吉井和哉が狂騒のバンド時代を経てたどり着いた
喜怒哀楽にまみれたこの10年を語り尽くす!
いびつで美しい名曲群を宿したソロ初のベスト盤『18』
撮り下ろしインタビュー&動画コメント
THE YELLOW MONKEY以降、YOSHII LOVINSON、そして吉井和哉として活動してきた10年間の日々の集大成に新曲を加えた初のベストアルバム『18』がリリースされた。思えばYELLOW MONKEYの最後のステージとなった東京ドームで吉井は、5万人に上る聴衆を前に「数え切れないほどの希望と絶望と興奮をありがとう」と言い放った。個人的な印象だが、それは聴衆への感謝というよりも、別れの挨拶にしてはとても鋭い言葉を投げかけたように感じていた。YOSHII LOVINSONの最後のシングル『CALL ME』のミュージックビデオで戦車に腰かけた吉井の、表情を失ったような顔にも、吉井和哉名義での初シングル『BEAUTIFUL』のどこか寒々とした世界にも、先のMCで感じたひんやりとした鋭さがつきまとっていたように思う。それから月日は経ち、今、改めて編まれた『18』で出会う懐かしい楽曲群は、いつの間にか生々しく熱い血を湛え、新しい命を宿して耳に飛び込んでくる。忙しく過ぎていく日々を豪快に奮い立たせる『ビルマニア』。起き抜けのようにけだるい歌声が、日常にささやかな幸福感をくれる『LOVE&PEACE』。そして『TALI』に横たわる、哀しみの中に微かに息づくあたたかさ。吉井和哉の音楽がこれほどまでに人の生き様に寄り添う豊饒な音楽であったということを、今回のベスト盤で思い知らされた。狂騒のバンド時代はとっくに終わり、地に足の着いたロックスター、吉井和哉の奏でる喜怒哀楽にまみれた生命力豊か(で少しだけヘン)な音楽は、これから先に新しく素晴らしい未来が広がっていることを予感させてくれる。
話し声もイイ! 吉井和哉からの貴重な動画コメント
――昨年末の『.HEARTS TOUR』最終日の大阪城ホールに行かせて頂いたんですが、これまで何度も聴いてきた曲が、あの日のライブでは今まで以上に雄々しく、力強く伝わってきました。
「確かに初日からそういう“雄々しい”みたいなことは言われ出しましたね。演ってる曲はこれまでのライブとそんなに変わらないし、僕も不思議に思ってたんです。ただ最初は賛否というか、いわゆる今まであった“危うさ”みたいな、セクシーさがないとか言われて(苦笑)。“タバコやめたからかなぁ?”とか思ったんですけど(笑)。と言うのも、セクシーさとかどうこうよりも、心身共に健康的になったのかなって。ちょうど去年の秋ぐらいから自分でも変化してきたとは思っていて、筋トレもしてたから声の出方や体の軸も今までとは違ってたと思うし、そういう見た目の変化から音も変わってくるでしょうし。ライブは『20 GO』(Disc1:M-7)から始まったんですけど、あの曲をリリースした頃(‘04)はすごく心配されたし(笑)、これまで結構殺伐とした曲も出してきたと思うんですけど、あのツアーではそんな風には聴こえなかったみたいで。『20 GO』も『ノーパン』(Disc2:M-5)も新曲も、同じスタンスというか、同じ吉井和哉の曲として肉感的になったような気がしますね」
――確かにそう感じますね。それは今回のベスト盤『18』にも通じると思うんですが、吉井さん自身が選曲されたんですよね。どの曲を入れるか悩まれたんじゃないですか?
