NONA REEVES恐るべし! 最新型にしてスタンダード、
常軌を逸した圧倒的ポップアルバム『FOREVER FOREVER』!!
東阪ビルボードライブワンマンに向けて
貴重な全員インタビュー&動画コメントが到着
どんな恋愛小説よりも、NONA REEVESの作るポップミュージックはキラキラした恋の夢とドラマに溢れている。それは、17年前のデビューのときから少しも変わらない。約1年ぶりに届いたニューアルバム『FOREVER FOREVER』に隙間なく詰め込まれた全10曲を聴いていると、音楽が魅せてくれる魔法がこの世にはあるんだと、本気で信じていた10代の頃の気持ちが鮮やかに甦ってくる。メンバーを改めて紹介すると、佐野元春やYUKI、中田裕二らのツアードラマーとしてもおなじみの小松シゲル。堂島孝平やレキシ、坂本真綾らのサポートギタリストとしても活躍する奥田健介。そしてノーナのメインソングライター&ボーカリストであり、アイドルへの楽曲提供及びプロデュースから、ラーメンズやシティボーイズなど舞台の音楽監督を務めるなど幅広く活躍する一方、敬愛するマイケル・ジャクソンについて執筆活動も行うなど、本業以外でも多忙を極める西寺郷太の3人。実力もキャリアも申し分ない3人が、全身全霊でハジけ、本気で遊んで楽しみながら取り組んだ真新しいスタンダード・ポップアルバムを携え、6月12日(木)にはビルボードライブ大阪に登場する。キャリアゆえの深みのある言葉もさりげなく聞ける、3人勢揃いの貴重なインタビューをどうぞ!
今回のアルバムを作る上で僕個人的には
昨年末に大瀧詠一さんが亡くなったことが結構大きかった
――デビューから17年、バンド結成からは来年で20年になりますが、ノーナの音楽はいつまでも錆びないですね。
奥田(g)「どんどん肩の力が抜けてきている感じはありますね。曲を作っているときも、断片を聴いた段階で“これは絶対いいものになるな”って確信出来たり、仮にトラブルがあっても、“これは絶対いい方向に進む”と思えるだけの経験とか、知恵みたいなものが自分の中に出来てきたように思いますね」
小松(ds)「自分にとってノーナは、いわゆる“仕事”で音楽をやる場じゃないんですよね。遊んでるって言ったら語弊があるけど…」
奥田「“曲が出来ない!”ってハラハラするときもあるけど、それも含めて楽しんで遊んでる感じ(笑)。今回、アルバムを作るときにレーベルの方から“自分たちの好きなものを作ればいいんじゃない?”って言われたんですけど、20年近く音楽をやってきて、そんなことを言ってもらえたのは初めてでしたね(笑)」
西寺(vo)「その信頼関係はすごくありがたいですよね。それで出来上がったアルバムが、今まで一番って言えるぐらいポップなものになったのは、僕ら自身、改めて発見でしたね。普通、好きなことをやっていいって言われたら実験的なこととか、これまでにやったことのない方法を試したりするケースもあるんでしょうけど、これが僕ら自身なんだなって改めて思いました」
――全10曲、ポップのド真ん中を行く音楽ばかりで。特に2曲目の『夢の恋人』は、これぞノーナ・リーヴスというか、自分がキラキラしたドラマの世界の住人になったように錯覚してしまう曲で、こんなに瑞々しいポップスは他ではそうそう聴けません。聴きながら過去のノーナの名曲が幾つか思い出されました。
西寺「これは最初に奥田が曲を作ってきたときからほとんど出来上がってましたね。ジェリー・ゴフィン&キャロル・キングやバート・バカラックみたいな、王道のポップスっていう感じの曲で」
奥田「この曲は真面目に作ったというか、自分でも改めて“ノーナ・リーヴス”というものを意識して、濃いものを作ろうと思っていましたね。曲作りって直感だけで突っ走るか、頭で考えてがんじがらめに理屈っぽくなっちゃうかどっちかになりがちなんだけど、この曲は右脳と左脳をバランスよく使って、ひらめきと分析の両方を駆使しましたね。その辺のバランスのとり方やさじ加減も、何となく分かるようになってきましたね」
