無謀なる挑戦? はたまた夢の第一歩!?
注目のシンガーソングライター・上田和寛が挑む
決意の4.21(土)大阪城野外音楽堂初ワンマン
怒涛の音楽人生を語り尽くすインタビュー&動画コメントが到着!
切なくも力強い天性の歌声、聴く者をあたたかく包み込む涙腺直撃のグッドメロディ、そして、日々に目を落とした共感性の高い詞の世界で、関西のインディーズシーンでじわじわと認知度を高めるシンガーソングライター、上田和寛(うえだ・たかひろ)。昨年6月には、オセロケッツ/The Ma’amの森山公一をプロデューサーに迎えた代表曲『いま僕にできること』を含む、1stミニアルバム『Familication』をリリース。同作に伴う心斎橋BIGCATでのワンマンライブには500人以上を動員! 当初はまだ無謀と思われた規模のワンマンライブを、見事成功に導いた。そんな彼が4月21日(土)には、なんと2000キャパを越える(!!)大阪城野外音楽堂にてワンマンライブを開催する。
かつて大規模フェス『a-nation』にも出演を果たし前途有望だったバンドを活動休止させて以来、サラリーマンを辞め、決死の覚悟と決意のもとソロアーティストとしての夢を追い始めた彼。飾らない王道のソングライティングながら、彼の歌が人の心を揺さぶって離さないのは、外野の野次にも周囲の嘲笑にも負けない、揺るぎないまでの“まっすぐさ”だ。彼が人生を懸け自分に課したこの大いなる挑戦は、夢へのカウントダウンのスタートと成り得るか!? そこで、運命の4.21まであと1ヵ月と迫った今、上田和寛の音楽人生を語り尽くすロングインタビューを敢行。誰もがそこを一歩踏み出せば、目の前には別世界が待っている。日々をひたむきに生きる全ての人に捧ぐ、この“愛すべきバカ野郎”が巻き起こすドラマの始まり、とくとご覧あれ!
あの場所で即興ソングも披露!? 上田和寛からの動画コメント!
――今回はいろいろと上田くんの人生をさかのぼって聞かせてもらいますけど、まず“なぜ野音なのか?”という、根本的なところを聞いておきたいなと。
「昨年の7月、心斎橋のBIGCATでワンマンライブを決めて。で、その後に何も控えてなかったら活動が尻すぼみしていくんちゃうかなって考えてたら、マネージャーのだいちゅーが、“上さん、野音いきましょう”って」
――え?(笑)
「もちろん“何言ってんねん”と。バンド時代に
『KANSAI LOVERS』にソロで出て、野音のデカさは知ってるから。そしたらだいちゅーが、“あ、やらないんですね”って。そう言われると“いや、やるよ!”って言い返してた。それがきっかけです。もう乗せられた(笑)。マネージャー・だいちゅーのふっかけによって始まった話ですね」
――’09年と’10年の『KANSAI LOVERS』で野音のステージに立った以外に、例えば誰かのライブを観に行ったとか、野音自体に思い入れはあったん?
「それが全然なかった(笑)。ただ、野外ライブがめっちゃ好きっていうのと、野外でワンマンライブが出来る画を思い浮かべたときに、すげぇ面白そうやなって思ったんです。よくビビらずに決めたなって言われるんですけど、“埋まったらどうなんねやろ?”とか、そういうワクワクの方が大きかったから。全然後悔もしなかったし、やるしかないなって」
――ポジティブよね。人が呼べなかったときのことじゃなくて、人で埋まったとき、楽しい方を考える。
「結構、根拠のない自信をすぐ持つ方で(笑)。けど日が迫るにつれて、イメージしてたほどチケットも売れないしなかなか広がらない。去年の12月ぐらいに、
ブログで“実は今こんな状況なんです”と弱音を吐いたことがあって。当初はだいぶヘコんでたんですけど、まぁヘコんでても仕方ないので、まず現状を書こうと。実はこれだけしか売れてない。でも、ここで諦めるんじゃなくて、逆にコレをもうおっぴろげて、そこから奮い立たせようと。その日から、チケットが今リアルに何枚売れてるかを、常にブログに載せるようにしたんです。それこそホンマにやるしかない。もう数も見せてるし嘘もカッコもつけようがない。それですごく吹っ切れて、今の現状をあらわにステージでも出していったらそれが響くようになって、それまでとは比べものにならないペースでチケットも手にしてもらったりして。なんか…既に奇跡みたいなものを見てるんです。このままいくと、最初に思い描いてた2000人の笑顔に届くんではないかって、今はまたそのワクワク感でポジティブになってる」
――2000人の笑顔で、あと1500人足りひんとか(笑)、リアルに分かるもんね。それを見た人は、“え、全然いってへんやん!? 大丈夫か”って他人事じゃなくなるかも。最初に数字を発表したときは、あと残り何枚やったん?
