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栄喜(ex.SIAM SHADE)完全復活!
バンド解散からソロとして再始動を果たした6年ぶりのアルバム
『栄喜Ⅰ~encouraged~』にたどり着くまでの
激動のストーリーを語るインタビュー&動画コメント

 ‘97年に『1/3の純情な感情』で大ブレイクを果たし、’02年に解散したロックバンドSIAM SHADE。そのボーカリストとして活躍した栄喜(ひでき)が、’12年より本格的にソロ活動を再開、6年ぶりのアルバム『栄喜Ⅰ~encouraged~』を1月にリリースした。バンドの解散以降、様々な形態で自らの音楽を模索し続けた彼のこの10年間は、時代に名を刻んだSIAM SHADEに対し、決して平たんな道のりではなかった…。‘07年には、逝去した元マネージャーへの追悼の意味を込めた一夜限りの再結成ライブ at 日本武道館を、’11年には震災復興のためZepp SendaiとさいたまスーパーアリーナでSIAM SHADEとしてステージに立つ中で、運命の糸をたどるように再会した恩人の言葉、そして親友の死…。栄光とドン底を見た彼が、今再び闇を切り裂く光のように、あの突き抜けるような歌声とメロディを取り戻した『栄喜Ⅰ~encouraged~』。インタビュー中にふと言ったこの言葉が、痛みを知る彼だからこそたどり着いた今を現している。“ボロボロになってもそこから這い上がっていく、何度でもやり直せる”――。

栄喜からの熱い動画コメント!

――今作『栄喜Ⅰ~encouraged~』は、並々ならぬ決意で辿り着いたアルバムだと思うんですけど。

 
「そうですね。僕は良くも悪くも人に流されないというか、“北へ向かう美学”みたいなものを持ってて、敢えて厳しい方向を好んで走っちゃうところがあるんです。けど、いつもそこには強い意志と決意があって。ただ今回は、初めてコンセプトが合って出来たアルバムかもしれないですね。とにかく前に進める、聴いたときに気持ちが少しでも前向きに、明るくなるような作品にしたいっていうのはありましたね」
 
――キャリアとしては長いわけじゃないですか。今このタイミングで初めてそう思ったのも不思議なモンですね。
 
「僕ってこういう性格なんで、ぶっちゃけあんま友達いないんですよ(笑)。そんな中で唯一、18年くらいの付き合いだった親友が、自殺しちゃったんです…。僕はSIAM SHADEをやってるときから常々、みんなに“死ぬまで生きて欲しい”と言ってきた。その子ともそういうことについて何度も話し合ってたのに、自ら命を絶ってしまった。こんな身近な大親友でさえそうさせてしまった自分は、本当は何も伝えられてなかったんじゃないか、表に出て何かを訴える資格があるのかって、ちょっと立ち止まってしまって…。そんな風になかなか前に踏み出せなかった頃、SIAM SHADEで震災復興ライブをやることになって。そのときに『SIAM SHADE Ⅲ』('96)までの担当だったレーベルの方から、“こういう時代だからこそ、SIAM SHADEが今の日本に、時代の役に立てることがあるんじゃないか?”って言われて。仙台の方たちには、SIAM SHADEが売れる前からラジオのレギュラー持たせてくれたりとスゴくお世話になったし、今返せることを最大限に活かして返すには、SIAM SHADEっていう手段を、復興するまでの期間だけでも持続的にやることはアリなんじゃないかって思ったんです。あと、その方は僕にとっての音楽の入口だったし、そういう入口を忘れると出口がなくなると思ってるんで。そういうことならと、SIAM SHADE用の曲を作り始めて」
 
――なるほど。
 
「それで久しぶりに、下手したら10年ぶりぐらいに明るい曲を作ろうと(笑)。そのときピアノを弾き始めてスゴく驚いたのが、明るい倍音には人を明るくさせる何かがあるんだなって。自分がドンドン元気になっていくんですよ。ピアノの響きだけでこんなに人は前向きになれたり明るい気持ちになれるんだって気付いたとき、今の時代に必要なものって、実はこういう音楽なんじゃないかって思ったんです。今、現に1曲作っていく内にリズムに乗ってノリノリになってる自分がいる。元を言えば、自分が元気になりたいっていうのもあったんですよ。何も出来なかった自分に戻りたくない。とにかく前を向けるモノを、未来にしか希望も夢もないんで、そこに進めるモノをって」
 
