インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > ジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラ 名手たちの交響楽団 ~20th アニバーサリーコンサート~

ジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラ
名手たちの交響楽団 ~20th アニバーサリーコンサート~

プロデューサー
三枝成彰インタビュー PART2


 前回に引き続き「ジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラ」プロデューサー、三枝成彰氏のインタビューをお届けする。オーケストラの音響に始まった三枝氏の話はウィンナ・ワルツの流行を促した19世紀の音楽事情を語り、さらに今回は遡ってロマン派音楽の成り立ちにまで及ぶ。このインタビューを読んでから、2012年1月4日、ザ・シンフォニーホールで行われる「ヴィルトゥオーゾ~」のコンサートに臨めば、より理解が深まること確実だ。インタビューの最後では東日本大震災への取り組みを含む、最近の三枝氏の活動に触れた。(PART1はこちらから)

■「クラシック」とは”最も優れた音楽”という意味。

■少し今回のプログラムから離れた質問をさせてください。三枝さんは夏には「はじめてのクラシック」というシリーズを開催して、クラシック音楽の普及にも努めていらっしゃいます。でも、気軽な歌謡曲やポップスに比べると、クラシック音楽は結局我々の同時代の音楽として認知されていないのかな、と感じることがあるのですが…。

DSC_0208.jpg三枝うん、だって、クラシックっていうのは「古典」っていう意味ではありませんから。「もっとも優れた」という形容詞です。このことはもう、いろいろなところで言ってますけどね。
 もともと大衆に向けられていた音楽ではないんですね。さっきの話しで言えば、貴族が力を持っていた時代には、下層階級にはジプシーなんかの音楽があった。聴いていた音楽がまったく違うんです。例えば、ワルツの起こりはレントラーっていう農民の踊りです。レントラーっていうのは農民たちが女性をぐるぐる回して酔っ払わせて喜ぶ、まぁ下品な踊りです。だからウィンナ・ワルツの原点はいわゆるクラシック音楽じゃないですね。でもそういう時代になってくる。
 大衆が力をつけて来るんですね。富裕階級が出来上がってくる。だからこの時代に音楽が大きく転換していく。最初が、芸術音楽から商業音楽への転換ですよね。本当の意味での商業音楽=コマーシャル・アーツといえば、やっぱり20世紀になってからなんですけど、モーツァルトの時代のコマーシャル・アーツは芸術音楽だったわけです。“クラシックス”たちドイツ=オーストリア6000人のエリートを相手として成り立っていました。このクラシックス(Classicus)というラテン語は“最上級の市民”、納税者階級という意味です。そこから派生したクラシックという言葉がクラシック音楽の語源になるんですね。クラシックっていうのはだから「古典」という意味じゃないんです。古典というのはヨーロッパでは、ギリシャとかローマとかが正統な古典であって、単に古いという意味とイコールではないんですね。
 ところが、会話の中でも“あいつクラシックだよね”なんてよく言うでしょう。古臭いとかいう意味でね。だからみんな時代が違うものをクラシックだと考える。そうじゃないんですよね。三省堂の辞書でも何でもクラシックの意味で一番最初に来るのは「最も優れた」です。だからクラシック音楽というのは「最も優れた音楽」と自称している音楽(笑)。同時に大衆を相手にしていたわけではない。「はじめてのクラシック」について言えば、入場料を1000円という値段で運営しています。若い人に聴いてもらいたいから。「最も優れた音楽」なんだから敷居は高くて当然なんです。だから慣れておく必要がある。最高のホール、最高のオーケストラ、最高の音楽。慣れておくならば若いうちに慣れておくのが一番いい。そう思ってやっています。

■ありがとうございます。とすると、これまでのお話をまとめると、大衆というものが社会の中心に出てくることによって、クラシック音楽の在り方自体も変わって来ているわけですよね。それを現代の私たちは全部ひっくるめて“クラシック”と呼んでしまっているのですが。