西寺「僕らの曲で言うと『STOP ME』(’99)みたいな感じだね。今回のアルバムを作る上で僕個人的には、昨年末に大瀧詠一さんが亡くなったことが結構大きかったんですね。このアルバムも1~2月に作ってたんですけど、歌い方に関しても『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』(’82)『A LONG VACATION』(’81)の時期の大瀧さんの歌い方とかメロウな言語感、ボーカル感みたいなものを、オマージュと言うほどではないんですけど、ちょっと意識したところはありました。それがこのアルバムにある妙な、常軌を逸したポップ感に繋がってるのかもしれないですね」
“音楽はそばにいる”
――『Always On Your Side』(M-1)の“涙がこぼれおちても/音楽は、そばにいるさ”の一節は、ものすごく響きました。アルバムのオープニングにじわじわと盛り上がってくる曲調とも相まって、静かに高鳴る曲ですね。
西寺「そんな派手な曲じゃないけど、1曲目っぽいですよね。この曲は4~5年前からあって、7割ぐらい出来ていた状態で寝かせてたんですね。それからマイケル(・ジャクソン)が亡くなって、僕も本を書いたり音楽以外の仕事が忙しくなってきてこの曲の存在を忘れてたんですけど、さぁアルバム作ろうっていうときに小松が引っ張り出してきて。歌詞もだいたい出来てたから聴いてみたら“ええやん! ええやん!”って(笑)。最初から“音楽はそばにいるってことを歌にするぞ”と思って書いてたらベタやなと思うんですけど、偶然ええことを書いてた曲が(笑)このタイミングで発掘されて、アルバムの1曲目になるっていうのも不思議な感じがしましたね」
奥田「“曲が呼ばれる”ってこういうことなんだね」
――『高層ビル』(M-5)は始まった瞬間から、この詞に描かれた世界に引き込まれるようなバラードですね。郷太さんは他のアーティストにも楽曲提供されていますが、作詞家として詞を書くときと、自分が歌う詞を書くのとでは違いはありますか?
西寺「メンバーの2人が一番よく知ってますけど、デビューした頃はレコード会社のスタッフに“歌詞が分かりづらい。聴いたときに絵が浮かぶような詞を書け”ってずっと言われてたんですよ。例えば『渚のチューブ・ライダー』(’99)の出だしの“描かれた壁のユニバース”とかも、自分では“分かりづらい”って言われることも含めて楽しんで書きつつ、いわゆる分かりやすい歌詞も書けることを証明したのが『二十歳の夏』(’00)だったんですね。そんな過去もありつつ、実はノーナ以外の仕事で今一番依頼が多いのは作詞だったりするんですけど(笑)。『高層ビル』は、聴いた人みんなが同じ絵を思い浮かべられるような歌詞を書こうと意図したところはあります。そういう風に曲による作詞の力の入れ具合も、コントロール出来るようになってきました。ノーナは自分の作品でもあるんだけど、時に作詞家として“歌手・西寺郷太”に書いている感覚もありますね。多分、アルバム1枚全部が『高層ビル』や『the sweetest girl』(M-9)みたいな詞や曲ばっかりだと“全部バラードかい!”って感じだし、全部ガチャガチャしてる曲ばかりでも疲れるし、今回はどの曲も唯我独尊みたいな個性はありつつバランスは取れてるのかなと思いますね。『高層ビル』でしっとりしたのに次の曲がいきなり“信州・信濃~”で始まるしね(笑)」
――アハハハハ!(笑) 確かに次の『Jr.』(M-6)は80年代のベストヒットUSAみたいに、ガラッと世界が変わりますね。ギラッとしたシンセも鳴ってるわ、ガチャガチャにぎやかだわ、それで何を歌ってるかと思いきや…。
西寺「“姉ちゃんが買ってきたハワード・ジョーンズ”とか(笑)。小松が10年ぶりぐらいに作ってきた曲です(笑)」
