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BOØWYのデビュー30周年を飾る究極のリクエストベスト
『THE BEST “STORY”』リリース記念!
高橋まこと&元ディレクターがBOØWYの逸話を語り尽くす
裏話満載のプレミアム・トークイベントに潜入レポート!! (1/2)

 '81年の結成から'88年の解散まで、活動歴は10年に満たないながらも強烈なロックサウンドでシーンを席巻。文字通りロックシーンを駆け抜け、伝説の存在となったカリスマバンド、BOØWY。そのメジャーデビュー30周年を記念し、今年3月にリリースされオリコンチャート1位を獲得したベストアルバム『THE BEST “STORY”』にちなんで、BOØWYサウンドの屋台骨を支えた高橋まこと(ds)、そして全盛当時のディレクターを務めたレコード会社EMIミュージック・ジャパンの子安次郎両氏を招いたプレミアム・トークイベントが、3月29日大阪・心斎橋digmeout ART&DINERにて開かれた。会場には多数の応募の中から選ばれた、ぴあ関西版WEB読者20名を含む、まさに「BOØWYと共に青春を駆け抜けた!」熱狂的なファン約80名が集結。この日の会場では、BOØWYの楽曲オンリーのDJ、活動当時の貴重な写真パネルの展示、さらに“NO.NEW YORKドッグ”と名付けられたホットドッグや、布袋寅泰(g)在住のロンドンで定番の“フィッシュ&チップス”など、BOØWYゆかりのメニューやカクテルも用意され、すべてがBOØWY尽くしの中で進行。第1部はFM802DJ・大抜卓人がトークライブを進行し、第2部では事前に集めたファンからの質問に高橋まことが直々に回答。最後のプレゼントコーナーも含め終始和やかな雰囲気の中、BOØWYという存在に改めて触れ合う貴重な機会となったこの日の模様をレポートする。

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1位って何回取ってもいいもんだよね(笑)


――今日はリアルタイムで聴いていた方はもちろん、若い世代の方もいらっしゃいますけれども…ベストアルバムがオリコン1位! おめでとうございます。
 
高橋「やったねぇ。まあ1位って何回取ってもいいもんだよね(笑)」
 
――今日も若い世代の人がこれだけたくさん集まってくれて。この関西でもね、やっぱりいろんなエピソードもあると思うんですが。実は関西って、泊まるところは大阪じゃなく、京都だったそうですね。
 
高橋「まあ何たって余裕がないですからね。当時は今みたいにライブハウスにドラムとかアンプがない時代だったんですよ。要は自前で持ってこいと。何でも自分の楽器を車に積んで移動しなきゃいけなかったんで、大変だったんですよ。バックパッカーの外国人とかのためのすっごい安いホテルというか宿泊所があって、長期滞在するのにお金がないんで部屋だけ借りて、台所で自分らで食材買ってきて調理して食べるっていう」
 
――BOØWYには追っかけのファンもいたと思うんですが。
 
高橋「ファンもさすがにそういうところに泊まってるって思わないからさ、もう大変だったんですよ(笑)」
 
――いわゆる暴走族とかもいっぱい付いてきたでしょ?
 
高橋「パパラパパラ~♪っていっぱい付いてきましたよ。絶対ヤツらの方が速いもん、タクシーより(笑)。大阪の道は混んでるし、絶対ダメ。でも、高速に入ったらヤツらは50ccだから通れない(笑)。デビューして2年ぐらいですかね。とりあえず大阪には来ないとファンが増えないっていう考えがあったからさ。それまでのレコード会社は一切何にもしてくれなかったからさ。何かしてくれたのはEMIだけ(笑)」

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“もっといい曲作るから。あれは違う”


――'85年にBOØWYがEMIに移籍してきて、子安さんはEMIのディレクターとして1stシングルをどうしようかという話が出たとき、『DREAMIN'』がいいんじゃないか、いやダメだねみたいなやりとりがあったと聞いたんですが。
 
子安「移籍してきて“はじめまして”みたいなもんじゃないですか。その前にちゃんと話を出来る関係を作ろうと。まずは食いモンだなと思って、レコーディング・スタジオの道を挟んだ向かいにちょうどラーメン屋さんがあったんで、よし、おごろうと(笑)。そこからだんだん私の話を聞いて頂けるようになったんじゃないかと(笑)」
 