「いろんなパターンを考えたんですけど、YOSII LOVINSON時代はDisc1に、吉井和哉はDisc2に。それに、新曲『血潮』(Disc2:M-3)『HEARTS』(Disc1:12)と新録音の『点描のしくみ』(Disc2:M-1)『煩悩コントロール』(Disc2:M-2)、カバー曲『朝日楼(朝日のあたる家)』(Disc1:M-11)を収めたミニアルバムに、ベストアルバムがくっついてるような発想で考えていったら、曲順もすんなり決まっていきましたね」
歌っていうものはいろんなシチュエーションで舞台が変わるし
主人公も変わるし、聴く人によって世界が変わる
――初回盤のDisc3はライブテイク10曲に加えて、過去にファンクラブ用に発表された『ギターを買いに』(Disc3:M-13)など、貴重な3曲が収録されていますね。
「その内の『甲羅』(Disc3:M-12)は、元々は『トブヨウニ』(Disc1:M-5)のカップリング『BLOW UP CHILDREN』の別バージョンなんですよ。別メロディで別歌詞なんですけど、まだ他に5バージョンぐらいあって。それぐらい1曲に手間暇かける楽曲もあまりないというか、まぁ言ってみれば歌にも歌詞にも納得がいかなかったんですよね。最終的には『BLOW UP CHILDREN』になりましたけど、途中経過も見てもらいたかったのと、この歌詞は当時の僕をすごく象徴していることもあって、入れさせてもらいました。“乗っかった過去の甲羅キレイにはならない/だけど私は過去には隠れない”。甲羅にはコケとかいろんなものが付いてるけど、その甲羅に私は隠れないと。この曲は、すごい山奥で1人で悟ろうとしているんですよ(笑)。『中国亀』っていうタイトルのときもあって、“さすがにそれはないだろう!”って事務所の社長にも言われましたけど(笑)」
――その発想はどこから来るんでしょう?(笑)
「そのときは老人になろうとしていたというか…見た目も老人みたいだったって言われましたし(苦笑)。何かもう、悟りたかったんでしょうね。若さとか肉欲とか欲望とかがイヤで、“欲望などいらないよ”って歌詞もありますけど、もう“全部いらない! ロックスターとかもヤだ!”っていう時期でしたね。“もうチンチンなんかいらない! 取れちゃえばいいのに!”って(笑)」
(一同爆笑)
「それまでは“ロックスターになりたい”と思って、そういう曲も作ってきた20代~30代前半だったんですけど、ロックってやっぱり魔物じゃないですか? なかなかそう簡単にやめられないというか、特に僕の世代なんかは“死ぬまでロックンロール!”みたいなところもあると思うんですけど、その頃は“こんなもの(=ロック)があるから人生が狂うんだ!”とか思っていて(笑)。いろいろ上手にやれれば良かったんですけど、当時はまだ若かったこともあって“ロックスターになろう”と思うと、とことんそう思ってしまうタイプなんで、“家庭人”と“ロックスター”っていう振り分けがうまく出来なかったんですよね」
――24時間、“ロックスター・吉井和哉”としてあらねばと。
「そう。曲も家で書きますしね。常に“ロックスター・吉井和哉”だったんで、何かそれじゃいかんなってことで。当時は一線を退いてCDも出来たらインディーズで出して、通販で売って生活をしようかと思ってましたから。『北の国から』の田中邦衛さんに憧れてましたからね(笑)。でも、言い替えれば、僕はいわゆる肉食のドぎついロックも好きですけど、どこか草食なアンビエントな音楽も好きで。そういう部分を少し出せればなと思うところもあって、『BEAUTIFUL』(Disc1:M-8)とか『MY FOOLISH HEART』(Disc2:M-9)はそういうアコースティックな部分を目指していたんですよね。でもさっき言ってたYOSHII LOVINSON時代って、ちょっと人里離れたところで生活してましたけど、あのときに作ったものは今でも好きですね。すごくストイックだったけど、ロックって必ずしも、酒を飲んで女のコを口説いてってことじゃないというか、若い頃はそういうこともあるかもしれないけど、すごくストイックなものがないと、ロックにはならないものなんだなと思いますね」
――なるほど。
「YOSHI ILOVINSONを経て吉井和哉の第1弾シングルが『BEAUTIFUL』で、『MY FOOLISH HEART』はそのカップリングだったんですけど、この曲は今回はどうしても外せなかった。当時は公私共に多分一番落ち込んでいたときで、正直、何でこれが吉井和哉の原点というか、スタートになっちゃったんだろうなとも思ったんですけど、“もしかしたら今の状況にこの先のヒントが隠されているのかもしれない”とも思ったんですよね。その悲しさにはちゃんと理由があるというか、大人になると楽しい出発だけじゃないんだって。そういう悲しかった思い出とか場所も、いつか笑える日が来るのかなって」
――そうだったんですね…。
「あの曲はスコットランドでジャケットとミュージックビデオを撮影したんですけど、“もう二度と行きたくない”って思うぐらい寂しくなっちゃったんですけど、今は…行きたいんですよね。むしろスコットランドでアルバムを1枚作りたいぐらい(笑)。不思議だなぁと思いますね」
――当時の吉井さんを完全に超えたんでしょうか。
「ですかね。同時に『BEAUTIFUL』と『MY FOOLISH HEART』は一番理想としていた音でもあるんですよね」
――どちらも純粋にいい曲ですよね。
「切実な歌ですね。一番切実かもしれない。特に『MY FOOLISH HEART』は、“愚かなり我が恋”って邦題が付くぐらい浅はかな男の歌ですけど、“俺は決して逃げ出さないから”っていう、周りの人たちへの決意表明みたいなものでもありますし。だから今聴くと…イイ曲ですね(笑)。それこそライブでもほとんどやってなかったですし“歌いたくもない!”みたいな曲だったけど、震災の後のツアーで久しぶりに歌わせてもらって。その都度、歌の意味が全く変わるというか、歌っていうものはいろんなシチュエーションで舞台が変わるし主人公も変わるし、聴く人によって世界が変わる」
――それは、歌っているご自身にとってもそうですか?
