大ヒット御礼! BOØWYのデビュー30周年の最後を飾る
初のリクエスト・ベストアルバム『BOØWY THE BEST“STORY”』
高橋まこと(ds)が過去の秘蔵エピソードやドラマーとしての生き様、
そしてBOØWYの未来を語り尽くすインタビュー&動画コメント!!
デビューから30年、そして衝撃の解散宣言から25年…『わがままジュリエット』『B-BLUE』『ONLY YOU』『MARIONETTE』など多くのヒットソングを生み出し、日本のロックシーンと同じ時代を生きたリスナーにその名を焼き付けた伝説のロックバンド、BOØWY。6年の歳月をその革新的なサウンドと共に駆け抜けた、氷室京介(vo)、布袋寅泰(g)、松井常松(b)、高橋まこと(ds)という一触即発にして最強の4ピースの強大な存在感は、’88年の解散以降もかげることなく、今なおBOØWYの影響を公言するフォロワーが後を絶たない。そんな彼らのデビュー30周年のアニバーサリーイヤー・プロジェクトとして、解散宣言から25周年となる昨年の12月24には、「ライブハウス武道館へようこそ!」というロック史に残る名言を残した初の武道館ライブを完全収録したライブ盤『“GIGS”JUST A HERO TOUR 1986 NAKED』、過去の映像作品をBlu-ray化した6枚組BOX『Blu-ray COMPLETE』、歴代のアルバムを高音質化したBlu-spec CD2を怒涛のリリース! さらに今年2月24日には、シングル7タイトルを高音質BOX化した『BOØWY SINGLE COMPLETE』を発売。そして、このプロジェクトの最後を飾るのが、約1万通に及ぶファン投票を元に収録曲が選定され、デビュー日である3月21日にリリースされた初のベストアルバム『BOØWY THE BEST“STORY”』だ。そこで、BOØWYの屋台骨を支えた“ミスター8ビート”こと高橋まこと(ds)に、3月29日(金)心斎橋digmeout ART&DINERにて行われるトークイベント(こちらも後日レポート!!)を前に直撃インタビュー。ベスト盤の話はもちろん、過去の秘蔵エピソードや、ドラマーとしての生き様、そしてBOØWYの未来…。今だからこそ話せるとっておきの話の数々に、是非耳を傾けて欲しい。
高橋まこと(ds)からの動画コメントはコチラ!
自分もステージに立ちたい、ドラムを叩きたい
っていう想いはずっと持ち続けてる
――去年の末から30周年のリリースラッシュがスゴことになってますけど、まことさん自身も、例えば今日と同じように全国にキャンペーンに出向いて、僕らみたいなインタビュアーしかり、お客さんしかり、いろんな方と会って、感じることもあると思うんですがいかがです?
「リリースがあるとは言え、解散して25年も経ってるバンドがみんなの前で出てくるわけだよね、引きずり出されるというか(笑)。面白いなぁと思って。25年も経ったら普通は“あの人は今”みたいなところなんだけど、ちゃんとみんな音楽の世界にいるんで、それはよかったかなと」
――何周年という節目はそれぞれのバンドにありますけど、周りを見渡しても、ここまでのフィーバーぶりというか、5年に1度は色めき立つ感じっていうのは(笑)、他のバンドじゃまず感じられないなと思います。
「しかも、何気にみんなちゃっかり再結成しちゃったりするでしょ?(笑) うちは小出しっていうかさ、チャリティでヒムロックが全曲BOØWYを歌うとか、布袋が吉川(晃司)と一緒にやって、自分のライブでBOØWYの曲をやってみたりとか。基本的に4人が顔を揃えてないんで、余計に煽っちゃうのかなっていう気持ちはあるけどね」
――完全シャットアウトじゃなくて、今では少しずつBOØWYの曲を、今の表現で聴くことが僕らには出来て。4人揃ってはいなくともそういう機会があるってことは、やっぱりその曲が生き続けているんだなって。
「そうだね。誰も手を出さないで、封印してってことではないからね」
――解散から25年も経てば、音楽を辞めてしまう人も、完全に裏方にまわる人もいる。ステージに立つ人間であり続けているというのは1つの説得力であり、実は珍しいことなんじゃないかなって思うんです。まことさんもこの25年間いろんな形で、それこそドームにも立ち、ライブハウスのステージにも立ち。振り返ってみてどうですか?