DSC_0225n.jpg三枝そういうことでしょう。だって大衆というのは、大きなホールでコンサートが始まった時代に初めて生まれたんです。それまで音楽は貴族の屋敷や教会で演奏されたり歌われたりしていただけで、大衆が意識されたことはありませんでしたから。
 さっきサブ・カルチャーという言葉を使いましたが、ヨハン・シュトラウスのワルツは、大衆を意識した、現在でいうところのポップスですよ。オーケストラで同じ様に演奏されるから、分かりにくいけれど。ダンスホールや社交場で演奏される、男女の踊りのための音楽です。モーツァルトの時代には、大衆だけではなくて、そもそも音楽家というものが貴族の使用人だったわけですから、拍手というものも無い。音楽家は貴族が雇ってるんだから基本的に拍手は無いんだ。18世紀の終わりから19世紀にかけてベートーヴェンが現れて、彼はそれはいやだと思った。ベートーヴェンとモーツァルトの大きな違いは、ベートーヴェンはコンサートのピアニストだけれど、モーツァルトはラウンジ・ピアニストだったってことです。何となくピアノの音が流れてて、終わったらみんな思い出したように拍手するじゃないですか、ぱらぱらぱらって。誰も聴いちゃいない。ベートーヴェンはそれは我慢ならなかったんですね。下僕扱いはいやだと思った。14歳しか違わないです。モーツァルトとベートーヴェンは。この間に何があったかっていうとカントっていう哲学者が登場して、音楽を芸術の中で一番下等なものだって言っています。人間の「情動」に訴える芸術だと。気分とか感情ですね。ベートーヴェンはそれを知って、自分はメッセージのある曲を作ろうと思った。感情や気分だけじゃなくてもっと人間の高いレベルに訴える芸術を音楽で表現しようとしたわけです。だから彼の曲は優れているのだけど、その中でも最も強いメッセージが「交響曲第9番」です。そこでは民主主義を主張しています。「王様と貧民は人間として同じだ」と言いたかったのですが、当時の警察がそれを許さなかったので、「人類みな兄弟」というような言い方に変えています。また、「歓喜」と歌っているところを、「自由」に置き換えると、よりベートーヴェンの言いたかったことがわかる、という説もあるんですよ。それに比べると、モーツァルトの音楽は「快楽」です。楽しけりゃいいじゃないってね。

■そのあとにロマン派が出てきて、音楽の世界は変わっていくわけですね。

三枝そうだね。でも大衆には難しいんだ。結局コンサートを聴きに行こうとしても、ベートーヴェン難しいね。何かもっと分かりやすいのないかね、ってことでさっき言ったレントラー。農民の音楽を洗練させて、整理して、ワルツやポルカが出てきたわけです。

■今日のお話の始めに戻る、と。

三枝うん、今で言うポップスですよ。ダンスホールでみんなで歌って踊って。結構怪しいことになってくるわけです(笑)。

■「最後の手紙」上演。そして今は、われわれ音楽家が働く時。

 作曲の他、プロデュース、コンサートと、三枝氏の日常は多忙を極める。その中で、今年6月には自らの作品上演として「最後の手紙」の再演を行なった(初演は2010年)。第二次世界大戦でなくなった人々が最後に残した手紙をテキストとした合唱曲で、三枝氏のライフワークのひとつだ。ベースとなったのは、ハンス=ワルター・ベアというドイツの編集者による「人間の声」という一冊。11月には大友直人の指揮により、スイス、ジュネーヴのヴィクトリアホールでも演奏されている。

■重たい作品ですが、メッセージがストレートに伝わってきます。作曲の動機などを教えていただけますか?