「そうですね。震災後のツアーで歌ったときは、作った当時(震災前)の悲しかった気持ちなんてとっくに忘れていて。聴く人を勇気付ける曲としても成り立っているんだなって」
10年かかって、ロックというのはジャンルではなく
魂のことを言うんだっていう結論に達したんです
――さっき、ロックスターの話が出ましたが、ステージの吉井さんは、紛れもなくそれだと思うんです。例えどんなに情けない歌を歌ったとしても、くだけたMCをしても、こんなにもロックスターな人はいない。プライベートを持ちながらも、どこかでそれを引き受けたんじゃないかって。
「例えばミック・ジャガーはロックの王様と言っていい存在で、若い頃に散々いろんなことをやってきたけど、多分今はタバコも吸ってないし、お酒も飲まず食事はお水とサラダとペリエみたいな感じでしょう。でもロック出来ているし、むしろそうじゃないとロックは出来ないのかなって。ストーンズのスタッフの方が言ってたらしいんですけど、“彼らはいろんなことを散々やったけど、唯一やめなかったのはローリング・ストーンズだった”っていう名言があって。ロックってそういうことなんだなってすごく思ったんですよね。ビートルズのようにプライベートとロックスターの狭間でなくなってしまい、その後メンバーそれそれが苦悩するっていう代表的な例もあれば、ストーンズのように生涯バンドを守って成長していくっていう2つの教科書があるじゃないですか? ソロのスタートは、自分にとって“ロックとは何ぞや?”っていう問いかけだったとは思うんですね。10年かかって、ロックというのはジャンルではなく、そういう魂のことを言うんだっていう結論に達したんですよね。なのでガンバってそれを忠実に守りながら、次のステップを踏みたいと思っています」
――『YOSHII CINEMAS』として劇場公開もされ、今回の初回盤にも収録されているドキュメンタリー映像集『LOST-誰が彼を殺したか-』の中でも、“パンクとかジャズとかじゃなく吉井和哉っていう音楽をやりたい”と言われてましたね。
「前は、“パンクの曲を作ろう”とか“ジャズっぽい曲を”って思ったんですけど、そこに“吉井和哉”っていう灰汁(あく)みたいなもの、“吉井さんしか出来ないよね”っていうようなものが乗ったときにOKテイクになるので、結局そういうことなんでしょうね」
時間って本当に薬になると思うんですよ
――今回のベストで改めてソロデビュー曲『TALI』(Disc1:M-1)を聴いたとき、じんわりとあたたかなものに包まれる感じがしました。10年前にこの曲を聴いたときには全くそんな風に思わなくて、時間が経つことで見えてくるもの、分かることがあるんだなと。
「そうですね。僕は10年かかって、このベスト盤でようやく1stアルバムが出来たような気がしていて。人によっては3ヵ月で準備が済む人もいれば、5年で出来る人もいるんでしょうけど、僕は10年かけてようやく心の散らかったものを片付けて、“自分の得意なものはこれでした”っていうものが出来たんですよね。ただ、『HEARTS』の詞にもありますけど、追いつけないほど遠くへ行ったつもりでも、たった1センチしか進んでないかもしれない、とも思うんですよ。今回『HEARTS』と『血潮』と『朝日楼』のカバー、この3曲はすごいデカかったですし、もしそれがなかったらここまで体温の高いベストにならなかったと思います。その3曲が出来たことで、一回シメるタイミングなのかなと思いましたね。遠回りしたけどようやく出来た感じがあるし、新曲の『血潮』はまさにそうで、結局あの感じが自分の得意なことだったっていう(笑)」