「残り1800。12月の時点で」
(一同爆笑)
――全然売れてへんやん!(笑) でも、それで言うと上田くんは常に目標を立てるんやね。例えばBIGCAT、例えば野音。それはリリースでも、有名になりたい気持ちでも、海外でライブしたいとかいろんなベクトルがあると思うけど、上田くんは常に自分が進む先に明確な区切りとなるポイントを置いて、そこに向かうやり方を選ぶ。
「まぁ単純やから…(苦笑)。もう今の時代“メジャーに行く”とか言っても、結局ぼんやりしてる。それやと目的地は定まってないのと一緒やから」
――まぁ人にも環境にも左右されるしね。
「具体的に見えるものを目標にしたら、やっぱりそれなりにそこに向けて頑張らないと成功は有り得ない。逆にそういう目標がなかったら、ホンマにフラフラするタイプやから。もうサボれるだけサボるんで。そういう意味では目標があることは自分的にはありがたいというか。頑張れる理由がそこにあるから」
俺は音楽…やっぱり絶対辞められへん
――ここでそもそもの上田くんのルーツを知りたいんやけど、さかのぼると音楽を始めたきっかけって何なんかな?
「兄貴が2人いるんですけど、上の兄貴の
上田起士(タツジ)は作家で、今はもうブイブイ言わしてて(笑)」
――AKB48とかにも曲を提供してると。
「次男は今はもう音楽は全くやってないんですけど、若い頃はギタリストとして活動していて、“お前ちょっと歌わへんか?”ってバンドに誘ってくれたのが僕が21のとき。じゃあちょっと趣味でやってみるかってステージ立ったらもう、抜け出せへんくなった。こんなに楽しいものがあるんやって」
――上田くんは歌が上手いっていうのは、周りの認識的にはあったってこと?
「あったかもしれないです。と言うのは、元々歌うことがむっちゃ好きで。エスっていう犬を飼ってたんですけど、散歩のときに必ずMDウォークマンを聴きながら毎日大声で歌って、毎日近所から苦情が来るっていう悪循環(笑)」
――そんなデカい声で歌ってたんや(笑)。
「もうガンガン歌って(笑)。それで結構喉が強くなったのもあるんですけど。小っちゃい頃から歌うのが大好きで、ただその道に進むなんてことは全く想像してなかった。上の2人はずっとバンドをやってて、僕は小学校3年から高校まで9年間ずっとサッカーやってたんで」
――当時、大声で歌ってたその歌は、誰の歌やったん?
「岡村靖幸」
――マジで!?
「もう大好きで。その長男の起士(タツジ)がいろんな音楽を教えてくれて」
――岡村靖幸の面影ないやん。上田くんの今の音楽に。
「けど、やっぱルーツにはありますね」
――そら犬の散歩しながら岡村靖幸を大声で歌ってたら、警察呼ばれるかもなぁ(笑)。
「今はポップなんですけど、外れろって言われたらいくらでも外れられる。靖幸方面に行けと言われたら…」
――すぐにでも大好物のほうに行けるよと。
「そう。だから昔の音源とかはエグいです」
マネージャー・だいちゅー「もうめちゃめちゃぶっ飛んでました。キャッチーさゼロです」
――そんな音楽性やったのが、今はなぜこんなど真ん中の歌モノに寄ってきてるのか?
「いや~全然受けへんから(笑)。そらこっちから寄らなあかんなって。でも、自分の中でも結構それが心地良くて」
――なるほどね。小中高はサッカー漬けで、高校も卒業しましたと。それからは何を?
「造園屋です(笑)。でも、就職したはいいけど、自分は人より肌が弱いのを、造園業に就いて初めて知って」
――アハハハハ!(笑) かゆくなると。かぶれると。
「親方は全然かぶれへんのに俺だけかぶれると(笑)。病院に行っても、“いやもう、あなたは皮膚が弱いから”って」
――体質だと(笑)。
「“それはもうどうしようもない。耐えなさい”と(笑)。けど、耐え切れず1年で辞めて。それからはもう就職という形はもう取らずに、バイトを転々と。パチンコ屋のバイトは思ったより…サラリーマンぐらいは稼げたから。時間も休みも自分で決められるし音楽も出来るから、コレはええわって」
――そこでさっき言ってた兄貴に誘われてバンドが始まると。でも、21からバンドって結構遅いやん。それは結局どういう風に進んでいったの?
