそう思ってます(笑)。でも、探して探しても親戚がいない。いてくれねぇかなって思ったけど、いない(笑)。いてもいいぐらい、繋がりが深いですね。うまが合うんですよね。(九州の)先輩たちともそうなんですけど。なぜかうまが合います。そういうこともあって、今はいろんなことに感謝しています。感謝すらできなかった時代が長かったので…。結局、作ってきた音楽が間違ってなかったからOKだったって思えるし、それがクソだったらたぶん、辞めていたと思うので。いくら状況が良くなっても。昔の曲とか歌えなくなっちゃうじゃないですか。でも、魂だけはあったので。だったら今の方がちゃんと歌えるぜって思って、今の方が楽しくやれたり、新曲のように歌えたりもしますね。

--ご自身の性格についてお伺いしますが、ふさぎこんだり、考えすぎてしまうきらいなどありますか?

最近よくそういう話になるので、自分でも考え直してみたんですけど、10代の頃と今がすごく似ていて。10代がまさに順風満帆という。願い事が全部叶うみたいな。超うまくいってたんですよ。今みたいにスキルがないので、ただ思い込みだけで。でもそれが全部うまくいって、コンテストに出れば全国大会に行けるし。結局、その流れで10代でデビューってなって、上京して。で、20代がもう、本当に空回り。やっぱり調子に乗ってたし、すぐ売れると思ってたし。でもちゃんとした音楽が作れてたから、何でだろうって。22歳ぐらいの時に辞めようとしたんですよ。事務所の社長にも言ったら、それも感謝なんですけど、「そんなこと言うな」と。「曲ができるまで待っててやるから、作ってこい」みたいな感じで。その時はもう、「みんなを満足させるようなものはできない、無理だよ」って思ってたけど、待ってくれて。でも、やがて『グライダー』という曲が書けたりとか、『キリン』という俺の中で大事な曲も、病みながらも書けて、何とかクビがつながって。ただ、26、7歳までは欝っぽかったですね。暗い感じです。人とコミュニケーション取れなかったし。ガルルルルル、触るな~!!!っていう感じで、対バンとかしても挨拶もしないし。今でこそラブハンドルズの溝っち(溝下 創)とか、仲良しですけど。溝っちとは10年以上前から知り合いなんですよ。彼がデビューする前、心斎橋のネストサルーンで会って。俺はもうデビューしてて。その時、溝っちは俺によく話しかけたなって思ったんですけど(笑)、カウンターで飲んでたら電話番号を聞いてきて。その後は1回も電話はなかったはずなんですけど、その5年後ぐらいに会って、一緒にツアーを回って、それで仲良くなって。その時の話を今でも溝っちとしますけど、「ま~、目がおかしかったですね」って(笑)。「どこ見てるか分からなかったですもんね、1回も笑わなかったですし。今、いっつも笑ってますやん!」って(笑)。

--確かに暗い感じの大森さんは想像できないですね(笑)。

そうなんですよ。あの頃しか知らない人が今のライブを見ると…(笑)。MCとかもなかったんですよ、ほとんど。ほとんどしゃべらず。歌詞を間違えたら、自分で自分に切れて舌打ちして。ただ、九州で応援してくれてるヤツらは、「それがかっこいいと思った」って (笑)。でもそんな頃があって、途中でがちゃがちゃっとなって、28歳で個人商店主になって。チラシの作り方も知らなかったんですよ。10代の頃もバンドだったので、そういうことをやってくれるヤツがいたので、全部任せて。俺は作って歌うだけっていうことを延々と続けてきて。10周年で『THE SONG』(2006)というライブアルバムを作って、その時初めてプレス屋と交渉したりとか、いろんなことをして。それを“逆下積み”と呼んでますけど(笑)、「チラシ、どうやって作るん?」ってみんなに聞いて。で、在庫を1000枚抱えた時に、その多さにマジでびっくりして、いろんなところに連絡したんですよね。そしたら事務所に所属していた頃はにすっごい動いてくれた人が全然、音沙汰なかったりとか、逆に俺のこと嫌いだろうなと思ってた人が2時間後にすぐメールくれたりとか。その時にいろんなことを見て。愛のありかについて非常に見えた時期でもありましたね。

--それはある意味、新鮮でした?