――資料では“自分の中のジプシー・キングス感”と語られている曲で、ひときわ色鮮やかで力を感じる曲ですよね。
「ジョシュ・フリーズ(ds)とクリス・チェイニー(b)も参加してくれていて、YOSHI ILOVINSONの初期と同じ作り方なんですけど、(1stアルバムの)『at the BLACK HOLE』(‘04)にはない熟成度があると思うんですよね。それはやっぱり10年かけてやってきた熟成、10年モノのお酒みたいな感じ?(笑)。でもまだ10年ですけどね」
――十年一昔ともいいますが。
「ねぇ。そのときはすごくリアルな悩みだったり問題だったりした部分が、10年経つと本当に一昔前になるんだね。っていうか、時間って本当に薬になると思うんですよね。時が経っていろいろ浄化されたんじゃないですかね」
――今は昔ほど悩んではない?
「全然。逆に“もうちょっと悩んだほうがいいんじゃないか?”っていうぐらい(笑)、毎日毎日楽しいですね」
――それはある日突然にそうなったんでしょうか? それとも徐々に?
「徐々にですね。というか、今思えば別にYOSHII LOVINSONの頃もたいして今と変わらないというか、単に人間としての器が今よりは小さかったのかな。“そんなことで悩んでたんだ”っていう(笑)」
――個人的には『WANTED AND SHEEP』(Disc1:M-4)が収録されていて嬉しかったです。
「これは人気曲ですね。Twitterで“よくぞ入れた!”“分かってるなぁお前”みたいに褒められているのを見ました。“分かってるなぁ”って俺のアルバムだから!(笑)」
――アハハハハ(笑)。
「雰囲気とかテイクとか歌詞とか、メロディもそうですけど、僕の中でもYOSHII LOVINSONの作品中でベスト3に入る曲ですね。そういえばこの曲、実はスリップノットからインスパイアされて作ったんですよ。要らない情報かもしれないけど(笑)」
――え? えぇ~!?
「スリップノットの『VOL.3(ザ・サブリミナル・ヴァーシス)』(’04)だったかな。リック・ルービンがプロデュースしたアルバムで、スリップノットの中でもカントリー色があって、ジョニー・キャッシュみたいな寂しい男の感じも出ていて。そのアルバムを聴いて即、この曲を作ったんです」
――そんな成り立ちだったとは…。
「僕、アタマおかしいんで(笑)、変換の仕方が他の人とちょっと違うんですよね」
誰かが書いたシナリオみたいに、面白いぐらいに数字が合う
――それと、今回のタイトル『18』もそうですけど、これまでも吉井さんの作品名には数字がたびたび登場しています。さらに今回は、ジャケットの『18』という字を形成しているのがおびただしい量の数字で。
「デビューの日付だったり、誕生日だったり…CDを入れている袋に印刷されている新聞は僕の誕生日のものだったり、2001年の9月11日だったり、何か音楽が出来るきっかけになった日のものが集まってますね。マメなんですよ、僕。細かいんで嫌われるんですけど(笑)。無頓着なところは思いっ切り無頓着なんですけどね」
――記念日は憶えているタイプ?