「大変だったことももちろんあるけど、本当に嫌だったらやってないわけだから。“楽しい”っていう想いが必ずどこかにあって。自分もステージに立ちたい、ドラムを叩きたいっていう想いはずっと持ち続けてるから。どんな形であれ出来るんだなって」
――その衝動がまだ消えないって、ミュージシャンとしては嬉しいことですよね。
「そうだよね。それがなくなってたら俺も辞めてたと思うよ、うん」
『CLOUDY HEART』が1位っていうのは“え!?”って感じだったよ
『MARIONETTE』とか『B-BLUE』とか『ONLY YOU』とか
もうちょっとロックンロールな感じがくるのかと思ってた
――年末から30周年アイテムがどんどん出てくるところで、今回は究極のベスト盤と銘打ち、初のリクエストベスト『BOØWY THE BEST “STORY”』がリリースされて。
「どこぞの誰かが勝手に決めてたらブツブツ文句がくるけど、ファンが決めるベスト30となると、絶対に文句言えないからさ(笑)」
――“コレ入れるでしょ!”とか、“え~コレ入るの!?”っていうのは、減るでしょうね(笑)。
「1位が『CLOUDY HEART』で2位が『NO. NEW YORK』らしいんだけど、『CLOUDY HEART』が1位っていうのは、正直“え!?”って感じだったよ。『MARIONETTE』とか『B-BLUE』とか『ONLY YOU』とか、もうちょっとロックンロールな感じの曲がくるのかと思ってたら、1番アンニュイな曲が」
――『NO. NEW YORK』は分からないでもないですけど、『CLOUDY HEART』が1位というのは、ちょっと意外な気もしますね。
「若い子ももちろんいるんだろうけど、俺たちのファンの大半っていうのは40代くらいになっている人たちだよね。だとすると人生の出会いと別れみたいなものを経験して、この曲染みるよねって、選んでくれてるのかなっていうのもあるんだよね」
――若い頃には分からなかった詞の深みというか違う側面を見て、自分の中で曲が更新されていく。言ってしまえば『CLOUDY HEART』も『NO. NEW YORK』も出自はカップリングだったりアルバム収録曲なわけですよ。それが1位2位になるってスゴい。でも僕らからしたら、『CLOUDY HEART』がカップリングだったとか、『NO. NEW YORK』がアルバム収録曲だった意識は今や全然なくて。やっぱりBOØWYのベストを作るなら、必ず入れる曲だなっていう感覚は昔からあった。シングルなのかアルバムなのかじゃなくて、本当にBOØWYの曲って、それぞれがむちゃくちゃ独立して立ってるんだなって。
「あと、通り一遍の曲ばっかりじゃないから、振り幅が広いというか。静かな曲もあればアガる曲もあって、初期の頃から曲調がどんどん変わっていく。同じことをやってないから、それだけみんなもあっちもこっちもってなるのかもしれないね(笑)」
――まことさんは、ベスト30の細かい順位はご存知ですか?
「いや、1位と2位しか(笑)。他はどうなってるの?ってスタッフに聞いたら、“それは企業秘密で”って。何が企業秘密じゃい!みたいな(笑)」
――僕もネットに出てるもんだと思って、“BOØWY ベスト リクエスト 結果”とか検索しても出てこない(笑)。
「ハハハ!(笑)」
――まぁ順位はどうあれ、上位30曲なのは間違いないということで。最初にこの並びを見たときはどう思いました?