――親友の死もあって、SIAM SHADEの復興ライブもあって、恩人の助言もあって。いろんな要素が絡み合って。
 
「あのとき“SIAM SHADEの曲を作ってくれ”って言われなかったら、僕も正直ここまではまだ立ち直ってなかったと思います。キッカケを摑めてなかったと思うんですよね。結局SIAM SHADEはいろいろ難しくて無理だったんですけど、僕は当時やってたDETROXを休止することが決まってたんで、“作った曲をソロで使わせてもらっていいですか?”って、途中からは自分のために作って。『Start』(M-2)がそのために作った1曲目なんですけど、その人に何曲か聴かせたら、“これはこれで良いから一緒にやろう”っていう話になって、今に至る感じですね」
 
 
努力っていうのは報われるところまでやらなきゃ意味がない
 
 
――最近Ken Yokoyamaさんもインタビューで触れてたんですけど、Hi-STANDARDが再結成したのも、やっぱりあの震災があって、過去を越えてでもやらなきゃいけないことがある。自分らが再び動くことで元気になるヤツらがいるって分かってるのに、やらずにはいられなかったって。
 
「分かります、スゴく。特にハイスタには俺も1番やってもらいたかったですね。俺もハイスタが大好きだったし、ホントに元気が出る音楽のパイオニアみたいなところがあると思うんで、スゲェ嬉しかった。でもやっぱね、解散って仲が悪くなったからするわけで。仲のいいバンドは解散するわけない!(笑)」
 
――アハハハハ!(笑) 音楽性の違いが出てきても、仲が良ければバンドは続くと。
 
「ね(笑)。ただミュージシャンって、ここまでやってこれたのは周りの人たちが支えてくれたからだって、どこかしらに感謝の気持ちが絶対あると思うんです。今まで支えてくれた東北の人たちが苦しいんだから、今度は俺たちが支えなくちゃいけないんじゃないかって気持ちになって当然だと思うんですよね」
 
――それこそ栄喜さんも、SIAM SHADEとして立ったさいたまスーパーアリーナのステージでも、そういうエネルギーをいっぱい感じましたよね。
 
「もちろんですよ。僕はホントに一時期ですけど、SIAM SHADEがデビューして3年経っても全然売れなかったときに、実は1回音楽を辞めてるんです。このバンドは演奏も上手いし、売れていいバンドなのに売れないのは、俺がボーカリストとして物足りないせいじゃないかって思い始めて…当時はただただ落ち込んで、何も前が見えなくなって、“辞める”と。そもそも僕が音楽を始めたキッカケって、“女にモテたい、金が欲しい”だったし(笑)、その頃は東京のNHKホールが満パンくらいにはなってたんですけけど、収入も大したことないし、2chとかもあって好き勝手出来ない時代になってたし(笑)、単純にそこだけを求めるなら水商売でもやった方が正解だと思ったんですよ。そんなことを思ってた頃、新宿の高島屋で石井竜也さんがたまたま個展をやってて、憧れの人だったし、ふらっと入ってみたんです。そしたらその入口に、石井竜也が何でこんなに忙しいのに映画を作ったり、絵を書いたり、音楽を作ったりするのか、それは“1人でも多くの人に生きてる証を伝えたいから”って書いてあって…。それを見て、音楽って下手したら何百万人もの人が、自分が生きてるって思える証を知ってくれる。そして、自分がその生きてる証を人に伝えられる、スゲェ可能性を秘めた職業なんだって気付かされて。もしこの先水商売にどっぷりハマって生きていったとして、300人ぐらいは俺が生きてる証を知ってくれたとしても、同時に300人は俺を殺してやろうと思ってるかもしれない。でも、音楽っていうのは、その言葉の使い方1つで、今自分が“また音楽がやりたい”と思えたように人を前向きにしてあげられるかもしれない。それに気付けたとき、絶対に戻りたいと思った。それで、当時の事務所にもう1度電話して、“自分が音楽やる意味を、初めて見付けられたんです。あともう少しだけ、真剣にやるんでもう1度音楽をやらせてください!”って」
 
――うんうん。
 
「ホントに石井竜也さんのお陰なんですけど、救ってもらったというか、道をまた正させてもらった。そこで辞めてたら、努力っていうのは報われるところまでやらなきゃ意味がないっていうことにも気付けなかった。やっぱスゴいなぁと思います、音楽は」
 