「
BOOBY HEADっていうバンドやったんですけど、当時SPLAYとかと一緒にオムニバスCDにも収録されて、そこから2組ぐらいメジャーにも行って。結構いい線いってたと思うんですけど、最終的には解散しましたね」
――解散の理由は?
「それは、完全に僕が理由で。状況的に、バンド中心の生活になるのがやっぱりちょっとキツくて。で、“抜ける”と。でも、みんなは“ちょっと待てよ”と」
――そら、みんなは夢を追いかけてるからね。
「でも、やっぱバンドには戻られへん。それで最後に、家族の前で“音楽辞めるわ”って伝えて。でも、その“辞める”って言ったときに、なんか…自分の中ですごい衝撃があって。“辞めるって…俺本気で言ってんのか!?”って。そのとき、“俺は音楽…やっぱり絶対辞められへん”って逆に確信して、涙がドワ~って出てきて…」
――うんうん。
「やっぱ俺は音楽が好きなんやって。だから、バンドにもう1回集合してもらって、“やっぱり続けたい”って伝えたんやけど、逆にその数日間の間にみんなもそれぞれの人生を考えてて。リーダーの兄貴が、“いや、解散しよう”って」
――えええええ!(笑) その間に辞めるに傾いたヤツが他にも出てきてしまったんや。
「そう。みんな将来を考えるようになって。まぁ全員一致ではなかったけど、発端は僕やから」
――上田くんが言い出さへんかったら。
「夢だけを見れてたのに、現実を見てしまって。まぁ兄貴が一度言うたら絶対曲げへんから」
――ちなみに、2番目の兄貴の名前は何て言うの?
「上田哲啓(アキヒロ)って言って」
――名前の字、両方似てるやんコレ(笑)。
「似てる。めっちゃ似てる(笑)」
――上田くんの兄弟は全員読みずらい名前やね(笑)。すぐに読めへん。和寛で“タカヒロ”も普通読めへんでしょ。
「起士(タツジ)も結構…」
――起士(タツジ)はもう…間違えて読むことすら出来へん(笑)。“キシ”でもないし“オキシ”でもないし(笑)。
「ただ、母さんがね。ひらがなで“たま”っていう(笑)。もう一発で読める(笑)」
(一同爆笑)
――何なんそれ!(笑) うわ~めっちゃおもろいな(笑)。そんな昔の人ちゃうでしょ! オトンは?
「オトンは…まぁ普通に、博紀って書いて“ヒロノリ”」
――それもちょっと一癖あるね(笑)。しかしこんなネタ持ってたとは…。
「ちょっとフルネームでオカンの名前1回書いてみてください。この単純さ(笑)」
どこかで歌うのは…運命やったんかなって
――BOOBY HEADが解散して、音楽を続けたいという気持ちがハッキリした。じゃあどうする?と。
「そこから1人で、アコギ1本で、とりあえずやってみようと。だから実は今のソロって第2部なんです。そしたら、解散したのを聞きつけてさっきのオムニバスのレーベルがすぐデモCDっぽいのを作ってくれて。今度は上手いこといくかな~と思ってたら、全然音沙汰なしみたいな」
――そもそもの音楽をやるモチベーション…例えばメジャーデビューしたいとか、何を目標にやってたん?
「いや、ホンマによく分からない…もう歌が好きなだけというか」
――今は目標がないと無理やのに、そのときはなくても音楽をやれてたんや。
「だから、それなりのことしか出来なかったというか。もう好きなときに歌って、しんどければ休む。曲も作りたいときに作って、浮かなければ考えない。たまにライブに誘ってもらって出て、動員を頑張った記憶もなく(苦笑)」
――ただ歌えたら幸せみたいな。
「そうそう。ホンマに今思えば趣味の延長で。でも、心のどこかでずっと、“絶対誰かが俺の歌に気付いて拾われる。いつかテレビに出てチヤホヤされる”みたいに、めっちゃ甘い考えでいたと思うんですよね。その調子で1年くらいやってたけど、まぁ当然のごとく何も起きない。そのときに、後にリフレインというバンドを組むことになるギターの黒木くんが、僕のライブを観て“バンドやりませんか”って誘ってくれて。その黒木くんの知り合いで、今はマネージャー&ドラムをしてくれているだいちゅー、同じスタジオで働いてるベースの吉田くん、みたいな感じで形が出来て。僕もどっちか言うたらバンドがやりたかったので、心機一転リフレインを始めたら、むっちゃくちゃウケて。これにはビックリした」
マネージャー・だいちゅー「もう、意味が分からなかったです。何も宣伝してないのに、ワンマンとかもいきなりプレイガイドで50枚とか出て(笑)」
――ソロを1年やって、新しいバンドであるリフレインに移行して。それこそさっきのど真ん中の歌モノへの意識が出てきたのはどの辺りから?