「これも入ってる、あれも入ってる、なるほどな~みたいにチェックしてたけど、全76曲の半分くらいだから、まぁ妥当な線なんじゃないかな。これで俺が選んだ曲が入ってないって言うんだったら、CD買えよっていう(笑)」
――それこそ、これが5年前だったり5年後にリクエストしていたら、また違う結果になるでしょうしね。
「だからこれも究極とは言わずに、1つの“ストーリー”として見てもらえれば1番いいんじゃないのって」
『CLOUDY HEART』は四国に行ったときの車中で詞が出来てるはずなのよ
――楽曲のエピソードを聞いていきたいんですけど、『CLOUDY HEART』に関する思い出は何かありますか?
「『CLOUDY HEART』は3枚目のアルバム『BOØWY』(‘85)に入ってるじゃん。でも、ライブでは随分前からやってたのね。最初は“ロックンロール”って仮タイトルが付いてて、アレンジが違ってたんですよ。それが『CLOUDY HEART』になった。当時の俺たちはまだ売れてなくて、四国ツアーをしてたのね。高知~久保川~土佐清水でライブして、また高知に戻って松山に行く。松山はライブじゃなくて夏休みで、“道後温泉行っちゃわない?”って(笑)。あと、瀬戸内で海水浴出来るところもあるからって。その道中で高知辺りを走ってるときに、ヒムロックが詞を書いてるから“何書いてるんだ?”って聞いたら、“『CLOUDY HEART』の詞をさぁ…”って。“ロックンロール”のときはインチキ英語で歌ってるんだけど、それをちゃんと詞にしないとレコーディング出来ないからって一生懸命書いてたのは覚えてるよ。’83~’84年の夏かな? 『CLOUDY HEART』は四国に行ったときの車中で詞が出来てるはずなのよ」
――そうなんですね~。まことさん、よく覚えていますね。
「1つ1つ紐解くと、高知の会館でバカどもが椅子に乗ってグチャグチャに潰して、会館のオヤジに怒られたっけなぁとか、ヒムロックが“ステージに上がるんじゃねぇ!”って客に文句言ってたなぁとか(笑)。次の日は久保川の小学校の体育館でやったんだけど、夏のクソ暑いときだから靴なんて履いてらんねぇやって、スーパーでビーチサンダル買って履き替えてみたいな(笑)」
――すごい記憶力!(笑)
「それから土佐清水に行ったんだけど早く着いちゃったんで、足摺岬に行こう!って断崖絶壁を見てから戻ってライブして(笑)。スナックみたいなところで、でっけぇ寿司から刺身からドカンと盛る料理が出てきて、ついでにみんなでカラオケしてさ。で、そのカラオケ音源が出回ってたんだよ!(笑)」
――え~! BOØWYはブートレグが多いとの都市伝説もありましたが、カラオケ音源まであったんですか(笑)。
「“これって誰が歌ってるんですかね?”って聞かれたんで聴いてみたら、“これ俺らが土佐清水に行ったときのやつじゃん! みんな順番に歌ってるぜ!”みたいな(笑)」
――入手した人も誰が歌ってるか分かってなかった(笑)。
「俺はすぐ分かったけどさ。“声聴きゃ分かるだろ!”ってね(笑)。ヒムロックは(矢沢永吉の)『時間よ止まれ』を歌ってたよ(笑)」
――スゴい話だなぁ…(笑)。でも今の地名を聞いていても、当時はすごく細かくツアーを廻ってたんですね。
「最初は高松の小洒落たカフェバーみたいなところで無理矢理ライブして、その後四国のイベンターって言ってもまだ若い子たちが、各々知ってる場所にブッキングしてくれて。せっかく四国まで来たんだから、そのまま帰るのもなんだしってね。まだ、当時は明石海峡大橋とかないから、神戸から高松までわざわざフェリーに乗ってんだからさ。何かすごく覚えてる」
――『CLOUDY HEART』から派生する情報がめちゃ多いな~(笑)。でも元のタイトルが“ロックンロール”なら、曲調はもっとアッパーな感じだったんですか?