面白かったですね。あと、九州の仲間にも電話して。「九州回らせてくれませんか? できるところだけでいいので」って。「いや、無理だよ」って言われるかと思ったんですけど、「よかと~!!! やってよか~!」って逆に喜んじゃったりして。

--そういう相談は嬉しいですもんね。

そう、あっちは嬉しかったみたいで。「2週間ぐらいよか?」「全然いいんですけど、大丈夫ですか?」「やっていいんなら全部組むよ」って言ってくれて。それが2007年あたりですね。誰もスタッフがいなくて、一人で現地の人と会っていくという動きをし始めて。今はこれを続けていくことがすごく面白いし、俺にとっても力になるし、全力でシンプルだし。肉体労働だなって思いましたけど、結局のところ。全力でやってヘトヘトになったことに対価をもらう。その後で全力で飲むことにも対価が生まれるというか。全力で楽しませて、俺も楽しんでやるという、溝っち曰く「夢のおっさん」です。朝から飲むぜみたいな(笑)。ただ、「毎日全力で飲んでみろ、できねぇぞ!きついぞ~!」っていうこともありますけどね(笑)。俺らの職業に何かあるとしたら、全力で生きることだと思って。それで、旅をしていくうちに変わったものもあったと思います。そもそも旅が好きだったみたいです。途中で気づいたんですよね。「あ、俺、好きだなぁ」って。すっごい疲れて車とかに乗ってるんですけど、「あ~いいな~」って。

--また出たくなってしまう。

そうなんですよ。そうやって移動しながら歌ってるのがたまらなく嬉しかったんですよね。好きなんだなぁって思って。どこでも寝れるし(笑)。自分を「こういうヤツやったんや」と。自分でも自分のことが分からなかった。10代から大事に大事に守られていたので。

--旅と人ですね。

ほんと、そうです。それまでは、コミュニケーションをちゃんと取ってなかったんだなぁって。

--人とおしゃべりをするのは好きだったんですか?

好きだったみたいです。それも分かんなかった。自分の筋を通すためには、しゃべんない方がいいと思っていて。今はしゃべるし…。で、また酒がすごく好きだったので、それもコミュニケーションツールとしてはよかったです。本当の意味で繋がれたりするので。バンドメンバーもそうなんですけど、何回も練習するより、飲んだ回数の方が大事だったりするんです。俺はそういうタイプで。心が分かったら意外と弾けちゃう、合わせていけるというか、一緒に揺れられる。なのでバンドメンバーとも、リハより飲んでしゃべってる回数の方が多いと思います(笑)。

--メンバーというのは『A面』に参加されている方で?

そうです。ベースの柴田拓也くんは南相馬で出会ったんです。彼は元々、ギターで。あれも俺のムチャ振りで(笑)、バンドでレコーディングするってなった時に、溝っちがギターで。でも柴田くんも入れた方がいいなと思って、「柴っちゃん、ベースでいい?」って聞いたら「う~ん、やってみる!」って。「じゃあ、やってみて。ダメだったら、すぐ別のヤツ呼ぶからね! 血も涙もないから!!」「分かった!!」って(笑)。そしたら、すげえよくて。パンクバンドをやってたヤツがバンドを辞めて、仕事としてベースやり始めた感じというか、つたない感じがよくて。その感じが出てて、すごくよかったです。

--なるほど。今までのお話を聞いていると、大森さんが持つ愛嬌ですね。大森さんのためなら頑張ろうと人に思わせる(笑)。

ありがたいですね(笑)。憎まれないみたいです、今のところ(笑)。

--それは持って生まれたものですもんね。すばらしい。

親父にもおかんにも感謝しています。あんまり人に嫌われないし、体は丈夫だし、よかったんとちゃう~?って (笑)。

--20代の頃は「寄るな触るな嚙み付くぞ」だったとしても(笑)、それでもみんなが待ってくれていた。それは、持って生まれた愛嬌や人徳なんでしょうね。

それだけは作ろうと思っても作れないじゃないですか。最近は親のおかげだなって思います。俺一人で生きてきたと思ってたけど。性格とか、そういうことは自分では作れないと思って。