「リフレインからですね」
マネージャー・だいちゅー「BOOBY HEADはめっちゃアンダーグラウンドでしたからね。ソロもですけど」
――そのタイミングでど真ん中にシフトしたのは何かあったん?
「まぁ…売れたいっていう(笑)。野心もあったし。その頃、アジカンとかがすごい流行ってて、ドンピシャで好きになって。ロックやけどキャッチー、でもグッと入ってくる。その影響も結構ありましたね」
――なるほど。そもそも別に歌が上手くても=曲が書けるわけじゃない。何で曲を書くようになったんかな?
「初めて曲を書いたのが中2なんですよ。まだバンドも何もしてない、けど音楽には興味があって。人の曲ばっかり歌ってたんで、自分の曲を作ったらどうなるんかな?って。そのときに兄貴にギターを教えてもらってスリーコードだけ覚えて、それで1曲作ったんです。それ、今でも覚えてます。もうメロディも歌詞も全部。『愛を告げに行こう』っていう歌なんですけど」
――おぉ~愛も何も…ガキのくせに!みたいな(笑)。
「アハハハ(笑)。それで、友達を5人ぐらい家に呼んで、“ちょっと大変なことが起きた、曲が出来た”ってみんなに聴いてもらって。そこで“すげぇやん!”みたいな反応もあって、ちょっと快感を覚えたというか。あと、兄ちゃんにバンドに誘ってもらってステージに立つまでに、歌う快感を得る機会が結構あって。その中でも一番の瞬間っていうのが、これも中1か中2なんですけど、いとこの結婚式で。上田兄弟3人で歌を歌うことになって、“和寛お前がメインで”って、SING LIKE TALKINGの『Spirit Of Love』を3人でハモったんです。そしたら、そこにいる全員からブワ~ってスタンディングオベーションが起きて。何コレ!?っていうそのときの感動が、やっぱりずっと残ってて。サッカーをずっとしてたんですけど、どこかで歌うのは…運命やったんかなって」
本気の姿勢を見せられたら、本気じゃないヤツは太刀打ち出来ひん
――ギターロック・ブームの中でリフレインが動き出して。当初はもちろんバンドで成功しようと思ってたわけで。
「そうですね。でも、音楽って誰かと寄り添いながらやっていくものじゃないですか? けど結局、“我がが我がが”というか、努力する間もなくウケちゃったので、結構天狗になってしまって…」
マネージャー・だいちゅー「活動し始めて半年で難波ROCKETSでワンマンをしたんですけど、何も頑張ってへんのに200人とか入って」
「だいちゅーが“上さん! 人が並んでます! 列が出来てます!”って。それまでもメンバー全員がそれぞれバンドをやってたけど、そんな経験ないから。何が起きてるか分からんかったけど人気があるのは確かやったから、もうこのまま突っ走ろうと。それなりに業界の方からも声が掛かってきて、けど、ことごとく去っていくっていう(笑)」
――才能に寄っては来るけど、決まりはしないという。
「その理由も当時は分からず。けど、だいちゅーはその頃から薄々分かってたと思います。結局、思い返したらこっちの姿勢がそら無理やろっていうぐらい失礼やったし、感謝の気持ちもなくて…。でも、曲に関してはすごくシビアに、いいモノにするためにすごく考えて考えて作ってたんで、音楽さえ良ければいいと思ってた。大事なのはそこだけじゃないのは、今となれば分かるんですけど。音楽で寄ってきても人間で離れていくパターンがずっと続いて。でも、最後にすごく大きな話が来て」
――超大手事務所から声がかかってね。
「ライブを観に来てもらって、ご飯に行って。そこでコソっと、“お前1人だけやったら面倒見たるぞ”って言われて」
――じゃあそこで上田くんが“はい”って言っときゃ、あの巨大なレールに乗ってたんや。
「乗ってます、確実に。そのレーベルも始まったばっかりで、もうやる気満々な感じやったんで。けど、“僕らはバンドなんで、もう1回だけ、みんなでやった演奏を観て欲しいです。チャンスをください”って言って。なのにその運命の日に僕、声ガラガラでボロボロやったんすよ(苦笑)。実際はその人も当日観に来れなくてライブの映像を送ったんですけど、やっぱり全然ダメで。それでもその人はもう1回、“お前1人やったら”ってラブコールをくれたんですよ。なのに、結局2回とも僕は断ったんです。それはバンドに対する裏切りやと思って」
――バンドを切って俺だけ成功したろうとはならへんかったんや。
「でも、今思えば何て言うか…“全員引っ張り上げる気持ちで僕はメジャーに行きます。必ずみんな頑張って付いてくるんで、そのときまで希望をつなげさせてください”ぐらいの気持ちで喰らい付けば良かったのに、ただメンバーに嫌われるのをビビってただけなんです。結局、楽しい方を選んだというか、生ぬるい方を選んだんです」
――その話をメンバーに切り出すのには、絶対に痛みが伴うもんね…。その上田くんの1人だけのデビュー話って、メンバーは結局知らんかったん?