「いや、最初から雰囲気はあんな感じだったから、何で“ロックンロール”って付けたんだろう?(笑) いい加減なのよ。仮タイトルは“四十肩に何とか”とか、ヘンなのがいっぱいあるんだよ(笑)」
――アハハハハ!(笑) その“四十肩に何とか”が、最終的にどの曲になったのかめちゃくちゃ気になりますね~。
「もうヘンなのばっかり(笑)。仮タイトルは全部布袋が付けてたんだよね」
――2位の『NO. NEW YORK』に関してはどうですか? 僕は高校時代軽音部で、まず最初にこの曲を練習しろと言われた思い出が(笑)。あと、先輩のコピーバンドのほとんどがBOØWY(笑)。まず、A先輩のバンドが出てきてBOØWYやって、またB先輩のバンドが出てきてBOØWYやる、みたいな(笑)。
「『NO. NEW YORK』を聴くの今日で3回目みたいな(笑)。だから多分これは、昔1度手を染めた人が投票したわけよ(笑)。俺は高校の頃あの曲やってた!って」
――この曲にまつわるエピソードはありますか?
「ライブではずっとやってた曲だけど、俺がBOØWY入った頃にはすでにレコーディングされてた曲だから、俺は手を入れてないんだよね。今回は後で出る12インチとはちょっと違うアレンジなんだけど、まだパンクっぽくて、間奏のところで“ジョン・レノンが撃たれた”っていうラジオのニュース音声が入ってるんだよね」
――ライブでも1つのスイッチになる曲ですよね。
「1枚目のアルバムに入ってバンドの最後の最後までやってたし、アンコールで2回やっちゃうみたいなところまでいった曲だから。BOØWYにとっては何気に良い曲だったんじゃないかな」
むちゃくちゃでしたよ、本当に
そういう意味では売れてない時代の方がネタがあるんだよね(笑)
――今となってはBOØWYは伝説のバンドなんですけど、当時の話を聞いていたら、いわゆる“青春”というか、気のいい仲間がバンドワゴンでツアーを廻る感じで。
「いや~濃い時間だったと思うよ。さっきも言ったけど、機材車でツアー廻ったりしてたら、結構大変なこともしてるわけで。車にアルミホイル貼ってみたりとかさ。屋根に貼ったら光を反射して涼しくなるんじゃねぇかと(笑)。でも、高速道路走ってて“何か暑くねぇか?”って屋根を覗いたら、もうガムテープしか残ってねぇみたいな(笑)」
――アハハハハ!(笑)
「ツアーで九州に行くのにも、東京から丸1日くらいかけて来てるわけだから、福岡のインター降りてすぐに風呂屋に行って。着替えて、髪立てて、化粧して。でもその日は博多に飲みに行くだけ(笑)。それで中州を歩いてたら、背はでけぇし金髪だから、“どっから来たの!?”って物珍しさで人が大勢くっついてきてね」
――今こうやってまことさんからエピソードの数々を聞いてたら、BOØWYもいきなり売れたんじゃなくて、そういう下積みからちゃんと始まってるんだって、現役のミュージシャンも勇気付けられるでしょうね。
「そういう道のりがなくてさ、スカしてたってしょうがねぇみたいなところがあるんだよ。だからギャラが野菜になっちゃう(笑)。新宿LOFTの店長に“3万人集まるから福岡にライブ行け”って言われて行ったら、ただの村祭りだからね(笑)。ギャラだって、キャベツだのトマトだのナスだの、夏野菜がビニール袋にいっぱい入ってるわけ。野菜じゃ東京まで帰れねぇから!(笑) そしたら今度はさつま白波をくれて(笑)。とにかく東京に帰る高速代とガソリン代をもらおうって、やっとこっちの趣旨を分かってもらって、これで帰れるって(笑)」
――出てきますね~(笑)。そういったところから最後にはドームでやるところまで駆け抜けたわけですから、それこそホントに濃い6年間ですね。
「面白いよね。特に関西でライブがあったときなんかは、京都の新京極の木賃宿(きちんやど)に泊まってさ。1人1泊1000円で、メンバー4人とマネージャーとローディーの計6人で移動してるから、1部屋に2段ベッドが2つ、その間に縦に2人寝る。ベッドはジャンケンで上下を決めてね(笑)。そこから小1時間かけて大阪に行って、ライブが終わったら京都に戻って。神戸に行っても高速使えばだいたい1時間圏内だから、ずーっと京都に泊まって」