高橋「安いな、ラーメンって(笑)。でも、焼肉だと高過ぎるんだよな(笑)」
 
子安「僕も当時はまだ現場のディレクターですから(笑)。あと、BOØWYってご存じの通り、以前のレコード会社の時代もシングルを出してないんですよね。でも、何とかヒットを出さなきゃいけないんで、やっぱりシングルだと。その時点で3枚アルバムが作れるくらいの楽曲があったんですけど、一応ディレクターとしてもう1回新曲を作ってくださいという話をして、あの『ホンキー・トンキー・クレイジー』の最初のバージョンが上がってきたんですね。でもこれじゃまだ弱いから作り直してくれとお願いをして、世に出てるあの『ホンキー・トンキー・クレイジー』になったんですね」
 
――よくやり直せってメンバーに言えましたね。
 
子安「まこっちゃん(高橋)以外、一応僕より年下だったんでね」
 
高橋「でも、あの頃みんな素直だったって言ったらヘンだけど、売れてないバンドが何だかんだ言っても、“だってお前売れてないじゃん”って言われることで全てが終わっちゃう。売れてないのにエラそうなことを言っても、結局悪あがきしてる風にしか見られないしさ。その頃は我慢してたところもあったと思うんだ(笑)。でも、子安さんから言われたら出すしかないっていうのはあったよね。じゃあ、次のやつ作ってやるって」
 
子安「当時の12インチの『BAD FEELING』とのカップリングの『NO.NEW YORK』って、社内でもすごい評判だったんですね。『NO.NEW YORK』をシングルカットしろっていう話が社内で蔓延して、それで一応バンドのメンバーにも話をしたら、ヒムロック(氷室京介)から“もっといい曲作るから。あれは違う”って。すかさず言われましたね。でも、シングルカットするために宣伝費を2000万円用意してますと言ったら、その2000万円だけキープしといてくれと(笑)。何だEMI、金持ってんじゃんと(笑)」
 
高橋「でも、それでホントにレコーディングしましたよね」
 
子安「その後に、『わがままジュリエット』とか『JUSTY』とか、いい曲がどんどん出てきたんですよね」

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これで久しぶりに家に帰れるんだろうなって思ってたら
着いたらレコーディング・スタジオだったんですよ


――『JUST A HERO』という作品が’86年3月にリリースされましたが、その後11月に『BEAT EMOTION』を出して、その間僅か8ヵ月…常に曲を作っていたということなんですね。
 
高橋「ツアーの最中とかに、ヒムロックが作ってきた曲をカセットで聴きながら…1つ1つ曲が出来てきてね。とにかくシングルを先に作ってくれないと発売しようがないと子安さんが言うんだけど、一番ビックリしたのは、8月か何かに北海道の真駒内でイベントがあって、ジンギスカンたらふく食って、いい調子で羽田に帰って(笑)。そしたらそのままタクシーに乗せられて、これで久しぶりに家に帰れるんだろうなって思ってたら、着いたらレコーディング・スタジオだったんですよ。え、今からレコーディングするの? マジ!?って。それで出来たのが『B・BLUE』(笑)」
 
子安「もう時間がなくて、その日に録らないと間に合わないということで。『B・BLUE』と『WORKING MAN』を、まこっちゃんにはあのハードな中で叩いて頂いて(笑)。特に『WORKING MAN』は死ぬほどテンポが速いんで」
 
高橋「うん、死ぬほど速い(笑)」
 
子安「最初、『WORKING MAN』はデモテープ通り演奏したら1分ちょっとで終わっちゃって(笑)。B面とは言え、これじゃヤバイと。無理矢理長さを倍にしたら、もう大変だったのがまこっちゃんで(笑)」
 
高橋「オレはドラム叩くだけで死ぬ思いだから(笑)」
 
子安「言う方は簡単ですけどね、倍にしてくださいって(笑)」
 
高橋「よくやってたよね。『BEAT EMOTION』も、実際にアルバムを作りますとなって一番最初にしたことって、(会場を見渡して)みんなも知ってるよね、あの『BEAT EMOTION』のジャケット。あの写真を一番最初に撮ってるんだよ。レコーディング・スタジオじゃなくてフォト・スタジオに集まって。いいのが撮れたよって、そのままヒムロックの家に寄って、シャワーだけ借りて。そしたら子安さんが“その日の内にスタジオに来い”と。え、今日はもう写真撮ったじゃんって思ってたら、本当にその日からレコーディングなんだよ(笑)」
 