マネージャー・だいちゅー「みんな知ってました」
「それはもう、上田さんが決めてくださいみたいな。しかもその話をバンドだけで話してて誰にも相談してなくて」
――例えばお世話になったライブハウスの人とか、それこそ作家をしてる兄貴とかに相談してたら…。
「兄貴にも言わなかったんですよ。後でむっちゃ怒られましたけど…。“何で相談しにこーへんかったんや! お前そんなチャンスもうないぞ”って(苦笑)」
――ごもっともやね。良く言えば友達を選んだとも言えるし、悪く言えば度胸がなかったというか。でも、そんないい話がいっぱいあったのに、昇り調子のバンドが、そこまでして続けたバンドが何で結局休止してしまったのか。
「何でなんやろ?(笑) そう考えたらめっちゃ寂しいな…」
――そうやで。逆に“バンドで誘ったらよかったって言わしたらぁ!”っていうのも、頑張るひとつの要素やのに。
「まぁ、まずベースが精神的にちょっとまいっちゃって、活動出来なくなって。そこから
waybeeのケケ(b)をサポートに入れて、3人で頑張ってたんすけど…まずだいちゅーが意識レベル的にちょっと抜け出して」
マネージャー・だいちゅー「その頃、僕が
日比(直博)さんのサポートを始めたんです。ストリートとかamHALLでの初ワンマンが成功するのを観てて、この人はめっちゃ意識が高いと思って、一緒に何かしたいと手を挙げて。サポートしてたら内側からその頑張りを見るじゃないですか? それを見てたら、リフレインはコレ絶対無理やと」
「だいちゅーがね、その感動をリフレインに持って帰ってくるんですよ。最初はその熱が鬱陶しいというかちょっと浮気された気にもなるから(笑)、バンドだけやっといたらええねんて思ってたけど、そのだいちゅーの熱にどんどん…なんかすげぇなって思わされて。やっぱ本気の姿勢を見せられたら、本気じゃないヤツは太刀打ち出来ひんので、何も言い返せなくなってきて。それで、何でだいちゅーはそうなったんかを、すごく考えるようになった。何でか知らんけどだいちゅーは僕を変えようとしてくれている。他のメンバーには一切言わないけど(笑)、僕だけに“上さんこのままじゃホンマにダメっす”って言ってくれる。それでどんどん、このままじゃあかんのかな…と感じ始めて」
結局は人の意見とか世間体とか常識を怖がってたというか
自分には歌がある。それで周りも幸せにしてみせる
――リフレインが実際に活動休止したのはいつ?
「2010年の12月6日ですね」
――結構最近や。上田くんはリフレイン時代には就職もしてたよね。さっきの大手事務所の話がポシャった後かな。
「2008年ぐらいからですね。それも兄貴が関わってて、“今のお前はホンマ人間のクズや。まず身近な人を大事にしろ”って言われて(苦笑)、ずっと反発してたけど、あるときその言葉がなんか胸にスッと入ってきて。でもそれで、リフレインが結構グラつきましたね。就職して=バンドは二の次になって…ベースの件もあるし、多分このままやっててもうまくいかない。けどギターの黒木くんが、どんな形でもいいから続けることに意味があるって食い下がって。あと、僕の兄ちゃんの嫁さんも無償でスタッフをしてくれていて、ずっとリフレインを応援してくれていたのもあって、やっぱり頑張ろうって解散は免れたんですけど。でもその頃から、だいちゅーだけはリフレインとしてと言うよりもドラマーとして生きていくのがもう主にあったから、全然ブレない。僕とかギターの子はもうブレブレ(笑)」
――結局、リフレインは楽曲の良さを武器に最大でOSAKA MUSEワンマンまでいって、『a-nation』にも出て、いろんな事務所やレーベルからもお声が掛かったけど、どれも形に出来ずに休止してしまいましたと。就職もしました、バンドもなくなりました。全然カタギに戻れるよね? その中でなぜ第2期ソロが始まったのか。
「サラリーマン生活の中で、職場では愚痴もすごく飛び交う。それでも誰かのために頑張る。仕事とはこういうもんだと自分の中に叩き込んで、これでいいんだって自分に思い込ませてたんですけど、その中でも音楽を続けてる自分がいて。俺はこの先、どこに行くんやろと。振り返ったら、音楽を、まともに本気でやったことが1度もない。これでいいんか…ってモヤモヤしてるときに、だいちゅーから“この本を読んでみてください”って渡されて」
――ジョリーパスタでね(笑)。
「そう(笑)。僕も当時このまま一生いくんかなってすごい悩んでて、そこの隙間にスッと入ってきて」
――それは何ていう本?