――そこで、布袋さんが妹にバッタリ会うと(笑)。
「そうそうそう(笑)。夕方に布袋とぷらぷら2人で歩いてたら、“お兄ちゃ~ん!”って声がして。“何で!? 何やってんの?”て聞いたら“修学旅行”みたいな(笑)」
――新京極にBOØWYがいたっていうだけでも、今考えたらすげぇな~(笑)。
「新京極のド真ん中にデカいスーパーマーケットがあって、そこだと車を停めとけるんで駐車場代わりにしてたのね。次の日の昼くらいにさぁ出発するぞってそこに行ったら、自転車が周りにぐわ~ってあって(笑)。全員で車の道を開けるためにガンガン汗かいて自転車動かして、おばさんが来たら、“ちょっと待って! 今車出しますから! そこに止めないで!”みたいな(笑)」
――面白いですね~! ホントにいろんな話がありますね(笑)。
「むちゃくちゃでしたよ、本当に。そういう意味では売れてない時代の方がネタがあるんだよね(笑)」
――これまでの話を聞いてたら、3月29日(金)のトークイベントもスゴいことになりそうです(笑)。
俺は“ある”と思ってるから
――それこそ近年は、氷室さんが全曲BOØWYの曲でライブをしたり、それこそまことさんも去年の布袋さんの周年のライブで久々に同じステージに立ったり。やってみてどうでした?
「面白かったよ。俺のドラムで布袋がギター弾くとこうなるんだなって。アガッたよね。井上富雄(b、ex.ザ・ルースターズ)がスゴい緊張してたみたいだけど(笑)」
――タイムラグを感じずにスッと出来るもんですか?
「BOØWYの曲だったら割とすぐにね。あの日の他にも、布袋のファンクラブイベントをなんばHatchと東京のステラボールで俺と井上富雄ちゃんと3人だけでやってるんでね。結構BOØWYの曲も散りばめてくれて、大変だったけどスゴく面白かった。お客さんも喜んでくれたしね」
――震災以降、まことさんはチャリティ活動も積極的にされていて。昔BOØWYを聴いて支えられていた人たちと出会う機会も多かったと思います。
「結構熱い奴らが多くてね。今までにそういうイベントを30本以上やってきたけど、とにかく俺がやってるチャリティに賛同してくれて、それが形になりつつある。メンバーの中では俺が今1番BOØWYの曲をライブでやってるだろうね(笑)」
――それこそいろんなバンドが再結成する中で、世代は違えどHi-STANDARDとかも震災復興に向けて復活し、力を与えてくれてる。やっぱり時代に大きな影響をもたらしたバンドですから。BOØWYなんかはその最たるモノじゃないですか。今回のようなベストアルバムがこのタイミングで出て、みんなの中にいるBOØWYを感じることも多いんじゃないですか? 今のまことさんは特に。
「それはすごいあるね」
――それこそ他誌のインタビューで再結成について、“俺がドラム叩けるうちにね”とあって。
「言うところは言っとかないとね。そういう意味での再結成は、アンタッチャブルな話じゃなくなってるなってところだよね」
――もしBOØWYが再び動いたら、すごい勇気と力をみんなに与えられるだろうなって。
「みんなそう思ってはいるんだけど、なかなかね。いざこの4人でやるとなると、1人1人いろいろあるんだよね」
――それをしないのがBOØWYとも言えますし、解散から25年も経ってるのに今でもモヤモヤさせられるのって、BOØWYくらいだなとも思うんですよ(笑)。
「すいません。って謝るしかないだろう、俺(笑)」
――そういう意味でも大きな存在だったんだなって。
「みんながそうやって思ってくれるだけでも、スゴい大きいことだしさ。ただやれることを少しずつやっていくと、多分またそういうところに繋がっていくんじゃねぇかって俺は思ってる。いきなり再結成とか言い出すと、反旗をひるがえす奴が出てくるからさ(笑)。まだ“ある”んじゃないかって信じること…俺はあると思ってるから。別に今すぐやんなきゃいけねぇってわけでもねぇし。まぁ、少しずつやれることをやっていきますから!」
結局、人の心に残る音楽を作らない限りは売れない
――まことさん自身も音楽を続けて、来年還暦ですよね。今振り返って、自分の音楽人生ってどう思います?