「私生活の記念日はそんなに憶えてないですけど(笑)、音楽のことに関しては、やっぱり大事なところは絶対に外さないですね。数字好きもそろそろやめようかと思うんですけど、誰かが書いたシナリオみたいに、面白いぐらいに数字が合う。でも僕はリアルに、“もしかしたら人間っていうものをどこかで管理してる人がいるのかな”って、ちょっと思っているところがあって。それを人によっては神と呼んだりするのかもしれないけど、(自分の)行いを見ている人がいると思う。かと言って、僕は自分しか信じてないし、スピリチュアルな話でもないんですけどね」
――誰かに操られているわけでもなく。
「自分の意思で動くんだけど、ちゃんと良いイメージを持てば良くなるし、悪いイメージを持てばそうなる。それだけの力があるんじゃないかって。それは宇宙すらも変えるぐらいの力があるかもしれないなって」
やっぱりバンドが好きなんです
――あと、これまでいろんなメンバーとライブをしてこられましたが、今のバンドのメンバーともいい状態ですね。
「最初の頃は、サポートメンバーっていうスタンスになってしまってたし、ツアーのたびにメンバーが変わった時期もありましたけど、最近はおなじみの顔ぶれみたいになってきて、もはやサポートじゃないんですよね。本当にバンドみたいになっていて、メンバーに説教されたりもするんですよ、“あんなMCしちゃダメですよ!”とかね(笑)。ソロになった当時は“この人は機械か!?”っていうぐらい上手い人と演りたいと思ったりもしたけど、今は人それぞれのグルーヴがあるなって思うようになったかな。(吉田)佳史(ds)のグルーヴ、アニー(g)(=菊地英二)のグルーヴ、その中で信じ合って、お互いのリズムを共有し合って音楽が生まれる。そういう人間同士がプレイする中で生まれる音楽っていうものに、ますます興味が出てきましたね。今回のベスト盤でも、自分でドラムやベースを演奏した『点描のしくみ』とか『煩悩コントロール』にジョシュやクリスが音を入れてくれたことで、一気に人間味が増したし。やっぱりバンドが好きなんです、僕は。何なんですかね!? 現在進行形でバンドをやってる人に限って、打ち込みとかに憧れるのって。バンドでやっときゃいいのに!(笑)」
――ないものねだりですかね(笑)。
「オシャレぶろうとするんでしょうね(笑)。バンドで人間の血が通った音楽ほど、オシャレなものはないのに!」
――(笑)。特典映像の『LOST-誰が彼を殺したか-』の中にも、“これからまた新しい可能性に探しに行きましょう”というMCがありましたが、この先にはどんな展望が広がっていますか?
「これからどんなアルバムを出したいとか、どんな曲調とか、まだ具体的には何も決まってないんですけどね。ツアーが5月まであるんで、そこで皆さんにグッバイして(笑)」
――ツアータイトルの『GOOD BY YOSHII KAZUYA』にちなんで(笑)。
「1人1人にハグするようにお礼を言って、次の作品に取り掛かろうかと。“GOOD”も“GOOD-BYE”もどっちの意味もあり、尚且つ“今までありがとう”みたいな意味も含めてね。ただ、今回のツアーはみんなちょっとビックリするんじゃないかな。“こんな感じになってるの!?”みたいな」
――楽しみです。ところで昨年は、THE YELLOW MONKEYとしてのリリースもありました。ご自身の中ではバンド時代と現在では完全に区切りが付いていますか?
「ふふふ。あれはまぁ…でも解散してるバンドなのに20周年でみんながいろいろやってくれたり、DVDも買って観てくださったりして、すごくありがたいことですよね。ただ、若い頃の自分だから気恥ずかしい部分もあります。もはやあれは自分じゃなくて、別の吉井和哉というか、本当にね、自分の過去としてあまり覚えてないんですよね(笑)」
――そうなんですか!?
「“吉井和哉”っていう誰か別の人がいて、その人の自伝を読んでその人のことを知ってるような、それぐらい違う人。だからすごく贅沢ですよ、2倍の人生が楽しめてる(笑)」
――これから先は、また新しい可能性に向かう吉井和哉ということで。
「もう曲のストックもほとんどないですし、どうなるんでしょうね? どうします? 次のアルバムが『帰ってきたYOSHII LOVINSON』とかだったら(笑)」
――アハハハハ!(笑)
「“帰ってこないで欲しかったー!”みたいな(笑)。さらに坊主頭でめちゃめちゃ太ってて、ランニング着てたりして。それぐらいアイディアも構想も白紙です(笑)」
――とにもかくにも、まずはツアーということですね(笑)。本日はありがとうございました!
Text by 梶原有紀子
Photo by 宮家秀明(フレイム36)
(2013年2月15日更新)
Check