マネージャー・だいちゅー「『ユダヤ人大富豪の教え』っていうヤツです」
――アハハハハ!(笑) めっちゃ胡散臭い!
「うん。もうめっちゃ胡散臭い(笑)」
――それを読みましたと。で、どうだったんですか?
「もう次の日に、“会社辞めます”って(笑)」
――でも、それだけ響いたんや。
「響いた。細かいところまでは覚えてないけど、結局“やりたいことがあるのにやらない理由は何なのか? じゃあ単純にそれを本気でやればいいじゃないか”って気付いて。そう思ったとき、俺は今まで何をビビってたんやろうと。結局は人の意見とか世間体とか常識を怖がってたというか。とりあえず、自分には歌があるからそれを仕事にしよう。それで周りも幸せにしてみせる。まずそんな絵が見えて、そこから何も恐れることがなくなったというか。あと、当時の上司がそもそも友達で、音楽をやってるのも知ってて応援してくれてたから、辞めると話したときも“分かった。その想いは汲み取った”と言ってくれて。その日の夜に、“実は会社を辞めようと思う”と家族にも伝えて」
――それ、絶対“ハァ!?”ってなるでしょ。せっかく就職出来たんやから、仕事しながら音楽続けたらええやんって。
「普通そうですよね? でも、そのときは僕が本気なのが伝わって。“人生1回きりやし、好きなことやったら”って」
――すごい! 逆に言うと今までは本気じゃないのが分かってたんやな。
「絶対に分かってたと思う。リフレインのときは結構反対されてたんで。“もう辞めたら?”って」
――それやのに、どうなるか分からんソロの背中を押してくれたんや。すごいね~。
「すごいっすね、ホンマに」
――それでサラリーマン辞めます、音楽一本でやっていきますとなって。ようやく現代に戻ってきました(笑)。
自分に出来ることはないのかを、ホンマに真剣に探しました
――覚悟を持って2011年にはソロになったわけやんか? そのときはどういう気持ちで音楽をまた始めたんかな?
「もう日本一応援してもらえるようなアーティストになろうと。あと、ソロになって思ったのは、コレで飯を食っていくってこと。音楽に携わることやったら何でもやっていこうと思って」
――それでまず最初の目標としての昨年7月のBIGCATワンマンは、どういう経緯で決まったん?
「実は、最初は(キャパがひと回り小さい)OSAKA MUSEでやろうって言ってたんですよ」
マネージャー・だいちゅー「でも、OSAKA MUSEってバンド時代にワンマンをやってるし進歩がないから、“それやっても意味がないから、思い切ってBIGCATにしましょうよ”って」
「アホ2人なんですよ(笑)。だいちゅーはまた上手いことふっかけるので。“そんなん前と一緒じゃないですか”って」
――しかもOSAKA MUSEが埋まったのは、バンドとして積み重ねてきた歴史があったからやから。ソロを始めて1年も経ってへんのに、2倍以上のキャパ(最大約800名収容)のBIGCATは高い目標やな~CDも何も出してないし。
「そうですね。でもそれぐらい出来な、本気ちゃうわとも思って」
マネージャー・だいちゅー「あと、僕は日比(直博)さんのサポートをしていて、それが不可能ではないっていうことを知ってたんで。日比直博は音楽活動を始めて半年でamHALLに500人入れてるわけじゃないですか? かつてそれを実現させた人がいるから、出来るんじゃないかっていうことを言ったんです」
――今までに誰もやったことがないわけじゃないと。
マネージャー・だいちゅー「逆にそれぐらい出来ひんと、ソロでやっていくっていう気持ちは、まだ全力じゃないだろうと。今までに出来た人がいたのに、“出来ない”と言うのは」
「当時、日比くんの名前はだいちゅーの口からよく出てましたね。ソロなってからBIGCATのワンマンぐらいまではずっと日比くんと比べられて。“日比君はこうですよ”って言われるのがむっちゃ嫌で、“ほな負けてたまるか~!”って。当時は会ったこともなかったけど日比くんをライバル視してね。けどそれがすごくいい効果になったというか、頑張る理由にもなったんで。負けず嫌いなのをだいちゅーはよく知ってるんで、その辺に火を付けさせてね」
――BIGCATワンマンの1ヵ月前には、ソロ初音源となる『Familication』もリリースして。このミニアルバム思いのほかクオリティ高いよね。ちょっとビックリした(笑)。
「ありがとうございます! コレはホンマに作りたかった1枚で。今思ってることは全部詰められたかなって」
――曲はそれこそ、2011年に入って書いた曲ばっかり?