「よくやれたなって。でもそれはそれだから、これから先どこまで行けんのかを考えないとね」
――それこそドラムってすごくフィジカルな楽器ですけど、日々の鍛練とかがあるんですか?
「鍛練というよりも、普段からいかに“楽をして叩くか”っていうことを考えてるわけよ。体鍛えるの嫌だから(笑)。20代の頃なんかはムキになってやっても全然出来るから別にいいんだけど、年を取ってくると、ちゃんと楽することを考えないとダメなのよね」
――言ってみれば、いかに力を入れずに。
「軽く良い音を出すか、デカい音を出すかを考えてる。20歳の頃の体力があるんだったら別だけど、落ちてるのは事実なんだから、そこをいかにして補っていくかは、やっぱり老練なテクニックがないと。そういう意味で身体もそうだけど、いかに頭を使うかっていうことを考えるしかないからね」
――まことさんがずっと叩き続けてくれたら、後の世代のミュージシャンたちもやんなきゃなって思うでしょうね。
「ドラマー飲み会を1月に東京でやってね。売れてる奴から売れてねぇ奴まで120人くらい集まったんだけど、中堅の40くらいの奴は、きっと“ジジイ早く死ねよ!”みたいな感じだよね(笑)。こっちは“うるせぇ! 越えてみろ”ってね、言ってんだけど(笑)」
――3月29日(金)には今回のリリースを記念したトークイベントがありますけど、大阪でこういうイベントはあまりやったことないんですかね?
「前にフィルムコンサートで舞台挨拶くらいはやったけど、ずっと喋り続けるようなのは大阪ではないね」
――でも、今日のインタビューの感じだと(笑)。
「これでいいじゃん! これをそのまま流せば(笑)」
――これでも十分面白いですけどね(笑)。当日来られる人たちは、相当なBOØWY好きだと思いますから。
「もう、楽しみにしといてください。また別の話もナンボでもあるから(笑)」
――今日これだけ出てきたのに(笑)。BOØWYがデビューした30年前とは音楽シーンも姿を変え、CDが売れないだの言われながら何とか踏ん張ってますけど、ずっと現役でやってきたまことさんだからこそ、思うことはありますか?
「う~ん。もう一生懸命やるしかないんだろうね。結局、人の心に残る音楽を作らない限りは売れないだろうし。ただアルバム出たよって言われても、それだけじゃ売れない事態になってるわけで。そもそもCDを買うっていう行為がなくなってるんだろうね、ダウンロードとか出来るような生活になってくると。俺たちはレコードからカセット世代だったから、“物が欲しい”みたいなところは何となくあるけどね。今の子たちはパッケージ自体いらないんだもん。それも時代だよ。BOØWYのファンの奴らは偉いよな。EMIにしてみたらお客さんに足を向けて寝らんねぇよ(笑)」
――それも今でもBOØWYを求めてくれる人がいるから、リリース出来るわけで。じゃあまた35周年のときに(笑)、こういった形でお会い出来ることを楽しみにしています!
「ありがとうございました~!」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2013年3月28日更新)
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