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父の感謝の気持ちをしっかりと引き継ぎたい
クラリネット奏者 稲本渡インタビュー
〈稲本耕一メモリアルコンサート〜思いは未来へ続く〜〉

 クラリネット奏者、稲本渡が、ピアニストであり作曲家としても活躍する兄・響とともに6月10日(火)、いずみホールでコンサートを行う。兄弟の父であり今年3月5日に亡くなった著名なクラリネット奏者、稲本耕一氏を追悼するコンサート〈稲本耕一メモリアルコンサート〜思いは未来へ続く〜〉である。
 
■父親同様、兄も子供の頃はクラリネットを吹いていたという。そんな音楽一家に育つというのはどのような気持ちなのだろう。「僕はクラリネットを始めたのが5歳なんです」。稲本渡はそのように話し始めた。
 
 兄貴も子供の頃、クラリネットをやっていて、小さい頃の僕にしてみたらお父さんもお兄ちゃんもクラリネットをやってる。男は大きくなったらクラリネットをやるもんなんだ、くらいの感覚でいたんです。練習している親父の邪魔をするっていうのが僕らの中の遊びでしたね。親父がクラリネットを練習していて、キイを押すと音が変わるっていうのが子ども心にすごく面白くて。そんなにやりたいならやってみるか?っていうのが元々の始まりなんですね。その頃親父は40歳手前くらい。バリバリ演奏していた時期です。ソリストとして小さなところから大きなところまで、いろんなところでコンサートをやってましたね。だから僕も5歳でクラリネットを始めて、1週間後に親父のステージに一緒に立たせてもらったんです。
 
■練習は厳しかったですか? 

 

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 厳しかったですね、ただ、これはいつもお話させて頂くんですが、ステージに立つと自分もひとりの音楽家、子供もひとりの音楽家。当然自分もミスをするし、子供もミスをする。だからそれは全然怒らなかったんです。けどリハーサルは厳しかったですね。ただ、こうしろああしろというのは無くて、自分で考えさせられることが多かったと思います。例えば間違えました、でも音を間違えるのがいけないのではなくて、そういう演奏をしているとお客様に喜んでもらえないっていうことの方を厳しく言われましたね。お客様を楽しませる演奏というのがまず根底にあって、そのために練習をしなくてはいけないんだよっていうことを言われました。こういう練習をしろとか、練習のたびにチェックされるとか、レッスンをされるとかそういうのはなかったですね。だから僕の記憶では親父にクラリネットを習ったという感覚はないんです。それは本番の中で教えられてきたことなんです。

 
■作曲を志した兄・響が本格的にピアノに取り組むようになる。ステージでは耕一のクラリネットを中心に、渡のクラリネット、そして響のピアノというファミリーコンサートの形が次第に定着してゆく。
 
 兄貴は中学の頃までクラリネットに行きたいって言っていたんですけど、作曲もしたいっていう風になってきたので、それならピアノやらきゃいけないね、ということになってそちらの方にシフトしていったんです。表現の幅がピアノの方が大きいので、そのうちに自分でもピアノを選んでいったんだろうと思います。僕は、ピアノはもちろんやってましたし、途中でヴァイオリンもちょっとやったんですけど、まあ結局、こっち(クラリネット)へ戻ってきてしまいました(笑)。
 
■その頃の印象深い思い出はありますか?
 
 どこの場所だったか忘れたんですけど、親父が明らかに間違った音を吹いたんですね。で、兄もいて、僕ら兄弟としては“あ、親父間違った”みたいな感じだったんですが、それでも親父の演奏が終わるとすごい拍手をして下さるのを見て“え、親父間違ったのに?!”っていう思いがあったんです。子供心にやっぱりどうしても「間違っちゃいけない」という気持ちがあったので。でも間違っちゃいけないというか、間違うかどうかがお客様の求めてることじゃないんだな、と思ったのが結構強烈な印象でしたね。
 