「いや、そうでもないです。『中身のない宝箱』(M-1)や『手紙』(M-5)は実はリフレイン時代に出来た曲なんですけど、ソロとしてもやっていけるかなって。今と気持ちがリンクするものはやってますね」
――『いま僕にできること』(M-6)はいつ出来た曲?
「去年の震災の3日後ぐらいに完成したんですけど、実は途中まで出来てたんですよ。でも、完成する前に震災が起きて、内容がもう全然変わったというか。最初は“今僕に出来ることを頑張って夢を叶えていく”みたいな内容やったのが、“今自分に出来ることで、誰かの笑顔を作っていく”に変わって。歌詞も最初とは全く違います」
――関西にいると震災はダイレクトな出来事じゃないけど、上田くん的には思うところがあったんやね。
「くらいましたね…やっぱ思うところはすごくあった。今までやったら多分感じなかったことも感じて、自分に出来ることはないのかを、ホンマに真剣に探しました。それを曲として残すのもひとつやし」
「今までは自分が全てを仕切っていたところに、そうやって意見をもらってやることで、自分からは生まれないアレンジだったり世界観が、もう確実に出ましたね。何よりもやっぱり、ミックスでモノが全然変わるっていうのがすごく勉強になった。いくらでも化けんねんなって」
――森山さんとはこの仕事をきっかけに出会って、第一印象はどうやったんですか?
「なんか胡散臭い(笑)」
――アハハハハ!(笑) 今は見た目もロン毛にヒゲのカントリーの人になってるからね。
「最初は“僕人見知りなんで”って言ってましたけど、全然普通に喋ってくれました(笑)。僕もずっと音楽やってきたけど追求してこなかった部分があるので、やっぱり音楽性としてすごく持ち上げてもらったと思いますね」
――このアルバムが出来上がったときはどう思いました?
「いやもう、デビュー決まったなって」
――決まるか(笑)。
「アハハ!(笑) このアルバムが出来て、すぐにFM802でかかった、あのときのテンション覚えてます!?」
――そうや! BIGCAT店長のツッキーが番組のゲストに出て曲をかけてくれるぞって、難波の駅前のロータリーに車を停めてみんなで聴いたな~。ツッキーが、めっちゃくちゃ緊張してたときね(笑)。
「そんな緊張するんやったらもう出んかったらええやん!ぐらいの(笑)」
――でも、ホンマありがたかったよね。
「あの瞬間はやっぱね、嬉しかったっすね」
ちゃんと結果で見せて、“上田和寛を選んでよかった”って思ってもらいたい
――それこそ森山さんやツッキー他いろんな人が力を貸してくれて迎えたBIGCAT当日、お客さんもいっぱい入って…ステージから見える風景はどうでした? ワンマンとしては過去最大の人の前でライブが出来たと思うけど。
「もうすごかった、やっぱり。最初に幕が開くんですけど、ちょっとずつお客さんが見えてくる中で“え、まだおんの? まだおんの?”って」
――端までいっぱいやったね。
「けどなんかね、変に落ち着いてて。全然緊張とかはなくて不思議やったんですけど。ハッキリ言ってやれるだけのことはやってきたので。もう自分の中で、胸を張ってステージに立てるとこまで来てた」
――まだまだ無名の人間が500人呼ぼうと思ったらホンマに必死に、ストリートもやらなあかんし、チケットも売らなあかんし。
「ホンマに1枚でもチケットを売りたくて、ワンマンの前日ぐらいまでストリートをやってたんですよね。そのせいで声がちょっとかすれたりして、ファルセットも全然出んくて。でも、なんか気持ちよかったというか。いつもは声が出えへんことを悔やんだりするのに、“コレが全部、今の俺や”っていう気持ちが、あの日は持てた。すごい達成感がありましたね」
――俺も上田くんのソロライブをあの日ようやくちゃんと観たと思う。そのときにも言ったけど、ちょっと見くびってたなって思ったもん。バンドで長年ボーカル&ギターやってたわけやからギターもしっかり弾けるし、アーティストとしてのソングライティング能力であったりボーカル力のクオリティっていうものが、やっぱりしっかりある人なんやっていうのが、観て分かるライブやったと思う。ただそこに人が入ってるだけじゃないのは観て分かる。それはやっぱり今までの10年があったんやなって。でもそれこそ、今度の野音はその4倍人を呼ばなあかんわけやから、どうすんの?っていう話よね(笑)。