--では、これからのことを。この先のご予定やビジョンがあれば、教えてください。

何て言うのかな、当面の目標はないっちゃないですかね。でも全力で、毎回やっていたら、どこかにたどり着くこともある、ということは、18年やってきて思うんです。結局、自分が思うまっすぐ届く曲を書いて、ちゃんとライブする。し続ける。それこそ「LOVE goes on」です。“し続ける”ということがどこまでできるのか、その挑戦は非常に楽しみです。俺、欲しいものとかあんまりなくて。物欲がないんですよ。だから生き残れたと思うんですけど、おかんには「あんた、もうちょっと欲しがってよ。だからお金が入ってこないのよ!」って言われたりもして(笑)。「いやいやいやいや、やってるやんか、俺!」って(笑)。

--お母さん、はっきりおっしゃいますね(笑)。

「品がない!」ってすぐ言うんですよ(笑)。でもまあ、人とちゃんと繋がれた自分がすごくよかったなぁって思えているので、ちゃんと筋は通して。やっぱり大変な時代だし、(大変なことが)ずっと続いているので、そこに対して音楽や歌がやれることは何なのか、3年ちょっとの間にすごく見えた気がしたので。どこまで届くか分からないですけど、何らかの力になれるみたいだし、そこでみんなが笑えたりとか、「明日もう1回、ここに来てみよう」とか思ってくれたら…。結局、元に戻ってるんですよね。「明日もう一日、頑張ろう」と思える曲を書きたかったんですよ、やっぱり。俺もきつかった時があったけど、でもブルーハーツの歌とかに救われてた。「明日もう1回やってみっか」と、「来年のことは分かんないけど、もう一日やってみたら、意外と楽しいこともあったりするぜ」っていうことが毎日続けば、どこかにはたどり着くと思うので。

--ライブで『ONE』を聴いていて、私もそういうふうに思いました。「もう1回、頑張ってみよう」って。

それが俺の中でテーマだったんですけど、どこかで忘れたりとか、自分で邪魔をしたりとかして。それがまた戻ってきて、繋がって、今があるんだなって。18年越し、16年越しのこともありますけど、そういうことだと思うので、続けてさえいれば、何かに繋がって、意義があるというか、自分の役割が見つかると思います。

--これからも、歌い続ける。

はい! と、思います!(笑)


(取材・文/岩本和子)




(2014年10月10日更新)


Check

●リリース

MAXI SINGLE『A面』

発売中 ¥1,400(+tax)/DQC-1318(SMLC-0016)
発売元:(株)サンミュージック出版 / SOUND MISSION / スペースシャワーミュージック

1.あなたを連れていく
・2014年 ふくおかフィナンシャルグループTVCMイメージソング
2.光になりたい
・2013年 ふくおかフィナンシャルグループTVCMイメージソング
3.B面
4.Living

2014年ふくおかフィナンシャルグループTVCM
●福岡銀行篇
http://www.fukuokabank.co.jp/aboutus/cm/
●熊本銀行篇
http://www.kumamotobank.co.jp/aboutus/cm/
●親和銀行篇
http://www.shinwabank.co.jp/aboutus/cm/

Album『Garden』

発売中 ¥2,500(tax in)/hots−007
発売元:(株)ホットシェイク

1.ガーデン
2.花
3.G.A.P
4.サーチライト
5.ためいき
6.唇
7.満月のあとに
8.マニマニ
9.ふたり

●ライブ情報

『GURU×GURU 6th ANNIVERSARY
大森洋平ワンマンライブ』

▼10月10日(金)19:30
名古屋 GURU×GURU
前売-2500円
当日-3000円
(ドリンク別)
[出演]大森洋平(ワンマンライブ)
[問]GURU×GURU[TEL]052-764-9696

『LOVE goes on 2014
~A面の男旅~ in AMAGASAKI』

▼10月11日(土)19:00
尼崎 LIVE SHOT BLANTON
前売-3000円 
当日-3500円
(ドリンク別)
[出演]大森洋平(ワンマンライブ)
[問]LIVE SHOT BLANTON[TEL]06-6421-5006