 
今自分が何をすれば、1人でも多くの人を元気に出来るのか
 
 
――それにしても、ホントにエネルギーに満ち溢れた、ガツン!とパワーを飛ばすようなアルバムになりましたね。
 
「言ってみればSIAM SHADEの音楽って、今の時代からしたらちょっと古い音楽で。でも、そこを求めてる人たちがイッパイいるのも分かってる。自分は進化していくミュージシャンでありたいし実際にそうしてきたんで、もうちょっと新しい要素を今作でも取り入れたかった。だけど、今出来ることの最善を尽くそうと思ったとき、今自分が何をすれば、1人でも多くの人を元気に出来るのか考えたとき、まずは待ってる人たちにド真ん中の音楽を作る。そこを徹底的に目指した感じですね」
 
――でも、初めてじゃないですか? そこまでやれたのって。
 
「確かに。頑固に好き勝手なことばっかやってきちゃいましたから(笑)。でも今回は、そこに気持ちが向かなかった。それは何でかって言うと、さっき話したレーベルの方は、僕らがアルバム『SIAM SHADE Ⅳ』(‘98)で売れる前の1番大変な時期をやってくれてた方なんで。しかも僕なんか相当ワルで、今思えばメジャーになってからもホントにメチャクチャやってきちゃったんですよね(苦笑)。そんな問題児とまた一緒に何かやるなんて、絶対周りの反対意見もイッパイあったと思うんですよ。それなのに、“今の栄喜だったらやれるんじゃないか”って判断してくれたその人に、やっぱ恥を掻かせたくなかった。それはスゴく大きかった。今回はその人に感謝の気持ちをちゃんと返すために、今自分が何をやるべきなのかを考えました、やっぱり」
 
――もしかしたら自分のために何かをするより、使命感がある。
 
「やっぱね、俺みたいにホント独りよがりで自分勝手に生きてきちゃった人って、世の中から分からされるときがくるんですよね。バンドが解散して当時の事務所を辞めるときも、すげーデカいこと言って辞めてるんですけど(笑)、自分が1人になってみて分かることがイッパイあった。例えばレコーディング1つにしても、SIAM SHADE時代にやってくれてた人にお願いしたら、“いや、インディーズは出来ない。自分の名前が下がるから”って言われて。そこで初めて、今までは大きい事務所やレーベルが付いてたからやってくれてたんだって気付かされて…。あと、1人でやっていくことによって、グッズの利益とかそういうことも、全部分かってくるわけですよ。僕なんかSIAM SHADEのグッズTシャツなんか着てなかったですからね、ライブのとき(笑)」
 
――着たら売れるのに~(笑)。
 
「ホントはそれを売らなくちゃいけないのに、下北で売ってた“世界平和”とか書いてるTシャツを着てて(笑)。ツアーファイナルの頃には、ファンの人たちがみんなそのTシャツ着てるんですよ。だから下北のその店ばっか儲かっちゃって(笑)。そうやって、“俺バカだったなぁ~! 何やってたんだろ!?”ってドンドン知っていくわけです。‘07年に亡くなったマネージャーさんの追悼ライブで5年ぶりにみんなに会ったとき、謝りましたよね。“すみませんでした! 俺もう全然分かってなかったです”って(笑)。昔からそうなんですけど、学校の先生にやっちゃダメって言われたときも、何でやっちゃダメなのか、自分が痛い目を見ないと分からない。最初にも言いましたけど、僕には“北へ向かう美学”があって。まあ屁理屈なんですけど(笑)。北に向かうと寒いしロクなことがない。要はみんなが回れ右したら俺は左を向いて、“回れ左しとけばよかった!”って思わせられるかどうか。ひょっとしたら1枚ペラって地面を剥がしたら、そこに南国があったりするかもしれないし」
 
――油田が出て来るとかね(笑)。
 
「そうそう! みんなが行くところには敢えて行きたくないあまのじゃくというか…でも僕が1つ言えるのは、全部ガムシャラにやってきたし、真剣に突っ張ってきた。どんなときでも一生懸命やってきたから。やっぱり一生懸命失敗したからこそ分かったことがあって。中途半端に、いい加減にやってたらそうはならなかった。ホントにそういう意味では、もしかしたら今やっと、世間で言う20歳ぐらいの精神年齢かも(笑)」
 
――アハハハハ!(笑)。時間掛かったっすね~(笑)。
 
「掛かった(笑)。僕はホンットね、人一倍失敗するタイプなんで。だからその分経験出来ることもある。行動力は無駄にあるんですよ(笑)。今は成功した理由も人一倍分かってるし、ウマくいってない理由も人一倍分かってる気がするんです。だからそれを歌にして、何かを伝えられたらなぁって」
 