「それに尽きますよね。あと1ヵ月ですから。今800枚売れてても、あと1200人が賛同しなければ、2000人っていうのは、難しい」
――まぁでもそこに、本当に2000人の笑顔があったらすごい風景やろうね。
「それがイメージ出来るんですよね。BIGCATのときもイメージしていた画にはなった。もう絶対そうなるって、僕は思い込んでるんですけど」
――“イメージ出来ることは=出来ること”って言うからね。出来ないことはイメージ出来ひんから。
「やっぱりね、もう1人の力で手の届く範囲ではないのは分かってるので。当日までにどれだけの人を巻き込めるのか、力を貸してもらえるのかにかかってる。そのためには自分自身がまずアーティストとしても人間としても、応援したいと思ってもらえる男にならないといけない。だから、頑張る姿勢だけは絶対に見せ続けようって。僕は弱音を絶対に吐けないので。だいちゅーもずっと信じて付いてきてくれて、それは応援してくれるみんなもそうやし、そこはちゃんと結果で見せて、“上田和寛を選んでよかった”ってやっぱ思ってもらいたい。そこは形で返せるように」
――うんうん。それじゃ最後に、野音に向けての意気込みがあれば聞きたいなと。
「今2000、2000って言ってますが、本来はそこが目的じゃないんです。野音でいいライブをするのが一番の目的であって、それをたくさんの人に観てもらって、少しでも元気になってもらいたい。そこから生まれる元気でみんなが1ミリでも明るくなったら、それはもうやってよかったと思えるひとつの結果なんで。そのために今、いろんなコラボも考えてて。チャリティとして被災地の人に来てもらって料理を振る舞ってもらう企画も進んでるし、ただのライブというよりは、ホンマに日本…世界から見たら小っちゃい僕らやけど、そこでひとつになって、そこからまた元気になっていけるようなライブがしたい。ホンマに、ホンマに、いっぱいの人に観に来て欲しいです!」
――切実にね。
「はい。お客さんがいなかったら悔しいと言うより、来てくれたみんなでこの日盛り上がりたいんですよね」
――このインタビューがひとつのきっかけになるかもしれないし。みんなも俺も知らなかった上田くんのことが、今までどういう人生を歩んできたのかが、今日の話を聞いてすごく分かりました。じゃあ将来はどうなんでしょう? 上田くんが歌うときに大事にしてることってあるんですか?
「あります。“嘘をつかない”っていうことですね。僕が笑ってないのに“笑って”なんて言えない。人間なんで辛いときもあるんですけど…僕はアーティストという名の役者やと思ってるんで。歌ってるときは、もうホンマの気持ちになり切る。気持ちをその歌に乗せないと、絶対に伝わらない。それが出来ないときは結局、全然反応もないんで」
――やっぱり、聴く人には分かってしまう。
「分かる。自分自身も歌として認められないし。もう歌に関してだけはホンマに嘘のないようにしてます」
――4.21が晴れてね。偽りのない歌が、気持ちよく届けばいいよね、ホンマに。
「そうですね~。まぁ晴れ男なんで、そこだけはちょっと自信持って」
――傘の心配はいらないと。そしてその日が伝説となるのか。
「ねぇ! そうそう、あと今回はホンマに面白いキャッチフレーズ、考えてくれましたよね」
――“無謀なる挑戦? はたまた夢の第一歩!?”。
「いや、まさにね」
――どっちになるのかは、当日のお楽しみですから。
「若干“無謀”の字の方が、大きかったような気が(笑)」
――実はここだけの話、最初はデザイナーさんも“無謀”の字の方をつい大きくしてしまってた(笑)。だから、“夢”の方を大きくしましょうって。夢は…叶うことを見せて欲しいね。きっとみんなの勇気になるから。あともうちょっと頑張って。当日は見届けに行きますから!
「最後まで頑張ります! 今日はホンマにありがとうございました!!」
Text by 奥“ボウイ”昌史
Photo by 宮家秀明(フレイム36)
(2012年3月19日更新)
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