子安「当時のレコードって、盤を作るよりもジャケットを作る方が時間が掛かったんですよ。それこそ『LAST GIGIS』なんて4月の4、5日のライブを録って、翌日からミックスダウンを1週間掛けてやって、出来上がったのが11日くらい。で、4月末には発売してましたからね。そのためにライブをやる前からジャケットは出来てましたから。そうしないと間に合わない」

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BOØWYはとにかくレコーディングが早いバンド


――子安さんはスケジュールの調整で大変だったそうですね。
 
子安「最初はベルリンで海外レコーディングですからね。でも、メンバーのみんなも楽しんでもらえたんじゃないかな、レコーディング自体を」
 
高橋「海外レコーディング自体が初めてだし、見るもの食べるものみんな初めてなんで。一番初めに覚えた言葉が“ビッテ”という言葉、=“プリーズ”ということなんだけど、あとは“ヴィナーシュニッツェル”。それは何かと言うと“カツレツ”なんですよね。これさえ言えればレストランに行っても何とかなるんじゃないかって(笑)」
 
子安「スタジオの1階がレストランでね。食事はスタッフとしても気を使いましたよ。日本でレコーディングするときも、伊豆の方にスタジオがあってみんなで合宿するんですけど、ここの晩ご飯がすごくて。メインデッシュが必ず2種出るんです」
 
高橋「伊勢エビの刺身とか出てくるもんね。旅行に来てる気分で、温泉でもあれば最高だねって(笑)」
 
――環境って大事ですものね。
 
子安「大事ですよ」
 
高橋「オレと松ちゃんはね、合宿レコーディングで1週間くらい行きっぱなしでも平気で、すぐスタジオにも行けるし、メシもいいし、何も考えずに没頭出来るけど、ヒムロックと布袋はね、もう3日もいるとソワソワしちゃって、“帰りましょうよ”って言うわけ。現地にいてあの空気に馴染むのはいいんだけど、新しい物事を考えるときのシチュエーションが自宅とかじゃないとイヤだっていうのがあるみたいで…。オレはどこでもいいんだけどね、曲書かないから(笑)」
 
子安「でも、BOØWYはとにかくレコーディングが早いバンドでしたね。当時って、ロックバンドは朝までレコーディングするみたいな風潮があって、徹夜したのが偉いみたいな。BOØWYって多分朝までやったって1回くらいしかないと思うんですよ。唯一12インチの『BAD FEELING』のカップリング『OUR LANGUAGE』のときで、『NO.NEW YORK』を録り直して、もう1曲必要だと。そこから伊豆のスタジオで『OUR LANGUAGE』を作るんですが時間なくて、次の日までに作らないと間に合わないってことで、晩メシが終わった後くらいから録り始めて…。そこで、“子安さん、寝てていいですよ。朝までに作っとくから”って言われて、“あ、そう、じゃあよろしくね”って寝て、朝起きたら本当に出来ていたっていう(笑)」
 
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アナログのマルチテープを持ってイギリスに行ったんだけど
格好を見たらジャージなんだよ(笑)


――子安さんと言えば、海外に1泊3日で行ったというすごい話を聞きましたが。
 
子安「本当にバンドのメンバーもすごく忙しかったし、レコーディングとプロモーションとライブと、それを組み合わせるという大変な状況の中で、『MARIONETTE』を作ってカップリングをカバーでって話になって…」
 
高橋「布袋と2人で“カバー何やる?”って話になって、とりあえず下北沢のバーに飲みに行ってさ、そこはレコードも掛けてるわけ。そしたら“スージー・クアトロはどう?”って布袋が言うわけ。じゃあって『Can The Can』とか『THE WILD ONE』を聴いて」
 
子安「一応合議制っていうのもあるんで話し合って、最終的に『THE WILD ONE』になったんですけど、いざレコーディングしようかっていうときに、せっかくだったらスージー・クアトロの歌声が入ってたらオモシロいねって話が出て。たまたまスージー・クアトロが我々のレコード会社の所属で、すごく日本びいきの人で、当時の社長が仲人だったんで非常に親密な関係で(笑)。当時の担当ディレクターにとにかく捕まえてくれと。そしたら彼女はそのときオーストラリアにいて、それが金曜日の夜で、“月曜にはイギリスにいるから、来てくれればレコーディング出来るよ”って。急いで土曜日に旅行代理店の人を捕まえて、イギリス行きのチケットを60万円現金で払って買って…」
 
――ええっ!?
 