■やがて響と渡はそれぞれの音楽を求めてヨーロッパへ留学。帰国した後はともに作曲家、演奏家としてのキャリアを重ねてゆく。しかし兄弟がプロの音楽家となった後も、家族のアンサンブルが途絶えることはなかった。1年に何回か、彼らは集まってコンサートを行う。地元、大阪を中心に多くの人が彼らの音楽を支持した。
 

 父や兄と演奏していると、これは本当に不思議なもので「親父、今日ここもう一回繰り返すだろうな」とかいうことがなんとなく、 “あ、うん”の呼吸で分かるんですね。兄貴の伴奏になった時にも、例えばこの曲の終わり、いつもはピアニシモで終わっていたけど、今日は盛り上げたいなって吹きながら思いますよね。すると兄貴も自然に盛り上げてくる。自然にそうできてしまう。そういった言葉では説明のつかない、いい面がありますね。本番こうしたい、って思ったらそうしてくれますし、向こうがこうしたいなって思ったらこっちも自然と合わせていけるし。あれは不思議ですね。ただ悪い面を言っちゃうと、常に家の中では音楽の話というか、仕事の話になってしまっているので、例えば家族で旅行に行きました、スキーに行きました。でもゴンドラの中では「次のプログラムどうする?」。子供としては家族感が無いというか。もうちょっと息抜こうよ、みたいな(笑)。


「私という運命について」っていう永作博美さん江口洋介さんのドラマ(WOWOW、2014年3月23日~4月20日)。これの音楽を丁度レコーディング中に親父が死んだんです。登場人物がもうガンにはなる、震災は起こる、いろんなことがあるストーリーだったんですけど、この音楽を兄が手がけていて、演奏で僕も参加していたんですね。それを東京でレコーディングするというので東京へ行って、まさにその最中に親父は亡くなったので、それだけ僕らにとってはドラマも音楽も、思い出が深いものになりました。
 
 稲本耕一氏の闘病の姿は、朝日放送「報道番組CAST」で2度に渡り、放映された。2005年に喉頭ガンを宣告され、手術によって声も失いながら呼吸を克服。響、渡とともにステージに立ち続ける姿は多くの人の感動を呼んだ。2014年2月27日、耕一氏は入院していた病院で最後の演奏を行う。そして、その1週間後、生涯をクラリネットに捧げた演奏家は息を引き取る。
 
稲本渡は現在、大阪市内で、音楽事務所OTOYA Entertainmentの代表を務めている。京都御苑での奉納演奏や、兵庫県立芸術文化センタープロデュースでドラムの石川直、雅楽師の東儀秀樹らとのコラボレーションである「Sound Theater」などの演奏活動を行いながら、さまざまな演奏家のプロデュースも行っている。また、彼自身がプロデュースに参加した中ノ島のレストラン「SAINT LOUIS AMUSE」では不定期ながら、ステージに立つこともある。
 

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 子供の頃に本番の数がすごく多かったということに、今、僕は感謝してるんです。僕は親父がいたからステージに出られましたけど、音大生であるとか、これから音大を出てやっていこうとする人たちは少しでも多く、本番の機会が欲しいと思うんですね。「SAINT LOUIS AMUSE」では、そういう意味で、さまざまなアーティストのライブハウス的な演奏の場を提供しています。みんなの発信基地って言うと偉そうですけど、こういう場を作れる機会もなかなかないだろうし、お客さまにも気軽に音楽を楽しんでいただきながらクラシック系の発信基地にしていければいいなと思ったのが発端なんです。
 
 僕自身が大阪出身ということが大きいんでしょうけど、なんとなく大阪、関西は素直に反応して下さるお客様が多いなと思います。例えば東京で舞台をやったとする。ちょっと難しい舞台でした。でもそれに対しては皆さんがそれぞれ自分なりに、いやこれはこういう意味だったよとか、こういうところが良かったよとか、納得して帰って下さる気がするんです。けど、大阪でやると「いやそれおもろないやん」と(笑)。で、僕としてはそういう素直な反応が欲しいんです。だから、大阪にこだわっていたい。東京から呼んだアーティストさん、それは素晴らしい方がいっぱいいらっしゃいますけど、大阪も負けてないんだよ、っていうことを僕らの手で発信していければなと思っています。
 
