9月20日、あましんアルカイックホール・オクトでコンサートを行う
ギタリスト木村大。『HERO』に続いて会心のニューアルバム
『ONE』をリリースした彼が語る、新たな表現の可能性
今年5月、アルバム『ONE』を発表したギタリストの木村大が9月20日、あましんアルカイックホール・オクトでコンサートを行う。木村大は1982年生まれ。ギタリストの父の指導のもと、早くから才能を開花させ、14歳で東京国際ギターコンクールに優勝。17歳の時にアルバム『ザ・カデンツァ17』でCDデビューを果たしている。2002年からは英国王立音楽院へ留学。帰国後はNHK交響楽団をはじめ数多くの共演を果たし、クラシック・ギタリストとしてのキャリアに磨きをかけるかたわら、より幅広い音楽表現を求めてポピュラー音楽から、ロックまでを視野に入れた演奏活動を行っている。8枚目のアルバムとなる『ONE』は、木村大が辿り着いたひとつの高みを伝えている。憧れのロック・ギタリストたちの楽曲に、ガットギター1本で立ち向かった、前回の『HERO』も素晴らしい仕上がりだったが、今回『ONE』で木村大が聴かせるのは、すべてがありのままに、伸びやかに表現された素直な音楽の数々だ。アルバムリリースに合わせて行われたインストア・ライブの会場で、木村大に聞いた。
――ライブお疲れ様でした。ステージでアルバムのテーマは「愛」だって、おっしゃってましたけど?
「はい、アルバムのテーマは「愛」なんです(笑)」
――気持ちがゆったりと癒されていくような作品が並んでいますが、選曲の意図などを教えてください。
「そうですね、いろんな「愛」があるじゃないですか。だからそれに目を向けるところから始めました。例えば『ニュー・シネマ・パラダイス』ならば、子供の頃の家族への愛があったり、マドンナの作品には能動的な愛があったり…。『ブラックバード』はピースフルな愛ですね。朝起きた時にラジオをつけたら、映画の『アイ・アム・サム』で使われたバージョンの、ビートルズじゃなくて女性が歌っていた『ブラックバード』が流れていて、何か今日一日いい日になりそうって(笑)。映画音楽ってひとことで言っても、映画自体が愛を表現している映画であるかないかっていうことはまずひとつ、大きなところであるし、歌詞があるとして、恋について、愛について語っているフレーズがあれば、そのことについて表現したいっていう風になってくるし。今回は「愛」がコンセプトであることは間違いないので、作品もしくは映画を含めて愛を語っているものをまず抜粋するっていうところから始めたんです。そしていろんなアレンジをするにしても、なるべくみんなが思い描いているものをまず聴かせてあげたかったということがありますね」
『ONE』の1曲目に置かれたのはモリコーネの『ニュー・シネマ・パラダイス』。木村大は、この曲を、木漏れ日のような美しさで歌う。二度と帰らない人生の一時期への郷愁。切なさと隣り合わせの幸福。「愛」を言葉で語るのではなく、演奏家として、ギタリストとして、どんな風に表現するのか、そのことに対する真摯な答えのような、鮮やかな音楽だ。
――さっきライブで演奏したのが、『マイ・フェイバリット・シングス』と『tune』。スタンダードとオリジナルということで、アルバムの中でもインパクトの強い曲です。『tune』ではクラシック・ギターではなく、アコースティック・ギターを使用しましたね。
「今回の試みとして、曲の求めてる適性というものに逆らわずに弾きたいという気持ちがあったんです。楽曲が求めてる表現っていうのがきっとあると思うんですよ。この曲はピアノだったらこういうピアノだろう、とか。僕はギタリストなのでギターでセレクトしていく場合は、ガットなのかスチールなのか、あるいは弦楽器の中で何を選ぶか。『tune』は激しい愛というか、混乱した愛の表現がスチール弦によりふさわしいと感じたんですね。で、さっき僕は、みんなが思い描いているものをまず聴かせてあげたかったと言ったんですが、またそこから逸脱した音楽もやりたかったので『マイ・フェイバリット・シングス』ではかなりジャジーな感じで始めて、それからもっとよりギターの土着的な部分にフォーカスを当てて展開してみたんです。今日は、まったくソロで弾きましたけど、アルバムではパーカッションのジャラ(JAH-RAH)さんに参加してもらったりして、リズムセクションもラテン的ではなくてアフリカ系の方向に持っていっているんです」
――前回の『HERO』はクラシック・ギターひとつでロックの表現に挑んだようなアルバムだったんですが、今回は表現の方向が多彩ですね。