 
やっぱ燃えますよね。いや、俺はまだまだこんなモンじゃねぇぞって
 
 
――取材してても思うんですけど、最近40代の作る音楽がメチャクチャ良くて。音楽が売れる時代の最後を体験しながら、今同時にしんどい時代も味わってて。その中でメジャーでやってる人もインディーズでやってる人もいますけど、しぶとく続けてる、続けられてる人の発する表現って、やっぱいいんですよね。去年はホントに、それを作品で何度も思い知らされた1年でした。
 
「あぁ~それはあるかもしれないですね。売れないときってやっぱしんどいですから。でも、もしかしたら、今続けられてる人っていうのは、お金じゃない何かを見付けられてる人なのかもしれないですね。お金のことだけ考えたら大変なこともやっぱあると思うし、やっぱ良い機材じゃないと良い音は出ない。僕なんかもうホンットに、SIAM SHADEをやってた頃の環境は1回全部失いましたから。だから解散したと同時に、もうホントに全てを自分が1つ1つ新しく、時間をかけてまた見付けていったところなんで」
 
――栄喜さんが築き上げてきたモノがようやく形になってきて、それこそ『Start』じゃないですけど、夢や目標を再び目指す地点に来れたのかもしれない。
 
「解散した頃には1人では何にも出来なかったのに、今はMIX以外のレコーディングの作業は全部自分で出来るようになりましたからね。そういう意味では1人になって、ある種干されなきゃここまで出来るようにはなってなかったかもしれない。いいモノを作りたい、作品の質は落としたくないっていうところで、人任せにしちゃいけないなって。自分でやれることは自分でやろうって」
 
――やっぱりこの10年、苦しい思いをして身に付けたからこそ出来ることですもんね。
 
「それは今回のアルバムでも役に立ってて。ドラムをCrossfaithのTatsuya(ds)に叩いてもらったんですけど、その前にEPを出すことになって、もう1曲追加で叩いてもらわなきゃいけなくなって。でも、もう1度大阪から出て来てもらって叩いたら時間も経費も掛かってしまうから、Tatsuyaが今までに叩いた曲をバラして、僕が全部フレーズを組み直してプログラミングしたんですよ」
 
――スゴい。正直、栄喜さんがそんな器用なイメージってなかったですもんね(笑)。
 
「ですよね(笑)。俺、高校とかもスポーツで入ってるし、言わば筋肉バカですからね(笑)」
 
――アハハハハ!(笑) 脳みそ筋肉型の(笑)。
 
「こう見えて、バスケでインターハイとか出てましたから。もう本格的にやってた系なんで、パソコンとかそんなモノは絶対に無縁で(笑)。解散するまで全くいじくったことなかったんですけど、やったらやったで負けず嫌いなんで追究する派なんで。だからみんなにビックリされます。“えーっ!? コレ自分でやったの!?”みたいな。そうなるまでに液晶2枚ぐらいブン殴って壊しちゃってますけど(笑)」
 
――アハハハハ!(笑)
 
「それもやってみて分かる。1枚ブッ壊すと2~4万掛かるなって(笑)。それで3枚目のときは、もうダメ! これ壊しちゃ!って。そういうバカなんです(笑)」
 
――この瞬間は気持ちいいけど、後で買い直しに行くのは結局俺、みたいな(笑)。
 
「お金払うのも結局俺みたいな(笑)。ホントに遠回りして、やっと使いこなせるようになってきました。あと今回は何が嬉しかったかって、Superflyとかを手掛けてるメジャーの一線で活躍してる方にMIXしてもらえたことで。1人でやってるときに苦労した点というか、MIXで作品の出来ってスゲェ変わってくるんで。こういうモノが作りたかったんだよなぁというか、これでダメだったらもうダメだろっていうモノが自分の中じゃ出来た。もうハッキリ言いますと、完っ全に燃え尽き症候群になりましたよ(笑)」
 
――あかん(笑)。あと、このアルバムの何がいいって、“潔さ”じゃないかなって思いました。みんなに元気になってもらうという1つの軸に特化した潔さが、アルバムの風通しのよさにもつながって、そのパワーがちゃんとストレートに届く。あと『あのゴール成し遂げる所まで』(M-1)『Never Die』(M-3)『降り出した雨』(M-6)とかは、ホントにそう思った人がガムシャラに歌うからこそ伝わる歌詞だよなぁって。
 
「自分でも、こんなに反響があるとは思ってなかったんです。だけどこうやってセールス的にもまたチャートの上位に上がってきたりすると、やっぱ燃えますよね。いや、俺はまだまだこんなモンじゃねぇぞって。でもそれは、多分自分の思っていた以上に、みんなが今この音を求めてくれてたんでしょうね」
 
 
ボロボロになってもそこから這い上がっていく、何度でもやり直せる
 
 
――今作に伴うライブに向けてはどうですか?
 