■6月10日、追悼のコンサートはどのようなものにしたいですか。
 
 親父は日本民謡を取り上げてやっていたので。そのレパートリーから演奏してみたいとも思っているんです。親父はドイツに留学していた時に、クラシックはまだ自分の世代では当たり前ではないと考えたそうで、自分は日本の畳の上で育って来たから、自分を活かせる分野として日本のものをやると。で、日本全国の民謡を取材に行って、それをクラリネットで演奏するっていうのをひとつのスタイルにしていたので、それを僕らでリニューアルして演奏したり、そのほかは兄・響が作曲したものを演奏する予定です。
 
 自分はどんなことをやって来た、とか。細かい話なんて親子の間ではあまりしないと思うんですが、お通夜、お葬式の時にたくさんの人が来て下さって…皆さん見送りの時、お花を最後に棺に入れますよね、あれに皆さんほとんどの方が残って下さったんです。会場は小さかったんですけど、寒い中皆さん待って下さって…で、親父は地域に貢献していた人なんだなっていうのがよく分かったんですね。だから親父や僕らの根底にある、そうやって親父がやって来た音楽的な主義というか、お客様のために演奏するという気持ちを僕らがしっかり引き継いでいきたいということと、僕らの感謝の気持ちをお客様に伝えていきたいというのが大きな思いですね。僕ら兄弟の中ではこれが親父の葬式だって思っているんです。
 

 




(2014年5月23日更新)


Check

Concert

 稲本耕一メモリアルコンサート    〜思いは未来へ続く〜

 【ピアノ】稲本響
 【クラリネット】稲本渡

 ■6月10日(火)19:00
 いずみホール 
 4,000円 チケット発売中 
 Pコード 233-289

 【曲目】
 ドナウ川のさざ波
 アメイジング・グレース
 エスペランサ
 「海の上のピアニスト」より
 ドラマW「私という運命について」
 父に...ほか

 【問い合わせ】 
 稲本音楽事務所■072-221-2731

チケット情報はこちら


Movie Comment

稲本渡さんからのメッセージ     ~『アメイジング・グレイス』

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Profile

■稲本響(いなもと・ひびき)

 1977年生まれ。ピアニスト・作曲家。18歳でドイツへ留学。これまでにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のトップメンバーらと共演。主な作曲・音楽監督作品には映画「長い散歩」(監督・奥田瑛二 主演・緒形拳 モントリオール世界映画祭にてグランプリ受賞)「イキガミ」(監督・瀧本智行 主演・松田翔太)、「星守る犬」(主演・西田敏行)、舞台「君と見る千の夢」(演出・富田慶子 主演・相葉雅紀(嵐))「海の上のピアニス卜」(共演・市村正親)、ドラマ「私という運命について」(出演・永作博美、江口洋介)、番組テーマ曲「キヤノンスペシャル」「 匠の肖 像」、CM「HONDA エリシオン」「日本製粉」、「愛・地球博 女性像展示会場テーマ曲」等がある。本人仕様の特注ピアノ「STEINWAY&SONS(NEW YORK)」を使用することで知られる。


■稲本渡(いなもと・わたる)

 1980年大阪・堺生まれ。クラリネット奏者。5歳でステージデビュー。オーストリア 国立グラーツ音楽大学を満場一致の最優秀で卒業。国際音楽週間のオーストリア代表に選ばれヨーロッパ各地で活躍。オーストリア国立放送にソリストとして出演、グラーツ国際音楽院講師も務める。'08年~11年、佐渡裕率いる兵庫芸術文化センター管弦楽団のクラリネット奏者として活躍。一方、京都御苑での奉納演奏をはじめ、石川直、東儀秀樹、平山素子らとも共演し、映画「スープ・オベラ」では音楽家役で出演。演劇、舞台にも出演するなど多方面で活躍し、メディアにも多数取り上げられている。また各地でコンクールの審査員を務め、後進の指導にも尽力している。


■関連リンク

OTOYA Entertainment
http://otoya-ent.com/index.html

SAINT LOUIS AMUSE
http://www.amuse-n.com/index.html