子安「急だったんで安いチケットもないし、預金を全部下ろして(笑)。マルチテープ1本持って日曜日の便に乗って。スージー・クアトロに会って、録り終わったらすぐそのまま飛行機に乗って帰って、日本のスタジオにはメンバーが待っていて。ヒムロックの歌をそれにかぶせて、もうその日の内にミックスダウン。朝に出来上がってそのまま御殿場の工場に持って行ってやっと間に合ったという…」
 
――…すごい!!
 
子安「それが『MARIONETTE』のシングルになったっていう。めちゃくちゃなスケジュールでしたね」
 
高橋「スージー・クアトロに歌を入れてもらうんだってアナログのマルチテープを、しかも5kgくらいある大きなやつを持ってイギリスに行ったんだけど、格好を見たらジャージなんだよ(笑)。レコード会社の袋にドンと入れてさ、“行って参ります!!”って(笑)」
 
子安「さすがにイギリスの空港の入国審査で、“お前何しに来たんだ? その格好で”って言われましたけど(笑)。1泊のスケジュールだから余計に怪しくて。とっさに拙い英語で“友達が病気で、見舞いに来ました”って(笑)。めちゃくちゃなことをやってましたね」
 
高橋「スポーツ選手ならいざ知らず、袋1つでイギリスだからね(笑)」
 
子安「でも、それは命より大事なものですからね。とにかくそのテープだけは持って帰ってこなきゃいけない。でも、あのときは実際にスージー・クアトロの声が録れるかどうかは分からない状態で行きましたからね。特に当時は海外出張なんてとんでもない時代だったんで、会社の許可も得ず無視するように行きましたから(笑)」
 
――すごいですね。帰ってくるときハラハラだったでしょう。
 
子安「ご存じの通り、飛行機に乗るときに手荷物をX線に通しますよね。あれを通したら録音した音がダメになるってものすごく脅されてて。“これをX線に通したらオレは殺される。その責任をお前は取れるか?”って拙い英語で伝えたら、向こうも“分かった”って横を通してくれて(笑)。でもね、そうさせるバンドのエネルギーがあった。何とかしなきゃっていうのがありましたよね」

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本当の最後の最後に入れるのは『CLOUDY HEART』しかないと
メンバーとも話し合ってたんです


――今回のベスト盤のファン投票の1位は『CLOUDY HEART』でしたが、この結果をどのようにお考えですか?
 
高橋「どっちかと言うと、『MARIONETTE』とか『ONLY YOU』とかのシングルがピックアップされやすいのかなと思ってたんで、ちょっと意外な感じもありましたね。この曲が出来たときは『ROCK'N ROLL』っていうタイトルだったんですよ。何で『ROCK'N ROLL』だったかはオレは分からない。それは(ヒムロックの決めポーズをマネながら)この人に聞いてよ(笑)」
 
子安「『CLOUDY HEART』ってやっぱり名曲ですし、BOØWYが解散することになって、最後に何をリリースするか。『MARIONETTE』があって、アルバムの『PSYCOPATH』があって、もう1枚最後に何かシングルを切ろうとなって、当時の上司からは『PLASTIC BOMB』をシングルにしろと言われていて。普通なら絶対命令なんですけど、最後のシングルは『MARIONETTE』と本当はどっちをシングルにしようか迷った『季節が君だけを変える』でいきたいと。でも、これが最後、解散だとは上司にも言えなくて。会社の中でさえ誰にも言えなかったんですよ。あと、当時はアナログ盤ですからB面、本当の最後の最後に入れるのは『CLOUDY HEART』しかないとメンバーとも話し合ってたんです。これでBOØWYを最後にしようという形だったんで、思い入れはありますよね。そういう意味でも、BOØWYにとっての『CLOUDY HEART』という曲は重要なんだろうなという気はしますね。だからこうやってファンの方が選んでくれたのは、すごく嬉しいですよね」