「前回のツアーは、バンドのメンバーが先輩ばっかしで。僕、体育会系なんで年上には何も言えなくて(笑)」
 
――ツアーでもそれを重んじる?(笑)
 
「ヘンな話、高校の頃はスポーツクラスの特別学級とかがあって、一緒に事務所も作った柔道の吉田秀彦先輩とかがいて。吉田先輩が3年のときに僕が1年で、3年生=神様、2年生=人間、1年生=ゴミのときの、神様とゴミ(笑)。もうホントに自衛隊みたいな学校で思春期を過ごしてるんで、先輩に意見をするのは俺の中では違う!って(笑)。だから今回のツアーは、ちょっと年下を呼んで(笑)。先輩は先輩で憧れの人たちだしその良さがありますけど、今回は憧れとか黄昏じゃなくて(笑)、現実的にこの情熱をカッチリライブでも出したい。特にCrossfaithのドラムのTatsuyaとかは、情熱的なロックという意味では、自分が今までやってきたドラマーで1番です。でもまだ21とかですよ!?」
 
――となると、ツアーも楽しみですね。あと、去年のブログには、“自分はみんなとの約束を、1日足りとも忘れたことはありません。もう1度あの場所に、今度はソロアーティスト今村栄喜として、みんなを連れて行きたいと本気で思っています”、とあって。
 
「やっぱりその…SIAM SHADEは一応武道館で終わってるんで、その先の続きを僕も見たいし、みんなにも見せてあげたい。それがもし出来たら、SIAM SHADEを支えてくれた方々への恩返しにもなると思うし、何よりもファンの人たちにも未来を…人は頑張れば、諦めなければ何かを成せるんだって。僕なんかホントにいい手本になると思いますよ、ドン底まで落ちてる姿をみんな見てるわけですから。ボロボロになってもそこから這い上がっていく、何度でもやり直せるっていうところを、もっともっと頑張って結果を形にして、見せていきたい。そんなカッコよくはいかないと思ってるんですけど、もうカッコ悪い部分は散々見せてきたんで(笑)。正直CDが売れたって、毎月お金が振り込まれたって、ホントに必要とされてるかは分からなかった。でもライブっていう場所は唯一、“俺はホントに必要とされてるんだ”ってリアルに思える場所なんですよ。実は僕らが元気を与えてるように見えて、1番元気をもらってるんじゃないかなって、常々思うんですよね」
 
 
Text by 奥“ボウイ”昌史
 



(2013年3月15日更新)


Check

Release

あの歌声とメロディが帰ってきた!
熱いメッセージに鼓舞される全10曲

Album
『栄喜Ⅰ~encouraged~』
発売中 3000円
SMALLER RECORDINGS
XQIY-1115

<収録曲>
01.あのゴール成し遂げる所まで
02. Start
03. Never Die
04.抱き締めたい
05.愛を言葉で  
06.降り出した雨
07.ベロベロバー
08.Stop
09.一輪の花束
10.時の流れ

Profile

ヒデキ…'95年にSIAM SHADEのボーカリストとしてメジャーデビュー。'97年にシングル『1/3の純情な感情』で大ブレイク。90万枚を超えるセールスを記録。その後も'02年に惜しまれつつも解散。その後、ソロ活動、ACID、DETROXとしてのバンド活動を経て、'12年、本格的にソロ活動を再開。より開かれたサウンド&メロディと共に、同年11月にソロ復活第1弾シングル『栄喜e.p.』を発表。今年1月にはフルアルバム『栄喜Ⅰ ~encouraged~』をリリースした。

栄喜 オフィシャルサイト
http://www.hidekixxxrock.com/pc/


Live

黒夢の人時(b)らを交えたバンドで
全国を巡るレコ発ツアーも中盤戦!

Pick Up!!

『栄喜 TOUR 2013
~encouraged?~』

【大阪公演】
チケット発売中 Pコード190-267
▼3月17日(日)18:00
umeda AKASO
オールスタンディング4500円
キョードーインフォメーション■06(7732)8888
※3歳以上は有料。

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【福岡公演】
チケット発売中 Pコード190-267
▼3月20日(水・祝)17:00
Fukuoka BEAT STATION
立見4500円
キョードー西日本■092(714)0159
※3歳以上有料。

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【東京公演】
チケット発売中 Pコード188-605
▼3月30日(土)18:00
Shibuya O-EAST
立見4500円
H.I.P.■03(3475)9999
※3歳以上はチケット必要。

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