『CCO presents~VSシリーズ
~黒沢秀樹 vs 大森洋平』

▼10月16日(木)20:00
下北沢 BAR?CCO
前売-2500円
当日-3000円
(2ドリンク(-1000円)別)
[出演]大森洋平/黒沢秀樹
[問]BAR?CCO[TEL]03-3414-2444

『OSYB place vol,6 ~こんな日が来るとは、思わなかったな。~』
▼10月25日(土)19:00
新潟 チャッペス食堂
料金-2500円(ドリンク別) 
※30席限定
[出演]大森洋平/Our Songs Your Bookmark
[問]チャッペス食堂[TEL]025-311-1403

『FUNKY SUMMiT 28スペシャル
~勝手にアフターパーティーナイト~』

▼11月1日(土)20:45
福岡 THE Voodoo Lounge
前売-2500円
当日-3000円
(1ドリンク+軽食付き)
[出演]大森洋平/渡辺圭一/三宅伸治/梶浦雅弘/西慎嗣/長野裕治/DOCHOLiDAY AND APACHETARAiN
[問]THE Voodoo Lounge[TEL]092-732-4662

『SAGAN MUSIC FESTIVAL』
▼11月3日(月・祝)19:00
佐賀 佐賀駅前特設ステージ
※観覧無料
[出演]大森洋平(17:50~予定)/横道坊主/LewBees/佐野マサル with 2nd Tripper 他
[問]Sagan Music Festival実行委員会[TEL]0952-40-0100(担当:熊本)
詳細 ⇒ http://www.smf-j.com

▼11月4日(火)20:45
熊本 DRUMBe-9
前売-2000円 当日-2500円(ドリンク別)
[出演]大森洋平/タノシムタケシ 他
[問]DRUMBe-9[TEL]096-320-8805

『みやき町町民祭』
▼11月9日(日)8:30~16:00
佐賀 みやき町役場
※観覧無料
[出演]大森洋平(13:30~予定)/ケイタク/LinQ/Seiko and more…
[問]みやき町町民祭実行委員会[TEL]0942-89-1655

『黒髪の浪曼まつり~夫婦岩に愛を誓う~』
▼11月22日(土)18:00~22:00
佐賀・武雄 山内町乳待坊公園いこいの広場
※観覧無料
[出演]大森洋平/JUKEBOX
[問]黒髪の浪曼まつり実行委員会[TEL]0954-45-2909

『Rスタイルダイニング DINNER LIVE~Wedding Anniversary~』
▼11月23日(日)18:00
佐賀 Rスタイルダイニング
料金-4500円
※ディナー・ドリンク・デザート付
※30名限定
※メール予約のみ ●予約専用メールアドレスhtr.yohei@gmail.com
※予約開始=10月11日(土)10:00~
※公演日、予約者氏名、枚数、返信先アドレス、電話番号を明記してください。
[問]Rスタイルダイニング[TEL]0952-22-5838

※チケット予約はオフィシャルサイトでも受付中!
11月23日(日・祝)以外のライブのご予約は チケット予約メールまで!

大森洋平オフィシャルサイト
http://www.yohei-ohmori.com/yoheitop.html

●プロフィール

大森洋平(おおもりようへい)●1976年12月11日生まれ、石川県金沢市出身。高校時代にバンドを結成し、数々のコンテストに出場。1995年にソロ活動を初め、翌年9月にシングル「彼女」でソニーレコードよりデビュー。2004年、尾崎豊トリビュートアルバム『BLUE~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI~』に『LOVE WAY』で参加。同年10月発表のSINGLE『グライダー』は、映画『1リットルの涙』の挿入歌に起用された。2013年、「ふくおかフィナンシャルグループ」のイメージソングに『光になりたい』が採用され、2014年も『あなたを連れていく』が引き続きイメージソングに。同年5月には両曲他2曲を収録したミニアルバム『A面』をリリース。ワンマン、イベントなどライブ活動を中心に、全国で歌い続けている。