三枝昭和37年、大学1年の時に河出書房から出てたのを読みました。感動してね。高橋健二さんの翻訳で原著はドイツ語なんだけれども、よしっ、この曲を死ぬまでに書こう、と思いました。50年かかりましたが。でね、あの本が編纂されたのは1950年くらい。だから中国とか韓国とか東南アジア、フィリピンの人たちのものがまだ出てきていないんですね。そのテキストを集めて第2部を作れたらと思って、今探しているところです。

 ドイツ、フランス、イタリア、ブルガリア、そして中国、韓国、日本など、12カ国13人の手紙をテキストに使い、曲数は14曲。戦争の中で死を前にした人たちの手紙が、様々な国の言葉で歌われてゆく。死を覚悟して書かれた手紙もあれば、その運命を知らずに書かれた手紙もある。戦争の不条理と命の尊さ。「最後の手紙」は三枝氏のヒューマニズムに貫かれた作品である。

■これは戦争とは異なる問題ですが、三枝さんは3.11の東日本大震災に際しても、4月にはチャリティコンサートを行なうなど、いち早い行動を起こしています。その活動と震災への思いを最後に聞かせていただけますか。

三枝37a.jpg三枝音楽で、人の心を救うことはできません。平和な時ならできるかも知れないけど。だから今は、われわれ音楽家が働いて、お金を集めて、どれだけ被災地に送ることができるかです。本当に無力だと思って、ダイナースとライオンズクラブ使って孤児を救う団体を立ち上げました。林真理子と僕が代表になって。事務所開いて、電話も引いて、インフラを整えました。法的な認可も取りました。経済的なことには手は出さないつもりでいます。だけど大事なのは心のケアですよ。子供たちが大きくなって、何になりたいか、そういうことを、僕達も中に入って行って聞いてきます。子供たちがくじけないでいられるように。このあいだ、帝国ホテルと話したんです。子供たちが東京に来た時には、そういうとこで食事してもらおうってね。子供たちの支えになれるように、僕らも一緒に食事しながら話を聞けるような機会を作るのに協力してくれ、と。大丈夫、酒は飲まないからって(笑)。



 

オケ2end.jpg■ジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラ

作曲家、三枝成彰と指揮者、大友直人の呼びかけによって、1992年にスタートしたオーケストラ。「ヴィルトゥオーゾ=名手」の名が意味する通り全国のプロ・オーケストラの上位演奏者で占められ、大阪では1年に1度の公演によって、日本のオーケストラの水準の高さを示し続けている。20回目を迎える2012年1月4日のメンバーにはコンサートマスター11名、首席奏者が40名が参加。その他の演奏者も、もちろんそれに準じる”名手”たちである。

 

 




(2011年12月12日更新)


Check
         大友直人(指揮)
         塩田美奈子(ソプラノ)
         川井郁子(ヴァイオリン)
         三舩優子(ピアノ)

ジャパン・ヴィルトゥオーゾ・
シンフォニー・オーケストラ 〈第20回大阪公演〉

チケット発売中  Pコード152-278
S席-10000円 A席-8000円 B席-6000円 C席-4000円 D席-1000円 
●2012年1月4日(水)16:30 
ザ・シンフォニーホール

【指揮】大友直人
【ソプラノ】塩田美奈子
【ヴァイオリン】川井郁子
【ピアノ】三舩優子
【プレトーク】三枝成彰

【プログラム】
J.シュトラウスⅡ:喜歌劇「こうもり」序曲
J.シュトラウスⅡ:「春の声」〈塩田美奈子〉
レハール:喜歌劇「メリー・ウィドウ」より
「ヴィリアの歌」〈塩田美奈子〉
プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」より
「私のお父さん」〈塩田美奈子〉
レッド・ヴァイオリン
(ロドリーゴ「アランフェス協奏曲」より
編曲:川井郁子)〈川井郁子〉
映画「COLD SLEEP」より
(編曲:川井郁子)〈川井郁子〉
ジュピター(ホルスト:ジュピターより 
編曲:川井郁子)〈川井郁子〉
リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調〈三舩優子〉
J.シュトラウスⅡ:皇帝円舞曲
J.シュトラウスⅡ:美しく青きドナウ