3.11以降を生きる不屈の民に
ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が贈る
全編アコースティックで仕上げた魂の解放歌集
2ndソロアルバム『銀河のほとり、路上の花』インタビュー
東日本大震災の後も、’95年の阪神・淡路大震災後の被災地での動きと同様に東北に出向き、頻繁にライブ活動を行いながら地に足の着いた支援を続けてきたソウル・フラワー・ユニオンの中川敬。3.11を挟んで制作された初のソロ名義作『街道筋の着地しないブルース』に続く2ndソロアルバム『銀河のほとり、路上の花』は、そんな活動の中で綴られた新曲、新たな意味を帯びたセルフカバーに、二階堂和美や高田渡などのカバーも収録。バンドとはまた異なるアコースティックでパーソナルな音楽志向や歌心が、前作以上に豊かににじみ出た新作について語ってもらった。
中川敬からのエネルギッシュなメッセージ動画はコチラ!
――ソロ名義では’11年6月に発表された『街道筋の着地しないブルース』に続いて2作目となりますが、前作とはまた違ったタッチの作品になりましたね。
「そやね。今までニューエスト・モデル~ソウル・フラワー・ユニオンとバンドをずっとやってきて、それぞれに1st、2nd、3rdアルバムというものがあるけれど、今回のアルバムを作りながら感じたのは“あ、オレ、中川敬っていう新しいバンドをやってるな”ということでね。そういう高揚感もありながら、演奏もエンジニアも全部1人でやってるから、マイクの立て方や歌の録り方からギターの弦選びまで(笑)、1stよりもエエもん作りたいという普通の欲求に従って、1人で楽しみながら作っていったね」
――中川敬、という1人新バンドですか(笑)。
「このバンドは、メンバー全員がプロデューサー・中川敬の言うことをホントによく聞いてくれるよ~(笑)。ボーカリストの中川敬も、ギタリストの中川敬も。スケジュールも押さえやすいし(笑)」
――なるほど(笑)。でも、震災を挟んで前作が出たときには、1枚限りの特別な作品と思っていましたが。
「うん。オレも(前作は)正直とりあえず1枚作ってみようという感じで。でも、いつかはアコースティックのソロアルバムを作ってみたいと昔から思っていてね。ソウル・フラワー・ユニオンの『キャンプ・パンゲア』(‘10)を作り終えた直後から、とりあえず1枚作ってみれば自分の中で何かが分かるやろうと、闇雲に録音していったのが1枚目やってん。で、出してみたら結構ヘビーローテーションで聴いてくれる人もいて、しかも、出来上がった作品はほとんど聴き直さないオレまでもが、東北に向かう長距離の車の中でかけてグッときてると(笑)。そこで、オレは単純にこの音楽を気に入ってるから続行するべきやと思えたし、音楽的にも自分が好きなことをやれている実感があったというか。でも、それは実際にやってみるまで分からんかったことやね」
――バンドだけではアウトプットされ切っていなかった中川敬が、今回を機に具現化してきたというか。
「コレも後から分かったことやけど、この10数年ほど、オレはアコースティックな音楽を相当聴いてきてるねんね。アイリッシュ・トラッドや沖縄民謡に始まって、ジプシー・ミュージックにしてもボサノバにしてもそうやし。もちろんソウル・フラワー・ユニオンにもそういうタイプの曲はあるけれど、アルバムの中で1割くらいでの割合やったし、やっぱりバンドで、複数の人間で作るのと1人でやるのは構造自体が違って。バンドの場合は、ある程度曲のアレンジや方向性が練られた上でレコーディングに入るけれど、ソロは1曲上がったらさぁ次は何を録ろうかという進め方やから、先の見えない面白さがあってね。まずは最初にニューエストの『もぐらと祭』(M-11)のセルフカバーを録ったから、次は1月に一緒にツアーをやったニカちゃん(=二階堂和美)の『女はつらいよ』(M-6)を録りたいなとか。そうやって日常の思い付きで進めていくことで、結果的に中川敬の1年間の日常の澱(おり)みたいなものが立ち上ってくるという作り方は、バンドではなかなか出来ないことで」
――そうですね。中川さんの'12年が、シンプルかつリアルな形で1枚に投影されている感じがします。
「あとは現実問題として、去年は原発再稼働反対の抗議とデモに合計で50回くらい参加していて、それもオレの日常やなと。もし原発が邪魔しなかったら今回のアルバムも新曲だらけになっていたと思うけど、曲を書く時間がなくてセルフカバーがやや増えてしまったことも含めて’12年のオレやな、という感じで作っていたかな。『海へゆく』(M-4)や『そら ~この空はあの空につながっている』(M-3)のセルフカバーは、ちょっと違う理由で収録したけれど」
――というのは?