(2013年5月14日更新)


Check
会場は大阪・心斎橋アメリカ村にあるdigmeout ART&DINER。入口の看板から高ぶります!
会場には当時の貴重な写真群をパネルにしたフォトギャラリーも設置。メイクがかなり濃い時代もあったんですね~。
当日はBOØWYにちなんだ限定メニューも。布袋寅泰(g)在住のロンドンの定番、フィッシュ&チップス(写真左)。そして、その名も“NO. NEW YORKドッグ”(同右)。
極めつけはBOØWYの楽曲をイメージしたオリジナルカクテル4種。まことさんはウォッカ×ビールの“ON MY BEER”(『ON MY BEAT』)がお気に入りの模様(笑)。
サービス精神旺盛なまことさんによるモノマネ3連発! 特徴捉えてますね~(笑)。

Release

4/1付オリコン週間チャートで
15年ぶりの首位に! 30周年ベスト

Best Album
『BOØWY THE BEST“STORY”』
発売中 3000円(2枚組)
EMI MUSIC JAPAN
TOCT-98027
※高音質Blu-spec CD2
※初回限定仕様:ダブル紙ジャケット
+PETケース仕様

<DISC1収録曲>
01.IMAGE DOWN
02.NO.NEW YORK
03.ON MY BEAT
04.DAKARA
05.FUNNY-BOY
06.DREAMIN'
07.BABY ACTION
08.ホンキー・トンキー・クレイジー
09.BAD FEELING
10.CHU- RU- LU
11.ハイウェイに乗る前に
12.CLOUDY HEART
13."16"
14.わがままジュリエット
15.JUSTY
16.ミス・ミステリー・レディ(VISUAL VISION) 
17.LIKE A CHILD

※01~04 1st『MORAL』より
※05 2nd『INSTANT LOVE』より
※06~12 3rd『BOØWY』より
※14~17 4th『JUST A HERO』より

<DISC2収録曲>
01.B-BLUE
02.ONLY YOU
03.WORKING MAN
04.RAIN IN MY HEART
05.DRAMATIC?DRASTIC!
06.SENSITIVE LOVE
07.LIAR GIRL
08.LONGER THAN FOREVER
09.MARIONETTE
10.PLASTIC BOMB
11.FANTASTIC STORY
12.MEMORY
13.季節が君だけを変える
BONUS TRACK
14.NO.NEW YORK(12インチversion)
15.CLOUDY HEART(Single Version)

※01~06 5th『BEAT EMOTION』より
※07~13 6th『PSYCHOPATH』より

Profile

ボウイ…氷室京介(vo)、布袋寅泰(g)、松井常松(b)、高橋まこと(ds)。'81年に母体となるバンドを結成。'82年にBOØWYと改名の後、アルバム『MORAL』でメジャーデビュー。'85年に東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)に移籍し、『ホンキー・トンキー・クレイジー』('85)『わがままジュリエット』('86)『ONLY YOU』『MARIONETTE』('87)と次々とヒットを連発。卓抜した演奏テクニックを下地に、精力的に行っていたライブのクオリティの高さと相まって一気にブレイクを果たした。人気が上昇しカリスマ的存在となった'87年12月24日、渋谷公会堂でのツアー最終日に突然の解散宣言。メンバーは現在それぞれソロ活動を行っており、デビュー30周年を迎えた今、最も“再結成して欲しい”とファンの熱望を浴びているバンドでもある。

BOØWY オフィシャルサイト
http://www.boowy30th.com/

高橋まこと オフィシャルサイト
http://takahashimakoto.com/


Live

布袋寅泰が4年ぶりのアルバムを
引っ提げ大阪2DAYS!

『TOMOYASU HOTEI
 Rock'n Roll Revolution Tour 2013』
チケット発売中 Pコード187-625
▼5月18日(土)18:00/19日(日)17:00
フェスティバルホール
全席指定7350円
キョードーインフォメーション■06(7732)8888
※3歳未満は入場不可。3歳以上は有料。お子様の会場における安全責任は、同行保護者に負って頂きます。

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Column

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