小松「アルバムもここらへんで“Change of pace”かなって(笑)。ヒップホップの人がやるような、自分たちの地元にリスペクトを込めてラップする、いわゆるレペゼンをやったら面白いんじゃない?って話から始まったんですけど。何かもうこの年齢だし、カッコとか気にしないで好きなことをやっちゃえって感じで(笑)。僕はこういうバカ騒ぎするものが好きみたいですね」
西寺「僕も“それええやん!”って、歌詞もスタジオで2人に地元のことや子供の頃のこととか思い付いたことを紙がまっ黒になるぐらいダーッと箇条書きにしてもらって、その中からフレーズを拾って組み合わせていって。3人の名前が作詞に並んだのってこれが初めてちゃうかな?」
――“近畿の水瓶”っていう言葉がポップスの歌詞になることもそんなにないですよね(笑)。
奥田「僕は滋賀で育って、子供の頃から“琵琶湖は近畿の水瓶だ、ミシガンと姉妹都市だ”ってずーっと言われ続けて育ってきて、この際もう歌っちゃえ!って(笑)」
西寺「普通、歌詞になる言葉って“会いたいけど会えない”とかそういう系列のワードですよね。今回“ミシガンの姉妹都市”が歌詞になって、まだまだ歌詞になってない言葉があるわ~ってここでも新たな発見が(笑)。それに小松も奥田もラップ上手いですよね?」
――是非ライブでもやって頂きたいですね!
西寺「アナログのB面にあたる6~8曲目は3人それぞれのカラーが色濃く出てるように思いますね。『Jr.』は小松の、『Dr. Too Much』(M-7)は僕の、『君はザナドゥ』(M-8)は奥田の特徴が分かりやすく出てると思う。『君はザナドゥ』は奥田も歌ってるしね」
――これがまたいい声で(笑)。
奥田「(笑)。アルバムが出来上がる度にいつも満足はしてるんですけど、今回は今までになくいい汗をかいたというか、爽快な感じがありますね」
自分たちの好きなこと、面白いなと思うことをやってたらここまで来た
――3人それぞれのソロワークが増えてきたのって、ここ10年ぐらいですかね。
小松「10年ちょっと前ぐらいからいろんな方にサポートに呼んでもらうようになって、そっちは完全に仕事として応えて結果を出していくわけですけど、ノーナは趣味(笑)。完全に、自分の好きなことをやる場所ですね。それまではバンドで“どうにかしてやろう”って思ってた時期もあったけど、今は本当に楽しんでますね」
西寺「うん。『LOVE TOGETHER』(’00)『「DJ!DJ!~とどかぬ想い~』(’00)『ENJOYEE!(YOUR LIFETIME)』(’02)ぐらいまではとにかく全力でやってましたね。“売れなきゃ!”と思っていたときもあったし。でも、そうしていく内に自分たちのペースみたいなものが掴めてきたり、世の中の流れとも噛み合ってきた感じがあって。この3人でやるのが自然というか、同じメンバーで一生懸命続けるために頑張ってるバンドもいるけど、自分たちの好きなこと、面白いなと思うことをやってたらここまで来たっていう感じなんですよね」
奥田「昔は、余裕こいて音楽をやってる人はイヤだなって思ってたんですね(苦笑)。今自分に余裕があるわけじゃないけど、どんどんラクにはなってきてて、サポートで行かせてもらってる現場でもいろんな景色を見て、それが全部プラス思考に働いてる。ヘンに煮詰まることも減ったし、時間の使い方も上手くなってきたと思いますね」
小松「時間の使い方はプロっぽくなってきたんじゃないかな?(笑) 演奏面ではプロっぽくなっていくと同時に失われる部分があって、そうはなりたくないんですけどね」
奥田「曲を聴いただけで小手先でやっているのが伝わってくるような音楽はすごくイヤなんですけど、ノーナはそういうものにはなってないし、3人ともそういう風には出来ない性分なんでしょうね」
――ところで、他アーティストの現場にはない、ノーナならではの良さはどんなところでしょう?