「僕にとっては『HERO』はとてもストイックなアルバムでしたから。一概には言えないけれど、今回はよりギターの表現の可能性を広げたいと思ったんです。だから4曲でアコースティック・ギターを弾きましたし、沖仁さんと共演することもできて、自分としては、それができたんじゃないかな、と思ってるんです」
フラメンコ・ギタリスト、沖仁との共演は2曲が収められている。マドンナの『ラ・イスラ・ボニータ~美しき島』とオリジナルの『レヴァンタール』。このうちアルバムの後半にあって、ひとつのクライマックスを形作るのが『レヴァンタール』だ。
――『レヴァンタール』というのはどういう意味なんでしょう。とてもエキゾチックな響きの言葉ですが。
「レヴァンタールっていうのは、もともとブラジルの小説家にパウロ・コエーリョの『アルケミスト』っていう小説(角川文庫刊)に出てくる「風」のことなんです。スペインからエジプトへサンチャゴって少年が宝物を探しに行く物語なんですが、その中でアンダルシアから夢とか希望を運ぶ風と呼ばれているのがこの「レヴァンタール」なんですね。僕はこの小説が大好きで、沖仁さんと、クラシックがフラメンコに恋をするっていう設定で作品を作りたいと思った時に、僕たちがミュージシャンシップに則ってクラシック・ギタリスト、フラメンコ・ギタリストっていうお互いの持ち場を離れずに作品を作っていこうとしたら、どういった「風」が吹くのだろうかっていうのが僕の中でひとつのテーマになったんです。それを追求していくと、ある時「レヴァンタール」っていう旋律がふわっと僕の中に舞い込んできて…」
――それで曲ができちゃったんですね。素晴らしい!
「はい。サンチャゴという少年は現在も、これからの将来もずっと羊飼いでいるだろうと自分でも決め付けてるし、まわりもそう思っているんだけど、ある時、神のお告げが聞こえて宝物がエジプトの方にあるって言われて、そのお告げのままに旅に出てしまうんです。それを物語では「アルケミスト」(錬金術師)が導いていく。僕にとっては、これを沖さんと演奏することで僕たちがスペインの地からエジプトの地まで、いろんな風に乗って行けるんじゃないかっていう、そういう気持ちを感じさせてくれる曲なんです」
――さきほど、ギターの表現を広げたいっておっしゃってましたね。今回はそれができたのではないか、という風に。
「去年『HERO』という作品を出して、今年は『ONE』を出して、僕には今、初めて「クラシック・ギタリスト」から「ギタリスト」になれたのではないか、あるいはそういう一歩を踏み出せたんじゃないかという自負があるんです。将来的に、自分がアーティストとしてどういう発信ができるのか、というところまで突き詰めていくことができれば、それ以上のことはもう望む必要はないんじゃないかって。そう考えると、今回のアルバムを作る時に『ブラックバード』をクラシック・ギターで弾く必要はない、と思えたんですね。僕にはあのメロディーの中に、コードとベースを全部一緒に弾けてしまう技術があるのだから、それなら、ポール・マッカートニーが弾いている、みんなが知っている、あの先入観なく聴けてしまうメロディの中で、自分なりのアイデンティティというものを打ち出すことができれば、それが僕のやりたい、いちばん素直な表現なんだって。音楽の持つ適正に逆らわずに、自然な流れで、というのはそういうことなんです」
――楽曲が求めてる可能性を損なわずに、より自由な表現に向かう気持ちになれたということですね。
「そう。これは多分『ワンダフル・トゥナイト』などでも同じで、あえてガットギターで弾くよりも、やっぱりサスティーンのある、チョーキングをした時にとても気持ちのいい、胸をつかむような、ハートをキャッチするような、アコースティック・ギターのああいう表現が適性であるというか、曲が求めていることなんだろうと思います。これからは上手いとか下手とかそんなことを超えて、そんな風に自分が本当に表現したいことを追求していかないと、後悔するなと思うんです」
――今、その追求に踏み出したということですね。
「そうです(笑)」
ライブの終了後、慌しい時間を割いて、木村大は答えてくれた。ギタリストとして、他の追随を許さない技術を持つアーティストだけに、これまでには人知れず迷いを感じた時期もあったのではないか。だが、今、その言葉は明るく、確信に溢れている。まるで、高みに登ったら、そこにはまた豊かな大地が広がっていたとでも言うように。9月20日、彼の最新の成果が示されるコンサートを楽しみに待ちたい。もちろん、全ギターファン必見だ。
(2014年9月 2日更新)
Check