「震災後から東北に頻繁に行くようになると、三陸海岸の方で被災した連中のなかにニューエスト時代からのファンが結構多くいてね。年齢的にはだいたい40代前後だから、遺体の収容とか復旧作業でも一番キツい仕事をやらざるをえない世代でもあるんやけど、彼らから“遺体の収容のときにずっと頭の中で『そら』が鳴っていたんです”とか“ガレキの中で泣きながらずっと『海へゆく』を歌っていました”という話を聞いて。この辺の曲は2枚目のソロを作るときには絶対にセルフカバーで入れようと思ってた。3.11より前に書いた曲やけど、オレにとっては意味が書き換えられた曲というか」
――サウンド面では、曲によって大熊ワタル(cl)や太田恵資(vl)、ソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉(acod&syn)などが加わることで前作以上に色彩感が増していますけれど、ゲストが入ってもかつてのソウルシャリスト・エスケイプやアコースティック・パルチザンなどの形態とはまた違ったものになっていますね。
「うん。以前のその辺りとは違うことをやってる感じかな。これからいろんなことを試していくと思うから決め付けるつもりはないけれど、オレとしては“1人トラッド・バンド”をやってる感じ。自分1人の多重録音の部分も多いし、自分好みのトラッド・バンドを作ってるような感覚が強いね。でも、このためにわざわざ新しい楽器を買って練習したりじゃなくて、今自分の手元にあるものでやるというコンセプトも漠然とあって。となると、アコギと三線やね」
――ギタリスト・中川敬の多彩さもソロでは強く出ているように思いました。アイリッシュ・トラッドや日本民謡調から、南米フォルクローレの楽曲まで。単なる弾き語りフォーク的なものとは、やはり一線を画していて。
「そこにはあまり注目してもらえない(笑)。ただ、今回のアルバムを作りながら面白かったのは、自分の音楽の原風景って、すぐにビートルズとかローリング・ストーンズとか言ってしまうけれど、その前にオレは小学校高学年のときにガットギターを手に入れて触り始めていて、『明星』の歌本とかを見ながら、チューリップやら山口百恵の曲を弾き語っていた自分を思い出せたりもしたことでね。より中川敬のパーソナルな部分に自分でも立ち返れる感じがあって、やっぱりオレのルーツって広義の意味での“歌謡”にあるなと思えたのもあったね」
――前作もそうでしたけど、今回のソロで奏でられる歌は震災後の日本の状況にもフィットするというか。単なるバンド活動のサブワーク的なアコースティック・アルバムとは違う強さと必然性があると思います。
「まぁコレは奇妙な符合なんやけど、’95年1月17日の阪神・淡路大震災が起こる1~2ヵ月前に、三線の練習を真剣にやり始めていたところにああいうことが起こって、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットとして被災地を回ることになって。今回は3.11の前からアコースティックなソロを作り始めていたところに震災が起こって、結果的にアコースティックギターを持って東北に演歌や歌謡曲を歌いに行くことになってね。ある種の使命というわけではないけど、誰かに背中に押されて“やれよ”と言われてるというか。オレはスピリチュアルな男でも何でもないけれど(笑)、そういうもんやねんなと思って引き受けてやってる感じはあるかな」
Text by 吉本秀純
(2013年1月11日更新)
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