奥田「それはやっぱりもう、信頼関係でしょうね。“この人に任せたら間違いない”って分かってるから話も速いし、時には説明する必要もないぐらい共有出来てる。でも、それを本当に実感したのは、前作『POP STATION』(’13)のときなんですよね。改めて、“こんなにスムーズにやれるんだ”って感じました。若い頃って何かと堂々巡りをしがちで、人に任せた方がいいところも、“俺も出来るところまでやってみる”ってちょっと意地になる部分もあったりして。でも、それは余分な意欲だったりもするんですよね。そうやって時を重ねる中で変わってきているところもある一方で、自分たちの内にあるパッションみたいなものはずっと変わってないなと思いますね」
――ヘンな話、これまで解散の危機みたいなものはなかったんですか?
小松「レコード会社の契約がなくなるとかはあったけど、解散みたいな話はないよね?」
西寺「うん。ちょうど10年前の『THE SPHYNX』(’04)辺りが危機な状況だったんじゃないかな。20代の内はレコード会社も“若いバンドを育成しよう”っていうスタンスなんだけど、当時は年齢的にも30代になって、メンバー個々の活動も今ほど多岐にわたってなかったから、まだ周りの認知度も経験も今ほどはなくて。ただ3人のマインド的には、“今はこういう状況だけど、また季節が変わるかもしれない”って思ってましたね。ただ、さっきの奥田の話を聞いて思ったんですが、『POP STATION』の前の『GO』(’09)ぐらいまでは、僕らも試行錯誤してましたね。それは時代の流れや変化も関係あると思うんですけど」
僕らは今41~42歳で、世界的に見るとすごく現役感のある年齢なんですよ
――今では、レキシや堂島孝平など、奥田さんや小松さんがサポートを務めるミュージシャンや、郷太さんが楽曲提供したアイドルを通してノーナにたどり着くリスナーもいるでしょうね。
西寺「レキシが好きな人は、『ガガーリン』(M-3)のファンキーなカッティングに反応するんじゃない?」
奥田「サウンド的には似てるね。歌ってる内容は全く違うけど(笑)」
西寺「僕が初めてプリンスを聴いたときの感動は今でも忘れないですけど、ポップスってそういう初めての出会いの感動が、新しい音楽に出会ったときに必ずと言っていいほど甦ってきて、相乗効果で奥深く楽しめる音楽だと思ってるんです。僕らは今41~42歳で、ファレル・ウィリアムスやダフト・パンクのメンバーとほぼ同世代で、世界的に見るとすごく現役感のある年齢なんですよ。それに今回は、僕が初めてのソロアルバム『TEMPLE ST.(テンプル・ストリート)』を3月に出して、僕の中ではある意味ゼロからこのアルバムに取り掛かって最新の自分たちを詰め込むことも出来た。バンドが長く続くとマンネリに陥ることもあると思うんですけど、僕らは全然そういう気配はなくて、気付いたら常に現在進行形で音楽を作ることが出来ているのは、本当に嬉しいことですね」
奥田「アルバム制作って良くも悪くも“苦しい”ことなんですね。その苦しさの先に充実感、達成感が待っているんだけど、作っているときは自分の限界に対峙することでもあるし、プレッシャーもある。でも今回は、それも含めてゲームのように進めていけたというか。曲がなくて心配なんだけど、ゲームで言えば“さぁここでピンチ!”みたいな場面で(笑)、“アルバム制作”っていうハードなゲームをやってる感じ。途中でくじけそうになることもありましたけど、“結局大丈夫なんだろうな”っていう安心の元に進んで、結果いいものが出来たのはよかったですね」
――またここからいい季節が始まりそうですね。
西寺「小松なんて、アルバムが出来上がったと思ったら“次の『CHOICE』(現在『Vol2』まで発売しているカバー盤シリーズ)だけどさぁ…”とか言い出すんですよ! って言うか、日本ではカバー盤って、オリジナルアルバムより価値が低く見られがちじゃないですか?ストーンズにせよビートルズにせよ、ロックンロールやリズム&ブルースのカバーをたくさん歌ってて、カバー=音楽の基本だと僕は思っていて。だから、“カバー盤=レベルが低い”という意識や評価を覆したいと思って始めたのがCHOICEシリーズなんですね。だから自分の中では、山下達郎さんのアカペラのようにライフワークみたいに感じていて。けど、『FOREVER FOREVER』を必死のスケジュールで作り終えて、さぁみんなでメシでも食うかって言うか言わないかの内に、“また『CHOICE』出そうぜ”とか言い出すから(笑)」
――脂が乗ってますね(笑)。
小松「はい(笑)」
西寺「“秋にリリース出来たらクリスマスソングが入れられるね”とか“冬の曲もカバー出来るね”とか(笑)。今は何かそういう勢いみたいなものはありますね」
小松「今回のアルバムはかなりタイトなスケジュールだったんですけど、それが逆に良かったのかなって気がしていて。もっと長い時間があったら、逆にヘンに考えちゃったりして、全然違った雰囲気のものになっていたかもしれない。実は追い立てられてやった方がいいのかなっていう気がしてます(笑)」
奥田「やっぱりね、ポップスって締切がある文化だと思うんですよ。基本的にはマンガ家と一緒で、来週号の展開を待ってる人がいるから、新しいものを作るっていうところもあるんじゃないかな?」
会場全体が夢の空間みたい
――『FOREVER FOREVER』というタイトルは歌詞にも登場しますが、出来上がってから決まったんですか?
西寺「『Jr.』と『Lucky Guy』(M-10)っていう全く風情の違う曲の詞にこのワードが登場するんですけど、実際にどうやって決めたかはあんまり覚えてなくて(笑)。まだ制作途中の段階で、フライヤーとかレーベルの必要な書類にアルバムタイトルを記入しなきゃいけないタイミングがあって、そこで決めておかないと、“待望のニューアルバム『タイトル未定』!”ってなっちゃうから、それじゃつまんないよね?って話してて(笑)。そのとき何話してたっけ? 覚えてないけど、スタジオで3人で爆笑してたのは覚えてる(笑)」
小松「“同じワードを2回続けて言うのって、ちょっとフザけた感じもあって面白いよね”とか言ってて、『FOREVER FOREVER』になったんだっけ? 適当に決めたわけじゃないけど、何かその場のノリで(笑)」
奥田「今までは、(西寺)郷太が考えに考え抜いたタイトルを付けてたのに、今回はエラい違いで(笑)」
西寺「1stアルバムの『ANIMATION』(’99)のタイトルは、リリースの2年前から決めてましたから。中には今回のタイトルを深読みする人もいて、“ノーナ、解散しちゃうんですか?”って聞かれたりもしました(笑)」
――でも、アルバムを聴いてみると“永遠”であり“今”を感じる曲ばかりですよね。
西寺「うん。成り行きで決まったけど、いいタイトルですよね(笑)」
――東阪のビルボードライブでのライブも楽しみです。6月12日(木)は大阪公演ですね。
西寺「ビルボードライブって、チャカ・カーンとかボズ・スキャッグスとか、自分も観に行っていた会場ですからね。そこでライブが出来るのは単純に嬉しいですよね」
小松「4月にバート・バカラックが来日したときもみんなでビルボードに観に行ったんですけど、会場全体が夢の空間みたいで雰囲気もすごくいいんですよね。僕らを観に来てくれる人にもそういう気持ちになってもらえるようなライブにしますんで、ぜひ!」
Text by 梶原有紀子
(2014年6月10日更新)
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